責任取るのは俺の方でした

我利我利亡者

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 一瞬、時が止まった気がした。勿論そんなの実際は到底有り得ないのだが、俺はさっきのカーティスの発言を聞いた時、それだけ驚いたのだ。だって、……え? 結納金? 1億の? ……誰と結婚するつもりなんだ? いやだって、ターナー伯爵家の中で1番カーティスと親交が深いのは俺だけど、同性同士の結婚はこの国では可能ではあるが殆ど聞かないし……。だとしたら、妹とか? さっき会ったばっかなのに? しかも俺を罵るあんなにも醜悪な姿を見た後で? ……。な、何も分からない……。

「結納!? 結納ですって!? という事は、クリッシーを見初めていただけたという事ですか!? これはなんたる僥倖! 流石、お目が高いですねぇ、クリッシーはターナー伯爵家自慢の娘なんですよ!」
「という事は、我がターナー伯爵家がコーエン侯爵家と縁続きに……! しかも、相手はあのカーティス・コーエンだ。こいつは凄いぞ……!」
「クリッシー、あなたやるじゃない! あんなにも素敵な殿方の心を射止めるなんて、あなたは自慢の娘だわ!」
「お母さん、私夢みたい……!」

 どうやら俺の家族はカーティスの結納金発言を、妹クリッシーへのプロポーズだと解釈したらしい。こっちはどちらとも判断がつかなくて困っているのに、迷いもしない。いつでもなんでも俺よりも自分達の方が優遇されるのが当たり前、と常に思っている家族らしい発想だ。そんな調子でキャイキャイ大はしゃぎして騒いでいる家族だったが、カーティスはその様子を白けた目で見てサラリとこう言う。

「何を仰ってるんですか? 僕が結婚したいのは、そこのお嬢さんじゃありませんよ?」

 ピシリ。喜びで緩み切っていた家族の顔が、全員固まる。ああ、カーティスの望む結婚相手は俺の方だったか。まあ考えてみりゃ、そりゃそうか。今さっき会ったばっかの性格悪そうな少女と、気心知れててそこそこ付き合いのある男。異性婚の方が一般的とは言え、どちらを選ぶかは結構分かり切った答えの問題だったのかもしれない。

 ……ん? 結婚? 俺と、結婚……。結婚!? い、いや、待て待て待て待て待て。まだだ。早まるな。まだそうと確定した訳じゃない。第3の可能性だって、俺が思いつかないだけであるのかも……。

「何か馬鹿な勘違いしているようなので念押しさせてもらいますけど、僕の伴侶になるのは、この世においてオリバー・ターナーさんただ1人ですからね?」

 俺かー! 俺だったかー! 第3の可能性とかではなく、普通に俺だったかー! 怒涛の展開に思わず頭を抱える俺。家族のみならず周囲で成り行きを見守っていた野次馬までもがカーティスの選択に驚いて固まっていたが、その中でいの一番に我を取り戻した人間が居る。妹のクリッシーだ。

「オリバー兄さん……酷いわ! いくら節操がないからって、私の相手を盗るなんて!」

 ……は? 何を言い出すんだこの阿呆の妹は。百歩譲って俺に節操がないのは認めるとしよう。綺麗事ばかりでは家族に捨てられた子供1人だと、生きて来れなかったしな。だが……『私の相手』とは? いつ俺がお前の相手を盗った? カーティスのことを言ってるのなら、そもそも最初から彼はお前の事は眼中にすらないんだから、勘違いにも程があるぞ? 呆れて言葉もない俺だったが、その代わりと言わんばかりにカーティスの方が反駁する。

「はぁ? 何僕の事勝手に自分の相手にしてるんですか、妄想も大概にしてください。それに節操がないって、自己紹介ですか? 直接話をした事すらない僕の事を見ただけで、自分の相手だって言い切るくらいですもんね。普段からその調子で道行く男性全員が自分を好きなんだと妄想に浸っているから、そういう発想が出てくるんでしよう。人に言いがかりつけている暇があったら、少しは慎みを覚えたらいかがです?」

 おおぅ……。カーティス、これはかなり切れてらっしゃる……。言ってる内容がドギツイのは勿論、美形が瞳孔かっ開き且つ真顔でクンロク入れてるから凄く怖い。凄みがあり過ぎる。カーティスを中心に人々が身を引いたのは、きっと恐ろしさのあまりだろう。それだけこの時のカーティスは、迫力があった。それでもカーティスと縁続きになれば得られるであろう様々な利益に目が眩んでいるのだろう。恐怖とショックで固まって動けなくなっている妹の代わりに、兄が声を上げる。

「お、おい、カーティス君。オリバーと結婚するのはお勧めしないぜ? そいつは昔っから素行も評判も悪くて、家族皆困らされてきたんだ。どれだけ注意しようが改めやしない。そんなできそこないより、妹のクリッシーの方が」
「できそこない? 今、オリバーさんの事をできそこないって仰いました?」

 ギュインッ、と音が立ちそうな程の物凄い勢いで、カーティスは兄さんに視線を移す。勿論、瞳孔は開いて目付きはガン決まったままだ。兄さんが思わず、といった様子で後退る。うんうん、分かる。あの顔で見られたら誰だってそうなると思う。チラ見してるだけの俺ですら滅茶苦茶怖いもん。あの目と表情を向けられたら、人によってはチビると思う。そしてカーティスは兄さんが恐怖で固まっている間に、ツラツラと持論を展開し始める。

「先程オリバーさんをできそこないと仰いましたが、彼は幼い頃理不尽に家族に見放されてから、必死に努力を重ねてここまで自分の力で生きてきたんですよ? あなたが料理人に作ってもらった料理が出てくるのをただ待っていた時、オリバーさんはたった一つの小さなパンの代金を稼ぐ為に汗水垂らして屑拾いをしていました。ターナー伯爵が趣味の歌劇鑑賞をしている時、オリバーさんはどうにか雨風を凌ぐ為に入った軒先を意地の悪い家主に追い出されて途方に暮れていました。ターナー伯爵夫人が茶会で最近新しく購入したジュエリーの自慢をしていた時、オリバーさんは履ける靴がなくて裸足のままその日泊まる場所を探して町中を彷徨っていました。ターナー伯爵令嬢が学校に行きたくないと駄々を捏ねて部屋に閉じ籠ろうとしていた時、オリバーさんは自分を居候させてくれている人達に学費が欲しいと言い出せずどうにか足りない分を補おうと年齢を偽り必死に働いていました。あなた達が馬鹿みたいに何も考えずに贅沢な暮らしを享受していたその裏で、三兄弟の真ん中に生まれたというたったそれだけの理由から疎まれ、オリバーさんは浮浪児一歩手前の暮らしを強要されていたんです。持ち前の機転と愛嬌がなければ、親切な人に拾ってもらえる事もなく、今こうして生きていられたかどうかすら分かりません。そんな生きる力に溢れた逞しい人が、でき損ないですって? 身の丈に合わない違法な先行投資に家族を説得してまで一族の財産全部突っ込んでおいて、破滅しかけているあなたの方が、余っ程でき損ないではありませんか?」
「待って……お前の言う俺の昔の話は全部事実だけど、お前に話した事ないよな? なんで知ってんの……怖いんだけど……」

 昔の事は思い出すだけで暗い気分になるから積極的に思い出さないし話もしない。苦労話をしたらそれだけで、可哀想アピールウザイ! とかよく分からん謗りを受ける事があるし、そうでなくとも聞いた方が反応に困る内容だと分かっているからな。だから最近では意識的に思い出す事も減らしてたんだけど……なんで把握してるん? ビックリより先に教えてない筈の事を知られてる困惑が湧き上がる。凄く感動する感じで庇ってくれてるのは分かるんだけど、意識がそっちに向かない。

「やれやれ、他家に頼んでオリバーさんを養子にしてもらってからだと、手続きの関係で結婚までに時間がかかるのでターナー伯爵家に籍が残っている内に、せめて婚約だけでも済ませてしまおうと思っていましたが……。この分なら何も言わずに籍を抜いてから普通に養子を経由した方が良かったかもしれませんね。ここまで醜悪な集団だとは思わなかった」
「ああ……。それで、結納金という形で金を受け取らせるのか……。そうしたら、受け取った以上契約成立という事で結婚せざるを得なくなるもんな……。……って、ちょっと待て。忘れるところだった!」

 そうだよ、結婚だよ結婚! 俺と! カーティスが! 結婚! 聞いてないんですけど!? こういうのって、普通少しでいいから当事者間で話し合ってから決めるよな!? 俺なんも聞いてないんだけど!?

「ところで、カーティス? 俺、お前と結婚するとか初耳なんですけど?」
「え、でも書類上はまだでも気持ちの上ではもう婚約してますよね? ならいつかは結婚しますよね?」
「婚約!? してませんけど!? したとしたら、いつしたって言うんだ!?」
「いつって、忘れたんですか、酷いなぁ。ほら、先月の上弦の月が出る2日前の晩です。2人でを済ませたじゃないですか。勿論、責任は取らなくちゃ」

 照れ臭そうにはにかむカーティスの顔を見ながら考える。上弦の月が出る2日前の晩……を済ませた……責任を取る……あ。も、若しかして、俺がカーティスの筆下ろしした事を言ってる……!? 初めては好きな人と、を曲解してしまい主従が逆転して、初めてやったからにはこの人が好きな人だ! ってなった的な!? ……そんな事ある!?!?!?

「いやいやいや! 取らなくていい! あれはノーカン! 責任とか考えなくていいから!」

 焦りのあまり何も考えずに叫ぶ。反射でカーティスからザッと距離を取って、顔の前で大きくブンブンと手を振る。この時の俺は、カーティスの目を覚まさせて俺と結婚するなんて馬鹿げた事をさせないように必死だった。俺にとっちゃ誰かと寝るなんて、ぶっちゃけかなりありふれた話だ。それをいちいち責任取る取らないの話に発展させてたら切りがない。あくまでも親切心100%の心遣いである。この後その何も考えない否定によってもっと取り返しのつかない事になるとも知らないで、その場では力一杯否定し続ける俺なのだった……。
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