旅する創造主――アノンの世界観

ぼん

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伝承時代:海上交易路・大商隊の青年

【海上交易路・大商隊の青年】 第九話:「ライバル商隊の影」

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 港祭の余韻がまだ町に残る朝、僕たちは再び市場の喧騒へ足を踏み入れた。

 朝日が差し込む通りには、各地から集まった商隊の幟が色とりどりに揺れ、果物の香りや鉄を打つ音、船乗りの声が折り重なっていく。

 祭りの明るさが薄れ、代わりに商いの緊張感が静かに戻ってきていた。

 僕たち大商隊の仲間も、昨日までの祝祭で少し柔らいだ表情を胸の奥に残しつつ、それぞれの持ち場へ散っていく。

 僕は物資の点検を終えると、広場の中央に向かおうとした――そのとき。

「おはよう! ライネル、今日も早いね」

 振り返ると、ふわふわした獣耳と明るい服が目に飛び込んできた。

 僕たちが泊っている宿屋の娘、ミリスだった。

「今日ね、市場でけっこう面白いことが起きてるの。聞きたい?」

 相変わらず情報通らしい。昨日の夜も、港祭の裏側や商人たちの噂を延々と語ってくれたのを思い出す。

「市場の奥に変わった隊商が着いたんだって。大陸西から来た『ハーゼル商隊』。腕利きで評判らしいよ」

 ハーゼル商隊――その名に僕は思わず息を飲んだ。

 この港町での取引は僕たちにとっても重要なもの。

 そこへ『新しい競合』が現れたとなれば、言うまでもなく空気は変わる。

「でもね、地元の人たち、ちょっと警戒してるみたい。でも、話し上手で愛想もいいから、簡単には嫌われないかもね」

 ミリスは町の人々の視線や噂を細かく教えてくれる。

 確かに、この町での存在感は、僕たち大商隊にも影響するだろう。

「ライネルたちの名前もだいぶ通ってるけど、やっぱり新しい商隊が来ると、みんな最初は様子をうかがうからね」

 その言葉に、胸の奥で小さな波が立つ。

 そんなときだった。

「そこの君、少し道を開けてくれるか」

 落ち着いた声が市場の奥から響いた。

 黒髪短髪、鋭い眼差し。精悍な雰囲気をまとった男が堂々と歩み出る。

 背後には、鍛えられた商隊の仲間たちがずらりと続いていた。

 噂の商隊――ハーゼル商隊。

 周囲の商人たちがざわつくというより「お、来たか」とでも言いたげに、空気がわずかに緊張する。

 新しい商隊が到着したときの『市場特有の反応』だった。

 ハーゼル商隊は、僕たちの前で足を止めた。

「俺はハーゼル。ここへは商いのために来た。邪魔をするつもりはないが……まあ、せっかくだ。挨拶くらいはしておこうと思ってな」

 その声音は強気だが、無礼ではない。

 ガンザスが一歩進み出て、小さく笑う。

「俺はガンザスだ。港町では肩肘張る必要はないさ。どんな商隊でも、この町の空気を吸えば自然と歩調が合ってくる」

 ハーゼルはほんのわずか口角を上げた。

「……そうだといいがな。あんたたちが噂の大商隊だろう? なら遠慮はいらん。腕と誇りで競える相手のほうが、こちらもやりがいがある」

 正面からぶつかり合うような言葉。

 けれど不思議と、そこには『筋の通った真っ直ぐさ』もあった。

 ミリスが僕の袖をそっと引く。

「気をつけてね。ハーゼルの人たち、扱いづらいけど嘘はつかないよ。誇り高いだけ。ただ、それが空気をピリッとさせるんだよね」

 僕は小さく頷く。

 港町の朝の空気――

 緊張と期待が静かに混ざり合い、新しい『交わり』が始まろうとしていた。

 心の奥で、私は静かに問いを重ねる。

――協力と競争、違いと誇り。

 世界のどこまでが『壁』で、どこからが『橋』なのか。

 この旅のなかで、何度でも問い直し、歩き続けるしかないのだと、私は静かに思う。

◇◇◇

 市場の空気がざわつき始めたのは、それから間もなくのことだった。

 昼前、僕が荷物の積み替えを手伝っていると、ミリスが息を切らしながら駆け寄ってきた。

「ライネル、大変! 倉庫の前でハーゼル隊の人と、現地の商人が言い合いしてるの。積み下ろしの順番で揉めてるって!」

 その声に、ガンザスの表情が一瞬で引き締まる。

「順番と信頼で成り立っているのが、港町の倉庫だ。力で順番を飛ばすやつが出れば、町全体の秩序が崩れる」

 バシュラも帳簿を開いたまま、静かに付け加える。

「今朝から物資の搬入が予定より遅れています」

 胸の奥にざらりとした不安が広がる。

 祭りの和やかさが遠い日のことのように思えてしまうほど、市場の緊張は色を濃くしていた。

◇◇◇

 人だかりの中心では、ハーゼルが現地商人と向き合っていた。

 声は抑えているが、交わされる言葉には明らかな火種があった。

「俺たちの取引は正当だ。順番通り、早く荷を降ろさせてくれ」

「正当かどうかはこっちが決めることだ。勝手は許されないよ」

 僕はその場に立ちながら、どうすべきか分からず拳を握った。

 テルナが横から僕の肩を軽く叩く。

「ねえライネル、こういうときこそ、あんたの出番じゃないの?」

 その言葉が胸に刺さる。

 だけど――どう声を掛ければいいのか、自信がなかった。

 そんな僕をよそに、ガンザスが前へと一歩踏み出した。

「ハーゼル、ここは一歩引いてくれ。この港には、この港のやり方がある。俺たちも客だ。港の掟を守って商売をしよう」

 しばしの沈黙の後、ハーゼルは短く息を吐き、顎をわずかに上げた。

「……わかった。この港の流儀に従う。ただし、俺たちは俺たちの仕事をきっちり果たすだけだ。邪魔をする気はないが、遠慮もしない。……それだけだ」

 ガンザスはにやりと笑い、ハーゼルの背中を軽く叩いた。

「上等だ」

 その一瞬だけ、ふたりの視線が同じ高さで交わった気がした。

 人だかりは徐々にほどけていき、市場の空気には安堵が広がる。

◇◇◇

 僕はその場を離れたところで足を止めた。

 胸の奥に、別の痛みが生まれていたからだ。

――僕は何もできなかった。

 その思いが喉の奥で塞がったとき、ミリスがそっと寄り添ってくれる。

「大丈夫だよ、ライネル。焦らなくていいの。ちゃんと周りを見て、考えてるの、みんなわかってるから」

 その言葉に、心の奥に灯がともる。

 港町のざわめきが穏やかさを取り戻していくなか、商隊の仲間たちもそれぞれの場所で動き始めていた。

 フィリカは慎重に言葉を選びながら現地の商人と交渉し、テルナは町の子どもたちと簡単な力仕事を手伝いながら交流を深めていた。

 バシュラは帳簿を抱え、必要な物資の確認を続けていた。

 そして、少し離れた場所では――

 ハーゼル隊が、ときおりこちらに視線を送りながらも、地元の漁師と真剣に交渉していた。

 正面からぶつかりそうな険しさはある。

 けれど、その奥にある筋の通った誇りもまた、見えなくはなかった。

 旅の始まりから何度も形を変えて訪れる『問い』が、また私のなかに浮かんでいた。

――壁を越えて手を伸ばすのは、どんなときだろう。

 争ったあとに残るものは、ただの勝ち負けなのか。

 それとも、そこから新しい『交わり』は生まれるのか。

 答えはまだ見えない。

 でも、歩みを止めなければ、どこかで見つかるはずだ。

◇◇◇

 夕暮れ。

 港町の市場にひとつ、またひとつ明かりが灯っていく。

 祭りの余韻と、今日の出来事の残り香のなかで――

 僕たちの旅は静かに、また次の交差点へ進み始めていた。

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