旅する創造主――アノンの世界観

ぼん

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伝承時代:海上交易路・大商隊の青年

【海上交易路・大商隊の青年】 第六話:「襲来の魔物」

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 中立港を離れた帆船は、ゆるやかな波の上を静かに進んでいた。

 甲板には、昨夜の市場祭の余韻がまだ漂っている。

 甘い香り、音楽の気配、心のどこかがまだ賑やかなまま――けれど、空の色はゆっくりと鈍く変わり始めていた。

 僕はロープの結び目を確かめながら、遠くの水平線に目を凝らす。

 ガンザスは帆の張り具合を入念に確認し、モルガは舵輪の重さを何度も確かめていた。

 テルナは甲板を軽やかに走り、耳を立てて周囲の気配を探っている。

 そんなとき――船底から、ぎしりと嫌な音が響いた。

「モルガ、舵が少し重い」

 ガンザスが低く声をかける。

 モルガは舵輪を握ったまま眉を寄せる。

「何かおかしい。ロルド、修理を頼む」

 ロルドは無言で頷き、工具箱を抱えて船内に入っていく。

 手際よく部品の位置を確かめ、金具の緩みを探る。

「こっちは大丈夫だが、ここ……締め直す」

 指先で金属を軽く叩き、強く締め上げた。

 ほんの微かな響きの違いにもすぐ反応するあたり、本当に頼りになる。

 イリルは甲板の端で、静かに祈りを捧げていた。

 海の精霊へ航路の安全を願うその後ろ姿は、どこか淡い光を帯びていて、不安に揺れる空気をそっと落ち着かせてくれる。

 そのときだった。

 海の上を駆ける風が、急に冷たいものへ変わった。

 テルナが耳をぴんと立て、波間を見つめる。

「……何か来る」

 僕は息を呑んだ。

 ガンザスが振り返り、モルガが舵輪を握り直す。

 波の向こう――黒い影が、不規則に水面を跳ねながら近づいてくる。

「魔物……!」

 バシュラの呟きが、甲板の空気を一気に引き締めた。

 魔物図鑑で見たことがある。

 海棲の魔物――裂牙魚(れつがぎょ)。

 体長二メートル。背びれはぎざぎざに裂け、並んだ牙が潮の光を鈍く反射していた。

 その影が、一匹、また一匹と波間から姿をのぞかせる。

 ガンザスの声が甲板に響いた。

「全員、配置につけ! 積み荷を守れ、武器を用意しろ!」

 バシュラが荷台の蓋を開け、槍や短剣を次々に仲間へ渡す。

 フィリカは弓を構え、矢筒を確認しながら静かな呼吸を整えていた。

 テルナはマストの陰に飛び込み、身軽な動きで周囲の死角を確かめる。

 ロルドは舵輪の点検を続けつつ、手元に手製のハンマーを置いた。

 裂牙魚の背びれが、水面を切る音がはっきり聞こえる。

 それが、船体のすぐ横にまで迫っていた。

 僕の手のひらが汗で湿る。

 他の仲間たちもそれぞれの場所で息をひそめた。

 裂牙魚が、ぐるりと船を取り囲む。

 青銀色の鱗が波の光を細かく弾き、揺れるたびに不気味な光を放っていた。

「舵輪、まだ動くか?」

 ガンザスの声が重く響いた。

 ロルドは舵の根元に身を伏せ、船底の振動を手のひらで探る。

「金具がひとつ割れてる……応急で留める」

 金属を押し込む音が、波の音に混じって響いた。

「テルナ、周囲を見張れ! 動きが変わったらすぐ知らせろ!」

「わかった!」

 テルナはマストを駆け上がり、風を受けながら海面を見渡した。

 フィリカは矢をつがえたまま、風の流れと波の高さを確かめ、狙いを定めている。

 バシュラは海に香料の入った袋を投げた。

 海の匂いに混じる刺激臭が、水面に漂う。

「これで少しは引きつけるはず」

 彼女の冷静な判断に、胸の奥の緊張がほんの少し和らいだ。

 イリルは船首で祈りを続け、淡い光がそのそばに揺らめいていた。

 それは、風に揺れる灯のようで、不安を静かに押さえてくれる。

 裂牙魚が、いよいよ船縁に近づいた――。

「右舷に大きいのが来る!」

 テルナの叫びが、甲板の空気を切り裂いた。

 叫びに反応して、フィリカの弓がすぐにしなる。

 矢が風を切り、波間の影へ鋭く飛び込んだ。

 水しぶきが上がり、裂牙魚の一匹が跳ね返される。

 怒ったように海面がざわめき、群れの動きが一瞬だけ乱れた。

「来るぞ!」

 ガンザスが槍を構え、飛びかかってくる魔物の鼻先を力いっぱい突く。

 鈍い衝撃音が船体に響き、裂牙魚が牙を鳴らして水中へ逃れた。

「船縁を叩け! 音で追い払え!」

 ガンザスの声に、皆が一斉に船縁や甲板を叩きはじめた。

 金属の響き、木材の震え――

 そのすべてが波の下へ伝わり、海中に乱れた振動となって広がっていく。

 ロルドは舵輪の根元に残っていた金具を押し込み、最後の締めを加えた。

「……よし、いける。動くぞ」

 舵輪がぐっと軽くなった瞬間、モルガが迷いなく舵を切った。

「進路、北東! このまま抜ける!」

 帆が風を受け、船体が押し出されるように動き出す。

 裂牙魚の群れは、しばらくまとわりついていたが、騒音と船の速度に押されるように次第に遠ざかっていった。

 波しぶきが静かになり、甲板に静寂が戻る。

◇◇◇

「全員、よくやった」

 ガンザスが深く息を吐き、槍を肩にかけた。

 テルナはロープに腰を下ろし、しっぽをぱたぱた揺らして安堵を見せる。

 フィリカは矢筒の残りを数えながら、肩の力を抜いた。

 バシュラは香料瓶を丁寧にしまい、雑然とした荷台を整えはじめる。

 イリルは祈りを終え、風に揺れる淡い光をそっと手で押さえるようにして立っていた。

 ロルドは舵輪をさすりながら、掌に乗せた壊れた金具をじっと見つめる。

「このままじゃ遠くまでは持たないな。次の寄港で本格修理だ」

 モルガが舵輪から手を離し、同意するようにうなずいた。

 仲間たちの顔には疲れが残っていたが、同時にどこか誇らしい光も宿っていた。

 僕はその姿を見ながら、胸の奥に静かな感慨が広がるのを感じていた。

――知恵も、力も、祈りも。

 みんなの違いが、壁ではなく命をつなぐ『手段』になった。

 さっきまでの緊張と恐怖が、今はゆるやかな余韻へと変わっていく。

 船は進む。

 まだ見ぬ危機も、出会いも、この先にはきっとある。

 でも今はただ、仲間の声と体温を近くに感じながら、進む船の鼓動に、そっと耳を傾けていた。

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