旅する創造主――アノンの世界観

ぼん

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伝承時代:海上交易路・大商隊の青年

【海上交易路・大商隊の青年】 第五話:「小さな誤解」

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 港町に朝の鐘が響くと、広場の空気は一気に色を帯びた。

 乾いた金属音が波止場に跳ね返り、人々の声がゆっくりと重なっていく。

 僕たち商隊は港の仕事を終えると、自然と賑やかな中心街へ足を向けていた。

 今日は年に一度の市場祭。

 屋台がずらりと並び、果物、香辛料、織物、細工物――見たことのない色が視界を埋め尽くす。

 見上げれば、旗や布が風に揺れ、楽団が楽しげに音を奏でていた。

 子どもたちが駆け回り、屋台の奥からは甘い菓子の匂いが漂ってくる。

 こういう場所に来ると、自然とみんなの足が散っていく。

 フィリカは織物の屋台で立ち止まり、細やかな文様に指先を伸ばしていた。

 エルフの里でも見ない鮮烈な色彩に、思わず息をのんでいるようだった。

 テルナは果物売りの少年に声をかけられ、しっぽを控えめに揺らしている。

 手渡された見慣れない果実に最初は戸惑っていたが、少年の笑顔に押されて小さく笑った。

 ガンザスは鍛冶屋の店先で、商品を手にとってじっと眺めている。

 職人と短く言葉を交わし、互いに無言でうなずき合うところは、いつも通りだ。

 バシュラは香料屋の前で鼻をひくつかせ、複雑な匂いを一つずつ嗅ぎ分けていた。

 店主が怪訝そうに眉をひそめても、気にする気配はない。

 ロルドは修理用の部品を探して、工具屋の隅にしゃがみ込んでいた。

 金属片を指先で撫でては、現地語で値段を尋ね、黙々と見比べている。

 僕は案内人のセイヤンと並んで市場の中心を歩き、異国の祝祭の空気を胸に吸い込んだ。

 華やかさの奥にある『壁』のようなものは、時折ひっそり顔をのぞかせた。

 例えば――。

 フィリカが織物屋の老婆に微笑んでも、老婆は布をそっと引き寄せ、言葉を返さずに視線をそらす。

 テルナは少年とのやりとりの途中で言葉に詰まり、少年は戸惑ったまま親の元へ駆け戻っていった。

 残されたテルナは、果物を抱えたまま小さく首を傾げる。

 ガンザスは職人と技術観の違いから、お互いに眉間にしわを寄せていた。

 バシュラの問いかけに、香料屋の主人は肩をすくめて背を向けた。

 目立つ大きな衝突ではない。

 けれど、小さな壁があちこちに転がっていた。

 セイヤンはそれを見て、僕の隣で静かにため息をついた。

「お祭りでも、壁はそう簡単には消えませんね。でも……こういうときこそ『分かろうとする姿勢』が大切なんですよ」

 その声は穏やかで、僕の胸にすっと染み込んだ。

◇◇◇

 そのとき――市場の片隅で、ちょっとした出来事が起きた。

 テルナが果物を抱えたまま歩いていたとき、手を滑らせてしまったのだ。

 転がった果実が、近くにいた子どもたちの足元へ転がっていく。

 子どもたちは驚いた顔でテルナを見て、小さな声で何かを言い合った。

 テルナは慌てて果実を拾い、頭を下げる。

 その仕草を見た子どもたちは――なぜか、同じように頭を下げて真似をしはじめた。

 けれど、そこに流れる空気は、ただの無邪気さだけじゃない。

 興味と不安と距離の測り方を探すような、そんな沈黙が混ざっていた。

 テルナは果物を差し出したが、子どもたちはすぐには受け取らず、そろって一歩下がる。

 彼女は控えめにしっぽを揺らし、そっと笑みを浮かべた。

 視線を向けてくる子どもたちの目には、戸惑いと好奇心の両方があった。

 そんなとき――一人の小さな女の子が前に出た。

 おそるおそるテルナに近づき、揺れるしっぽをじっと見つめる。

 テルナはゆっくり目線を合わせ、静かにうなずいた。

 女の子は震える手で果物を受け取り、ほっとしたように笑った。

 途端に、他の子どもたちも小さく声をあげて集まっていく。

 テルナの真似をして頭を下げたり、しっぽを触ろうとして手を引っ込めたり。

 ほんの数分前まであった警戒の壁は、風に押されるように少しずつ薄れていった。

 やがて親たちが駆け寄り、最初は警戒しながらも、子どもたちの楽しげな声とテルナの優しい笑みに、ふっと肩をゆるめた。

 母親らしき女性が現地語で何かを伝えると、テルナは意味が分からないまま笑顔でうなずいた。

 その様子を、周囲の大人たちも静かに見守っていた。

 市場の雑踏の中、テルナが子どもたちに囲まれてしっぽを揺らすと、また小さな笑い声が弾けた。

――さっきまでの緊張も、不安も、そこにはもうなかった。

 遠くからその光景を見つめながら、僕は息をひとつしずかに吐いた。

 テルナの顔には、もうさっきまでの緊張はなかった。

 子どもたちの輪に囲まれながら、彼女はゆっくりとしっぽを揺らしている。

 その柔らかな動きに合わせて、子どもたちの笑い声がまた弾けた。

 それにつられて、周囲の大人たちも思わず口元をほころばせる。

 ほんの少し前まで漂っていた気まずい空気や警戒心は、波のように遠ざかっていた。

◇◇◇

 いつのまにか、仲間たちもそれぞれの壁と向き合い始めていた。

 フィリカは織物屋の老婆に、言葉よりも手の動きと微笑みで意思を伝えている。

 老婆も少しだけ表情を緩め、糸の結び方を見せるように手を動かしていた。

 ガンザスは現地の職人に、傷だらけの自分の手のひらを差し出しながら、短い言葉で技術への敬意を示していた。

 相手も険しかった顔を少しゆるめ、頷き返す。

 バシュラは香料屋の主人と距離を置いたまま、それでも遠くから店の調合棚を見つめ、興味を隠せないようだった。

 ロルドは小さな部品を手に、工具屋の店主と無言でうなずき合い、互いの理解の仕方を探していた。

 すぐに心が通じ合うわけじゃない。

 けれど――少しずつ。

 価値観や言葉、生き方の違いを認める『動き』は確かに始まっていた。

 そんな様子を見ながら、セイヤンが僕の肩にそっと手を置いた。

「……こうして少しずつ、壁は扉に変わるんです」

 その言葉は静かで、だけど確かな温かさを帯びていた。

 僕は胸の奥で小さく呼吸を整えた。

 出会ったばかりの相手とすぐ分かり合えるわけじゃない。

 それでも互いに距離を測り、失敗して戸惑ってそれでも目をそらさずに向き合えば――きっと何かが変わっていく。

◇◇◇

 港町の鐘が再び響いた。

 その音に呼応するように、広場の色鮮やかな布が風に揺れる。

 子どもたちの笑い声、楽団の音、香辛料の匂い。

 異国の祝祭の空気は、ほんの少しだけ僕たちに近づいていた。

 小さな誤解がほどけたその余韻は、静かに、でも確かに仲間たちの胸に灯っていた。

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