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 第1王子の呪いが解けたことは、慶事として国中に大々的に発表された。『ついに我々は魔女に完全に打ち勝った!』と、国はお祭り騒ぎである。そうそう、表向き第1王子を解いたのは偉大なる王家の方々ということになっている。なんでも、第1王子の呪いを解いたのが、臣下の、それも生まれが下賎で身分の低い俺では、外聞が悪いからとか。俺のところにやってきた王様の使者が、箝口令を伝えるついでにそんなようなことを言っていた。口止め料のつもりか精霊の契約書と一緒に金貨の詰まった袋を置かれたが、もうどうでもいい。契約書にサインだけして金貨は突き返した。金になんて興味がない。
 その受け取らなかった金の代わりか知らないが、第1王子の呪いを解いた褒美として、俺は国軍への復帰を許された。しかも、兄さんが死んでからずっと空席だった次の第1部隊隊長という高待遇。先の騒動で壊滅した第1部隊を再建するという大役を任されたのだ。なんというか、色々と信じられない話である。
 国軍に戻って兵士として仕事をするのは難しいだろうと医者に言われた程の心神喪失状態はどうしたのかと思ったが、再診を受けたらアッサリ『まだ完全に安心はできないが、無理をしなければ大丈夫だろう』と言われてしまった。どうやら第1王子と穏やかに日々を過ごすうちに、俺の病状は寛解していっていたらしい。確かに第1王子の毎日の世話や勉強の面倒に忙しくて落ち込んでいる暇もないくらいだったが、それで良くなるとは病気とはそういうものなのだろうか。自分の体のことながら、そっち方面の専門家ではないのでよく分からない。
 兎も角。第1王子の世話をする任を解かれた今は、次に任された第1部隊の再建という大仕事を成さなくては。王様から直々に任命されたからには、手は抜けないだろう。それに、隊員の殆どが死ぬか大怪我で除隊し壊滅しかけているとはいえ、第1部隊は俺の古巣だ。兄さんが生きていた頃のように……とまではいかないまでも、いつまでも今の機能停止状態にしておくのはあまりにも忍びない。更に言うと、第1王子と生活していた頃のように忙しくしていないと、フとした瞬間に正気に戻ってしまいそうで怖かったのもある。ここで我に返れば待っているのは深い絶望と孤独感だけだ。任命早々、早速俺は第1部隊再建に向けて働き出した。
 新しい隊員の選定、スカウト、訓練、根回し、挨拶回り。部隊再建に向けてやることはあまりにも多い。目の回るような忙しさだったが、お陰であまり嫌なことを思い出さずに済んだ。
 国軍に復帰した俺に向けられる反応は様々だった。『精神を病み1度は依病除隊して軍籍を剥奪された奴なんかに、栄誉ある第1部隊の部隊長の任がつとまるのか』。『体を壊してなお第1王子殿下のお傍に仕え、病を克服し再び国に尽くす程の忠誠心がある人間が部隊長になるのなら、第1部隊もこの先安泰だ』。『第1部隊の黄金時代の生き証人であるお前なら、きっと部隊の再建ができる。期待しているぞ』等々などなど。頂戴した言葉は毀誉褒貶入り交じっていたが、どちらかと言うと期待の方が多かったと思う。ありがたいことである。
 そうそう、根回しの関係で久しぶりに会った先代には、出会い頭にいきなり抱き締められて泣かれてしまった。『1度は自ら死のうとまでしていたお前が、再び前を向いてくれて嬉しい』だってさ。その言葉に俺は、曖昧に笑って流すしかなかった。俺の中で絶望の熾火はまだ、消えたわけではない。今か今かと再びこの身を焼き尽くす大きな業火になる時を待って燻っている。決して消えたわけではないのだ。
 なんにせよ、第1部隊再建の流れは順調である。必要な人員も粗方集め終え、訓練が終わり次第再始動することができるようになるだろう。新しい隊員達もまだ歳若い俺をよく慕ってくれている。気概を持って新生第1部隊に入隊し、周囲の期待を一身に背負う彼らの為にも、頑張らないとな。
「ホークショー部隊長。午前の分の書類、持ってきました」
「ああ、ありがとう。そこに置いておいてくれ」
 書類を持ってきてくれたのは俺付の従卒の、ジャスパー・イムジンだ。軍学校を卒業したばかりで俺とそれ程歳は変わらないが、よく気が利く働き者である。どうも若い奴らの中には異例の若さで第1部隊に配属され、更には病気から復帰し部隊長に大抜擢された俺を神聖視している一派がいて、イムジンもその1人だった。俺の出世の理由は兄さんの隣に立ちたいばっかりに努力をしたことの結果で、俺自身はそんなご立派な人間じゃないのに。私欲満々、俗物もいいところだ。最近の若い奴はどうにもそこら辺に夢を見ている奴らが多い気がする。病気の事だって……あれはただ単に自分にできることを自分なりに頑張った結果、いつの間にか良くなっていただけだ。運が良かっただけで、まったく褒められるようなことではない。
「今日は寒いですね。暖房を入れている筈の屋内でも場所によっては吐く息が白くなりますもん。そうだ、熱いお茶を淹れましょうか? 温まりますよ」
「あー、そうだな。頼む」
「直ぐにご準備いたしますね」
 そう言って執務室から出ていくイムジン。そう間を置かずに必要な道具をワゴンに乗せて帰ってくる。そのまま慣れた手つきで茶を淹れ始めた。
 そういえば、俺も第1王子にもよくお茶を淹れてやったっけ。よく体が不自由な第1王子の為に、タイミングを見ながらティーカップを傾けて手ずから飲ませたものだ。第1王子は身の回りの事は大体介助が必要だったから、俺はいつも何くれとなく彼に手を貸し、構っていた。
 まあ、もうその必要もなくなってしまったが。呪いが解けて第1王子は自分で好きなことを自由にできる体を手に入れたし、そうでなくとも復権した今の立場なら俺以外に彼の身の回りの世話をする人間は腐る程いるだろう。何にせよ、俺は第1王子にとってもう必要ない存在だ。むしろ、俺と一緒にいた時よりもより高等な教育や高待遇を受けて、幸せに暮らしている筈である。若しかすると、とっくの昔に楽しい毎日に摩耗され俺との日々なんて遠い記憶になっており、思い出さなくなっているのかもしれない。いや、絶対そうだ。呪いにかかっていた時のことなんて、第1王子は思い出したくもないだろうから。
 はぁー、止めよう、こんなことを考えるのは。今更ここで思い返しても詮無いことである。あの日、俺と第1王子の進む道は別れたのだ。そう仕向けたのは他でもない自分自身。俺に今更あれこれ悩む権利はない。大人しく目の前の書類仕事に集中しよう。
 軽く頭を振り、手元の書類に目を戻す。えーっと、なになに。警備の依頼書か。まあ、第1部隊は再建したばかりだから、腕慣らし為にも最初はこういう軽い任務をこなすがいいだろうな。書類によると警備場所は王城で、その目的は……。
「え……。第1王子の婚約者、選定の為……!?」
 なんだこれ。もう一度マジマジと、書類を見返す。万が一にも読み間違えたりしたのではないかと思ったからだ。だが、何度読んでもそこには『第1王子殿下の婚約者を選定する為、婚約者候補の姫君を多数王城に招くので、警備の強化をする。ついては第1部隊にはその増援に回って欲しい』と、言ったうむが書かれていた。
「ああ、その話ですか。いやー、めでたい事ですよね! 殿下は魔女の呪いのせいで長らく病弱で、一時は命も危うかったんでしょう? それがこうしてご婚約されるまでに回復されるなんて。ホークショー部隊長も第1王子殿下のお側に仕えていた人間として、誇らしいのではありませんか?」
「……これ、本当の話なのか?」
「本当もなにも、王城内ではかなり有名な話ですよ。あ、そういえばホークショー部隊長はここの所かなり忙しくされてましたもんね。若しかして、ご存知ありませんでしたか?」
「ああ、全然知らなかった……」
 婚約。あの第1王子が、婚約だって? いや、考えてみれば当然の話だ。第1王子は御歳13歳。婚約者がいてもおかしくない年齢だ。むしろ、この歳で婚約者が決まっていないのは王族としては遅いくらいである。ここで国が第1王子の婚婚約者探しを始めるのは、論なき流れと言えよう。
 そう、こんな未来は容易に予測できた筈なんだ。それならなぜ俺は、第1王子の婚約話にこんなにもショックを受けているのだろう?
「第1王子殿下の呪いが解け、御婚約話も持ち上がり、慶事が続きますね! 魔女の妨害がないかどうかだけ心配ですが、なぁに! ホークショー部隊長率いる我等が第1部隊がお守りするのですから、なんの心配も要りませんよね!」
「そう、だな」
 イムジンの明るくはしゃぐ声が、やけに現実離れして聞こえる。馴染みのある、良くない感覚。兄さんを死なせてしまった時と同じように、目の前の世界が膜1枚隔ているかの如く遠のいていく。
 第1王子との間にできた隔たりが、どんどん大きくなっていくようだ。いや、正確には違う。元々、俺達は本来なら交わることのない間柄だった。それが、何かの間違いで関わりを持ってしまっただけに過ぎない。
 だから、第1王子が何かをするにつけ、俺がこんな風に傷つくのは間違ってる。この思いは、封じなければならない。そうして俺は、イムジンが持ってきてくれたお茶を何でもない風に受け取り、震える自分の白い指先は冬の寒さのせいだと思うことにした。





 そして、冬の寒さが本格的になってきた頃。正式な辞令が降りて、晴れて第1部隊は王城の警備を任されることになった。今までにも小さな任務はちょこちょここなしてきていたが、再結成以来初の大仕事に隊員達の士気も上がる。皆張りきって仕事に励んでいた。
 俺はと言うと準備期間中より仕事自体はだいたい落ち着き量が減っていたが、そんな中でも無理矢理やることを探して自分から忙しくなるようにしむけている。周囲には大役を任されたからって頑張りすぎるとか、病み上がりなんだし無茶すると体が持たないぞ、と心配半分脅されたが知ったこっちゃない。むしろ、忙しくしてない方が現実に向き合わなくちゃいけなくなって気が狂うってのに。これは言わば正気を保つ為の現実逃避。今の俺には必要不可欠な事だ。
 そう、俺はまた、精神がおかしくなり始めていた。以前のように唐突に死にたいと思ったり、兄さんのことを考えてドツボに嵌ったり、最近はそんなことを繰り返している。こんなことでは責任ある軍務は無理だと思って除隊を申し出ようともしたが、話の中でそのことを匂わせると、直属の上官に激しく叱責されてしまった。どうやら俺の進退によって上官達の勢力図が変わってしまうらしい。だから今更俺に除隊をされると、都合が悪いんだそうな。暗に除隊するくらいならそうとわからないように自死しろとまで言われてしまった。
 勝手に派閥争いに巻き込んでおいて酷い言い草だと思うが、気力がなくて怒る気にもなれない。言い争って除隊の権利を捥ぎ取るのも億劫だ。こうして俺は除隊を諦め、せめて周りに迷惑をかけないよう少しでも正気を保つ為、第1王子と過ごしていた時のように忙しくして暗いことを考えないようにする荒療治を決行した次第である。幸いやるべき事は探せば探すだけあった。周囲の人間も俺の事を単に働き者だと思っているだけで、何も不審に感じていない。物思いに沈んで泣く代わりに、仕事に熱中し忙殺されることで今のところ上手くいっていた。
 今日の仕事は王城内の巡回警備。平の隊員のやる仕事だから部隊長のあなたは大人しく休んでくださいと言われたが、無理矢理ブン取ってやった。俺にとって今休むのは逆効果。グルグル悪いことを考える時間が無駄にできてしまって、一発アウトだ。
 ここの所王城は賑やかになった。第1王子の婚約者候補として各国から集められた妙齢の姫君やその従者達が何組も滞在しているからだ。お陰で城中が活気づいている。南の大国から北の遠い帝国まで、魔女の魔法を手に入れたこの国と縁続きになりたい国は多い。第1王子の婚約者候補として、様々な国の姫君が我も我もと手を挙げている状態だった。
 国民も正式に第1王子の婚約者選定の話がでて、お祝いムードである。国の為に犠牲となって一身に呪いを受けた王子の回復と婚約話は、国民にめでたい事として受け入れられていた。そのせいで第1王子のお側に仕え、支えたとされている俺の方にまで、縁談や色んな誘いが持ちかけられてきて鬱陶しい。なんと、俺に死ねとまで言っていた兄さんの実家、ソンム公爵家まで擦り寄ってくる始末なのだ。本当、変わり身の早いことで。呆れるよりも先に困惑してしまう。
 俺は結婚も友達付き合いも、何もする気はない。誰かと深く関わり合うのはもう御免だ。大切な人に向かってかけた言葉は届かず、伸ばした手は触れられない。そんな人生に、俺は疲れてしまった。
 ああ、やっぱり駄目だな。ただの巡回だと単純作業だから考える余裕ができてしまって、思考が暗い方向に引っ張られる。このままだと酷い顔で詰所に戻ることになるぞ。心配と詮索をされること間違いなしだ。
 さて、どうしようかと考えていると、俺は自分が今いる場所が馴染みのある通路なことに気がついた。兄さんと何度も並んで歩いた場所だから、間違いない。ということは、この先にがあるのか。今でも様子は変わっていないのかな? 気になる。兄さんのことを思い出すような場所に行くのは良くないと思いつつも、俺は欲求に抗えずフラフラと引き寄せられるようにそのへと向かっていった。
 この辺りは王城の中でも特に古びていて手入れされていない。『嘆きの塔』と同じだ。昔からそうだった。何も変わっちゃいない。色あせた絵画の前を通り過ぎ、がたついた扉をくぐる。薄ら埃の積もった廊下の先に、はあった。
 そこは遠い昔に作られた、小さな庭園だ。かつては賑わったであろうにいつからかその存在を忘れ去られ、手入れされることもないままゆっくりと朽ちていっている。ここは、兄さんとの思い出の場所の1つだ。あの第1王子を連れていった花畑に行く時間がない程忙しい時や、少し休みたいだけの時は、よくここに来ていた。
 相変わらず、ここは誰も訪れる者がいないらしい。草木は伸び放題。石畳は苔むして、東屋は傾いている。ここに来るのは兄さんが死んで以来だけれど、まるで時が止まっているかのように昔のままだ。その様子に幸せだったあの頃が懐かしく思い出され、ホウッと溜息をついた。少しだけ、呼吸が楽になる。
 ここに来てよかったかもしれない。確かに俺は兄さんの死に囚われている。そのことに関してはあまり深く考えすぎないようにするのがいいのだろう。けれど、兄さんのことを思い出すのは辛いが、忘れてしまうのはもっと辛い。兄さんは確かに、俺にとって救いの神でもあるのだ。例え死んでしまっても、その事は揺るがない。
 もしまた限界が来るようなら、その度にここに来よう。このやり過ごし方がいつまでもつか分からないが、取り敢えず今のところは有効なようだから。
 さて。気分もだいぶ楽になったし、そろそろ巡回に戻るか。自分から買って出ておきながらサボってることがバレたら、顰蹙を買ってしまう。踵を返し、元来た道を戻ろうとした、その時。視界の端に、なにか不自然に黒いものが入る。驚いてそちらを振り向くと、何時からそこにいたのか黒い髪に濃いグレーのドレスを着た美女が、そこには立っていた。
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