旅する創造主――アノンの世界観

ぼん

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神話時代:竜の都アルセリア・王と涙

【竜の都アルセリア・王と涙】 第八話:「喪失と涙」

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 静寂が落ちていた。

 けれどそれは、ただ嵐の後に訪れる穏やかな静けさではない。

 竜たちの咆哮と、大地を裂いた衝撃がすべて消え去ったあとの――

『音のない世界』だった。

 空には、金と蒼の残光がまだ薄く揺れている。

 ほんの少し前まで激しく交錯していた二匹の竜の気配は、もうどこにもなかった。

 私は、瓦礫と化した王宮の階段の上で立ち尽くしていた。

 足元に広がるのは、かつて広場だったはずの場所。

 割れた石畳の向こうには、崩れ落ちた家々と、形を保てなくなった竜の社の残骸。

 風が吹き抜けるたび、砂埃が舞い上がる。

――リュミエルも、ノクスグレアも、消えたのか。

 都を覆っていた誇り高い気配は、空からも大地からも消えていた。

 見上げれば、王宮の塔は途中で断たれたように折れ、先端は地中へ沈んでいる。

 広場にあったはずの石像も影も形もなく消え、祝詞役たちの祈りの歌も、風に飲まれて遠い記憶のように薄れた。

 東側――

 そこはもう『地表ごと』存在していなかった。

 家並みも庭も祭りの日に人が溢れた通りも、すべてが崖のように落ち込み、その先は深い闇と霧に満ちている。

 北の森は根こそぎにされ、古い樹々は無造作に倒れ続けている。

 南の丘は焼け、土の色すらわからぬ焦土へ変わっていた。

 都を囲っていた石壁は歴史ごと断ち切られ、最後に残った門だけが、風に揺れながら虚しく立っている。

 数千いた民のうち、声を上げられる者は、ほんの一部だった。

 あちこちから、かすれた呼び声が聞こえる。

 瓦礫の下には幼子の小さな手がのぞき、泣き叫ぶ母親の声が空へ溶ける。

 父親は、崩れた壁にもたれ座り込み、ただ地面を見つめていた。

◇◇◇

 社へ戻ると、そこには――変わらぬ光景があった。

 王妃は、床に倒れたまま動かない。

 膝に抱かれた王子と王女も、その小さな身体を母の腕に守られたまま、静かに瞳を閉じている。

 砕けた石柱の影の中、彼らの命は薄い光のように消えていた。

私は目をそらせず、ただ立ち尽くす。

 もう何度見ても、胸の奥が軋むだけだった。

 声は出なかった。

 喉が凍りついたようで、息すら音にならない。

 家臣の一人が、血に濡れた額を押さえながら虚ろな目で外を見ていた。

 別の者は瓦礫の中で家族の名を呼び続け、誰かは倒れた柱に手をかけて祈りをささげていた。

 巨大な裂け目が都を断ち切り、アルセリアの名を地図から消し去るほどの傷跡を残している。

――戻らない。

 もう何も。

 心が何度呟いても、現実は変わらない。

◇◇◇

 王宮の門の前には傷だらけの近衛兵が集まり、折れた槍を杖のように支えながら、気力を絞って立っていた。

「……ご無事で……」

 誰かがそう声をかけた。

 しかし、その言葉をどう受け止めていいのか、わからなかった。

 足元で砕ける石の音だけが、世界に残された唯一の『生きた音』のように響く。

 振り返っても、残っているのは空っぽの空間と、ただ静かな絶望だけ。

 守ると誓ったもの――家族も、民も、都も――そのすべてが音もなく奪われていった。

 涙はもう流れなかった。

 痛みも、叫びも、すでに心の奥で凍りついていた。

 そのときだった。

 瓦礫の隙間から、微かな祈りの声が聞こえた。

 誰の声なのかはわからない。

 傷だらけの民か、家臣か、あるいは――この地に残された魂そのものだったのか。

 その祈りは風に消えながら、それでも確かに『生きている気配』を刻んでいた。

 生き残った民たちが、瓦礫の下から身を起こし、泣きながら家族を抱きしめている。

 その瞳には絶望も悔しさも滲んでいたが、同時に――小さな灯のように消えない祈りが宿っていた。

◇◇◇

 家臣の一人が膝をつき、両手を広げて天を仰いだ。

 ぽたり、と大きな雫が落ちる。

 その瞬間だった。

 瓦礫の隙間から、水がふっと湧き上がった。

 まるで人の涙に応えるように――

大地の奥から滲み出した『竜の涙』のようだった。

 涙はひとつ、またひとつと増えていく。

 湧き上がった涙が連なり、崩壊した都の中心に静かな水の道を描き始める。

 誰も気づかないほど静かに――

 けれど確かに、それは『命の泉』の兆しとなって大地を潤し始めていた。

 民のひとりが、その水へ手を伸ばす。

 冷たく、優しい感触が絶望の只中で心を満たしていく。

 私は、ひとつ息を吐いた。

 胸の奥にわずかな熱が戻る。

 私は、失われた家族と民と都のために祈る。

 どうかこの涙が、痛みが、喪失が――

 いつか誰かの『再生』へつながるように。

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