旅する創造主――アノンの世界観

ぼん

文字の大きさ
10 / 70
神話時代:竜の都アルセリア・王と涙

【竜の都アルセリア・王と涙】 第七話:「大災厄」

しおりを挟む
 空が――裂けた。

 その瞬間、胸の奥が強く掴まれたように固まった。夜明けでも夕暮れでもない、時間から切り離されたような白い空。その中央に走った黒い亀裂が、ありえない音を立てて広がっていく。

 竜の都アルセリア。

 かつて祈りと祝福で満ちていたはずのこの都は、いま、息を潜めたように静まり返っていた。

 私は王として、その光景をただ見上げるしかできなかった。玉座であれ社の前であれ、どの場所に立っていても、あの裂け目から目をそらすことはできない。

 民たちの声は、凍りついた風の中で完全に途絶えていた。

 広場では、老いた者も幼い子も互いに寄り添い、祈りを抱えたまま空を見上げている。

 祈りの歌はもう響かない。

『裂け目』の向こうにある何かに、誰もが怯え、すがるように目を凝らしていた。

 足元が、ぶるりと揺れた。

 小さな震え。それがすぐに都全体を飲み込み、大地を波打たせる。

 社の柱が悲鳴のように軋み、王宮の高窓がきしむ。民家の石壁が低く呻いて崩れ、砂埃が夜明け前の空気に舞う。

 遠くでは山脈がうなり、川の流れが逆転した――まるで世界そのものが裏返るように。

「……本当に、終わるのか」

 誰かが呟いた声がした。

 けれど、その声も地鳴りに呑まれ、消えていった。

 祝詞役は祈りを紡ごうとするが、震える唇は音をつくらない。

 近衛兵たちが私の前に立つ。その姿は『護る』というより『祈る』に近かった。

 視線を上げると、空ではリュミエルとノクスグレアが激しく舞い、金と蒼の光を絡ませながら衝突していた。

 竜たちの咆哮が、骨の奥まで響く。

 都の東――王宮の裏手。

 大地に亀裂が音もなく走る。草花が裂け目に吸い込まれ、根がちぎれる。

 北の森では雷鳴が轟き、樹々がなぎ倒され、精霊の気配が混乱したように揺れた。

 南の丘では地が割れ、地中から火柱が吹き上がり、赤い光が空を照らす。

 風の精霊は暴走し、街路を荒れ狂うように駆け抜け、水の精霊は逃げ惑うように気配を散らす。

 すべての自然が、『分断』という名の渦に巻き込まれていく。

 私は社の前で拳を握りしめた。

 こんなときでさえ、王の声はあまりにも小さい。

「……都が、裂ける……」

 民のなかから、震える声が漏れた。

 王妃は石段に立ち、王子と王女を抱き寄せている。

 家臣たちもまた、ひざまずき、祈るように目を閉じていた。

 すべてが、壊れる。

 空では竜たちが再び激突する。

 金色の光が空を切り裂き、蒼い闇がそれを呑みこむ。

 大気がきしみ、社の奥では淡い光が揺れた。

 その刹那、大精霊たちが動いた。

 火の大精霊ラギアの気配が炎の波動となり、都じゅうに熱のうねりを広げる。

 大地の大精霊グランの重い気配が地中を貫き、石畳にさらに深い亀裂を刻む。

 水の大精霊セルシアは、川の逆流を押し返すように冷たい揺らぎを放つ。

 風の大精霊アウラは烈風となって民の恐怖を吸い取り、空へ散らす。

 光の大精霊ルミナは淡い光を落とし、王と民の頭上に静かに触れる。

 闇の大精霊ノクスは夜の帳のように都を包み、混乱を押しとどめる。

 六体の大精霊の気配が都を覆った。

 それでも――災厄の流れは止まらない。

 祈りの歌も、風のざわめきに紛れて消えていく。

「均衡は、すでに崩れ始めている」

 炎の奥から、ラギアの声が響く。

 象徴のような響き。自然そのものが言葉を紡いでいる感触。

「分断は、もう止められないのか」

 グランの呟きが、大地の底から溢れた。

 私は――王でありながら、無力だった。

 天空の裂け目に迫る竜たちを見上げながら、握った拳がわずかに震える。

 王宮の塔が揺れ、石畳は大きく割れ、都の家々に走る裂け目は、まるで見えない指が大地をなぞったようだった。

 民たちは互いを抱き合い、恐怖に耐えながら、それでもどこかで『願う』心を捨てられないでいた。

 しかし、それも――届かない。

 空で渦巻く金色の光と蒼い闇。

 リュミエルとノクスグレアの輪郭が、世界の境界を歪ませる。

 光が滝のように降り注ぐたびに、大地の震動が隆起し、闇が覆いかぶさるたびに、都の音がすべて吸い込まれる。

 リュミエルの翼が大気を裂き、吹き荒れる風が大陸をなぎ払う。

 ノクスグレアの尾が雲を叩き、空が二つに分断される。

 そして――衝突点から『それ』は走った。

 最初に裂けたのは空だけ。

 だが次の瞬間、亀裂は空から地へ、王宮を貫き、都全体へ、そして遥か遠くの山脈や川や森へ走る『災厄の筋』へと変わる。

 大精霊たちが最後の力で押し返そうとする。

 だが竜の力は圧倒的だった。

 雲の上から落ちてきた亀裂は、都の中心を貫き、大地に太く深い傷を刻む。

 石畳が崩れ、社の柱が傾き、王宮の塔がゆっくり折れていく。

 広場は裂け、人々の悲鳴は轟音にかき消された。

 王妃は子らを抱きしめ、崩れゆく石段に膝をついた。

 家臣や近衛兵は震える足で私を守ろうとするが、立っているのがやっとの状態だ。

 天では、リュミエルとノクスグレアが最後の問いを交わすように向かい合っていた。

「なぜ、ここまで来てしまった――」

「これが、われらの運命なのか……」

 金と蒼の光が交錯し、空が唸る。

 そして――二匹の竜は、空の中心で激突した。

 光と闇の爆発が世界を呑み込んだ。

 空が押し広げられ、風と光と闇が渦を巻き、時間さえ止まったような静寂が広がる。

 次の瞬間――

 大陸が、音もなく裂けた。

 私は、崩れゆく都を見つめるしかできなかった。

◇◇◇

 都の中心を貫いた亀裂は、稲妻のように四方へ走り、大地を深く裂き、山脈へ、森へ、川へと伝播していく。

 世界そのものが断ち切られていくようだった。

 石畳は崩れ、王宮の塔がきしみ、そして――折れた。

 砂煙がゆっくりと立ちのぼり、何もかもを薄く覆い隠していく。

 広場でも大きな裂け目が口を開け、祈りの場だったはずの場所を二つに断ち切ってしまった。

 人々の叫びは、地鳴りと風の奔流にかき消され、ほとんど届かない。

「陛下、こちらへ……っ!」

 近衛兵が震える声を張った。

 だが、その足取りは重かった。

 そして――私の視界の端に、静かな終わりが映った。

 砕けた石柱の陰。

 王妃は、すでに床に崩れ落ちていた。

 膝の上には王子と王女。

 ふたりを抱きしめるその腕は、まるで眠る子どもたちを守るように優しく、しかし二度と動くことはなかった。

 寄り添う子どもたちもまた、瞳を閉じたまま。

 その小さな胸は、かすかな上下さえ見せていなかった。

 命の灯火は――ひっそりと、すでに消えていた。

 家臣たちは、その光景の前で声を失い、膝を震わせながら立ち尽くした。

 誰も叫ばない。

 誰も泣き崩れない。

 ただ、静かに、喪失の重さに押しつぶされていた。

 私は立ち尽くす。

 胸の奥がひどく冷え、何かが崩れていく音がした気がした。

 けれど、目をそらすことはできなかった。

 王である以上、見届けなくてはならない。

 たとえそれが、どれほど残酷でも。

 そのとき――大精霊の気配が再び濃くなる。

 炎は、悲しみに震えるように揺れつつ、崩落を少しでも止めようと赤い壁を立てていた。

 雨は静かに降り、舞い上がる粉塵を沈め、割れた大地をそっと濡らす。

 土は裂け目を縫い合わせるように押し返し、大地がこれ以上崩れぬよう支えていた。

 風は人々の叫びと祈りを抱えて空へ運び、混乱をわずかに遠ざける。

 光は絶望の闇に細い光を落とし、闇は、喪失を静かに包み込み、痛みを夜の底へ沈めていた。

 それでも、竜たちの傷跡は止まらない。

 亀裂は海のように拡がり、世界は別々の大地へと引き裂かれていった。

「こんな……」

 民のひとりが震える声を漏らす。

 その横で、別の者がそっと手を重ねる。

 恐怖のただ中でも、人は互いに寄り添うことをやめなかった。

 私は唇をかみしめた。

 守れなかった現実が、胸に突き刺さる。

 ふと、空を見上げる。

 光と闇がほどけ、ゆっくりと沈んでいく。

 まるで燃え尽きた祈りの残滓が風に流されていくように。

 リュミエルの金の光は、遠い空へ消え――

 ノクスグレアの蒼い闇は、夜明けの気配へ溶け込んでいった。

――その背に、深い傷と赦しの記憶だけを残して。

 都は、裂け目のふちに取り残された。

◇◇◇

 瓦礫の上に立つと、かつてのアルセリアが遠い昔の幻のように思えた。

 折れた柱。砕けた壁。裂けた道。

 そのすべてが、世界が裂けた証だった。

 私は拳を握った。

 この手では、何ひとつ守れなかった――その重さが、胸の奥で静かに沈んでいく。

 それでも。

 瓦礫の影で、まだ誰かが誰かを支え合っていた。

 泣き声と祈りのさざめきが、風に溶けるように混じり合う。

 大精霊たちの気配は、まだ都を包んでいる。

 私は目を閉じる。

 聞こえるのは、瓦礫のあいだを抜ける風。

 そして、絶望の底に沈んだ祈りの残響。

「……終わったのか」

 その声は、誰に届くこともなく、風に消えた。

 それでも、私は願う。

 たとえ世界が裂けても。

 この地がどれほど深く傷ついても。

 いつか、この場所に――

 赦しと祈りの芽吹きが、もう一度訪れることを。

 裂け目の向こうに漂う淡い光が、ゆっくりと揺れていた。

 それは、終わりの印であり。

 そして、新たな始まりの予兆でもあった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラス転移したら種族が変化してたけどとりあえず生きる

アルカス
ファンタジー
16歳になったばかりの高校2年の主人公。 でも、主人公は昔から体が弱くなかなか学校に通えなかった。 でも学校には、行っても俺に声をかけてくれる親友はいた。 その日も体の調子が良くなり、親友と久しぶりの学校に行きHRが終わり先生が出ていったとき、クラスが眩しい光に包まれた。 そして僕は一人、違う場所に飛ばされいた。

看病しに行ったら、当主の“眠り”になってしまった

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全36話⭐︎ 倒れた当主を看病する役目を振られた使用人リィナは、彼の部屋へ通うことになる。 栄養、灯り、静かな時間、話し相手――“眠れる夜”を整えていく。そして、回復していく当主アレクシス。けれど彼は、ある夜そっと手を握り返し、低い声で囁く。 「責任、取って?」 噂が燃える屋敷で、ふたりが守るのは“枠(ルール)”。 手だけ、時間だけ、理由にしない――鍵はリィナが握ったまま。 けれど、守ろうとするほど情は育ち、合図の灯りはいつしか「帰る」ではなく「眠る」へ変わっていく。 看病から始まった優しい夜は、静かな執着に捕まっていく。 それでも、捕獲の鍵は彼ではなく――彼女の手にある。

没落港の整備士男爵 ~「構造解析」スキルで古代設備を修理(レストア)したら、大陸一の物流拠点になり、王家も公爵家も頭が上がらなくなった件~

namisan
ファンタジー
大陸の南西端に位置するベルナ子爵領。 かつては貿易で栄えたこの港町も、今は見る影もない。 海底には土砂が堆積して大型船は入港できず、倉庫街は老朽化し、特産品もない。借金まみれの父と、諦めきった家臣たち。そこにあるのは、緩やかな「死」だけだった。 そんな没落寸前の領地の嫡男、アレン(16歳)に転生した主人公には、前世の記憶があった。 それは、日本で港湾管理者兼エンジニアとして働き、現場で散った「整備士」としての知識。 そして、彼にはもう一つ、この世界で目覚めた特異な能力があった。 対象の構造や欠陥、魔力の流れが設計図のように視えるスキル――【構造解析】。 「壊れているなら、直せばいい。詰まっているなら、通せばいい」 アレンは錆びついた古代の「浚渫(しゅんせつ)ゴーレム」を修理して港を深く掘り直し、魔導冷却庫を「熱交換の最適化」で復活させて、腐るだけだった魚を「最高級の輸出品」へと変えていく。 ドケチな家令ガルシアと予算を巡って戦い、荒くれ者の港湾長ゲンと共に泥にまみれ、没落商会の女主人メリッサと手を組んで販路を開拓する。 やがてその港には、陸・海・空の物流革命が巻き起こる。 揺れない「サスペンション馬車」が貴族の移動を変え、「鮮度抜群の魚介グルメ」が王族の胃袋を掴み、気性の荒いワイバーンを手懐けた「空輸便」が世界を結ぶ。

【しっかり書き換え版】『異世界でたった1人の日本人』~ 異世界で日本の神の加護を持つたった1人の男~

石のやっさん
ファンタジー
12/17 13時20分 HOT男性部門1位 ファンタジー日間 1位 でした。 ありがとうございます 主人公の神代理人(かみしろ りひと)はクラスの異世界転移に巻き込まれた。 転移前に白い空間にて女神イシュタスがジョブやスキルを与えていたのだが、理人の番が来た時にイシュタスの顔色が変わる。「貴方神臭いわね」そう言うと理人にだけジョブやスキルも与えずに異世界に転移をさせた。 ジョブやスキルの無い事から早々と城から追い出される事が決まった、理人の前に天照の分体、眷属のアマ=テラス事『テラスちゃん』が現れた。 『異世界の女神は誘拐犯なんだ』とリヒトに話し、神社の宮司の孫の理人に異世界でも生きられるように日本人ならではの力を授けてくれた。 ここから『異世界でたった1人の日本人、理人の物語』がスタートする 「『異世界でたった1人の日本人』 私達を蔑ろにしチート貰ったのだから返して貰いますね」が好評だったのですが...昔に書いて小説らしくないのでしっかり書き始めました。

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

MP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます

難波一
ファンタジー
"『第18回ファンタジー小説大賞【奨励賞】受賞!』" ブラック企業勤めのサラリーマン、橘隆也(たちばな・りゅうや)、28歳。 社畜生活に疲れ果て、ある日ついに階段から足を滑らせてあっさりゲームオーバー…… ……と思いきや、目覚めたらなんと、伝説の存在・“真祖竜”として異世界に転生していた!? ところがその竜社会、価値観がヤバすぎた。 「努力は未熟の証、夢は竜の尊厳を損なう」 「強者たるもの怠惰であれ」がスローガンの“七大怠惰戒律”を掲げる、まさかのぐうたら最強種族! 「何それ意味わかんない。強く生まれたからこそ、努力してもっと強くなるのが楽しいんじゃん。」 かくして、生まれながらにして世界最強クラスのポテンシャルを持つ幼竜・アルドラクスは、 竜社会の常識をぶっちぎりで踏み倒し、独学で魔法と技術を学び、人間の姿へと変身。 「世界を見たい。自分の力がどこまで通じるか、試してみたい——」 人間のふりをして旅に出た彼は、貴族の令嬢や竜の少女、巨大な犬といった仲間たちと出会い、 やがて“魔王”と呼ばれる世界級の脅威や、世界の秘密に巻き込まれていくことになる。 ——これは、“怠惰が美徳”な最強種族に生まれてしまった元社畜が、 「自分らしく、全力で生きる」ことを選んだ物語。 世界を知り、仲間と出会い、規格外の強さで冒険と成長を繰り広げる、 最強幼竜の“成り上がり×異端×ほのぼの冒険ファンタジー”開幕! ※小説家になろう様にも掲載しています。

半竜皇女〜父は竜人族の皇帝でした!?〜

侑子
恋愛
 小さな村のはずれにあるボロ小屋で、母と二人、貧しく暮らすキアラ。  父がいなくても以前はそこそこ幸せに暮らしていたのだが、横暴な領主から愛人になれと迫られた美しい母がそれを拒否したため、仕事をクビになり、家も追い出されてしまったのだ。  まだ九歳だけれど、人一倍力持ちで頑丈なキアラは、体の弱い母を支えるために森で狩りや採集に励む中、不思議で可愛い魔獣に出会う。  クロと名付けてともに暮らしを良くするために奮闘するが、まるで言葉がわかるかのような行動を見せるクロには、なんだか秘密があるようだ。  その上キアラ自身にも、なにやら出生に秘密があったようで……? ※二章からは、十四歳になった皇女キアラのお話です。

処理中です...