旅する創造主――アノンの世界観

ぼん

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神話時代:竜の都アルセリア・王と涙

【竜の都アルセリア・王と涙】 第一話:「王の選択」

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 深い静寂が、王の間を満たしていた。

 夜明け前の竜の都アルセリア王宮。大理石の床にはまだ闇が薄く残り、冷たい空気が肌に触れる。私はその中で目を覚ました。

――この身体は、アルセリアの王。

 私は今、その『器』の内側から世界を観察している。

 重い王衣の感触、指先に冷たく触れる金の指輪。まぶたの裏に残る眠気と、身体に宿る微かな違和感。それらすべてが『人の王としての現実』を一気に流し込んでくる。

 外では、朝の祈りを告げる鐘が、静かな空気を震わせていた。

 竜の都アルセリア――

 二匹の竜と人が共に歩むことを選び、長い歳月をかけて築かれた都市。祈りと誇り、畏れと祝祭。そのすべてが、この王の血脈と共にある。

 ただ、観察者としての私は知っている。

 人々が『竜』と呼ぶ存在は、記録や伝承の中では『ドラゴン』とも呼ばれてきた。祈る者と見守る者――その距離や祈りの形が、名前の揺らぎとなって表れているのだ。

 今、この都には祝祭の余韻とは別に、かすかな不安の影が漂っていた。

 私は王の足で廊下を歩く。

 控えの間には近衛兵たちが整列していた。私が姿を見せると、全員が深く礼を取る。その動きの奥に、忠誠だけではない『畏れ』が微かに揺れていた。

「おはようございます、陛下」

 近衛隊長が挨拶を寄せる。夜の疲れをわずかに残した顔。しかし、瞳の奥には『王』という存在に向けられる静かな緊張が宿っていた。

「おはよう。昨夜はよく眠れたか?」

「はっ。王宮も私も、問題なく」

 形式的な言葉のやり取り。けれど、その隙間に流れる気配から、都そのものが『何か』を恐れ、同時に『何か』を待っているのが伝わってくる。

 玉座の間に入ると、窓の向こうに薄青い空がわずかに色づき始めていた。

 王座に座ると、王としての重責と、この身体に染みついた記憶が胸の奥で絡み合う。

――王とは孤独だ。

 命じる者でもあると同時に、すべての祈りと恐れを背負う者。

 私は、その重さを確かに感じていた。

◇◇◇

 やがて朝食の席へ。

 銀器の並ぶ静かな食卓。家族と呼ばれる者たちとの会話は柔らかいが、その裏側には王族ならではの期待と不安が透けて見える。

「父上、今朝は空がとても綺麗です」

 末の王女が微笑む。無垢な笑顔の中に、この都への祈りが宿っていた。

「ああ。今日も都に祝福があるといいな」

 王としての声と、観察者としての感覚が胸の中で交差する。

 食後、私は庭へ出る。

 朝の空気は澄み、祈りの声が遠くから聞こえる。

 だが、竜の社――リュミエルとノクスグレアが祀られた聖域――へ近づくほど、空気の密度が変わっていく。

 人々が膝をつき、静かに祈りの言葉を紡ぐ。

「竜の加護を……」

「王よ、どうか都を……」

 その声音には、祝祭よりも不安の色が濃い。

 竜は守護であり、畏怖であり、均衡の象徴でもある。

 その均衡が揺らぎ始めているのだ。

◇◇◇

 竜の社の大扉の前に立つ。

 ここには、都中の祈りと怯えが堆積している。

 精霊の気配が薄い膜のように場を覆い、境界を守っていた。

 私は扉に手をかけ、静かに押し開いた。

 途端に、壮大な静寂が押し寄せる。

――リュミエル

――ノクスグレア

 白金の光と漆黒の影。

 ただその場にいるだけで世界を支配する『圧』があった。

「王よ。この都の朝は静かであろうか」

 リュミエルの声は、低く澄んでいて、広間の空気を震わせる。

「はい。皆の祈りのもと、平穏です」

 ノクスグレアが黒い翼を揺らし、静かに問いを投げかける。

「お前は竜を畏れ、民の祈りに縋るのか」

「……この都のすべてを受け入れたい。祈りも畏れも、祝福も。私は強くはない。だからこそ、迷いながらも歩いていく」

 竜たちは黙り込む。その沈黙に、都の祈りと不安が溶け込んでいた。

「王よ。盟約とは祈りの結晶であり、畏れの証でもある。それを忘れぬことだ」

 リュミエルの声は厳しくも温かい。

 私は息を整え、応じる。

「リュミエル、ノクスグレア。私は――いや、王家は、この都の均衡と祈りを守り続ける」

 二匹の竜がわずかに目を細めた。

「では、問いを与えよう」

「竜と人。お前はどちらを選ぶ?」

 私は答えられなかった。

「その迷いこそが、均衡を揺るがす」

 そう、リュミエルが静かに告げた。

◇◇◇

 社を出ると、朝の光が都に降り注いでいた。

 王宮へ戻る道で、民がひそやかに頭を垂れ、祈りの声を紡ぐ。

 都は今、祈りと畏れ、均衡の狭間にある。

 だが、その静けさの下には確かな波がある。

――選択の時は遠くない。

 空には白い雲が流れ、祈りの鐘が、新しい一日を告げていた。

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