旅する創造主――アノンの世界観

ぼん

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神話時代:精霊の森・精霊との誓い

【精霊の森・精霊との誓い】 第六話:「森に響く共鳴」

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 まだ夜の名残が森に沈んでいた。

 ぼくは薄暗い小道をゆっくりと進み、昨日と同じように祭壇へ向かっていた。

 しめった落ち葉を踏むたび、静かな冷たさが足元から伝わってくる。

 夜露を含んだ苔はふかふかで、指先で触れたら水がにじみそうなくらい柔らかかった。

 森の奥は、誰もいないのに息づいている。

 ひとりで歩いているはずなのに、空気がどこかあたたかい。

――昨日、あの光を見たからだろうか。

 キリアたちと分かち合った『小さな奇跡』の余韻が、まだ胸のどこかにあった。

 祭壇に着くと、石は雨で洗われたように滑らかで、まわりの苔は朝の光を吸って色を深めていた。

 ぼくはひざをつき、掌を合わせる。

 祈りの言葉はもう必要なかった。ただ、胸の奥に灯っている『誓い』だけが息づいている。

 静けさに耳を澄ませる。

 木々の葉擦れ、水脈のかすかな囁き、風が枝を揺らす音――森の全部が、今日は少し近い。

 そのときだった。

 石の隙間から、ふわっと淡い光が立ちのぼった。

 思わず息をのむ。

 昨日と同じ光。けれど、今日はもっとゆるやかで、やさしく揺れている。

「……来てくれたんだ」

 口に出した瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。

 精霊――いや『光の気配』は、ぼくの言葉に応えるように一度だけ明滅した。

 触れられないはずの光なのに、手を伸ばすと、指先に温度のようなものが伝わる気がした。

 風がゆっくりと吹き抜ける。

 苔の表面に小さな波が走り、泉の水面がかすかに光を返した。

 森全体が、静かに呼吸しているみたいだった。

 祈りが波紋になって広がっていく――そんな感覚に包まれる。

 昨日芽吹いたばかりの小さな葉が、風に揺れていた。

 その姿が、森のすべての命の象徴のように思えた。

 ぼくはそっと石に指をすべらせる。

 冷たいはずなのに、不思議とあたたかかった。

 ふと、木立の向こうに影が揺れた。

 振り向くと、キリアがこちらへ歩いてくるところだった。

 その後ろには、ユートとナミの姿も見える。三人とも、昨日より少しだけ表情がやわらかかった。

「今日も来てるって思った」

 キリアの声は、森の静けさに馴染むくらいあっさりしていた。

 でも、どこか嬉しそうだった。

「昨日の光……忘れられなくてさ。あれ、本当にきれいだった」

 ユートが目を細めながら祭壇を見る。

「森の匂いも、なんだか優しくなった気がする……」

 ナミも胸の前でそっと手を重ねた。

 ぼくは三人の顔を見て、小さく笑った。

 もう、以前みたいな壁はなかった。

 言葉は少なくても、心がひらいているのが伝わってきた。

 そんなぼくらのあいだを、ふわっと風が抜ける。

 梢が揺れ、その音に重なるように精霊の光が微かに明滅する。

 ナミが小さく息をのんだ。

「……ほら、森のあちこち、光ってる」

 指差す先には、泉のほう――木々の影――苔の上――

 その全部に、かすかな光が漂っていた。

「本当に……森が生き返ってるんだね」

 キリアのつぶやきは、驚きと喜びが混じっていた。

 ぼくの胸にも同じ響きが広がった。

 祈りは、もう『届かないもの』ではない。

 森と、精霊と、ぼくたち自身が――ゆっくりとつながり始めている。

 キリアたちと祭壇の前でしばらく過ごしたあと、ぼくらは森の小道へ足を向けた。

 木々のあいだから差す光は、昨日までより少しだけ力強く、地面に落ちる影がゆるやかに揺れている。

 足元では、小さな草花が風にあわせて身を振っていた。新しい芽も何本か顔を出し、朝の空気を吸い込むように震えている。

「なんかさ……森の匂いが変わった気がする」

 ユートが小さな声で言った。

「うん。前は冷たい感じだったのに、今日はちょっと……あったかい」

 ナミはふわっと笑う。

◇◇◇

 村へ戻ると、大人たちが集まって静かに話し込んでいた。

 その中心で、エンリ長老は森の方をじいっと見つめている。

「……最近、泉の水が前より澄んでいるようだな」

 誰かが呟くと、ほかの大人たちも小さくうなずく。

 畑の苗は朝日を浴びて生き生きと葉を広げていた。

 軒先には、子供たちが森で摘んだ花がそっと飾られている。

 その様子を見ているだけで、胸がほっとした。

 森の変化が、ちゃんと村の生活にも届いている――そう思えたからだ。

 ふと、村の端で一人のおじさんが立ち止まり、森の空気を吸い込むように深呼吸していた。

 このおじさんはいつも精霊を恐れ、森へ近づくことを嫌っていたはずだ。

「……昔はもっと、冷たい匂いがしていたのに」

 誰にでもなく、小さく呟いた。

 ぼくはその背中を見つめた。

 恐れが少しずつほどけていくのが、目に見えるようだった。

◇◇◇

 森の色がやわらかく変わるころ、一軒の家の前にキリアの姿があった。

「また森に行くんでしょ? 一緒に行こう」

 その声に、ユートとナミも自然と集まってくる。

 森の小道を四人で歩く。

 足音が苔をやさしく踏み、草花がそっと触れてくる。

 日の傾きかけた森は、朝とはまた違う色を纏っていた。

 枝葉の隙間から差す夕光が、まるで森全体が金色に染まり始めたみたいだった。

 祭壇へ戻ると、淡い光がゆっくりと空へ立ちのぼっていた。

 朝よりもはっきりしていて、やさしく揺れながら森中にしみわたっていく。

「すごい……」

 キリアが息を呑む。

 ぼくの胸にも、言葉にならない予感が広がった。

 これはただの『光』ではない。

 祈りと森と精霊――全部が一つになり、響きあっている。

――この祈りは、誰に届いているのだろう。

――精霊は本当に、ぼくらの願いに応えてくれているのだろうか。

 答えがなくても、胸の奥には確かな安堵があった。

 そのとき、小枝を踏む音がして、エンリ長老がゆっくりと近づいてきた。

「……この森の様子がおかしいと思ってついてきたが……これは……」

 長老は祭壇の前に立ち、足元の苔や空気の変化を確かめるように目を細める。

「精霊が……戻りつつある。そんな気配がする」

 そう呟く声は、いつもより柔らかだった。

 長老は静かに石に手を置き、目を閉じる。

「森も、村も……また生まれ変わるのかもしれんのう」

 ぼくたちは黙ってその姿を見つめていた。

 森の光がやわらかく広がり、祈りと精霊と人の想いが、そっと重なっていく。

 その瞬間――ひとすじの光が空へ高く舞い上がった。

 泉の水面に反射して、きらきらと輝く。

 ぼくらは誰ともなく、静かに手を合わせた。

 森と村と精霊――

 新しい約束が、確かに芽生えはじめている。

 胸の奥で誓ったあの日の言葉が、世界の片隅で小さな芽となり、静かに光り始めた。

 森に響く共鳴は、これから続く時代への祈りと、やさしい希望のしるしだった。

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