旅する創造主――アノンの世界観

ぼん

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神話時代:精霊の森・精霊との誓い

【精霊の森・精霊との誓い】 第三話:「孤独な誓い」

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 夜明けの森は、まだ夢の底に沈んでいるように静かだった。

 冷えた石の祭壇に背中を預けたまま、ぼくはゆっくりと目を開ける。

 夜のあいだ膝を抱えていたせいで身体は重く、頬に触れる空気はじんと冷たい。

 闇が少しずつ薄れていく気配。

 泉の水面には朝靄が立ち、枯れ枝の向こうでは小さな鳥が羽を震わせていた。

 眠れなかった。

 何度も祈りを口の中で繰り返しながら、ただ時が過ぎるのを待っていただけだ。

――どうか森が消えないように。

 その願いは、最後まで誰にも届かなかった。

 けれど、木々の隙間から差し込む最初の光が地面を照らしはじめたとき、胸の奥で何かがゆっくりと目を覚ました気がした。

◇◇◇

 身体を起こし、朽ちかけた祭壇をぐるりと見回す。

 夜露に濡れた苔が石の隙間を埋め、ひび割れた表面には長い年月の気配が積もっている。

 知らない場所で夜を明かしたはずなのに、どこか懐かしい匂いがした。

 泉のほとりに立つと、薄く残った水面が朝の色を淡く映していた。

 かすかな流れの音だけが、森の奥に消えていく。

 誰にも気づかれず、誰にも呼ばれないまま一晩が過ぎた。

 森の小道へ足を踏み出す。

 昨日までと同じはずの景色が、朝の光を浴びたせいか少し違って見える。

 草に触れた朝露が、足首にひんやりとした感触を残す。

 風が弱く揺れ、森は夜よりも少しだけ柔らかい気配をまとっていた。

――誰か、いる? 

 そんな錯覚を覚えたのは、そのときだった。

 泉の上を通り過ぎる光が、ほんの一瞬だけ色を変えた。

 きらり、と淡い輝きが揺れる。

 胸の奥が、小さく熱くなる。

 昨日は、なかったはずのその微かな光。

 もしかしたら――精霊の残り香なのかもしれない。

 ぼくは息をのんで立ち止まり、そっとその揺らぎを見つめた。

 それはすぐに消えてしまったけれど、確かに何かがそこにいた気がした。

 私は静かに見守っていた。

 夜を越えてなお消えずに残るもの。

 孤独の底で、そっと灯りを落とさない意志のようなもの。

 胸の奥に淡い光がひとつ生まれ、それが少年の内側でゆっくり育ちはじめているのを、私は確かに感じていた。

◇◇◇

 森を抜けると、見慣れた倒木が見えた。

 その向こうには、朝焼けに染まる村の屋根が霞んでいる。

 ほんの少し安心する気持ちと、胸の奥に沈んだ重さが混じりあう。

 小道を歩きながら、ぼくは何度も振り返った。

 祭壇。

 泉。

 夜明けの森。

 誰も知らない場所で、誰にも届かない祈りを捧げたあの時間。

 あれは、きっとぼくの中に新しい傷とそれでも消えない小さな灯を残した。

 村に近づくと、家々の扉はまだ閉ざされたままだった。

 冷えた朝の空気が、屋根の影に沈んでいる。

 しばらくすると、畑に向かう大人たちがぽつぽつと家を出てきた。

 ぼくに気づいても、誰も言葉をかけない。

 ただ背を向け、足早に歩いていく。

 やがて子供たちが玄関先に集まりはじめた。

 小さな声で話していた輪の中に近づくと、空気がふっと途切れる。

 ぼくの存在に気づいた瞬間、誰もがそっと言葉を飲み込んだ。

 キリアが一瞬だけこちらを見て、迷うような表情を浮かべた。

 ユートもナミも、視線を逸らし、何事もなかったように振る舞う。

 その仕草が、なによりもはっきり伝えてくる。

――ぼくは、もうこの輪の中にいないんだ。

 胸の奥がゆっくり沈んでいく。

 村という世界から、静かに外側へ追い出されていく感覚。

 言葉にはならない痛みが、波紋のように広がっていった。

◇◇◇

 気づけば、足は自然と森の小道へ向かっていた。

 昨日の祭壇と泉――

 あの場所だけは、なぜかぼくを拒まなかった。

 昼の光が木々の間からこぼれ、土の上にまだらな影を落としている。

 鳥の声が遠くで響き、風が枝葉を優しく揺らした。

 森の静けさのなかで、ぼくははっきりと感じた。

――小さな光が、どこかで揺れている。

 それが精霊の残り香なのか、森そのものの息づかいなのかは分からない。

 けれど、確かに誰かが見守っている気がした。

 私は、その気配を受け取るように耳を澄ませる。

 孤独と祈りが重なるとき、生まれるさざめき。

 この身体に染み込んだ感覚が、少年の心の奥に触れていた。

◇◇◇

 家族と過ごした祭壇跡と泉を訪れてから、ぼくは昨日の泉のほとりへ戻った。

 泉のほとりは、空気の色が少し違って見えた。

 しゃがみ込むと、冷たい水面が淡くゆらぎ、ぼくの影を細く歪めている。

 祈ろうとしても、言葉は胸の奥でつかえてしまった。

 けれど――それでも何かがささやいている。

『まだ終わっていない』

 そんな声が、自分の奥底から静かに響いていた。

 昨夜、朽ちかけた祭壇の前で感じた不安と、消えかけた希望。

 その両方が、いまも揺れている。

 まるで、ぼくの中に残された最後の火種みたいに。

 世界の片隅で、自分だけが祈っているような孤独。

 それでも、祈りだけは手放せなかった。

――どうして、ぼくはこんなにも祈り続けているんだろう。

 自分でも分からない問いを、心の奥に投げかける。

 どうして、何度も繰り返すのか。

 誰にも届かない願いだと分かっていながら、どうして止まらないのか。

 答えはうまく言葉にならなかった。

 私はゆっくりとその答えに触れていく。

 孤独に沈む者が、それでも祈りを捧げ続ける理由。

 それはきっと――

 再び誰かとつながるための、小さな約束。

 森と。

 精霊と。

 そして自分自身との約束。

 今の少年が掴めるのは、まだその程度の灯りかもしれない。

 けれど、その灯りは確かに彼のなかで息をしている。

 ぼくは手を合わせた。

 両の掌をゆっくりと重ね、胸の前でそっと閉じる。

 指先に力が入る。

 深く息を吸うと、冷たい空気が肺の奥に届いた。

――森がどれほど静まり返っても。

――泉がどれほど細くなっても。

――この命が続くかぎり、祈りと希望だけは捨てない。

 自分自身に向けた、ひとりきりの誓い。

 その瞬間だった。

 森の奥で、淡い光がふっと揺れた気がした。

「……え?」

 ほんの一瞬のかすかな輝き。

 葉の隙間を通った朝の光が反射しただけかもしれない。

 けれど、それでも胸の奥にじんわりと温もりが広がる。

 誰かが、遠くで応えてくれたような気がした。

 優しい気配が、ひと呼吸だけ寄り添ってくれた気がした。

 私はその揺らぎを見届けながら、静かに息を結ぶ。

 孤独の果てで立てた誓いが、やがて世界を変える小さな兆しとなる。

◇◇◇

 村に居場所はなくても、森と泉はまだぼくを拒んでいない。

 昨日とは違う気配が、確かにここにあった。

 静かに立ち上がり、もう一度空を見上げる。

 薄い雲の向こうで、朝の光がゆっくりと形を変えながら揺れている。

 その光は、まだ小さい。

 頼りなくて、すぐ消えてしまいそうなほど儚い。

 けれど――それでもそこにある。

 希望の種は、確かにこの胸の奥に残っていた。

 孤独の静けさのなかで芽生えた誓いが、これからどこへ向かうのか。

 まだ何も分からない。

 ただ、歩みを止める理由もなかった。

 木々の間を抜けていく風が、ほんの少しだけ温かく感じられた。

 そして、胸の奥でそっと灯る。

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