英雄は根に咲く

ぼん

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プロローグ

第5話:はじまりの歩み

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 朝の光が石畳を染めていた。中央都市の通りは人と荷車で賑わっているのに、僕の耳にはやけに足音が大きく響いていた。胸元の器が歩くたびに小さく揺れる。まだ空っぽの透明な器。けれど、それは僕にとって今日の覚悟の印だった。

 安寧ギルドの扉を押すと、鈴の音と共に暖かな空気が迎えてくれる。カウンターの向こうで金髪を束ねたマルタが僕を見つけにこやかに手を振った。

「おはよう、ニコくん。今日は依頼を受けに来たんだね?」

「はい。初めての……依頼です」

 声がわずかに震えた。けれどマルタは何も指摘せず、にっこりと微笑む。

「最初はね、どれを選ぶかで迷うものよ。安全だけどやりがいのあるもの……そうね、この辺りなんかどう?」

 差し出された依頼書にはこう書かれていた。

【緑苔の森林域・低級魔獣討伐】
 推奨人数:一~三人
 報酬:銀貨十五枚+素材評価

 昨日説明を受けた時にも耳にした地下一階層の名が目に入り、僕は頷いた。

「これにします」

「いい選択だと思うわ。あ、そうそう──」マルタが顔を上げ、少し笑みを深めた。

「この依頼、もう一人希望しているの。一緒に行ってみない? 初めての依頼は、誰かと組んだほうが安心よ」

 僕はほんの一瞬ためらった。けれど胸の器を指先で押さえると、その迷いは消えていた。

「……お願いします」
 
 数分後、ギルドの出入口でその人を見つけた。

 淡い金髪が肩にかかり、真っ直ぐな眼差しを持つ女性。白い衣に軽装の防具を合わせ、胸元で小さな器が揺れている。

 彼女は僕を見て、やわらかく微笑む。

「はじめまして、クレアです。今日の依頼よろしくね」

「あ……ニコです。こちらこそ、よろしくお願いします」

 その声は冷たくも甘くもなく、ただまっすぐで心地よかった。出会ったばかりなのに、なぜか懐かしいような感覚が胸を撫でていく。

「初めての依頼って、緊張するよね」
「……はい、でも……がんばります」

「うん、無理しないこと。最初の一歩は、焦らずでいいから」

 その言葉が、胸の奥で小さな灯をともした。
 
 僕たちは依頼書をマルタに渡し、依頼の認証札を受け取る。札は腰のベルトに掛けるようになっていて、これを持つ者だけがダンジョンに入れる。同時に、地図と簡単な指示も手渡された。

「魔獣は小型だけど、苔で足元が滑るから気をつけて。あと、必ず二人で行動してね」

「はい」

「了解です」

 マルタは最後に僕の肩を軽く叩き、笑顔で送り出した。
 
 ギルドを出ると午前の空は澄んでいて、世界樹の巨大な枝葉が遠くに見えた。僕たちは都市の外れにある階段状の石道を進む。そこが“安寧の根”の地下層への入り口だ。

「……地下一階層って、どんなところなんですか?」

 歩きながら僕が尋ねると、クレアは少し考えてから答えた。

「苔の匂いが濃くて、空気がひんやりしてる。朝は光が差し込む場所もあるけど、昼を過ぎるとすぐに薄暗くなるよ。音がよく響くから気配を探る練習になる」

「……想像するだけで、少し緊張します」

「大丈夫。怖くても、一緒なら歩けるよ」

 その言葉に、思わず器へ視線を落とした。昨夜森で感じた“気配”が、この胸の奥にまだ残っている気がする。
 
 やがて、地下層への門が見えてきた。石造りのアーチの内側には揺らめく膜のような結界が張られている。この向こうはもう地上とは別の世界だ。

 足を止め、深く息を吸う。土と水の匂いが微かに混ざった風が頬を撫でた。

「行こうか」

「……はい」

 クレアが先に一歩を踏み出し結界を越える。僕も続きその膜を抜けた瞬間、光が一段柔らかくなった。
 
 足元に苔が広がり、天井からは巨大な根が垂れ下がっている。遠くで水滴が落ちる音が何度も反響しては薄れていく。

 ここが──“安寧の根”の一階層、緑苔の森林域。

 まだ戦いは始まっていない。でも心臓は鼓動を速め、視界の奥まで澄んでいくようだった。

 胸の器が静かに揺れた。風も足音もないのに。

 気のせいかもしれない。けれど僕はその揺れを“応援”だと思うことにした。

「初めての一歩、しっかり踏もうね」

「……はい!」

 短剣の柄を確かめ、僕はクレアの隣に並ぶ。目の前の道は緑に覆われ、まだ誰も歩いていない朝の森が広がっていた。

 ──冒険の芽は、今、静かに根を張ろうとしていた。
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