旅する創造主――アノンの世界観

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神話時代:竜の都アルセリア・王と涙

【竜の都アルセリア・王と涙】 第九話:「命の泉」

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 夜明け前の都は、息をひそめたように静まり返っていた。

 大災厄の余韻がまだ世界の隅々に滲み、崩れた広場の中心――瓦礫と深い裂け目のあいだで、透明な水がかすかに揺れている。

 瓦礫の隙間を伝う水音はやわらかく、崩れた石壁や折れた柱に反響して、静けさの中にほんの僅かな生命の鼓動を刻んでいた。

 私は王として、新たに生まれた泉のほとりに膝をついた。

 王宮の下には、もう戻らない家族の影だけが残り、民の多くも帰らぬ者となった。

 生き残った者たちも、涙も言葉もすでに尽き果て、ただ泉の揺らぎを見つめている。

 泉の水面には、金と蒼の竜が残した気配が淡く映っていた。

 光と影がかすかに溶け合い、民の姿とともに、失われたものすべての面影がゆっくり揺れている。

 最初に変化を感じたのは、小さな子だった。

 幼い手が水面に触れ、指先でそっと円を描く。

 母がそれを見て、ためらいがちに水を両手ですくい上げる。

「……冷たい……でも……きれい……」

 そんな呟きが、凍りついた空気をわずかに動かした。

 近衛隊長も、泥まみれの手で水をすくって口元へ運ぶ。

 深く息をつくその姿は、まるで胸の奥にはじめて空気を入れたようだった。

 傷を負った家臣たちも、泉のほとりに寄り添うように集まり、互いに肩を抱き合って生きている温度を確かめていた。

 そのとき、祝詞役の老人が小さく呟いた。

「……これは……祈りが残したものだ。竜が消えても、都が滅んでも……命だけは、この地に留まったのだな……」

 その言葉に、泉の水面がわずかに震えた気がした。

 生き残った民のなかから、誰からともなく膝をついて手を合わせる者が現れる。

 涙はもう流れない――けれど祈りは、この場に確かに戻ってきていた。

 大精霊たちの気配も、泉の気配に静かに寄り添っていた。
 
 民の祈りも、竜の残響も、精霊の気配も――すべてがひとつの泉に重なっていく。

 私は、水面を見つめたまま、静かに目を閉じた。

 守れなかったもの。
 もう二度と戻らないもの。

 それでも、この泉の水音が確かに伝えていた。

――まだ、終わっていない。

 遠くで鳥がひと声鳴いた。

 夜明けの気配が、ゆっくりと都を照らし始める。

 泉の水は、静かに都へと広がっていった。

 かつて賑わいに満ちていた広場も、王宮の高窓も、森へ続く小道も――いまは瓦礫に沈み、淡い朝の光だけが薄く差し込んでいる。

 けれど、そのどれもが泉の水に触れるたび、冷たさの奥にほのかな温もりを宿していった。

 最初はただ膝を抱え、失った家族や仲間の名を胸の奥で呼び続けていただけだった。

 しかし泉に触れるうち、胸の奥にわずかな『希望』が生まれはじめていた。

「この水は……きっと……」

 祝詞役が、かすれた声で呟く。

「かつて竜が祈りを交わし、この都が栄えた頃と同じように……命の約束を運んでいるのでしょう」

 近衛兵の一人は、泥に汚れた鎧を外し、泉の水で額をそっと清めた。

 家臣は瓦礫に膝をつき、両手を合わせて亡き家族と都の冥福を祈る。

 幼子の亡骸を抱えた母は、泉の水を指先につけ、やさしくその頬を撫でた。

 そして名を呼ぶ声は、泣き叫ぶでもなく、ただ祈るように静かだった。

 子どもたちは、小さな手で泉のきらめきをすくい上げ、ほんの一瞬だけ笑顔を取り戻した。

 その光景を、私はただ静かに見つめていた。

 王としての責務も、父としての痛みも、今は泉の冷たさに溶けるように静まっていく。

 やがて祝詞役が、民の前に立って声を上げた。

「この泉の水を……都の最後の祈りとしましょう。今日、ここに眠ったすべての命のために。そして……まだ生きる者たちのために」

 その言葉が、泉の水音と重なって広がっていく。

 民たちの胸の中に、新しい静けさとわずかな決意が芽生えるのを感じた。

 私は泉のそばで目を閉じ、亡き家族と民に心の中で語りかける。

――この泉が、たとえ世界が裂けても、新しい物語の始まりとなるように。

 やがて泉の水は、裂けた大地の隙間を静かに伝い、焦土となった丘や、引き裂かれた森の根へと広がっていく。

 それは、かつて都が存在した証であり、やがて世界を潤す『始まり』のしるしでもあった。

 誰かが、泉を見つめながら囁いた。

「……これは、竜の涙。喪われた都として、いつか誰かに語り継がれるのでしょう」

 民たちは泉を囲み、失われたものすべてに祈りと赦しの言葉を捧げる。

 歌も祭りも消えた世界で、唯一残された水音だけが未来への記憶となって広がっていった。

 崩れ残った王宮の窓から、朝の光が静かに差し込む。

 光は泉の水面にやわらかく反射し、そこには消えた竜たちの面影がふわりと浮かんでいるように見えた。

 私はその光景に息をのみ、心の奥で静かに誓った。

――終わりは、始まりに変わる。

――赦しは、新しい命に生まれ変わる。

 都は地図から姿を消し、多くの命が失われた。

 けれど、ここに残った命の泉は、確かに世界と民をつなぐ『新しい均衡』の源となる。

 痛みも悲しみも――すべては未来への祈りへと変わっていく。

 竜たちの約束も、民の祈りも、精霊のさざめきも。

 静かな水音とともに、永遠の記憶へと溶けていった――

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