片手の花と道化師

青海汪

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第二幕 涙を涸らしたピエロたち

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第二幕 涙を涸らしたピエロたち
 
 山から下りた後シンたちは当初の予定通りキアを連れて役所や郵便局、それから島民たちの家を案内して回った。島民の数はかなり少ないのだが、家と家の距離が離れている為割と長い時間歩く。途中でギブアップ宣言が出るかとも思っていたが、キアはしっかりと多少の文句はぼやきながら二人についてきた。
 ドッジボールの試合の際にも感じたが、キアは普段猫を被ったように大人しくいい子を演じている。が、実のところ負けず嫌いで口も悪いと言うのがこの短時間の付き合いでわかった。
 その事について直接本人に尋ねると、キアは何一つ悪びれる様子なくこう答えた。
 「それも子どもの特権でしょ。大人はそういう大人しくて礼儀正しい子どもが大好きだからさ。ぼくの場合は父さんがあんなのだから、余計に周囲の眼も厳しくなるんだよ」
 所謂ぼくなりの処世術だよ、と難しい単語を使いながら説明をするキア。リクは素直に感心し
 「やーっぱりなぁ。精霊に導かれてきちょっただけあって、うちらと違がうさー」
 とぼやきシンは
 「頭がええんさー」
 とそれぞれに彼の要領のよさを褒め称えた。
 「キアの言う通りかもしれんさー。うちの母ちゃんがよう言うちょっるもんさ。人の口に戸は立てられんってー」
 「じゃなぁ。実際に校長先生がこの島さーきた時も噂が立っちょったしのぉ」
 「え、あのハゲ、じゃなかった。校長が?」
 慌てて言い直すキアの姿にリクと顔を見合わせ吹き出す。そしてシンはちょうど海辺に面した小さな家を指さした。赤い瓦が特徴の古民家だ。高良校長が赴任してくるまで空き家として売り出されていたものだった。過疎化が進み島には主を失った家が沢山ある。そうしたほとんどの家は、再び誰かを迎え入れる事なく雨曝しになり朽ち果てた。かつては漁業で栄えていた島だったが、島民の減少に伴い目に見える勢いでそれは衰えていった。島から若者が出て行く事に慣れ、新たに移住してくる者等ほとんどいないまま月日が流れてきた中で、高良校長の移住は島中を沸かせると共に様々な憶測を呼んだ。
 「あれが校長の家さー。長男夫婦が本州にいちょるらしいさ。校長一人だけこがぁ島まできよってさー」
 「奥さんもおらんし、なんや問題でも起こして飛ばされてきたんやさって噂されちょったさね」
 「へぇ…」
 二人の話を聞きながらキアの眼が楽し気に細められる。心なしか顔つきが活き活きしていた。
 「でも案外そうなのかもしれないよね。本州で不祥事でも起こして、ほとぼり冷めるまでこっちにいるのかな。どっちにしてもただのハゲって訳じゃないんだ。面白そうだね」
 「よぉそこまで想像力が回るさー」
 シンは溜息交じりに肩を竦めた。
 五年前、シンとリクの父親が乗った漁船が帰ってこなかった日。島では大規模な捜索が行われた。海上警察とは別に船を持つ者たちが各々に海に出て父親たちが乗った船を探してくれたが、一向に手掛かりは掴めず残された家族は悲嘆に暮れた。
 シンの母親は目に見えて痩せ、猪五郎は進展のない捜索結果に怒り狂っていた。あの頃のシンは自分がどういう風に毎日を過ごしていたか覚えていなかった。ただクラスには同じように船に乗って帰ってこなくなった父親を持つ子どもたちがいて、特に仲のいいリクもその一人だった。自分一人が悲しいのではない、と自らに言い聞かせて休みながらも学校へは通っていたが堪えていた想いは唐突に涙に変わって溢れ出し人目を憚らず泣く事もしばしあった。
 そんなシンに高良校長は一冊の本を与えてくれた。
 「辛い時は自分が大丈夫だと思える時まで、思い切って現実から目を逸らしたらいいんです。そうして力を蓄えて必ず戻ってきて下さい」
 そう言って渡された児童文庫を、普段漫画以外の活字にはほとんど目を向けないシンが夢中になって読んだ。何度も繰り返し読んだ。やがて少しずつ激しく波打っていた心が凪いでいくのがわかった。
シンはようやく本から目を離した。今まで背けていた現実に対面できるだけの力が補充された時だった。
 「俺は校長先生が好きさー」
 校長の家の開けっ放しになった窓からレースのカーテンが風に乗ってそよぐ。きっと今は校長の方が現実から離れて心を鎮めようとしている期間なのだろうと思いながら。
 そんな彼を不思議そうに見詰める二人に向かって、シンは恥ずかしそうにはにかんだ。
 
 
 翌朝の事だ。朝早くから目が覚めたぼくは隣で眠っているシンを放置し、家の外まで出てみた。
別に逃げ出すつもりとかそんな訳ではない。陸地に辿り着いてから揺れない寝床と温かいご飯、そして友だちを手に入れて今日で三日目。すべてが順調過ぎて、なんだか嘘みたいな気がした。この平穏が実は幻で消えてしまわないか確認したかったんだ。幸せの絶頂にいる時ほど警戒しなければいけないから。油断するとあっという間に奈落に突き落とされてしまう。
 日中の厳しい陽射しも朝の優しい空気に包まれて清々しい。まだ陽が昇って間もないからか辺りはとても静かだけど、家畜たちが餌を待ってソワソワしている気配だけが漂っていた。昨日シンのお母さんから聞いたけど商店が一応あって、そこで日常品は買っているけど商品が週に一回しか届かないから保存のききにくい食材は置いていないのだとか。だからなのかわからないが、どの家でも畑と家畜を飼っている。シンの家も例に漏れず家庭菜園と鶏を飼っていた。魚は爺さんが今も獲ってくるから事欠かないそうだ。昨日も父さんはあの元漁師だとか言う爺さんと一緒に釣りをして遊んでいたらしいし、この国の老人たちは割と悠々自適に暮らしているようだ。
 「………」
 あれはどこの国の話だっただろうか。不意に思い出したむかしの出来事が脳裏に蘇った。
 父さんが食糧を調達してくるまでの間を、ぼくは公園で一人遊んで時間を潰していた。
丁度昼を少し過ぎたくらいの時間だったからか、公園にはランチを終えた大人や子連れが目立った。
 ぼくはブランコを漕ぎながらのんびりと過ごす人々の様子を何ともなしに観察していた。
みんなお腹いっぱいになっていてどこか気だるげで、幸せそうで。遊具に群がる子どもたちはどいつも羨ましいぐらい肉付きがよかった。
 もう少ししたら父さんがご飯を持ってきてくれる。必ずきてくれる。と、空っぽの胃袋に言い聞かせて空腹を堪えるぼく。暖かな日差しが分け隔てなく降り注いでいる筈なのに、ぼくと、ぼく以外のすべての人間との間にこの足下に伸びる影のように明確な違いがあるような気がして。自分の努力では決して埋める事のできないその差に、ぼくはどうしようもなく惨めな気持ちになった。
 力いっぱい手を握り締めて、さっきからぼくにブランコを譲って欲しそうにしている親子からわざと目を逸らす。立ち漕ぎをして自分の視界から余計なものが映らないくらい高く、勢いをつけて飛ばした。
 自分に力があればどこまでも高く飛ぶ事ができるブランコ。前に向かって進んだと思えばすぐに同じ距離だけ後ろに引き戻される。もっと高く。もっと空に向かって。引き戻される時間があっという間に感じる程、ぼくはブランコを空高く向かって漕いだ。
 そして道路の向こうから両手いっぱいの食糧を抱えた父さんの姿を見つけた途端、ぼくはブランコから飛び降りて父さんの下に駆けつけた。砂が入って涙目になった顔を見られたくなくて、ぼくは父さんにしっかりと抱きついた。
 「おーい」
 チリンチリンというベルの音と共に、黒っぽいスーツに赤い箱を括りつけた自転車を運転する男が現れた。ポリスマンの制服とは少し違う。白いTに似たおかしなマークが制服と赤い箱に印字されていた。
 「やぁ。きみが蔵屋敷キアくん?」
 見た目はポリスマンと同じくらいの年齢に見える。よく焼けた顔に人懐っこい笑顔が映えた。
 「ぼくは如月篤志。えーと、英語で言うならポストマンだっけ?」
 「…Postman?」
 あぁ、と納得しポストマンが差し出す郵便物を受け取った。それにしても島の人だろうけど喋り方が独特だ。どちらかと言うと校長に似た類のイントネーションだった。
 「お父さんにはもう会ってるよ。いやぁ、言っていいかわからんないけどさ。アハ、実はぼくこう見えてゴシップが大好きでさ」
 ものすごく爽やかな笑顔でサラリと下衆な発言をするこのポストマンにぼくは目を見開き驚きを隠せなかった。大体ポストマンがゴシップを仕込むなんて、個人の情報を盗み見ているって事じゃないか。そんな奴が公共の仕事に就いていいのだろうか…と思い至った所でペドの疑いがあるポリスマンを思い出し嘆息した。
 「それってぼくに関わる話ですか?」
 もうこの島はある意味無法地帯なんだと諦める事にして、ぼくは胡散臭げに尋ねた。
 「うんうん。って言うのもさ昨日国崎さん、と一緒にきみのお父さんが定期便に乗ってたからさ。意味深ジャンって思ってね」
 シンの母さんは看護師として働いているだけに割と贅肉がついていない。顔立ちも決して美人ではないけど、悪くはない。何よりよく気が利くし優しい。その上、シンの父親は行方不明でそんなお宅に上がり込んでいたら、そりゃぁ悪い噂も立つだろう。それは覚悟の上だったし別にそんな事実なんてないから気にならない。きっと刺激の少ない島だからちょっとした事でも大袈裟に騒ぎ立てて楽しみたいだけなんだろうけど、でも、何だろう。父さんがぼくに隠し事をしたって点が少しだけ。うん、少しだけだ。いい年したオヤジだけど、ぼくに秘密なんてよくない。絶対に。
 って一人で悶々悩んでいる間に傍迷惑なポストマンはどこかへ行ってしまっていた。
その後の朝食では父さんもシンの母さんも特に不自然なところなんてなかった。猪五郎爺さんが釣ってきた魚を食べながら、和気藹々とした暖かな食卓を囲む国崎家の三人と居候二人。ぼくらに対し何も隔てなく、まるでむかしからの友だちのように接してくれる三人に対し変な想像を抱いてしまった自分をぼくは恥じる結果となってしまった。
 
 
 先に外に出ているキアを待たせ玄関で靴を急いで履いていたシンを呼び止め、シンの母は紙袋を持たせにきた。
 「なんさーこれ。重たいさーに邪魔さ」
 袋はとても重くて腕に通すと取っ手の紐が肉に食い込んだ。ぶうたれるシンの頭を小突きシンの母は
「あんた、昨日キアくんさ連れて挨拶回りしちょったさー?」
 それの何が悪い、とばかりにきょとんとするシンを見て小さく吹き出す。
 「えーからこれさ、帰りにリクちゃんとこのお店に置いてきちょって。挨拶回りん時はお近づきにお菓子さー配るんさ。リクちゃんとこ置いちょったら、みんなくるさね。そんでもって学校行くまでに会った人がおったら渡してやるんさ」
 それから、と言ってシンの母は小銭の入ったがま口財布をシンに持たせた。
 「お店でジュースくらい飲んできちょったらいいさー」
 成程、これがキアの言う大人の付き合いかと頷いていたシンは財布を受け取り笑顔で頷いた。そして玄関の向こうで彼を待つキアの元へ駆け出した。
 「それ、何?」
 重たい紙袋を半分持ちながらキアは興味津々に訪ねてきたので、シンは先程聞かされた説明を繰り返した。
 「へぇ…お気遣い痛み入りますってやつだ」
 ぶっきらぼうに言い放つキアだったが、口調とは裏腹に恥ずかしそうに頬を染めている。ついでに緩みそうになっている口元をギュッと力を入れて閉ざしているのに気づき、シンは笑ってしまった。
 それから二人は学校へ辿り着くまでの間に出会った人々に紙袋から小さな包みを取り出し配った。不思議な事に包みにはどれも手紙がついていた。シンの母はそれについて触れていなかった為、一体どんな内容が書かれているのか気になったがキアが答えを出した。
 「きっとぼくらじゃ言葉足らずできちんと挨拶できないと思って、代わりにシンの母さんが手紙に認めてくれたんじゃないかな」
 「したためるってなんじゃー?」
 「書くって意味だよ。そんな言葉も知らないの? 日本語なのに」
 信じられないといった顔をされ、シンは唇を突き出しそっぽを向いた。その時彼は、つい先程包みを渡した老人が道端で手紙を読んでいる事に気づいた。老人は目を見開き驚きと同情を滲ませた表情を浮かべ歩く彼らの背中を見た。そしてシンと目が合うなり慌てて歩き去った。
 「あ、チャイムが鳴ってる。シン、急ごう」
 キアに急かされシンは仕方なく走り出したが、老人の表情が忘れられなかった。
 
 
 昼休み。ぼくとシン、そしてリクはお弁当をかき込んで食べると誰よりも早く図書室へ向かった。とは言ってもこの学校の生徒はみんなアクティブな性格なので、休み時間にわざわざ図書館へくるような奴は一人もいない。
それでも扉を勢いよく開けると、風に乗って古書の黴臭いような不思議な香りが鼻を刺激する。壁一面を覆い尽くす本の森。そう、まさにそこはこんな田舎の辺鄙な小学校が所有するには相応しくない程の莫大な量の本を収めた、広大な森のような図書室だった。シン曰くこの島唯一の図書館が老朽化した際に処分される予定だった書物が寄贈され、更にはハゲ校長が毎年わざわざ本州まで行って予算を命一杯使って本を購入してくるそうだ。
お蔭でぼくらは本の森に迷い込んだ羽虫のように、天井まで届くような巨大な棚に一部の隙間もなく詰め込まれた背表紙たちを見上げ彷徨った。
 「ジャンルは一切問わないよ。何か時計台を直すのに役立つ情報やヒントになりそうな文言があれば、すぐに教えて」
 と本棚の影に隠れる二人に向かって声をかけた。
 「なーそれって漫画でもいいんさ?」
 「うち、児童文学のコーナー探しちょるよ」
 「いいんだよ」
 気になるタイトルの本を次々本棚から抜いていきながらぼくも答えた。
 「人間が想像できる事は、大概が実現できるものって父さんが言ってたから」
 理屈はわからないけど、何となく納得してしまうその言葉をぼくは割と気に入っている。だって大昔の人は自分たちが空を飛ぶなんて想像できなかったから、きっとどうすれば飛べるかを考えようともしなかった。だけど必要な手段を明確にした結果、ぼくらは自由に空の旅を楽しめるようになったんだから。と言ってもお金がない事には始まらないけどさ。
 だからちょっと突拍子もないかもしれないけど、ぼくらは何の力もない小学生三人がどうやったら大金を手に入れて時計台の修理できるか考えた。漫画でも児童文学でも、誰かの想像と妄想の結晶から何かヒントを得られるかもしれないと思って。
 それにしてもこんなに沢山の本があるのに、他の生徒は見向きもしないなんて。時間には限りがある。配分を決めるのは各々の自由だけど、効率よく色々な事を吸収するのに読書っていう手段はとても有効だと思うんだ。
 机に本を広げながらぼくは考えた。父さんは新しい街に着くと必ず図書館を探しては、ぼくを連れて行ってくれた。公共の施設だから雨風も凌げるし何時間でも居座れるからだったかもしれないけど。そこで様々な本を引っ張り出してきてはぼくに読み聞かせてくれた。ジャンルは様々。推理小説から児童文学、偉人伝にエッセイ集にファッション雑誌。たまに本がない時は即席で物語を作って聞かせるものだから、柄にもなくぼくは読書が大好きになってしまった。
 …でも、この先ぼくが大人になったとしてもきっと真っ当な職業に就けない。いくら本が好きでも。いくら一人でも生きていける程度に鍛えられていたとしても、シンやリクたちのようにはなれない。
 学校だって本来なら登校できる身分でもない。こっそりシンのお母さんに聞き出したら、校長のご厚意でって事で済まされている。室伏先生もそれをわかった上でぼくに授業を受けさせてくれている。
でも。ぼくは、いつまでこんな風に他人の善意を食い物にして生きていかなくちゃいけないんだろう。与えられるのを待つしかできないなんて、辛過ぎた。あのブランコに乗った時のように、自分の力で空へもっともっと高くまで飛んでいけるくらい。そのぐらいの力を手に入れたい。
 じゃないとぼくは…きっと、いつかシンやリクたちと一緒に過ごしたこの思い出に対しても嫉妬してしまうような気がした。
 「何これ」
 ページをめくっていると間から一枚の用紙が小さく折られた状態で挟まっている事に気づいた。
 「だーしたぁ?」
 「おっしゃぁ! へそくりか!」
 ぼくの声に気づいた二人がそれぞれに叫びながら飛んできた。シンに至ってはどうしてへそくりなんて発想になったかはよくわからないけど。もしかして彼の家のへそくりは案外こういった感じで隠されているのだろう。そして隠した本人は得意満面でも、子どもにバレているって訳か。
 「違うよ。これ…チケットだよ」
 明らかに落胆しているシンを放ってぼくとリクはチケットの皺を伸ばした。
 「…半券かのぅ?」
 小首を傾げるリクの言う通り、それはサーカスのチケットの半券だった。しかも日付は十年近く前のもの。公演場所はTokyo。誰かが栞代わりに挟んで使っていたのだろう。ちょうど本のタイトルも「サーカス」だった。
 「…このサーカス団『Aperitif』って結構世界的に有名で、なかなかチケットもとれないって聞いた」
 「あぺ? あぺぺ? ん?」
 舌が回らず自分の発音に再び首を傾げるリク。何となくその飾らない反応が可愛かった。
 「ア・ぺ・リ・ティ・ㇷ。フランス語で食前酒の意味。確か団長がとんでもない酒好きだとか何とか…父さんが言っていたなぁ」
 「何じゃ、キアの父ちゃんと知り合いなんかさー?」
 「まさか。そんな偉い人と社会のヒエラルキード底辺の父さんが知り合いの訳ないでしょ。きっと適当に噂を聞いたんじゃないの」
 その時ぼくは、こんな風に否定しておきながら何となく胸がざわつくような違和感を覚えていた。でもだからと言って、何が気になったのかもよくわからない。取り敢えず休み時間終了を告げる予鈴のチャイムが鳴ったので、ぼくはチケットの半券を無意識にポケットに突っ込み本を借りる手続きを済ませた。
 
 
 放課後、シンは母親の言いつけを守りキアを連れてリクの母親が経営する島唯一のバーへと向かった。
 そこは海岸線の防潮林として埋められた松の間にポツンと佇む小さな建物だった。店舗兼住宅となっており、主に一階部で営業を行い二階が居宅スペースと分けられている。台所が一階の店舗にしかない為普段からリクもバーには顔を出していた。
 白い外壁に不釣り合いな紫色に染められたバーの扉には「準備中」の札がかけられている。シンは慣れた様子で扉を開けた。
 「リクの母ちゃ~。連れてきよったさー」
 「ただいまー」
 シンとリクの声が同時に重なる。
 店内は灯りがついていて明るいが、壁紙から調度品に至るがすべて黒と紫色に統一されている為、急に視界が暗転したかのような錯覚に陥ってしまう。
 「あららぁ…初めて見る男前がきたわねぇ」
 カウンター席に座りマニキュアを塗り直していた女性が振り返った。服装からメイクに至るまですべて紫色に統一されており、一見して占い師のようにも見える。一つ違うと言えば占い師には不要な色香が惜しみなく溢れている点である。
 リクの母親の迫力に圧倒されそうになっているキアの腕を引っ張り、シンはカウンター席によじ登り腰を据えた。そして母親から託された紙袋をテーブルに乗せた。
 「うちの母ちゃがここに置いちょれってさー。キアたちの挨拶品じゃけぇ、店にきよった連中に渡しといてくれんさ?」
 「ふぅん。ゆかりちゃんもマメよねぇ」
 シンから中身のお菓子を受け取りリクの母親は小さく息を吐いた。
 「リク、ランドセル片づけたらジュース持っておいで」
 店舗の奥にある階段に向かって声をかけた。壁紙も薄いらしくパタパタ動くリクの足音と共に「はーい」と元気のいい返事も聞こえた。
 「ほれ、キアも座っちょれ」
 居心地悪そうに佇んだままのキアに向かってシンは手招きをして呼んだ。
 「そうよ。初めてなんだから遠慮しないで」
 キアの為に席を空けると、リクの母親はカウンターの向こうに移動した。
 「…ありがとうございます」
 「ねぇ、歳はいくつ?」
 するめとチーズを出すと奥からグレープジュースを注いだコップを持ってリクがきた。
 「お母ちゃん、人に年齢さ聞くなゆうちょる癖にー」
 リクは不満げに母親を一瞥するとジュースをカウンター席に座る二人の前に置いた。
「大人は狡猾だからね。ある程度の年齢を重ねたら、歳と人柄を比較して見定められるの。だから大人は歳を秘密にしたがるのよ」
 クックックと色香漂う外見とは不似合いな笑い声を漏らすと、リクの母親は手元のグラスにも紫色のお酒を注いだ。
 「あのリクのお母さんも島の人ではないんですか?」
 それまで気になっていのか話題が一区切りついたところでキアが尋ねた。
 「そうよぉ。もう十年以上島にいるくせに、なかなか喋り方まで直せないのよね」
 お酒を一口飲みふぅと妙に色っぽい吐息を出すと、リクの母親は朗らかに答えた。
 「うちのお母ちゃんさ、神様のお告げでこの島までやってきよった変人じゃさ」
 「常に白装束のアンタに言われたかないわ」
 こつんとリクの頭を小突くとニヤリと笑いキアを見詰めた。
 「ちょっと占ってあげるわ」
 「…え? ぼくですか?」
 唐突な申し出にやや驚いた反応を示したが、キアは素直に応じた。
 「趣味で始めた占いも十数年やり続けたら、何かしら見えてくるものなのよね」
 そういうとリクの母親は棚から大人の掌大くらいはある、大きな水晶玉を取り出しキアの目の前に置いた。深呼吸を繰り返し水晶玉に両手を翳す。
 「何が知りたいかしらねぇ。好きな子との未来でもいいし、自分の将来についてでもいいわ」
 ちょうど彼らの年頃が気になりそうな悩みを選んで尋ねたが、キアは返答にしばし間を置いて困ったように首を振った。
 「好きな子はいないですし、先の事も…考えた所でって思っちゃうんです。その、ぼくの家は色々と複雑なので」
 「……」
 それを聞いてシンはキアが実際は、浮浪者の父親とあてのない漂流の旅を続けている事を思い出した。その時にキアは自分の将来を考えると発狂したくなるとも言っていた。それくらい毎日が不安定で、頼りなく流されるがままの人生を歩いているからと嘆いていた。
 シンやリクが当然のように思い描く、ある程度理想化された未来というものが一切ないキア。冗談交じりに茶化して話してくれたものの、自分が行きつく先も見えないというのはいか程に不安だろうか。
 「リクの母ちゃ、キアが幸せになりよるか占ってやってーさー」
 彼がこの先どのような道を歩んで行ったとしても、それを応援できたら。そう思いシンはリクの母親にリクエストした。
 「…幸せ…」
 水晶玉に両手を翳しながらリクの母親は真剣な表情でその中身を覗いた。
 「―――暗い…テントの中に咲き誇る一輪の花が見えるわ…。とても寂しくて…大切な者を自らの手で切り離してしまった…。けれど大丈夫。貴方は再び会える。失ってしまうものは大きいけれど、代わりに得るその代償は決して安いものではない」
 抽象的な表現が目立ったが、一筋の光明を見出せたように思えシンはほっと胸を撫で下ろした。そして呆然と水晶玉を見詰めるキアの肩に触れて安心させた。
 「大丈夫さー」
 「……」
 キアは一瞬減らず口を叩こうとしたのだろう。口元を歪めたが、すぐにリクの母親の存在を思い出し笑顔で頷いて見せた。
 「そうよ。占いでわかる未来が必ずそうかと言えば、変わっていくものなんだから」
 水晶玉を片づけお酒を飲むと、リクの母親は太くて重い溜息を漏らした。
 「私だってまだ純粋無垢で、まさに夢に夢を厚塗りして重ねて見まくっていたフリルとかレースが似合ちゃうような乙女だった頃…。あの運命の出会いがすべての始まりだったわ」
その語り口上を聞いてシンとリクは互いに目配せを交わした。これから始まる彼女の身の上話は耳にタコができるくらい聞かされている。始まってしまえば最後、いかに自分が涙なくしては生きられない壮絶な人生経験の末にこの島に辿り着いたか。聞き手が感動しない限り放してはくれなくなるのだ。
 「よーしぃ、天気がいいけぇ海さ行くさー」
 まずシンがキアの腕を引っ張り椅子から下す。せっかく捕えかけた獲物を奪われまいと、リクの母親がカウンターから身を乗り出そうとしたその隙を狙い
 「あー! お母ちゃんの後ろにGさー!」
 とリクが叫んだ。途端にリクの母親は飛び上がり、それまでの惜しみなく放っていた色気などをかなぐり捨てた形相で店内を走り回って暴れた。
 「え、ちょっと!」
 完璧なシンとリクの連携プレーについていけず、呆然とするキアの腕を二人で引っ張り店外に連れ出す。そして三人はバーを飛び出し海辺まで走って逃げた。
 
 
 突然バーから連れ出されて海にきたものの、一体どういう事なのか把握できずぼくは戸惑った。こんな立ち去り方をしたら折角頑張って好印象を与えようとしていた演技が全部無駄になってしまう。
 「ねぇ! どういうこと?」
 呼吸を整えながら二人に尋ねると、早くもシンが服を脱ぎつつ答えた。
 「要はさー占いにはまったオバちゃが好いた男を追ってきよったーてだけの話さー」
 「アレが始まりよったら終わらんさもん」
リクもワンピースの裾を縛って靴を脱ぎ始めた。どうやらぼくを連れ出す言い訳と思った海水浴は本気だったらしい。気がつけばぼくもズボン一枚になって海に飛び込んでいた。
もう嫌ってくらい海上を漂い時に素潜りをして過ごした場所だけど、どういう訳かとんでなく楽しかった。
「なかなか泳げるんじゃのー」
シンの後を追って岸からだいぶ離れた所まで泳ぐと、見直したとばかりに褒められた。海辺ではリクが集めた貝殻を海水で洗っている。白浜に彼女の綺麗な黒髪が映えて、どういう訳かそこだけ輝いて見えた。
 ちょっと変わり者の母親だったけど、親子揃って美人だ。
 「リクのオバちゃ見たさ? 一時は髪の毛も紫色にしちょったんさー」
 波の上に浮かび空を見上げながらシンが語り出した。
 「それって何かのおまじない?」
 確か占い好きとか言っていたリクの説明を思い出しぼくは尋ねた。
 「そじゃ。リクのホレ、あの白装束も同じじゃ。ゆーちょれば願掛けさー。オヤジが無事に帰っちょくるまで続けるゆーちょるさ」
 シンの言葉にぼくは今一度岸で遊ぶリクを見た。
 「俺もいきなりリクがそがぁ事やり出しよった時はトチ狂っちょる思うたさ」
 波が岸に押し寄せる度にキラキラと飛び散る水飛沫がリクの笑顔に光を添える。今日の彼女は白いワンピースを着ていて、ぼくは単に白色が好きなだけだと解釈していた。
 「何かに縋らんとまともな振りもできんのじゃ」
 そんなシンの言葉がやけに重く心に圧し掛かった。精霊だの神だの何かと変な事ばかり言う変わり者だとばかり思っていた。けれどそれは彼女の言葉にできない想いの表れだったんだ。
 出会って間もないぼくに、そんな他人の深層心理なんてわかる訳もない。シンとリクはむかしからの仲だし、何よりも共に父親が行方不明っていう強い繋がりがある。同じ年だし来年には隣の島の中学校に通うんだと聞いた。そんな目の前に迫る将来まで、一緒にいれると約束もできないぼく。
 「ん? だーしたぁ、キア」
 呑気に波間を漂いながらこちらに笑いかけてくるシンを直視できなくて、ぼくは海中に潜った。もはや手馴れて磨きがかかった潜水技術を屈指して海底近くまで一気に沈む。太平洋に囲まれたここらの海は抜群の透明度を保っていて、目の前を色鮮やかな魚たちが優雅に泳いでいく。
 例えぼくに学歴なんてなかったとしても、漁師になればこの島で暮らしていけるだろうか。頭上から注ぎ込む光のグラデーションが透明なカーテンのようにゆらゆらと揺れる。そんな幻想的な光景を眺めながら、ぼくは柄にもなく将来について考えてしまう自分がひどく嫌だと思った。
 どう足掻いても今の生活から抜け出せない。何よりも父さんを見捨てたくない。曲がりなりにもぼくを男手ひとつで育ててくれた人だし、そろそろ歳だ。
 自分の将来を考える暇があれば、今日を生き抜き明日、何回食事ができるか。その手立てを考えなければいけないぼく。暖かい布団もぼろっちいけど、友だちのいる学び舎と三食が約束されたシンたち。たまたまこうして交差しただけで、ぼくらの人生がこのまま並行して一直線に続くだなんて。考えたらいけないんだ。
 わかりきった事を何度も自分に言い聞かせて。ぼくは自分の心の中に湧き上がったどす黒い感情を完全に隠し通せる自信がつくまで。と言うか、息が続く間ずっと海の中に潜ってついでに海藻を採ってなかなかシンたちの元に戻らなかった言い訳に使った。
 その日の晩は大量に採った海藻がふんだんに使われたご馳走が振る舞われた。
 「遠慮はいらんさー! キアくんが採ってきよったんしさ」
 海藻サラダに始まり掻き揚げに、刺身。お吸い物と和え物。食物繊維とミネラルたっぷりの夕食を残さず頂くと、ぼくは父さんに誘われて二人で散歩に出た。本当はシンもきたがっていたけど、食後にテレビばかり見て宿題を終わらせられなかったからシンのお母さんに怒られて離してもらえなかったんだ。
 街灯がほとんどない島の道だったけれど、明るい月が夜道を照らしてくれるのでぼくらはぶらぶらと歩いた。
 「いやぁ、今日の晩御飯は実に便秘にききそうなメニューだったよ」
 「よかったね」
 誘われるがままについてきたけど、父さんとの会話は全然弾まない。気がつけばぼくらは互いに、自分の影を見詰めて黙々と歩いていた。
 「時計台を直すんだってシンから聞いたよ」
 何の脈絡もなしに突然父さんは語りだした。
 「キアが手伝うと言ってくれて嬉しかったってね」
 「…具体的には何も決まっていないし、子どもが数人集まったところで…って感じだし」
 完全にそれは八つ当たりだった。ぼくにないものを持ったシンたちが羨ましいんだ。ぼくには父親がいる。ただそれだけが、二人に対して優位に立てる切り札のように考えている自分。最高に惨めで情けなさ過ぎる。
 「んー…Imajination…いや、違う」
 何かゴニョゴニョ独り言をぼやいてから父さんは突然立ち止まった。
 「あぁ、これだ。『Take time to deliberate, but when the time for action cames,stop thinking and go in.』だよ、キア。今は問題の前に立ったばかり。行動する時がくるまで、考えたらいいのさ」
 ぼくの記憶が正しければそれはフランス皇帝ナポレオンの格言だ。―――だけど、ぼくが悩みの大本の原因は父さんの適当過ぎる人生に巻き込まれている事にある。それをじっくり(ぼくが)考えて、チャンスがきたら(ぼくが)動けって感じの事を言われてもちっとも心に響かない。
 そうなんだけど、だけど。ぼくが一人で燻っているのを察し、偉人の格言まで出して励まそうとしてくれる父さんの滑り具合が何とも言えない笑いを誘った。
 「…カッコつけ過ぎて逆にカッコ悪いよ」
 「それはないよキア! 折角親子水入らずの時間なんだから、もっときみの悩みを父さんに打ち明けてくれたらいいんだよ」
 「悪いけど、父さんに相談したところでって話だからさ。力になりたいんだったら、さっさと稼いできてよね。何事にも先立つものがいるんだし」
 せびったところで出る筈もないけどね。少しすっきりしたところでポケットに手を入れ、すっかり忘れていたあの半券を取り出した。
 「なんだい、これは」
 月明かりに照らされるサーカスのチケットを覗き込む父さん。たまたま見つけた経緯を説明すると、ぼくは父さんに尋ねた。
 「前、ここの団長は酒好きって話してたね。アペリティフのショーを見た事はあるの?」
 「…あぁ」
 しばらく沈黙してから父さんは小さく頷いた。そして磯の香りを運んでくる夜風を受け止め、静かに瞼を閉ざすと鼓膜に残るかつての光景を思い起こすかのように語りだした。
 「随分むかしの話さ。ぼくが人生で初めて見たサーカスだった。とても…あの感動を余すことなく伝えるには、言葉が足りない」
 珍しく茶化しもせずに真剣に語るものだから、ぼくは思わず足を止めて聞き入った。
 「その頃はまだ団員も少なくてね。今でこそ世界的に活躍をするようになったけど…」
 ゆっくりと瞼を開き夜空を見上げ、父さんはそのまま口を堅く閉ざした。それ以上追及できない雰囲気を作り笑顔で話題を変えた。
 「そうだ。ぼくもキアたちの役に立ちたくて調べてみたんだよ!」
 ポンッと手を叩いて大袈裟なリアクションを加え、目をキラキラさせる父さんはもう既に普段の道化に戻っていた。
 「『のっぺらぼう』っていう爺さんを探してごらん。彼は長く島の時計台の修理に携わっていたらしいよ」
 「のっぺらぼう? …変わった名前だね」
 「いや、実はぼくらが理解できていないだけで、その名前に秘められた意味は奥深いかもしれないよ。何せ日本人は侘び寂びの美学を持っているからね」
 日本人の美的センスについて語る父さんの話を聞き流しながら、ぼくはポケットの中に戻したあのチケットについて考えた。父さんが初めて見たというサーカス。でもそれだけで、あんな複雑な表情をするものだろうか?
 家に戻ると宿題を終えたシンは先にお風呂に入っていた。ぼくは彼の部屋で今日借りてきた本を読んだ。誰もいないので日本語の練習がてら朗読する事にした。
 「幾時代かがありまして 茶色い戦争がありました」
 サーカスの華やかな雰囲気とは大きくかけ離れた暗く重たい響き。それでもぼくは何かに惹き込まれる感覚を味わいながら読んだ。
 「…落下傘奴のノスタルジアと ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」
 朗読を終えて静かに息を吐くぼくは瞑目し詩の中に垣間見た世界を想像してみた。
 木綿の屋根に安いリボンが宙を舞い、地上には鰯となった大勢の観客が詰めかけている。ブランコ乗りが手を離す度に喉を鳴らして歓声が上がる―――そこに、父さんがいた。
 ドーランを塗りたくった白い顔にただ一粒の涙を描く。観客の笑いを誘うクラウンたちに紛れ、背の高い金髪のピエロはジャグリングをしていた。
 実際にサーカスを見た事はないけれど、ピエロが持つただ一つの意味はよく知っていた。目元に描かれた涙が示す、悲しみを表す者という役割。
 何故だろう。ぼくはそんなピエロに父さんを想い重ねてしまう。さっきだってお金がないのにアイスを買おうとごねる父さんを、無理やり連れて帰ってきたのに。アレが表す悲しみなんて、きっと子どもが泣く程度のものだ。
 「おー、帰っちょったかさー」
 風呂上がりのシンが頭をタオルで拭きながらやってきた。
 「今、キアの父ちゃが入っちょるさー」
 こうして毎日風呂かシャワーを浴びれるなんて、ありがたくて涙が出そうだ。父さんの次に入ろうと決めてからぼくは、散歩中に聞いた「のっぺらぼう」について尋ねた。
 「の…っのっぺら、さー?」
 結果はご覧のとおり物凄く困ったような嫌がっているリアクションが返ってきた。こうしてぼくらを家に置いてくれている事実からもわかるように、シンたち一家は懐が広い。悪く言えば鈍感で細かい所は全然気にしない類なのに、そんな彼がこんな微妙過ぎる反応をするなんて意外だった。
 「そじゃのぉ…行かんといけんさーなぁ」
 と言いながら目は宙を泳いで必死に行かなくていい言い訳を考えているように見えた。
 「どうしたんだよ。らしくないね。化け物に会いに行く訳じゃあるまいし、少しビビり過ぎだとは思わない?」
 「…じゃが…のっぺらのジジィは苦手なんじゃさ。わーちょる! 学校帰りに行くさー」
 短く刈り上げた頭をガリガリと掻き毟るとシンは不機嫌そうに叫び、既に敷いてあった布団の中に潜り込んだ。
 「勝手に自己完結して怒るなよ。こっちは何も事情を知らないんだ。嫌がるなら理由くらい説明するってのが筋だろ」
 頭の先までタオルケットに包まるシンを揺さぶり説明を求めると、ミノムシ状態のまま返事がきた。
 「のっぺは如月の兄ちゃの父親じゃ。親子揃って嫌味な奴じゃー俺は好かんさー」
 「如月?」
 今朝会ったポストマンの名前だったけれどシンはぼくの質問は無視して続けた。
 「父ちゃの船さー行方不明なっちょった時も、いつまでも自分たちの税金使ちょって探しさーするも見つからんさ。金の無駄遣いさー言うちょった」
 いくら何でもそれはひどい言い草だとぼくでさえ思った。同時に如月親の方まで印象は会う前から最低ランクに決定した。
 「そんな低俗な奴ら、会わなくていいよっ」
 ムカムカとして気分が悪い。滞在中くらいは大人しくしておこうと決めていたけど、そんな奴に会ったらとんでもない暴言が口を突いて出てきそうだ。
 「…言うちょる事さ、逆転しちょるさ」
 シンはようやく顔を出すとぼくを見上げ笑ってくれた。確かに最初と主張が変わっていると気づき、ぼくも吹き出してしまった。そうしてお互いに笑いがある程度収まると、シンは布団から起き上がり当時を語り出した。
 「のっぺらの言うちょる事もわかるんさ。元はと言えば父ちゃらが原因じゃさー…」
 嵐の海に仲間の制止も聞かずに漁に出て行方不明。しかしその日に船を出さなければならない理由があったそうだ。
 「そん時期しかごねぇグダっつー魚がおるんさ。なっかなか儲かる魚じゃけー父ちゃたちも簡単に引き下がれんかったんさ」
 と言うのも船員たちがそれぞれに、どうしてもまとまった金が必要としていたからだ。初孫の出産祝いやら、息子の結婚式の費用の捻出。老いた両親を本州の介護施設に預ける為やら何やらと。偶然にも船員たちは、非常に金銭的に追い詰められていたのだ。
 「父ちゃらも、わかっちょるけー…何とかしてやりたい思うたんさ」
 胡坐をかいた上でずっと持て余していた指の動きを止めて、シンはそのまま言葉を飲み込んだ。
 俯いた彼の目元には涙はない。けれど思い詰めたように手元を見るその眼差しは、普段のシンからは想像もつかないような悲しみを抱いているように見えた。
 ―――ピエロだ。
 悲しみを表す者。普段は明るく悩みなんて一切ないようなシンが、こうして胸の奥に秘めていた想いを語っている。ぼくには見えなかっただけで、その目元にはいつも一滴の涙が描かれていたのだ。
 「明日、のっぺらのジジィんとこさ行くさ」
 無理やりとも言えなくないシンの笑顔に、ぼくは胸の閊えを感じながらも頷いた。
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