旅する創造主――アノンの世界観

ぼん

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神話時代:精霊の森・精霊との誓い

【精霊の森・精霊との誓い】 第七話:「森の危機」

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 森と村、精霊と人――それぞれが、ようやくゆっくりと、やわらかく結び直されていく気配があった。

 あの日、泉の水面に淡い光が映り、村人たちの瞳に少しずつ優しい色が戻った。

 畑の苗はみずみずしく葉をひろげ、子供たちの笑顔もほんの少し増えていた。

 ぼくの胸にも、小さな温もりが宿っていた。

 森の奥で感じた淡い光。

 祈りが重なり、名もなき光が静かに息づいている――そんな確かな手応えがあった。

 昨日まで孤独だった心に、いまは『希望』の種がそっと根を張っているのを感じる。

――このまま、森と村と精霊が、もう一度穏やかに寄り添えますように。

 キリアたちの顔を思い浮かべながら、ぼくはそっと手を合わせた。

 それぞれが昨日の出来事を胸の奥に抱いて、ほんの少し期待をにじませている。

「今日も森の様子を見に行こう」

 ただそれだけで、自然とキリアもユートもナミも、ぼくの隣に並んで歩き出した。

 森の小道から祭壇や泉のある奥へ。

 昨日までの静けさのなかにあった淡い光の揺らぎ――あれを、もう一度感じたかった。

 けれど、森の奥へ入るにつれ、胸の奥にかすかなざわめきが広がっていく。

 苔むした樹々のあいだを抜けるたび、見慣れたはずの小道が、どこかよそよそしく冷たかった。

 足元の草花は怯えたように身をすくめ、風の囁きすら沈んでいるように思えた。

 ぼくは思わず立ち止まり、周囲の気配に耳を澄ませた。

 陽射しは淡く揺れているのに、森の奥では光がすぐに溶けてしまう。

「なんか……森がさっきまでと違うよ……」

 ナミが、小さな声で呟いた。

 ユートも眉を寄せ、森の奥をじっと見つめる。

「どこか息苦しい。いつもなら、鳥の声がもっと近くに聞こえるのに」

 キリアは気丈に振る舞いながらも、そっと肩を寄せてきた。

 ぼく自身も、見えない『何か』が近づいている気配を感じていた。

 しばらく歩くと、森の暗がりに、不自然な影が揺れているのが見えた。

 獣の気配とも違い、淡い闇の尾を引くような、おぞましい動き。

 直後、低い唸り声のような音が森に響いた。

 一本の木を押し分けて現れた大きな影に、森の空気が瞬時に張りつめる。

 キリアが小さく息を呑んだ。

「……あれ、なに……?」

 そこにいたのは、森の奥に潜む獣――

 毛並みは濡れた闇のように黒く、目は光を持たない底なしの暗さを宿している。

 昨日まで感じていた精霊の気配は妙にざわつき、怯えるように小刻みに揺れていた。

 ぼくの手が震える。

 森の静けさのなかで、ただその影だけが異様すぎる存在感を放っていた。

「下がって」

 ユートが短く言い、ナミを守るように一歩前へ出る。

 キリアは手に握った小石をぎゅっと握りしめ、そっとぼくの背に触れた。

 ぼくは、自分の中にある『祈り』を探した。

 目を閉じると、遠くで淡い光が揺れている気配が確かにある。

――ぼくらは、森を守りたい。

――どうか、この願いが森に、精霊に届きますように。

 その願いに応えるように、足元からやわらかな風がふわりと立ち上がった。

 苔の間でふるえた土の精霊の気配。

 枝先で微かに光った淡い輝き。

 それらは、まだ森の奥に精霊が生きている証だった。

 獣が低く唸り、身をかがめる。

 ぼくは恐怖を押し込めるように息を吸った。

「……ルオ、逃げようよ……」

 ナミの声は震えている。

 でも、ぼくは――いや、『観察者』である私は、この場から目を背けてはいけないと思った。

 仲間の鼓動、自分の呼吸、森の風。

 すべてが静かに重なり合い、ひとつの線になっていく。

「逃げない。ぼくたちは、森のために……できることをやる」

 声は小さかったが、不思議と震えていなかった。

 獣が一歩踏み出した瞬間、足元の土がふっと盛り上がり、ぼくらの前に見えない壁を形づくる。

 土の精霊が、ぼくらを守るように息づいている。

 キリアが息を吐き、ユートもナミも必死に踏みとどまる。

 獣が咆哮し、森全体が震えるような圧が走った。

 だがその瞬間、淡い光が木々のあいだを駆け抜け、獣の足元を包んだ。

 風の精霊が、願いに応えるように空気を震わせていく。

 獣は一瞬ひるみ、ゆっくりと森の奥へ退いていった。

 胸に残ったのは、安堵と……新しい不安。

 森の奥へ影が消えても、空気の重さはその場に残り続けていた。

◇◇◇

 ぼくたちはしばらく言葉を失い、祭壇の近くに腰を下ろした。

 遠くで鳥が短く鳴き、風が木立のあいだをそっと抜けていく。

 けれど、それらの音さえどこか脆く、不安の底に沈んでいた。

 そんな静けさのなか、エンリ長老の足音がゆっくりと近づいてきた。

 木漏れ日に白髪が淡く照らされ、深い皺の刻まれた顔が、祭壇へ向かっている。

「……見たか。森の獣が、あれほど荒れておるのは久しぶりじゃ」

 長老は祭壇の石を見つめ、周囲の気配を慎重に探るように目を細めた。

「どうして……あんなふうに……?」

 キリアが、おそるおそる声をこぼす。

 ユートもナミも息を呑んだまま、長老の言葉を待っていた。

 エンリ長老は、苔を軽く撫でながら、遠い日を思い返すように語り始めた。

「森の獣も、精霊も、もとは静かに生きておった。じゃが……森の力が乱れたり、祈りの道が途絶えたりすると、命あるものの心はささくれ、行き場をなくすこともあるのじゃよ」

 胸の奥がじんわりと痛む。

「精霊が弱れば、森もまた揺らぐ。森が苦しめば、そこに棲む獣たちも心を失う。……昔から、そういう巡りがある」

 長老の声には、苔や土と同じ重みがあった。

「わしら人も森も精霊も同じじゃ。どれかひとつでも忘れてしまえば、いずれ皆が孤独になる……。今の森は、その姿に近いのかもしれん」

 言葉の奥に、悔いと小さな願いがしずくのように落ちていた。

 祭壇の石は以前より冷え、乾いている。

 泉の水も波ひとつ立たず、深い闇だけを湛えていた。

 そのとき――泉の奥から、泡が弾けるような音がした。

 水面がゆっくり揺れ、濁りが広がっていく。

「……泉まで、おかしくなってる……」

 ナミが不安げにぼくの袖をつかむ。

 キリアも、水面をのぞき込みながら眉を寄せた。

 泉の中では、淡い光の粒が、導きを失ったようにさまよっていた。

 ぼくは祭壇の石にそっと手を置き、静かに目を閉じた。

――ぼくらの祈りは、まだ届いているだろうか。

――精霊も、獣も、森の命も……また手を取り合える日が来るのだろうか。

 答えのない問いが、胸の奥に広がる。

 そのときだった。

 森の奥から、地鳴りのような低い唸り声が響いた。

 濁った泉の奥から――再び、あの獣の影が姿を現す。

 その目は、さっきよりもさらに深い闇を宿していた。

「危ない……!」

 ユートの叫びに、キリアとナミが身を寄せ合う。

 獣は祭壇の前までじりじりと近づき、森の空気が一気に凍りつく。

 ぼくは震える指で、もう一度祭壇の石に触れた。

 ここで生きた日々。

 仲間と交わした、小さな約束。

 森がくれたささやかな希望――

 すべてが胸の奥でひとつに結びついていく。

――どうか、この場所を。

――森を。

――みんなの命を……守ってほしい。

 その願いに応えるように、祭壇の苔のあいだから、小さな光がぽつり、ぽつりと生まれていった。

 精霊の気配が、ぼくらの祈りに静かに寄り添う。

 けれど……獣の影は止まらない。

 泉の水はますます濁り、森の呼吸は浅く弱い。

 絶望の影が、すぐそこまで忍び寄っている――そんな気配があった。

 それでも。

 ぼくは祈り続けた。

 胸の奥で交わした『誓い』だけが、今この場所を支えている気がした。

 揺らぐ森のなかで、淡い光がかすかに脈打つ。

 そこに確かに『応える気配』があると信じながら――ぼくは決して目をそらさなかった。

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