旅する創造主――アノンの世界観

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神話時代:竜の都アルセリア・王と涙

【竜の都アルセリア・王と涙】 第四話:「揺らぐ盟約」

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 竜の都アルセリアは、まるで音を失ったかのように静まり返っていた。

 つい昨夜まで祭りの灯と笑い声に包まれていた広場。そこに漂うはずの熱気は消え、淡い霧が路地という路地にまとわりつく。

 街のどこかで、誰かの囁きがかすかに揺れた。

「竜は、本当に見守ってくれているのだろうか」

「盟約……まだ生きているのか」

 そんな声が、細い糸のように風に乗って都全体へ広がっていく。

 私は、王宮の廊下を歩いていた。

 自分の足音が、こんなにも冷たく響くとは思わなかった。

 重い扉を押し開け、玉座の間へ足を進める。

 すでに家臣たちが集まっており、膝をついたままもどかしく顔を上げられずにいる。

 空気が張りつめている。まるで、都そのものが息を潜めているようだった。

「陛下……民の間で、不安の声が広まっております」

「昨夜、城下でまた奇妙な影が目撃されたと」

 近衛隊長が、声を落として告げる。

 私はすぐに反応せず、ゆっくりとうなずいた。

 その仕草ひとつにも、王である自分とアノンとしての自分が重なる。

 祝祭の日の光景が、ふっと胸の奥で揺らぐ。

(……あれほど誓い合い、祈りが満ちていたのに)

 王族たちの姿が目に入った。

 王妃は言葉を控え、私の横顔を静かに見つめている。

 その視線には、深い懸念と、かすかな期待が入り混じっていた。

◇◇◇

 王宮を出て街へ降りると、ぬるい風が頬を撫でた。

 路地を行き交う民は王の姿に気づくと頭を垂れるが、昨日までの安堵の表情はどこにもなかった。

「竜は……もう私たちを見捨ててしまったのか」

 そんな声が、すれ違いざまに聞こえる。

 胸の奥が、ひどく冷たくなった。

 竜の社まで足を運んでみても、そこには静寂が広がっていた。

 祭壇に残る昨日の供物。

 漂うはずの竜の気配は、今日はどこか遠く、曖昧。

 社の奥へ進むほどに、静けさが濃くなる。

 私の中の王としての責任と、アノンとしての観察する意識がせめぎ合う。

 民が祈り、竜が応え、都は均衡を保つ。

 そう信じ、そう築いてきたはずのものが――

 ほんの少しの影で揺らいでしまうのか。

 社の奥で足を止めると、かすかな風が吹き抜けた。

 その瞬間、淡い光が浮かび上がる。

 精霊たちの気配が、静かに祭壇の周りへ集まってきた。

 光が揺らめき、柔らかな渦を描く。

――均衡が、軋んでいる。

 言葉ではなく、感覚として伝わってくる。

 ほどなくして、大精霊たちの声が重なり合うように響きはじめた。

「人の祈りが揺らげば、均衡もまた揺らぐ」

 土の大精霊グランの低い声が、石壁を震わせる。

「竜の孤独と誇りが、都の影となるのです」

 風の大精霊アウラの声は、静かな風のように通り過ぎる。

 火の大精霊ラギアが灯す小さな炎は、頼りなく揺れていた。

「赦しの灯は、闇が濃くなるほど強くなる―― 今は、その時を待つしかない」

 私は静かに目を閉じた。

 王であること。

 祈りを受ける者であること。

 そして、赦しを選び続ける者であること。

 そのすべてが、自分にのしかかってくる。

――民も竜も、痛みを抱えている。その間に立つのが、王であり……観察者の私の役目か

 目を開けたとき、光はまだ祭壇の周りに漂っていた。

 揺らぎつつある均衡。

 それでも、そこに消えずに残っている希望。

 それらが、淡い光の粒となって空気に混じっていた。

◇◇◇

 竜の社を後にして街へ戻ると、霧が濃くなっていた。

 灯りも家々も霞み、まるで都全体が息を潜めているようだった。

 王宮へ戻り、書斎で報告の束を開いた。

 昨夜見つかった足跡。

 社周辺の風の乱れ。

 祝詞役たちの沈黙。

 民の動揺。

 次々と指先に触れる文字が、不安の輪郭を確かにしていく。

 外から、不意に雷のような低く長い響きが鳴った。

 私は息をのむ。

 その揺らぎが、確かに胸の奥で囁いた。

 外の空気がざわめいたように感じて、私は書斎の扉を押し開けた。

 廊下の先から、重く沈む気配が流れてくる。

 広間へ向かう途中、侍従たちが足を止め、私の方へ目を向けた。

 誰もが声を飲み込んでいる。竜の都に根を張っていたはずの安心が、音もなく削り取られていくようだった。

 王宮から外へ出ると、空は灰色に沈み、雲の奥で光が震えている。

 風が冷たく、街路の旗が細かく揺れた。

 私は竜の社へと歩を進めた。

 足音がやけに大きく響く。誰も話しかけてこない。ただ、視線だけが縋るように背中へ集まっていた。

◇◇◇

 竜の社は、薄闇に沈んでいた。

 昨日まで聖域を包んでいた光は弱く、祭壇の周りには淡い霧のような気配が漂っている。

 私は息を整えながら社の中へ入った。

 静寂の奥で、光がふわりと揺れた。

 大精霊たちの気配――

 六つの揺らぎが重なり、空気がゆるやかに震える。

 土の大精霊グランの重い気配が、足元に広がった。

「均衡は乱れつつある」

 風の大精霊アウラが、微細な震えを空気に走らせる。

「人の祈りが揺れるとき、風は乱れ、影が忍び寄る」

 静かな光が浮かび、火の大精霊ラギアの炎が揺らめく。

「赦しの灯は消えてなどいない。ただ、揺らぎに包まれて見えにくくなっているだけだ」

 私は一歩進む。

 胸の奥で、雷のような響きがまだ残っていた。あれは、均衡が痛みを訴える声だったのだと気づく。

「……この都は、まだ守れるのか」

 声に出した瞬間、社の奥にある大きな影がわずかに動いた。

 白金の光が差し込み、リュミエルの輪郭がぼんやりと浮かぶ。

 その隣には、黒い霧のような気配をまとったノクスグレアがいた。

 二匹とも、まだ完全には姿を現さない。

 それが、今の都の揺らぎそのものを示しているようだった。

「王よ」

 リュミエルの声が、静かに社へ響く。

「祈りは確かにこの都を包んでいた。しかし、影が生まれるのは、いつも光のすぐそばだ」

 ノクスグレアが続く。

「民の心には恐れがある。竜の誇りにもまた孤独がある。いずれも責めることはできぬ」

 私は二匹の竜を見つめる。

 その姿は揺らぎ、強さと脆さが交錯しているように見えた。

「それでも……私は都を守らねばならない。竜と人を繋ぐ者として」

 言葉を紡いだ瞬間、胸の靄がわずかに晴れた。

 静かだが確かな熱が、心の奥底に灯る。

 ラギアの炎が小さく揺れる。

「揺らぎは、均衡の始まり。恐れる必要はない」

 水の大精霊セルシアが柔らかく光を放つ。

「人と竜が互いを見つめ直す時期なのかもしれません」

 精霊たちの気配が、ゆっくりと寄り添うように広がっていく。

 リュミエルが静かに言った。

「王よ。そなたが心を曇らせない限り、都はまだ立ち上がれる」

 ノクスグレアもまた、低く響く声で告げた。

「闇が深まるときほど、祈りは力を取り戻す。影を恐れず、歩むがいい」

 私は小さく息をつく。

 胸に積もっていた疑念と焦りが、ゆるやかに溶けていく。

「……ありがとう」

 その言葉は自然に漏れた。

 竜たちの姿は揺らぎながらも、確かにそこにあった。

◇◇◇

 社を出ると、夜の気配が街を包み始めていた。

 風はまだ冷たい。

 だが先ほどよりも、わずかに柔らかい。

 遠くでひとつ、祈りの声が響いた。

 それに続くように、別の家からも、またひとつ。

 震えながらも、消えない灯のような声。

 都はまだ諦めていない。

 私は城へ向き直り、小さくうなずいた。

――揺らぎのなかでこそ、誓いは試される。

 ならば私は、その揺らぎを受け止め続ける。

 竜と人、精霊と祈り。

 そのすべてをもう一度結び直すために。

 夜の底で揺れる影はまだ蠢いている。

 けれど、都の上空には、薄い光が確かに残っていた。

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