英雄は根に咲く

ぼん

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第一部:冒険の根を張る

第1章:冒険の芽吹き 第3話:焦りの足音

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 数日ぶりの朝、まだ白い靄が街道を覆っていた。石畳を踏むたびに冷えた空気が靴底から脛へと這い上がる。僕とクレアさんは並んで歩き、湿った息を吐きながらギルドで受けた新しい依頼の内容を頭の中で繰り返していた。
 
 今回の依頼は前回と同じく地下一~十階層の「苔むす森」だが、目的は魔獣討伐ではなく探索と安全確保。巡回依頼に近いが、指定区域は森の奥側で罠や複雑な地形が多いことで知られている。

「顔がこわばっているよ、ニコ君」

 横から聞こえたクレアの柔らかな声に、僕は慌てて口角を上げた。

「大丈夫。今回は……もっと役に立てるように頑張る」

 その言葉を口にした瞬間、自分でも少し空回りしているのがわかった。クレアさんは何も言わず、ただ前を見て歩き続ける。その背中を追う僕の足取りは軽いはずなのにどこか重かった。

 やがて森の入口が見え、靄が緑の奥へと溶け込んでいく。足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。湿気が肌にまとわりつき土と苔の匂いが鼻腔を満たす。踏み固められた道を外れ、指定された奥地へ向かう途中、足元の根が不自然に盛り上がっているのに気づく。

 クレアさんがしゃがみ込み、短剣の鞘で苔を払いのけた。
「罠だね。踏板式……獣避け用だけど、人間でも足を取られるよ」

 僕も屈み込み、覗き込む。踏めば板が外れ、尖った枝が待っている。

「こんな罠でも危ないの?」

「怪我すれば動きが鈍る。鈍れば──命取りになる」

 その一言に、喉がひゅっと鳴った。

 慎重に進むうち前方の茂みから低い唸り声が二つ重なって響く。二匹の小型魔獣が姿を現し、牙を剥いた。僕は反射的に前に出て剣を抜く。

「僕がやる」

 クレアさんは短く「慎重に」とだけ告げた。

 右の個体が正面から突進してきた。受け流そうと剣を構えた瞬間、左の魔獣の姿が視界から消える。次の瞬間、足首に鈍い衝撃──背後に回り込まれていた。

「ニコ君!」

 クレアさんの声と同時に金属が空気を裂く音。左の魔獣が短剣に貫かれて沈む。

 僕は体勢を崩しながらも右の個体へ突きを放ったが、刃は浅くしか入らない。相手は怯むことなく飛びかかってきた。
 
 背筋が冷たくなる感覚の中、クレアさんが滑り込み、正確な一閃でその喉を断った。

「……ありがとう」

 肩で息をしながら呟くと、クレアさんは首を振った。

「助け合いは当然。でも、今のは焦りすぎだよ」

 その後も進むたびに、小さな罠や魔獣に遭遇した。僕は何度もクレアさんに助けられ、そのたびに胸の奥で重たい感情が膨らんでいく。

 休憩中、つい言葉が漏れた。

「僕、やっぱり足を引っ張っているよね」
 
 クレアさんは眉を寄せ、真っ直ぐに僕を見た。

「足を引っ張るって思うのは自由。でも、それで動きが雑になるなら……本当に危なくなる」

 木漏れ日が彼女の横顔を柔らかく照らす。その瞳は叱っているのではなく、僕を正面から見据えていた。

「無理に強くならなくていい。ただ、自分と向き合って」

 その言葉が胸の奥に沈み、動悸が少しだけ落ち着く。

 依頼も終盤、苔の斜面を下っていたときだった。足を置いた瞬間、地面がずるりと動く。次の瞬間、体が傾き、背中に衝撃が走った。下には古びた木の杭──獣避け用の罠が突き出していた。厚手の革鎧が衝撃を吸収したが、呼吸が詰まり、脇腹に鈍い痛みが残る。

「ニコ君!」

 クレアさんが手を伸ばし、力強く引き上げてくれた。その掌の温もりと震えが、同時に伝わってくる。

「怪我は?」

「……大丈夫」

 本当は痛みが強かったが、また足手まといになると思うと、口をつぐんだ。

 残りの道程は僕が後衛に回り、クレアさんが先導した。視界の端で、光の玉がゆらゆらと揺れる。あれは僕のものか、それとも森の精霊か──わからない。ただ、その光はじっとこちらを見ているように感じた。

 帰路につく頃、クレアさんが歩調を落として隣に並んだ。

「今日のこと、どう感じた?」

 少し考えてから答える。

「焦っても、強くはなれない。むしろ……見えなくなる」
 
 クレアさんは微笑んだ。

「それがわかれば、もう半分は進んでいる」

 森を抜ける風が頬を撫でる。脇腹の痛みはまだ残っていたが、不思議と足取りは軽かった。
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