夢に楽土 求めたり

青海汪

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第十五話 生贄を求める玉座

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 イザナム王カミヨの死と連合軍を派遣する三国とオボマ国の開戦は、即座に国中に知れ渡った。
 例に漏れずビィシリ村も一日喪に服すこととなった。だが王が亡くなったとは言え戦争を遅らせる訳にもいかず朝早く家の戸を叩いて訪れたマメリから、予定通りクラミチ率いる第一部隊は戦地へ向かって出発したと聞いたマキヒはただ沈黙した。
 世界が深い悲しみに溺れていくような気がした。
 歴史の通りにイザナム王は戦いの最中で亡くなり、そして戸籍箱が開かれウリが新たな指導者となるのだろう。
(あいつが……王になるんだよな…)
日を追うごとに思い出していく過去の記憶。政府に改竄される前のことも、おぼろげながら蘇ってきた。
シルパの母エディックは勉強熱心な女性だった。特に歴史に関心が強く幼い彼に子守唄の代わりに史実を説くぐらいだ。そんな記憶の片鱗を手に入れるたびに、アタカは自分の中で『シルパ』と『アタカ』が融合していくのを感じた。同時に以前よりも一層、自分がこの時代にいるはずのない時空の異邦人なのだと認識させられた。
「でさ、こんな噂があるんだけどね」
ぺちゃくちゃとお喋りを続けるマメリ。戸を開けたまま立ち話をするので、暖炉の前に座り干し肉を削っていたアタカとイチタは外から入ってくる冷たい風に鳥肌を立てながら、それとなくマキヒの様子を確かめあった。
「王様は暗殺されたんじゃないかってさ。誰に? そりゃあ決まってるでしょ。次期王位を狙う輩が妥当なところよ。あーでもカミヨ様には御子がいないからね。次、イザナム王になる子あたりが怪しいんじゃないの」
「!」
無責任な発想に思わず肉を床に投げつけマメリを殴りたくなった。
なにも知らない癖に勝手な言葉を吐き捨てる彼女に、反論しようと立ち上がったアタカをイチタが引き止めた。
青い瞳でじっとアタカを見詰め、軽く首を横に振った。なにを言っても無駄だと言いたかったのかもしれない。例えマメリ一人でも納得させたところで、蔓延している噂は消えてくれない。戦争が始まり自国もそれに参加している。そして突然の国王の死が人々の不安と恐怖を掻き立てているのだとわかっている。
だけど、だからと言ってウリの人格そのものも否定して欲しくなかった。
長い立ち話を終えてようやくマキヒは戸を閉めた。虚ろな顔はここ数日寝ていないのか、大きな隈ができている。
「イチタ、悪いけどお水ちょうだい」
おぼつかない足取りで椅子まで移動すると呻くように呟いた。
すぐさまイチタが水瓶から水を汲んで差し出す。見えない両の目でイチタを捉え弱々しく微笑むと、マキヒは一気に中身を飲み干した。
「だいたいのことは知っているんだろうね」
虚空に向って視線を彷徨わせながら誰ともなしに問いかける。咄嗟にウリとユサのことだと直感し黙り込むアタカに代わってイチタが応えた。
「ウリが暗殺とかする訳ないでしょ」
「そんなの当たり前よ」
力なく顔の前で手を振った。
「だけど毒を運んだ侍女はその場で自害して謀者がまったくわからないんだって。そんな状態で戦争なんて始まっちゃって…」
なにも映していないはずのマキヒの瞳にクラミチが見えた。戦地に赴き必死に戦う彼を想って涙を堪えているのだ。
「……」
かける言葉がなかった。今のマキヒは、あの時のシルパと同じだ。
大切な人が戦争へいってしまった。命懸けで故郷の為に闘っている。そこでは正義とか常識とか一切関係なく、ただ向ってくる敵を打ち倒して身を守って生き抜くしかない。
 生半可な慰めなんて必要とされていない。絶対と言う高確率でクラミチが生きて戻ってくる保証はどこにもないのだから。
 干し肉を持つ手を眺め溜息を洩らした。
 一日に何度か体が透けて見える時がある。その度にタイムリミットがきたのかと、心臓が鷲掴みにされるような恐怖を味わってきたが、今のところまだ肉体はこの時代にとどまっている。
 (俺は…いつまで、ここにいれるんだろう)
 エディックが設定したある条件さえわかれば元の世界に無事戻れるかもしれない。だがいくら記憶を取り戻しても、なにが作用してトラベリングできたのか皆目見当もつかなかった。
 「また見てる…」
 ぶすっと押し殺した声でイチタがぼやく。彼もアタカの体の一部が透ける瞬間を目撃したことがあるので、大方の事情を察した様子で頬を膨らませた。
 「まだ借金返してないでしょぉ。利子だって膨れていってるんだからね」
 彼らしい労わり方だった。貸して欲しいとも言った覚えもない借金だったが、イチタから持たされた五十ワルペはそっくりそのままアタカのポケットにしまわれている。
 (それに……ユサから、絵をもらってないしな)
 ユサ―――
その名前を口にするだけで胸が苦しく、甘酸っぱい感情でいっぱいになってしまう。あれから元気で過ごしているのだろうか。慣れない城で不自由はないか。会えない分だけ想いは募る。
あの日とうとうチノリコ村へ辿り着くことはできなかったけれど、それでも、絵をもらうまでは決して離れることはできないと自分に言い聞かせていた。
 約束した。いつか必ず、彼女の手から受け取ることを。もしかしたらその時が最後になるかもしれないけれど、アタカは脳裏に蘇るユサの笑顔を胸に焼きつけ寂しさを紛らわせた。
 彼女と引き離される間際までつないでいた左手を握り締め、明るく笑いながらマキヒを見上げる。
 「なぁマキヒ。俺を拾った時、どんな気持ちだった? 嬉しかった?」
 「藪から棒な質問ねぇ。嬉しくない訳がないでしょ」
 元気を取り戻そうとスンッと鼻を啜りながら
「竹藪の中を歩いていたらどこからか音楽が聞こえてきたんだよ。ちょっと切なくなるような音調でね…今思えば、それがなかったらあんたを見つけることもできなかったんだよ」
 「音楽が? どうして?」
 「どうしてって、見えない人に聞いてどうするの」
 尤もな意見に頷くしかなかった。
 「あぁ、だけど…なにかに躓いてこけたのよ。その時あんたの上に乗っかって見つけたんだけど、それと同時に音も止んだわね」
 「コケタ?」
鸚鵡返しに呟き、アタカはハッと閃いた。
「もしかしてその音楽ってこんな感じ?」
 と言って『流浪の民』の曲をメロディだけ歌った。
 二度繰り返し歌うと、マキヒは眉間に皺を寄せながら頷いた。
 「多分…そんな感じだったと思うけどねぇ」
 予想は確信へ近づいた。
 トラベリングをする直前まで手にしていたオルゴール。曲名は時空移動装置を開発したエディックが好んだ『流浪の民』だ。
 (いや…だけど、オルゴールごと飛んできたと考えていいとしてもあの曲が、条件に関係しているってありえるのか?)
 だが塔で行った意識のみのトラベリングと比較しても、オルゴールがなんらかの作用を働かせたのではないかと勘繰ってしまう。
 (手掛かりになるかもしれない…よな)
 無事に元の世界へ戻る為にもヤヌギ族の手を借りなければいけない。だけど彼らが居住地にしている城にはユサがいる。
 その傍らにいるであろうウリのことを思うと、ちょっと前までは彼の名誉の為に憤っていた同じ心を蝕む醜い嫉妬を認めざるを得なかった。
 「さてっと…」
 テーブルに手をかけて立ち上がるマキヒに気づき疑問を投げかける。
 「どこかいくのか?」
 「お使いなら無料でいくけどぉ?」
 綺麗に声が重なったので思わずアタカとイチタは顔を見合わせた。
 先にイチタが笑い出し、つられてアタカも笑う。久しぶりに笑顔が生まれた。
 「フフフ…息ぴったりね」吹き出してから「ちょっと、ジュアン様のところへいってくるわね」
 手探りで壁にかけていた上着を取って袖を通しながら、気遣うような口調で漏らした。
 「子どもを愛せない親なんていないのにねぇ…」
何故かアタカは咄嗟に今の言葉をウリに聞かせてやりたいと思った。
子どもを愛せない親なんていない。確かにその通りかもしれない。記憶を改竄されて塔で暮らしていた頃は、ほとんど家族について考えたことがなかった。むしろ考えることさえ忘れていた。感情を思い出せば死体を背負って訪れる遺族たちの悲しみに溺れてしまいそうで、いつからか人と人とのつながりも疎ましいと思うようになっていった。
だけど回想してみると記憶の端々に母の姿がある。
時にガラスケースの中で不思議な薬液に漬けられていた時もあったけど、エディックは彼を励ますようにケースの前に立ち歌を歌った。苦い薬を飲まされたり点滴や注射、気持ちの悪くなる検査を強要されても後でエディックが慰めてくれた。ベッドに横たわると温かな手が優しくて枯れた心は癒された。
それらすべてが愛情から行われた行為なのだとしたら、ウリはそのうちのどれか一つでも受けることがあったのだろうか。
悲しいことながらきっとなかったに違いない。表現のしかたが違ったとしても、愛に飢えた子どもならどんな些細なものでも過敏に反応しただろう。見た目には満ち足りて裕福な人生を歩むウリも、もしかしたら塔で死体を焼いていた頃の自分と変わらないぐらいに孤独を覚えていたのかもしれない。
「……」
今はなにも巻かれていない左手首を眺め『家族』について考えた。
(どうして…母さんは、死んだんだ?)
イチタの話から父親がフサノリである可能性が高いことはわかった。では何故、同じ研究所に属する二人がこうも相反する思想を持ってしまったのだろう。
歴史を正し未来を変える為にやってきたフサノリ。
装置をつくってしまったもののそれを放棄しようとしたエディック。
 シルパが被験者として身柄を拘束されている以上、開発を自ら放棄することもできない。だから特別な条件をつけて完成させ秘密が漏れないように自らの死を選んだ。
 (だけどどうして…未来がよくなるなら反対する理由なんて……)
 わからない。だが改めて考えてみると、自分はなに一つ『家族』について知らないのだということが妙に重く心に圧しかかった。
 
 
 弔いの鐘が正午からずっと鳴り続けている。窓から望む都の街並みも、眩しいぐらいの晴天で積もっていた雪が溶けているにも関わらず暗く淀んで見えた。
 与えられた青と黒の二色を取り合わせた喪服をまみえ、ユサは人気のない自室にこもってぼんやりと外を眺めていた。
これまで国を治めてきた偉大な王が亡くなったと言うのに、これといった感慨もない。側近の侍女たちはみんな泣き伏せってはいたが、どうしてそこまで感情を自由にすることができるのかと逆に不思議に思えた。
 (一度も会ったことないし…)
 同じ城内に住んでいたものの顔を合わせる機会さえ設けられなかった。恐らく彼女が最低限の行儀作法を身につけてから謁見ぐらいは予定されていたかもしれない。だが、その機会は永遠に失われてしまった。
 葬儀には参加しないように命じられていた。戦が始まったばかりで大臣たちも神経が逆立っているし、なによりも出ていったところで好奇の目にさらされるのは見えている。同じような理由でウリも参加を拒んだと聞いたが、ユサは見ず知らずの王の遺体と対面するぐらいならアタカに会いたい―――と切に願っていた。
 絵を取りに家へ帰りたい。その足でアタカに会いにいきたかったが、今の彼女に自由などない。朝から晩まで勉強に没頭させられ日常の些細な行動まで監視されていた。
あの失踪についてアタカの罪は一切問われなかったらしい。ウリが提言したのかそれともヤヌギ族の配慮かわからないが、軽い処罰でもいいから牢屋に入れられていれば会いにいくこともできたかもしれない。
 ガラスに映る自分の顔が卑屈そうに眉根を寄せていた。
つい見ていられなくなって俯く。
「……わかって…るよ」
わざと言葉に変えて呟いてみる。これが悩んだ上で出した結論なのだとわかっている。けれど、絵を渡すまでは自分の気持ちにも猶予がある気がした。絵を届けるまでは、アタカのことを想っていてもいい。渡したらきっと、すぐに気持ちを入れ替えられる。そうやって自分に言い聞かせて寂しさを紛らわせているのだとわかっていたが、それでも時に堪えられなくてひそかに泣いたこともあった。
 コンッコン…
 誰かが扉を遠慮がちにノックした。
 城に仕える侍女たちならもっと高らかに鳴らし返事を待たずに入ってくるはずだ。彼女らの他にこの部屋を訪ねる人はいない。
 訝しみながら十分に間を置いて
 「……誰?」
と問うた。
 「ユサ? ちょっといいかな」
 懐かしい声に思わず心が躍る。孤独だった心に光が差したように彼女の表情も輝いた。
 だけど同時に罪悪感も蘇る。あの時アタカを選び出ていった自分が、再びこうして彼の元へ戻ってきてしまった。諦めると言いながらも心のどこかではアタカとのつながりを求めている。
 身勝手だとはわかっていても、今も本気で恋をしているのは彼一人だ。
 「突然ごめんね」
 ゆっくりと扉が開き同じように青と黒の喪服を身にまとったウリが、眉毛を八の字に曲げて顔を覗かせた。
 「こんな時に不謹慎だけど、こういう時でもないとゆっくり話ができないから」
 彼の優しさに触れて、申し訳ない気持ちがより一層大きく膨らむ。
 だがウリはそんなユサの気持ちを察してか、優しく微笑んだ。
 「ずっと泣きそうな顔してるんだね」
 「!」
 思いもかけなかった言葉に喉の奥でヒュッと悲鳴が鳴った。
 そんな彼女の反応を確かめてから、それとなく視線を部屋の装飾品に向けて気構えない口調で語り出した。
 「きっとアタカと一緒に考え抜いた答えだと思う。だけど…ぼくらの未来って、本当もう決めつけられているのかな」
 「アタカは…嘘吐いてない!」
つい語調が強くなってしまったがウリは怒らずに頷いた。
 「嘘だとは思っていないよ。ヤヌギ族たちの予言もすべて本当だ。だけど…どうして、滅びると知っているのに道を引き返したらいけないんだろ…。だってそれはぼくらが決めた未来じゃないから、そうしなければいけないって教え込まれた道を辿っているだけのように思うんだ」
 「ど、どういうことか、わからない」
 しかしユサは直感的にウリが言いたいことの核心に気づいていた。
 だがそれはあまりにスケールの大きな言葉で飾られていて、いざ口にしようとすると現実的な問題が直面し怯え体が竦んでしまう。
 「ヤヌギ族たちが望む未来へ向かって、ぼくらは駒のように動かされているのかもしれない」
 ある種の世界征服。いや、時代を変えて未来にまで反映させようとしているのだ。これを征服と形容したところで誰に否定ができるのだろうか。過去を知るからこそ正しい道へ軌道修正をしようとしている。しかし過ちを『過ち』として認める為にもこれまでの経験や培った知識が必要だ。積み上げてきた過程にあるものを否定して、結論だけを振りかざすのは矛盾している。
 「だけど、だけど…アタカは、アタカたちの世界が悲惨なことになっているから、だから」
しどろもどろになりながら必死に弁解をする。彼が助けたいと願った大切な友だちの為にも、一族の目的を正当化しておきたかった。だけどウリが抱いている疑問は尤もだ。未来からきた人間に自分たちの行いが間違っていると指摘され、指導を受けることに違和感を覚えるだろう。本当に正しい方向へ向かっているのか知る由もなく、ただ舵を任せて彼らの言う通りに生きていくだけでは生きている意味そのものも薄れてしまう。
 優秀な船頭に針路を任せ、惰眠を貪ることが正しいとどうして言い切れるのだろうか。
 (でも、私が生きていれば歴史が変わるから―――)
 ヤヌギ族たちは彼女の寿命を延ばす為にこの時代へやってきた。自分が生き延びればアタカたちの世界にも平穏が訪れる。互いに生きて欲しいから、別れを決断したのに、今さら後悔を煽るようなことをして欲しくなかった。
 「あ、ごめん…! ぼくも、ちょっと気が張ってたんだ。こんな話をする為にきたんじゃないのにね」
 彼女の表情に気づき戸惑い気味に頭を掻く。
 その様子からは先ほどまでの緊迫した雰囲気が完全に息をひそめ、いつものウリに戻っていた。
 「この部屋…ぼくのお母様が以前に使っていた部屋なんだ」
 切なげに目を細めて紡ぐ。それから彼は、前王の側室だった母とかつて恋人同士だった父について語り始めた。
 抑えた口調だったけれど二人のことを話すウリはとても幸せそうに顔を緩ませた。特に外交官として働く父モロトミの名前が出るとその瞳は輝きを発した。これまで断片的にだが思い出せる記憶の中で、ウリがこうして嬉しげに家族のことを語ったことはなかった。むしろいつも悲しげに目を伏せて泣きたいのを堪えているような顔をしていた。
 ―――家族と決別したのだと、直感した。
 「今日の夜に…戸籍箱が開かれる。月の間に閉じこもっていらっしゃった国記官と、大后妃殿下もおいでになられてたくさんの証人の中で箱の封印が解かれるんだ」
 「ウリは王になるの?」
 下手くそなつくり笑いを浮かべ
「ぼくが前王の子どもならそうなるね」
と明るく言う。
 「近いうちに東国から使いがくるよ。ユサの身元を明かして…アマテル王の使者と面談をしてもらうことになる」
 「戦争、しているのに…使者がくるの?」
まさに始まったばかりだというのに、なんと悠長なことをするのだろうと驚いた。
 「……戦争にいくのは、限られた人たちだけだよ」
 彼女の当惑を察し答えた。
 「この戦いはきっと三国の大勝利に終わる。ヤヌギ族たちが開発に携わった新兵器が勝敗を大きく分けるよ。だけど…同時にこの戦いは北を窮地に追いやることになるかもしれない」
 
 
 ユサは小首を傾げてウリの話に聞き入った。
 疑問符を浮かべているようにも見える態度だったが、彼女の瞳に知性の閃きが宿る瞬間を見逃さなかった。
 (彼女は直感的にすべてを感じ取るのかもしれない…)
 「新兵器を使い勝利を収めることで、ヤヌギ族たちの力のすごさを東国と南国に見せつけることになる。このまま彼らに依存して…いつ、その存在が国家の脅威に変わるかわからないのに…」
 「アタカたちはこの国をいい方へ導いて、いる。今までも、これからもずっと」
 「だけどヤヌギ族はいつか元の世界へ戻るかもしれない。彼らに頼りきって執政していれば、たちまち国家の機能は麻痺してしまう」
 ただヤヌギ族を非難しているだけではないとわかって欲しくて、ウリは更に言葉を紡いだ。
 「彼らの助けがあったからここまでこれた。予言のお陰だよ。だけど、これからは自分たちの力で未来を切り開いていく覚悟が必要だって思うんだ」
 項垂れるユサを見て胸がざわめく。王位継承者としてこの国の未来を思えば、どんなにアタカと言う素晴らしい友だちがいたとしてもこんな風にしか言葉を飾れない。国を思えばこそ自立しなければいけない。
 友だちを疑うつもりはなくても考えてしまう。アタカは自分たち一族が未来からきた住人だと言ったけれど、一族の目的について一切教えてくれなかった。
 (言えないのは理由があったからだ…)
 時を越えてやってきた人々。きっとその目的は歴史を変える為だろう。先ほどの口ぶりからユサも理由を知り得ている様子だったが、彼女も敢えて沈黙を守っている。
 沈黙は二人なりの優しさだと知っている。口にするのも憚るような未来が待っているのなら、余計に自分の決断に自信を持たなければいけなかった。後に、後悔することがないように。
 唇を一文字に噛み締め苦悶の表情を浮かべる彼女を見ていると、やり場のない愛しさが波のように押し寄せてきた。もう二度と会えなくなると覚悟していたのに、どうして彼女たちは戻ってきたのだろうか。
 直接聞いたこともない。失踪以来、初めて顔を合わせたのだから。
 (けれどユサはまだアタカのことを好いている…)
 むしろ離れてしまったことで一層その想いは強くなったのではないかと感じる。
 今も彼女の心の中を占めるのはただ一人なのだと思うと、やはり身の捩れるような切なさと悔しさが入り混じった複雑な気持ちが抑えつけていた蓋を持ち上げ溢れてくる。
 「…若い頃お母様とお父様は恋人同士だった。けれど先の王様がお母様を気に入って、権力で二人の仲を引き裂いた。今でもお母様はお父様のことを慕われているけど、想いは一方通行のままなんだ」
 カミヨの遺体を乗せた列が大聖堂へ向かって行進していくさまを、窓越しに眺めたウリはそこで初めて涙を流すモロトミの姿を捉えた。
 衝撃的だった。
 幼馴染みだったカミヨの死が父の心に深い悲しみを与えたのだと思うと、何故か棺桶で安らかに眠るカミヨさえも妬ましくなった。もしカミヨとウリが逆の立場だったらと考えるたびにやりきれない虚しさを覚える。
 (幸せになるって決めたんだ…!)
 つい沈みそうになっていた気持ちを振りきり、友だちと過ごした楽しかった日々を思い出して笑顔をつくりだした。
 「余計なお世話かもしれないけど、でも、どんなことがあってもユサに…後悔して欲しくないんだ。だからこれを…」
と言ってウリはたくさんある鍵束の中から、特別小さな鍵を取り出しユサに握らせた。
 「裏口の鍵だよ。そこは見張りの兵もいないから…」
 「で、でも…」
 驚愕しながらユサは鍵を返そうとした。が、それを拒み彼女の手の内にとどめさせる。
 「無理強いはしない。だけど、ユサを閉じ込めておくようなことはしたくない。…お守りの代わりに持っていてくれたらいいよ」
 「けど…私がいなくなったら、アマテル王との、関係も悪くなる。私が、ウリと結婚したら東国と、血のつながりができて絆が強まるんでしょう?」
 「…婚姻を利用して北を間接的に支配しようと思っているだけだよ。血のつながりを重視するのなら、ユサのお母さんだって投獄されることもなかった」
 「…オカァサン……」
 覚えたての異国語のようにぎこちなくその名を呟く。
 「生きて、いるの?」
 真っ直ぐな黒い瞳に直視され、ウリは余計な配慮も与えず素直に言葉を吐き出した。
 「東国では死んでいると噂が立っている。国民の信頼を一身に集めていた人だから、もし死んでいたとしても国はそれを公表できないんだ。だから…なにか納得いく理由を与えてシグノ様の死を宣告し、ユサと言う娘が無事に育っていることを盾に批判を回避しようとしているんだと思う。同時に新しいイザナム王と結婚して両国の友好を強くアピールすれば、なお国民の反論は抑えられるから…」
 黙り込む彼女にやや躊躇いがちに話しかけた。
 「王族の一生はすべて玉座に左右される。結婚も出産も死も、すべて国家にとって一大イベントなんだよ」
 それまで孤児として育ってきた彼女が王族の娘だと言われ、その上結婚まで既に決められているのだ。幼い頃から王の遺児である可能性が囁かれ続けたウリは、遠からず彼女の気持ちをよく理解しているつもりだった。
 「私が…本当に王族の訳がないよ…」
 蚊の鳴く声で否定し、ユサは救いを求めるようにウリを仰いだ。
 「教養も作法も礼儀だって知らない。私は、ただのユサ。ただの…人間でいたい」
 わかっているつもりだった。突然押しつけられた王族の運命にやり場のない憤りと悲しみを覚えた時のことを。まさか自分がそんなはず、と思いながらも否定できる材料はなに一つない。
 「肩の刺青は、東の王族たちが生まれた時に入れるものなんだ。一つ一つに意味があって解読すると両親の名前になる。ユサの場合は…父親が認められていないから母親の、シグノ様の名前が彫られている」
 最後の砦を打ち砕く決定打となったのか、顔を背けたユサはふらりと踵を返しベッドに倒れ込んだ。
 小刻みに震える肩が彼女の想いを代弁している。けれど例えただの人間だったとしても、時代を越えてきた未来人の彼と結ばれる訳がない。
(わかっている…つもりだった……)
 愛する人と結ばれない悲しみも、王族としての運命に抗えない己の非力さもすべて、彼が経験したことのある苦しみばかりだった。痛みを理解することはできても共有することはできない。彼女を支え立ち上がることはできても、未来にある希望を言い当てることはできない。
 誰もが先の見えない暗闇の中を手探りに彷徨っている。だから訪れた光に誘われて、踏み込んだ道が正しいのかもわからないままでも歩き続けられるのだ。
 ―――ヤヌギ族。
 否定をしていても、未来を知りたいと思う気持ちは抑えられない。
 
 
 大聖堂に仮安置されることになったカミヨの遺体は地下の氷室室へ移された。正式な供養は戦争が終結し次第行われることとなっている。ヤヌギ族たちの予言で終戦日まで明確にわかっているものの、彼らはその日にちを明らかにすることは避けていた。
 「なにを今更言い渋る必要がある。実際には予言もすべて、当てずっぽうだったのだろう」
 以前よりヤヌギ族に反発的であった大臣たちの言及に対し、教皇フサノリは冷ややかに笑って返した。
 「我らが仕えるはイザナム王ただお一人。玉座が空席のまま、一体誰に向って国の未来を予知してさしあげればよいのでしょう。ただ…あなた方の惨めな死にざまぐらいならここで発言しても差し支えもないだろうが」
 大臣たちは一様に侮辱に怒り心頭といった様子で顔を真っ赤に染め、唇を震わせたがフサノリは構わなかった。葬儀の予定をすべて終え、最後に参列者たちに清めの水を被せると早々に大聖堂から去り城の彼の自室に一族の召集をかけた。
 葬儀に参列しなかったハザンを除き全員がまだ青と黒の喪服をまとっている。
 まずは残って時空移動装置の修理と設定変更を試みているハザンから、現在の進行状況の報告を受けすぐに本題へ入った。
 机の上に四書を広げ解読したメモ用紙を取り出した。
「カミヨの死は本来の歴史にある通りに実行された。だがこれは我々の計算外の結果となった。首謀者カロルの自害から、背景に東国が絡んでいることは知られずに済んだが暗殺との見解と噂が広まっている。これについて直ちに軌道修正に入る。予想される歪みに対し行う防衛策として、今後大きくなってくるパターンの一つ。カミヨ暗殺が次期王となるウリの企みと見なし彼を非難する動きが生まれる。これに対し彼を守る為に首謀者を選定し一切の罪を背負わせる。また本来カミヨが負うべきであった西国を見捨てた責任についても、王を唆し政治に深く関与したとして同じく首謀者を選定する。候補者は…」
 「ま、待って下さい!」
 「なんだ」
 ナムの意見を聞こうとメモから目を離して顔を上げる。
 「王を唆し政治に深く関与したって言ったら、真っ先に疑われるのは私たちです。いくら偽装したところで…大臣たちの疑惑の目を逸らせるとは思えません」
 「その通りだ」鷹揚に頷きフサノリはふっと口元を緩めた。「だが納得いく物証と納得いく―――記憶を与えれば誰も否定することもできまい」
 「それって…記憶を改竄するってことじゃ」
怯えた口調でカヒコも漏らす。
 だがフサノリは表情を変えずに肯定した。
 「この時期でのカミヨの死は我々が算出した『流れ』に反した結果となった。これはあくまでカロル指導者の自発的な行動とされるだろうが、仮に背景にアマテル王の指示があったとすれば、東国は一刻も早いウリによる新政権の確立を望んでいることとなる。ユサを妃に迎えた後の両国の関係に、再び想定外のことが起こる可能性を十分に含んでいる」
 「そろそろシーウェスも引き連れて行動するべきではないか」
 カマスの発言に熟考するかのように黙り込んでからフサノリは頷いた。
 「ナム」
彼女に向き直って
「シルパをわたしの前に連れてきなさい」
と命じた。
 
 
 家政婦が淹れた熱いお茶に息を吹きかけて冷ましながら、ジュアンは焦燥しきった面持ちでソファに腰をかけていた。この連日の間に起こったできごとを振り返ると、一気に時間が凝縮されてしまったような目まぐるしさだった。
 遂に家を出ていってしまったウリ、西国とオボマの戦い。そしてカミヨの死と三国が派遣した連合軍を率いて戦地へ赴いたクラミチ。外交官であるモロトミは日夜、情報収集に飛び回りあれから一度も顔を合わせていなかった。
 ふと目の前に座り同じくお茶を啜るマキヒの胸中を察し同情と切なさを覚える。彼女もクラミチの突然の出兵には驚きを隠せないでいることだろう。
 「…こんな忙しい時にまできてくれて…なんてお礼を言ったらいいのかしら」
 一日おき、長くても三日と空けずに彼女の様子を確かめにきてくれる友に向ってお礼を述べる。盲目のマキヒにとっていくら雪解けが始まっているとは言え、都までの道のりは決して楽なものではない。
 だがそんな苦労を微塵にも見せない友人の心遣いがとても嬉しかった。
 「いいのよ。どうせ私だって家にいても暇なんだから」
と言ってから慌てて口に手を当てて
「不謹慎だったね。王様が亡くなられたのに」
 彼女の戸惑いを肌に感じ、つくったばかりの笑顔が少しずつ剥がれ落ちていくのがわかった。
 「…信じられないわ……カミヨが、亡くなっただなんて」
 カミヨと顔を合わせたのは城を出た十三年前が最後だった。唯一の例外として、側室の宿命に逆らい彼の配慮から生き延びることができた。しかしそれを知ってもお礼の一つも言えなかった。
 心のどこかで、彼の償いを当然だと思っていたのかもしれない。
 彼に罪はないのに、恋人と引き離され幼馴染でもあるカミヨの義理の母となった自分が、まるで物語の中の悲劇のヒロインのように見ていたのだろう。誰にも自分を救うことはできない。一生あの城に閉じ込められて生きていくのだと諦めていた。
 他の側室たちも同じような瞳をしていた。最初は誰を真似てそんなことをしているのか疑問に思ったが、すぐにそれが国王の正妻である大后妃殿下にそっくりであることに気づいてしまった。
 権力者の妻と言う自信と誇りの傍らで、いつ後継者をもうけて殺されるかわからない人生に怯えていた。上辺はどんなに華やかで美しくても、一歩踏み込めばそこは沼の水よりも淀んでいる。
 その中で何度、死を試みたことか。けれどいつも生への執着が捨てきれなくて成し遂げられなかった。
 「城にいる間は…生きているのに死んでいるのと変わらない毎日だったわ」
 束縛から永遠に逃げることはできないのだと悟り、そして絶望していた。死にのみ己の希望を見いだし、いつくるとも知れない最期の時を待って生きていた。
 ただそんなある日、外交官という要職に就任したモロトミと初めて城内で顔を合わせたことがあった。
 いつの間にか伸びた背丈と広くなった肩幅がとても逞しく見えた。精悍に引き締まった顔にはかつての面影をわずかに残したまま成長していた。未来を誓った仲だったのに現実との落差が悲しくも懐かしくて、涙が溢れそうになったが誰かが見ているかもしれない手前必死に堪えた。
 お互いに無言で擦れ違おうとしたその時、モロトミは軽く低頭をして小さな声でこう言った。
 「いつまでも…待っているって言ってくれたのに」
 自嘲気味に笑ってからずっと聞き役に徹してくれていたマキヒを見た。
 「きっとクラは、あなたの息子二人をとても可愛がってくれるでしょう?」
 「…そうね。イチタはまだ照れているけど、でも内心ではアタカと同じぐらい彼を慕っているわ」
 「だったら絶対に幸せになれるわ。いいえ、ならなくちゃ駄目よ。あぁそう、結婚式を挙げるのなら私も呼んで頂戴ね。あなたの花嫁姿を見てみたいもの」
 足を組み換え明るい話題で場を盛り上げようとした。
 「戦争なんてすぐに終わるわ。三対一の戦いだもの。それに西国との戦争でオボマもそうとう弱っている隙を狙うんでしょう?」
 「その前に……戴冠式があるわ」
 気遣わしげに呟いてから彼女は手探りでジュアンの手に触れると、優しく握り締め力強い声で囁きかけてきた。
 「あなたが今もモロトミ様を愛しているなら、素直にそれを告げるべきよ。言葉にしないと伝わらないことも多くあるんだから。そして……ウリ坊ちゃんに…」
 「あの子、私に…私たちに自分がいたことを忘れてくれって言ったのよ」
 聞かせるつもりのなかったあの夜のできごと。ウリを城で引き取り育てたいとクラミチを通して聞いた時、初めに訪れた感情は絶望だったのに。
 「王になって欲しくなかったわ。あの子と、モロトミと一緒に小さな家に住んで幸せになりたかっただけなのよ。だって……王もカミヨも…ちっとも幸せそうじゃなかった…!」
 長く玉座に君臨し続けた国王も、死を覚悟した七日間に己の人生を振り返って後悔を綴った。寵愛を受けていたジュアンを膝元に呼び、王は初めて涙を流して本音を漏らしたのだ。
 もしあの時、七日間を共にしなかったら彼女は王が抱く苦悩をなに一つと知らず、一生王を憎んでいただろう。だけど彼女は知ってしまった。権力を振りかざしこの世のすべてを思うがまま操ってきた王が、まさかちっぽけな玉座に縛られたただの人間だったなんて誰が想像でただろうか。
 これまで最も憎んでいた王が、誰よりも深い悲しみに溺れる哀れな子犬のように見えた。
 同情してしまったのだろうか。この傀儡とも等しい、生きた人間の最後の願いに負けてジュアンは王を受け入れた。
 それが死を覚悟した王が渾身の思いで残した最後の子どもとなった。
 お腹に宿る子が先代王の子だと確信したジュアンは、夫となったモロトミに懇願してこの国を去りどこか遠い国へ移り住むことを提案した。だけどモロトミは決して首を縦に振らなかった。
 彼の目はジュアンではなく玉座に捧げられた新たな生贄に向けられていた。
 「所詮……むかしの女よりも、突き放してしまった友だちを優先するのよ。あの人はいつもカミヨの為に―――私が側室となって以来、ずっと疎遠になってしまった溝を埋めようと必死になっていたわ。待っていると約束した手前、私を引き取っただけで王の子を宿した女を…彼は愛してくれなかった……」
 手を握り締めたままマキヒは彼女を慰めた。だが堰を切った涙は大粒の雫となって溢れてきた。
 泣くじゃくりながらジュアンはウリのことを思った。
 左手首の傷も、いつも『ごめんなさい』と言う口癖も気づいてやれなかった。彼がどれだけ自分たち大人のことを思い、まだ十三歳で驚くべきことまで我慢してきていたと言うのに。
 生まれてきた彼に罪はない。生きて欲しいと思ったからジュアンは彼を産み落とした。
 モロトミと同じく彼を愛していると告げられなかった―――
 今、小さなウリは、王やカミヨをも飲み込んだ玉座に捧げられようとしている。貪欲で華美で麗しいけれど、誰よりも愛に飢えている屍と過去の栄光で成り立つ血塗れの玉座へ。
 そんな彼の為にこうして涙を流すことぐらいしかできなかった。
 
 
 マキヒに頼まれていた肉をすべて削り終わったアタカは、時間の無駄になるからと言って連れ出され何故かショウキの家へ向かっていた。
 ただ単にイチタが彼女に会いたくなっただけだろうと心の中で突っ込んでいたが、意外にもチノリコ村の入口直前で立ち止まり
 「アッタカは検問所にいって手紙がないか確認してきてねぇ。ぼくは商談してくるから」
 「商談? なんでショウキ相手にそんなもん…」
 ただの照れ隠しかと思ったがイチタは真顔で首を振った。
 「まだ誰にも言っていないんだけど、いずれこの国を出ようと思ってるんだ」
 咄嗟に研究所で読んだ文献のコピーの内容を思い出し痺れるような興奮が全身を貫いた。
 (ロードリゲス大陸へ渡った商人が大成功を収め、母国である北の国に多大な資金援助を行っていた……その商人の名前が、イチタだ!)
 資金を元に慈善活動も行われ彼の名前は人々の心に永遠に残る。今まさにその第一歩を踏み出そうとしているイチタを見て、アタカは興奮を抑えるのに苦労した。
 「その資金集めの為にショウキにも協力してもらおうかなぁって思って。彼女がつくる造花が結構ねぇ精巧で評判がいいから、手紙を頼んでくれた人にプレゼントとしてあげてみたり、造花の宅配サービスってのもやってみるつもり」
 「絶対…! それは成功すると思う!」
彼らが事業に成功する姿を思い描き力いっぱい頷いた。
 「…アタカも一緒にきてよね。そうでもしなきゃ利子分稼げないでしょぉ」
 口を尖らせるイチタを見て胸の奥が痛む。
 できることならすぐに頷いて一緒にその計画を練っていきたかった。けれどそんなことはできない。果たす前にこの時代から出ていかなくなるかもしれないのに、守れない約束をしたくなかった。
 「俺…この前クロエにひどいこと言ったから、ついでに謝ってくるよ」
 返事をごまかして踵を返す。駆け出す彼の背中に向ってイチタは声を張り上げた。
 「ちゃんと戻ってきてよー! 戻らなかったら罰金だからねぇ!」
 我慢しているのだろうけど涙声になっていた。
 アタカも唇を噛み締めて走った。
 
 都の入口を通過したところで突然声をかけられた。が、振り向いても葬儀の際に地面に撒かれた白い花びらを回収している城の役人たちぐらいしか見当たらなかった。念の為一回転して辺りを見回す。やはり喪に服しているらしく人影も少ない。
 気の所為かと思い再び走り出そうとしたところで、今度は背後から肩を掴まれた。
 「シールパ!」
 驚きのあまり飛び上がる。いつの間に後ろに回っていたのか、それとも隠れていたのかカヒコとナムが肩を並べて立っていた。と、二人の首元に巻かれた青い布のようなものに目がいく。
 「!」
 咄嗟に彼らの足元も確認した。いつもどんな靴を履いていたか覚えていないが、だけど踝から膝にかけて螺旋を描き足に纏わりつくそれは―――
 「MIZUHAで開発されたヤツだ…」
 頭の奥でずっとかかっていたふいに錠が取れたような感触。確かにあれはエディックが開発した発明品の一つで筋肉を刺激し、通常の数十倍の速さで移動することができる装置だった。しかしこれには欠点があり肉体にかかる負荷が大きい為に、更なる開発が求められたはずだ。
 「思い出したんだね」
 首に巻いた布を外しながらナムが呟く。
 「これが発明された時、あんたは無菌室を出たばかりだったのに…」
 「すげぇだろ。これ、ハザンが完成させたんだぜ。この布に見えるけど、これで合成ホースー酸素をつくりだして負荷をケイトンするんだ」
自慢げに話すカヒコを睨み
 「あんた、本当にわざと間違っているってことはないよね?」
 「な、なにがだよ! 俺のどこが間違ってるんだって」
 疑り深い眼差しを向けてからすぐにアタカと向き合うと「あまり時間を無駄にできないから、あんたの用事に構わずこのままフサノリ様の元へ連れていくよ」
 「……息子と喋るだけなのに随分大層なんだな」
 やはり二人とも彼らが肉親であることを知っていたのか然程表情も変えなかった。
 「いいわ。せめて城までは普通に歩いていきましょう。その間に話しておきたいこともあるから」
 そう言ってカヒコもナムに促され、足に巻いていた針金のような機会を外し鞄にしまった。
 「まず…なにから話したらいいかな」
 一国の王が亡くなった日だと言うのに場違いなぐらい青く晴れた空に向って、大きく手を伸ばしながら呟く。
 「私たちもね、このままじゃ無事に帰れないかもしれないんだ」
 「え…」
我が耳を疑い真顔を崩さないナムを凝視する。
 「もしかしたら政府の陰謀って話もあるんだけど…」
 ナムは装置が未完成のままでトラベリングしてきたことや、予言のたびに使ってきた四書の内容はすべて暗号が使われており特殊な教育を受けたフサノリしか読めないこと。彼らの存在が政府にとって諸刃の剣である可能性が浮上し、その結果彼らを見捨てる為に強引な命令でトラベリングを命じられたのではないかと言う意見や、手動で装置を動かす役目をフサノリが買って出たことを説明してくれた。
 その時フサノリはこの時代でまだ、やり残したことがあると言った言葉が引っかかるのだと彼女はぼやいたが、アタカもどうしてここへとどまることを決めたのか不思議でならなかった。
 「今、装置の修復と設定変更を試みている最中なの。フサノリ様にあんたをなんとしてでも元の世界に連れ戻すよう言われたわ」
 どうせ抗体目当てだろうけど、と毒づく。
 「ねぇシーウェス。あんたがこの時代で…大切な友だちをつくって、この時代を大切に思っているのはわかっているけど、だけど、あんたは私たちの仲間なのよ。あんたは嫌っているかもしれないけど、ハザンもあんたを無事に元の世界に戻そうと頑張っているし、私だって…」
 「俺……」
と言いかけて言葉を反芻した。自分が持つ抗体は未来の世界に必要なもので、けれど過去が変わればウィルスの発生も、そこから起こってしまった戦争やなにもかもがすべてなかったことになってしまう。
 未来へ戻って再びグリフと出会うことを望んでいた。けれど彼らが変えようとしている未来は、本当に彼らの理想通りのものであるのだろうか。帰ってきたアタカたちを再び迎え入れてくれるだけの居場所が、果たして確保されているのか。
 「…俺……別に、元の世界に戻らなくてもいい…かも」
 今度はナムとカヒコが目を剥いた。
 「なんだか、どこにいっても、俺の居場所ってないような気がする」
 「あっあるわよ! ヤヌギ族があんたの居場所でしょ」
 「そーだぜ! 今更いきなり…他人行儀なこと言うなよ。エディック博士はいないけど、でも俺とかナムとかは従姉兄同士だしハザンも、えっと…カマスの腹違いの兄弟だっけ?」
 「そうよ。フサノリ様以外、みぃんなヤヌギ族の直系なんだからね」
 「え、フサノリは違うの?」
 「ん……と…ちょっとした、その、結構長い間疎遠だった親戚なの。ヤヌギ族って言っても関わりがある人とない人の差が激しいから」
 妙に言葉を濁し話題を逸らそうとするナムを見て、もしかしたら彼女自身も詳しく知らないのではないかと勘繰った。
 話題に一区切りがついたところで城へ到着した。
 太陽が高く昇り白い城壁に濃紺の影が宿る。この城のどこかにいるユサのことを想いながらアタカは背中を押されて城へ入っていった。
 
 移されていなければ、ユサはフサノリの部屋から階段を下りて左へ進んだところにいるはずだ。なにか理由をつけて下へ降りていきたかったけれど、ナムもカヒコも隙を与えることなく彼を連れて部屋の扉をノックした。
 低い声が返ってくる。
 「失礼します」
と断りを入れてからナムが扉を開けて中を覗き込んだ。
 赤毛のフサノリが机に座り膨大な量の書類に目を通していたところだったが、彼女がアタカを連れてきたことに気づき手を休めた。
 「ご苦労だった。続いて次の任務に着任せよ」
 「はいっ」
 声を揃えて返事をすると、アタカを部屋に押し込んで出ていってしまった。
 急に二人きりにさせられて気まずい沈黙が流れる。
 その間にフサノリは観察するように足先から頭のてっぺんまでを仔細に眺め、一人で何度か頷いた。そして近くにある椅子を示し
 「立ち話で終わるほど短くもない。座りなさい」
と促した。
 完全に主導権を相手に握られているような気がしてアタカは首を振った。できれば早く帰ってイチタを安心させてやりたい。遅れてしまえば、彼が消えてしまったと勘違いし悲しむだろう。
 「俺には時間がないから」
 卑屈な答えにしばし黙し、それから「そうだったな…」とぼやいた。
 机の上に両肘をつき重ねた手の上に顎を置いてやや上目遣いにアタカを見上げる。同じ黄金色の瞳が光を反射させる様子を見詰め、相手から切り出すのを待った。
 「聞きたいこともたくさんあるだろうが、わたしも、お前に聞かねばならないことがある」
 「トラベリングの条件ならまだ…」
 「そんなことはいい。お前の本音を聞きたいのだ」
 意外な返答に虚を衝かれた。
 (俺の、本音?)
 今まで誰もそんなことを聞いてこなかった。むしろ周りは彼の行動から察し、それが望むことなのだと納得してくれていた。ユサと共に逃げて、そして再び戻ってきたことも結果としては諦めたのだと理解し…周囲が考えるのはそこまでのことだ。
 「まだ、あの少女を好いているのだろう?」
 微かにだが首を縦に振って肯定した。
 「だけど、もう決めたんだ。俺たちは生きる時代が違うし、それに―――」
 「血は争えん…」
 嘆息交じりに呟くとフサノリは鋭い眼差しを向けて立ち上がった。
 「わたしは、お前たちの生きる時代から更に一千年先の未来からやってきた未来人だ」
 鈍器で頭を殴られたかのような衝撃が走る。全身で彼の言った言葉を理解しようと、必死に細胞を活性化し考えたが、いくら考えてもあまりに予想を超えた事実に頭がついていかなかった。
 「我々も同じことを考えた。過去を変えれば、未来がよくなると思いトラベリングを行った。しかし不覚にも政府に捕えられ、そこでエディック・ヤヌギと出会った」
 
 
 一千年先の未来からやってきたフサノリは、命の保証と交換に時空移動装置や未来世界に関する情報を政府に引き渡すことにした。
政府は次々とこれからのできごとを言い当てていくフサノリの情報に信憑性を見出し、それらを回避するべく歴史の改竄を図ることにした。彼が提供する必要データーなどを元に国家研究機構MIZUHAから多くの科学者が時空移動装置の開発に乗り出した。中でも代々多くのエリートを生み出してきたヤヌギ族出身のエディックは、群を抜いて開発を進めていった。
 自然とフサノリは彼女の装置を完成させるべく助言をし、実験にも携わるようになった。政府に命を握られている手前、開発に協力する他に生き長らえる道はなかったのだ。
 「どうして、一千年も前の未来から……やってきたんだよ」
 アタカは困惑しながら問いかけた。
 「目的は同じだ。わたしが生きる時代も悲惨な状態だった。幸い科学技術が発達していたので過去へ戻り過ちをすべて正してこようと思ったのだが…」
 奇蹟のような偶然だったけれど、その偶然が歴史を動かしたのかもしれない。
 彼の正体は完全に隠蔽され古い戸籍を復活させてヤヌギ族の姓も与えられたが、フサノリは禁忌を破ってエディックとの間に子どもをもうけてしまった。研究所の中でも彼らの関係を知る者はいないが、突然妊娠したエディックを周囲は好奇と疑惑の目で遠巻きに眺めていた。
 「結果的には本来の使命を果たせると思ってわたしもプロジェクトには協力してきた。どうせあの時代にある部品を使っても、わたしが生きた元の時代へ戻ることは不可能だとわかっていたから。だが……子を宿したエディックはある日いきなり考えを変えた」
 それはフサノリも予感していたことでもあった。ただ誰も確かめようとしないだけで、実際は心のどこかで感じ怯えていたことなのかもしれない。
 母になり天地の理でも悟ったのか、それまでプロジェクトに積極的であった彼女は突然意見を翻し先人たちが築き上げてきた歴史を覆したところで、決して未来は変わるはずがないと提言し始めた。
 「例え数百年前の戦争をなかったことにしたとしても、その数年後には別の要因から戦争が起こる。人間に時の流れは変えられない。既に決定づけられた過去の上に未来が成り立つのだから、どこかで手を加えたとしても必ず時は、それを修正しされるだろう。と彼女は言った」
 それは未来の学者たちも提唱したことのある仮説だった。
 だが、フサノリは否定した。でなければ、こうして彼が偶然にも時空を漂流しシルパと言う子どもをもうけてしまったこともすべて―――予め決まっていたことになってしまう。
 「科学者である以上、人智を超えた存在を認めてはいけない。況してや『神』など一切の可能性を否定する存在だ」
吐き捨てるように言い放つと、フサノリは茫然と立ち竦み話に聞き入るアタカへ視線を向けた。
 塔に連れていかれて以来、栄養失調で痩せ細り髪の毛の色も抜けてしまったが今は驚くほど健康的に肌も焼けて逞しく成長していた。面立ちはすべてエディックに似ている。本質を見抜くような鋭い眼差しも、笑うと最初の印象を覆す華やかさを醸すところも。だが今は、彼女譲りの豊かな黒髪が小刻みに震えていた。
 「じゃあ…あんたが、この時代に残るって言うのは……やることがあるって言うのは、もしかして、自分の仮説が正しいかどうか見極める為かよ」
 「そうだ」
 静かに頷いた。
 「ヤヌギ族が命懸けで変えようとした過去が無事に未来へ作用してくか見届け、そして…エディックの骨をこの時代に埋めてやりたいと思っている」
 「骨…?」
頬の肉を痙攣させながら問い返した。
「骨なんて残って…」
 「彼女は自らの命を絶ってしまったが、誰よりも歴史に強い憧れを抱いていた。もしトラベリングの安全性が確認され使用が認められていたなら、真っ先に自らが時の旅人となっていただろう」
 
 
 フサノリはルビーの首飾りを持ち上げ、その裏にはめ込まれたスケルトンタイプの時計を一瞥した。
 「我々には時間がない。だが、四書を預かりその内容をすべて知るわたしは…元の世界に戻ったところで生涯の自由を奪われるか、殺されるかのどちらかだ」
 自分の運命を受け入れたかのような達観とした口調。何千年も先からやってきて、飽きずに同じことばかりを繰り返す人間に諦めと虚しさを感じた疲れ切った眼差しでもあった。
 無性に腹が立った。
 「じゃあ、どうして…母さんが自殺したのにトラベリングなんてしてきたんだよ。どうせ俺たちが足掻いても未来が変わらないなら! 命を懸ける意味もなかったんだろっ」
 すべて無意味だとわかっていながらどうしてやってきたのか。ヤヌギ族たちがやってきた理由も、ユサを諦めた理由も、みんなが傷ついた理由もすべて―――無意味なものになってしまう。
 「誤解するな。これはあくまで仮説だ。わたしも…未来が変わることを願っている」
 ふいにアタカを捉えた瞳になにか別の感情が宿る。今まで見たこともない、マキヒが彼らを見詰めるものと似ているけど少し違う親しさと、それ以上の深い感情を込めたものだった。
 なんとなく落ち着かなくなり視線を逸らせる。もしかしたらこれが、初めて向けられる『肉親』の愛情と言うものなのかもしれない。
 「だが…お前の幸せは、この時代でしか得られないものではないのか?」
 「!」
 胸が急に熱くなり頬が赤くなるのがわかった。
本音を覗かれたようで恥ずかしくなり逆にフサノリを睨みつける。
 「万に一つでも平和な世界がつくれる可能性があるのなら、わたしはそれに賭けてみようと思った。それがお前に残せる唯一の…父親らしいことだと信じていた」
 唇の端を片方だけ上げて、笑っているのか怒っているのかわからない表情をつくる。
 「お前が元の時代へ戻れるよう全力を尽くそう。だが、この時代にとどまることを望むのなら」
 紡ぎかけた言葉を受け継ぎアタカは、自分自身に問いかけるようにして呟いた。
 「俺はこの時代に残っていいのか……?」
 「エディックの仮説を取るならばお前のこれからの行動もすべて、既に歴史に組み込まれているものとなる」
 「でもそれじゃ! ユサは死んじゃうんじゃ…!」
 「………否定はしない。だが、歴史というものはすべて、後世にまで残された記録から推測し構成される。例え政府が認めた史書。この四書に関しても、決して百パーセントの真実というものはないのだ」
 答えを出すのはお前だ、とフサノリは言った。
 
 それからアタカは自由に城へ入れる通行許可書をもらって部屋を後にした。
 あいかわらず都の人々は王の喪に伏せているらしく、家の窓を閉め切り中には啜り泣く声のようなものまで聞こえてきた。どれほど時間を費やしたのかわからないが、晴れ渡っていた空はドブネズミのような毛皮を着込み分厚い雲に隠れて太陽も見えない。
 不吉な気配を運ぶ風が小石を飛ばし、今日と言う日をより一層重苦しいものに演出していた。
 門を出て数歩進んでから振り返る。ユサは今頃なにをしているのだろう。もしかしたらウリと一緒に、二人のこれからのことを話し合っているのかもしれない。
 生きると約束し、イハヤの森をつくると誓ってくれた。共に生きられないから別れることを選んだのに、どうして今更こんな選択肢が生まれてしまったのだろう。
 どれを取るにしても先は不透明のまま。みんなが幸せになる方法をと、考えてみるも理想とする未来へ続くものがあるのかさえわからない。
 「ユサ…」
 思わず彼女の名前を口ずさむ。
 「…俺…これから、どうしたらいいのかな……」
 変えられる未来に賭けてみるべきなのか、それとも二人で決めた道を進むべきなのか。最早この問題は二人だけのものではなかった。未来人との間に生まれたアタカと言う存在を含めて、すべて打ち明けて世界中で討論して欲しかった。
 一人で背負うには重すぎる疑問に自然と背筋を曲げて歩き出した。
 (母さんは―――誰かがこうして悩むことを見越して…オルゴールって条件をつけたのかな)
 放浪の旅を続けるジプシーたちの歌。故郷を持たない彼らだが、それでも理想郷を思うこともあったのかもしれない。
 未来は変えられるのか否か。理想を追い求め平和な籠を飛び出すべきなのか、それとも変わらない現実を受け入れ夢に楽土を求めるべきなのか。
あのオルゴールを聞いている間に不思議と胸がいっぱいになって、泣きだしたくなったのを覚えている。
 (時計を俺に託したのも、俺が、いつかあの世界に絶望して…どこかへ逃げ出したくなると思ったから…)
 歌にエディックの思いが込められていたのかもしれない。
 「ブナの森の 葉がくれに…」
 
ブナの森の葉がくれに 宴ほがい賑わしや
松明あかく照らしつつ 木の葉しきて仮居する これぞ流浪の人の群 眼ひかり髪きよら
ニイルの水に浸されて 煌煌(きららきらら)かがやけり
燃ゆる火を囲みつつ 強く猛き男(おのこ)息(やす)らう
焚火を囲みて  男息らう
赤き焔  めぐりめぐり
焚火  かこみつ
女(おみな)たちて忙しく 酒をくみてさしめぐる
唄いさわぐそがなかに 南の邦恋うるあり
厄難(なやみ)はらう祈言(ねぎごと)を
語り告る嫗(おうな)あり
可愛(めぐし)少女(おとめ)舞い出でつ
松明あかく照り遍る
管絃のひびき賑わしく
つれたちて舞い遊ぶ
既に唄い疲れてや
眠りを誘う夜の風
慣れし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり
慣れし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり
東空の白みては 夜の姿かきうせぬ
ねぐらはなれ鳥鳴けば 何処往くか流浪の民
何処往くか流浪の民 何処行くか流浪の民
―――流浪の民
 
 
 アタカの声が聞こえた気がして、ユサは立ち止り暗く淀んだ廊下を振り返った。灯りを持つ侍女が訝しげに彼女の顔を覗き込み急かす素振りを見せたが、ユサはしばらく闇にひそむ静寂に耳を澄ませそこからアタカの声を聞き取ろうとした。
 だが耳を貫く静寂は、彼女になにも告げない。
 「いきますよ?」
 痺れを切らしてやや強引に腕を掴むと侍女は再び歩き出した。
 「大后妃殿下がいらっしゃる前にお席に着かなければいけないんですから」
 (別に私は会いたくない…)とぼやいたが、侍女の耳には届かなかったようだ。
 乱暴に足を進めていく侍女に連れていかれながらユサは、ぼんやりと窓の向こうに意識を飛ばした。
 今朝の晴天はどこへいったのか。日が傾き始めた頃から空には厚い雲が集まり、今更ながら王の逝去を悲しんでいるようにも映った。
 太陽が舞台から去ったことで一気に気温が下がったのだろう。陽気に煽られ溶ける気配を見せていた雪が再び固まり、薄い氷の膜が道の至る所にできていた。ここ最近の気温の急激な変化にユサだけではなく人々も戸惑いを覚え始めている。例年ならまだ冬ごもりの最中で積雪は三メートルに達することもある時期だ。
 (……木が減っているから?)
 過去の伝承にでは必ず大きな災いが起こる前兆として気候の変動を伝えている。タマ婆の家で読み漁ってきた本の中にあった前例をいくつ挙げながら、無意識にこめかみを拭った。
 「……汗…」
 手の甲についた水を見詰め呟く。
 寒気を感じたと思ったのに体は発汗していた。嫌な予感が燻ぶり始めている。けれどそれを否定したくてユサは手の甲を裾で拭い視線を戻した。
 「こちらが太陽の間でございます」
 侍女の背中越しに大きく聳え立つ扉を見上げた。いつだったか絵を取りにいこうとして迷い込んだ月の間と対照的につくられた赤銅色の扉には、ルビーを中心にアメジストなど煌びやかな宝石が飾られていた。
 「代々国王にはこの太陽の間を、そして大后には月の間を授けられてきました。ここで王の命名式や戸籍箱の封印なども行われます。また歴史は古く…」
 長々とした講釈もユサの耳には半分ぐらいしか届かなかった。己の見聞の広さを誇るように鼻を高くする侍女の視界からそっと外れ、好奇心に後押しされて扉に描かれた巨大な太陽に触れて確かめる。金粉でも塗られているのか赤銅の上は光を浴びてキラキラと光って見えた。
 「ユサ様っ!」
 大声を出され全身がビクッと震えた。その反動で扉に触れていた指に力が入り、鍵のかかっていなかった扉は油の上を滑るように難なく開き部屋の奥に集う人々の顔をあらわにした。
 広い円形の間に詰め寄る人々のほとんどがユサには面識のない人たちばかりだった。彼らも断りもなく扉が開き、一人の少女が茫然と立っていたのでざわめき口々になにごとか囁き合った。
 「もしやアマテル王の…」
 「シグノ殿によく似ている…」
 「しかし無愛想な娘だ。二コリとも笑わない」
棘を含んだ視線に居心地の悪さから下唇を噛み締める。後ろから侍女がそっと背中を押してきたが、この視線の中に身を投じることへ抵抗があった。
 体を硬くして拒むユサを無理やり部屋へ押し込むとすかさず扉が閉められる。そのまま部屋の奥に設けられた壇上近くまで連れていかれた。
 壇上には二つの椅子とテーブルが設けられている。二つある椅子の一方は豪華に金銀で装飾されているが、それと比べるとややシンプルな椅子には全身を見事に着飾ったウリが背筋を正して座っていた。そんな彼を囲むようにして十三人ものぼろ布のような老人が座っている。顔の皺は襞のように重なり時々もぞもぞと動く口元が、彼らがまだ生きていることを伝えた。
 老人たちの列に連なってヤヌギ族たちも立っていた。正装をしているのかいつもと服装が少し違っている。
 人形のようにぴくりとも動かない壇上の人々を見回してから
 「…ウリ」
小声で彼の名前を呼んでみるも周囲の騒音に掻き消され届かなかったのか、ウリは硬い表情を崩さずにどこか一点を見詰めていた。
 なんとなく再び声をかけるのが憚られてユサは黙り込んだ。さっきから彼女について回っていた侍女が傍らに立ち
 「大后妃殿下がご登場されましたら、他の方に倣って深々と頭を下げて下さいね。三秒数えてからまた頭を上げて下さい」
 なにかとこうるさい彼女のふっくらとした横顔を睨みながら唇を突き出す。
 「妃殿下と共に国記官のスタント様がいらっしゃいます。二秒ほど頭を下げて後は大人しくしといて下さいよ」
 ユサは返事の代わりに下唇を更に突き出した。
 
 
 椅子に腰を下ろし、ウリはただ時間が経つのを待っていた。
 部屋中に詰めかける重臣たち。同じ壇上に上がる老議院とヤヌギ族。彼らがこれから起こる儀式の重大な証人となりこれからの未来を、彼と共に背負う同志になるはずだった。
 だが先ほどから大臣たちの間で囁かれる噂話を聞いていると、そんな希望を抱いていた自分が愚か者のように思えた。
 (カミヨ様を暗殺した濡れ衣をぼくに被せようとしている…)
 覚悟していた玉座がもう間近まで迫っている。そのたびに人々の視線に様々な策略が秘められていることに気づく。
 膝の上で握り締めていた拳が汗でじっとりと濡れていた。
 月の間と直結してつながる扉が大きな音を立てて開く。中から大后妃殿下ピジルク・エリスが裾の長い衣装をまとってあらわれた。
 その後ろから戸籍箱を抱える国記官も続く。今年で七十五歳になろうというのに長身のスタントは竹のように背筋を伸ばし、きびきびとした態度で歩いた。
 唯一戸籍箱の鍵を持つスタントは、カミヨが即位してからピジルクと共に月の間に閉じこもり以来公の場にも姿を出すのはこれが初めてだ。
ピジルクが椅子の前に佇みスタントが持参した箱をテーブルに置くと、集まった人々が一斉に頭を下げる。ウリもそれに倣って頭を垂れた。
 その時初めて、壇上のすぐ下にユサがいたことに気づいた。
 「お座りなさい」
 顔を上げると椅子に深く腰を据えたピジルクがウリに向って言葉をかけた。しかし顔はこちらを捉えず憂鬱そうに肩肘をついている。カミヨの葬儀でさえ顔を出さず月の間にこもって喪に服していた女性だ。これから王位継承権を与えられるウリにも大して関心を示す様子もない。
 初めて会うピジルクの態度に戸惑いながら指示に従った。
 二人が座ると改めてフサノリが前に進み出て口上を述べた。
 「同志よ。偉大なるイザナム王の急逝に悲しみに暮れていることでしょう。しかし王は我らに希望を残して下さった。これまで密かに忠臣モロトミの子として育てられた少年ウリこそ、この世に蔓延する不安の種を吹き飛ばす統治者にて救世主。ロッキーヴァス総教会教皇フサノリの名にかけて予言しましょう。彼は―――我らに永遠の平穏を与えてくれると」
 静まり返っていた場内がたちまち大歓声に包まれる。
 直に目の当たりにして初めて思い知らされるヤヌギ族の威力。教皇が宣言すればそれは絶対のものとなるだけの力を持っている。
 (もし…ヤヌギ族が国家に、いや、王となったぼくに反旗を翻したら……)
 味方であれば彼らほど心強いものはない。だが敵に回れば、それに応じられるだけの力を備えていない国家にとってなんと恐ろしい存在だろうか。 
 恐怖と緊張でウリの心臓が早鐘を打つ。静まり返る空気を介してその鼓動がみなに伝わってしまいそうだった。
 (胸が痛い……!)
 気管が半分にふさがってしまったのかと思えるぐらい呼吸が苦しくなり、それに伴って顔から血の気が引いていく。床につけた足が小刻みに震えていた。今更ながら真実を知るのが怖いと体が怯えた。
 スタントが厳かに戸籍箱に歩み寄り、持ち参じた鍵を証人たちの前で掲げそれが偽物ではないことを確かめる。そして箱に開いた小さな穴に鍵を差し込んだ。
 カチッと小さな音が響き渡る。
 「!」
 ウリの胸で心臓が飛び跳ねた。血の気を失い眩暈を起こしていた頭が激しく痛む。
 スタントが箱の中から小さな紙切れを取り出すのを目撃し、反射的に目を逸らす。固唾を飲んで壇上を見守る大臣たちの中から正装をしたモロトミの顔を捉え―――ウリは何故か腹の底から湧き上がる感情を言葉に変えて叫びたくなった。
 「―――!」
 「ウリを二十七代目イザナム王の子どもとして承認する」
 スタントの声が大きく辺りに響き渡る。
 紙を恭しくピジルクに献上し、彼女が内容を確認すると静かに肯定をした。
 静寂を破る拍手と大声援が起こる。
 フサノリに促され席を立つと人々の声に応えるべく、ウリは深々と頭を下げた。
 俯いた視線が一気に涙で曇る。
 声の限りに叫ぼうとした言葉は、虚しく唇からこぼれて落ちていった。
 『お父さま…オ父サマ…オ父…サマ…』
 彼とモロトミをつなぐたった一つの糸が切れてしまった。目が合った瞬間にモロトミが、初めて泣きそうな顔で笑ってくれたのに、すべて遅かった。
 彼らは完全に親子の輪から外れてしまった。どんなに望んでも二度とあの家へは戻れない。
 
 
 イチタと肩を並べて暗くなった道を歩きながら、アタカはぼんやりと空を仰いでいた。
 「結局ユサとは会えなかったんだねぇ」
 「あ…あぁ」
数秒遅れてから反応し、チノリコ村でショウキも彼女の安否を気遣っていたことを思い出した。
「意外と、ショウキって友だち想いなんだな」
 あいからわらずぶりっ子ではあったがショウキの態度はとても柔らかくなっていた。以前のように王族を引き合いに出すこともなくなり、生花を売ることもやめて今はイチタとこれからの自分の生活に向って努力をしているのだとひしひしと伝わった。
 イチタの商談には二つ返事で頷いたらしく早速造花をつくると力んでいたが、アタカがユサの置かれている状況を説明すると顔色を変えて狼狽えてくれた。その自然な反応にアタカの心も温まった。
 「まぁねっ。それよりぃアッタカこそ、ど~してあんなに遅くなったのかそろそろ説明してくれるよねぇ」
 もちろんアタカもそのつもりだった。
 「ナムたちに会ってフサノリのところに連れていかれたんだよ」
 「ふぅん。拉致されちゃったんだね」
 拉致とまではいかないでも似たようなものだったのかもしれないと納得し頷く。そして城で聞かされたフサノリの正体と、彼が恐れているもう一つの仮説について説明した。
 話が終わるとイチタは何度か相槌を打ち、内容を咀嚼するかのようにしばらく黙り込んだ。
 「じゃあさ、フサノリって人は未来が変わらないかもしれないって思っているのに、それをヤヌギ族たちの人には隠して計画を実行しようとしているんだ」
 「そう…なるよな。でもフサノリ自身も未来を変えたくてあの時代にやってきたんだぜ。もしフサノリがこなかったらエディックは…俺の母親も時空移動装置なんて開発できなかったし、そうしたら俺も生まれていなかった。だから…」
 「アタカとしては未来を変えてもらいたいよね。このままじゃユサが死んじゃうかもしれないなんて…あんまりだもん」
ホッと溜息を吐き腕組みをして考えだした。
 やはり口には出さないでも彼にはアタカの本音が伝わっていたようだ。アタカも打ち明けたことでずっと背負っていた蟠りが少しばかり軽くなった気がした。
「でもさぁ可能性としては高くないんでしょ? 結局未来は変えられると未来のお偉方は見込んだ訳だしぃ」
 「だけど…他のヤヌギ族たちと違って俺は、更に未来人の血が入っていて絶対にこの時代にいるべき人間じゃないんだ。時計もなくしちまったし……。俺の存在自体が計算外だから……正直、これから先のことなんて誰にも予測できないようになってるんじゃないかなって思う」
 出会うはずのない男女が出会い子どもをつくり、その子どもがいるはずのない時代へやってきてしまった。ハザンが言ったように、彼の登場で予め算出された歴史の流れにも異変が起き始めている可能性は十分にあった。いや、事実既に起こっているのだろう。
 「あの雪崩だって…俺たちがユサと会っていなかったら遭難するはずなかったんだ。本当はユサとウリは、二人だけであの大聖堂の前で出会って、そのまま一緒になるはずだったけど…それを俺があいつとぶつかったから。それで運命が変わったのかもしれない」
 可能性を挙げていけばきりがない。すべての根源にいるべきではない人間の存在が関わっているのだから。
 「どうしよう。俺…もしかしたら、俺の所為で歴史が変わったら……」 
 途方に暮れるアタカの肩を叩きイチタはなにか慰めようと口を開いた。が、しばし逡巡しアタカの瞳を直視すると覚悟を決めた面持ちで呟いた。
 「いやぁな予感がするんだけど。まさか、そのフサノリって人はアタカと一緒にこの時代で死んじゃおって思ってないよね」
 「…フサノリが? 俺と?」
 「だって…フサノリ自身も元の世界に戻ったって死ぬしかない訳だし、彼もアタカたちの世界にいたらおかしい訳でしょ。それだからお母さんの骨をこの時代に埋めるってことは、アタカも連れて親子三人でこの地で眠ろう…なんて…考えてないよね」
 「……」
 まさか、と言って否定したかった。だが、否定できるだけの根拠はどこにあるのだろう。アタカと同じく一千年先の未来からきたフサノリも、あの時代にいるべき人ではないのだ。元々ヤヌギ族たちが命懸けで任務に就いていることは知っている。だが、ナムたちはいつか故郷に帰ることを夢見ていた。
 けれどフサノリは―――最初から戻るつもりがなかったのかもしれない。自らの存在が正しい歴史の流れを歪ませるのなら、それなら存在そのものを消してしまおうと考えるかもしれない。
 アタカも抗体をつくる為の被験者として扱われていたが、それもエディックを時空移動装置の開発に引き込む上での人質のようなものだった。だが彼女の死後、あの陸の孤島にひっそりと佇む塔に連れていかれたのも、必要以上のコンタクトを絶つことで世界に与える影響を最小限に抑えることを目的としていたのではないか。
 だがフサノリの正体を知らないヤヌギ族とMIZUHAの研究員たちによって、アタカは再び外の世界に引き戻されてしまった。死ぬまで誰とも接することもなく、ものを言わない死者を焼いて暮らすはずだったアタカの人生を狂わせるできごとだった。
 『親子心中』という言葉が頭を過る。
 無事に、平和に暮らせるはずがなかったのだ。エディックもそれを承知していた。未来人との間に子どもをもうけ、過去を変える装置をつくろうとして大きな矛盾に気づいてしまった。
 (歴史の流れを変えたところで―――幸せになれる保証はどこにもないんだ)
 どこへもいきつく場所のない流浪の民。焦がれた故郷は遠い時空の果て。戻れないからより憧憬は掻き立てられる。
 「……さんは…」
掠れた声を絞り出し沈痛な面持ちでアタカは紡いだ。
 「母さんは…きっと…フサノリの為にあの、装置を開発したんだ……。歌を聴いて、故郷に戻りたいって思う心が作動条件になっていて、いつか、あの男が未来へ。元の世界へ戻れるようにってつくったんだ」
 エディックがフサノリへ宛てた、故郷を懐かしむ彼に捧げる最後の贈り物だったのかもしれない。
 呆然と立ち尽くすアタカの肩をしばらく優しく叩き、イチタは星の見えない空を見上げた。
 「でもそれって…アタカがここへくることも運命だったってことだよ」
 「ど、どうしてだよ」
鼻水を啜りながら問いかける。
 「だってぇ、アタカは故郷を懐かしみながら時計を回したんでしょっ。やってきた先がこの時代だったってことはさぁ、アタカにとって、ここが『故郷』だってことだよん」
 語尾を嬉しげに跳ね上がらせながらイチタは静かに笑いかけた。
 その微笑みが誰かに似ているような気がしたけれど、敢えて思考を停止させて頷いた。
 (前歯も抜けてないのに…似てる訳ないもんな)
 今はもういない懐かしい友を思い出しながら、アタカは涙を拭って頷いた。
 いつかイチタの子孫が長い年月をかけて未来世界のアタカと出会ったとしても、それは偶然ではなくて必然なのだ。歴史は繰り返される。いつも、いつの時代でも大切なものの価値は変わらない。守りたいと思うから、人は強くなれる。
 アタカの心の中でフサノリへの返事が決まった。
 例えいつこの時代から排除されるかわからない身であっても、彼女を想う気持ちは一生変わらない。未来の為でも正義の為でもない。ただ、彼女に生きていて欲しいから―――
アタカはユサを守ろうと固く決意した。
 
 
 明るい日差しが雪色に染まった世界を美しく照らし出す。
 窓を開けた時、ユサは胸が不思議とざわめくのを感じた。今日が彼女にとってもこの北の国にとっても特別な日だと言うのは知れ渡っている。
 二十日間を前王の喪に伏せた後に訪れる一大行事。日が経つにつれ人々の悲しみは薄れ、新たな時代の香りに期待を膨らませるようになった。窓辺まで伸びた木々に集まる小鳥までもが歌い喜ぶウリの即位当日だった。
けれどそれだけが胸のざわめきの理由ではない。
戴冠式の後アマテル王名代で訪れた使者と対面し、正式に彼女がシグノの娘であることが認定されることになっている。そして無事にことが進めばそのまま、アマテル王イズサハルの養女となる手続きが取られる。
つまり彼女が王族に名を連ねると同時に、ウリとの婚儀が密かに確約されることになるのだ。
 窓ガラスに手を当てたままホッと溜息を洩らす。ガラスにできた白い曇りに指で落書きをしながらユサは悲しげに睫毛を伏せた。
 (…アタカ……こない…)
 チノリコ村の手前で別れて以降、顔を合わせていない。あれから一度もアタカのことを考えなかった日はなかった。いつも気がつけば彼のことを想っている。
 時折ショウキから手紙が送られてくることがあった。彼女がつくってくれた造花を添えて身辺の状況や、ユサを気遣う文章を読むたびに喜びを噛み締めた。けれど城まで手紙を届けにきてくれる文使いがアタカではないのかと想像するだけで、どうしようもない悲しみと自由に外の世界を行き交うことのできるショウキへの羨ましさが膨れ上がった。
 「会わない約束…してない…」
 ずっと城に閉じ込められたまま行儀見習いばかり教え込まれてきた。暗殺を恐れて一歩も外へ出ることも許されない。その代り何故か大后妃ピジルクには気に入られ、よく月の間に呼び出された。
 ほとんどが彼女の思い出話を聞かされるばかりだったが、その中に大后としての心構えや大臣たちの見えない派閥など、雑談に交えて色々と教え込まれた。その中でわかったことだがピジルクは、王と言う立場に疑問を抱いている。どんなに王を愛していても王は万人のものであり、夫として恋人として生涯を遂げることは不可能だと嘆いていた。
 いずれ彼女の立場に立たされるのだとわかっていながら、ユサはどうしても他人ごとのようにしか思えなかった。
 (私は、アタカが好き)
 けれどウリは変わらず優しく接してくれる。感情表現の少ない彼女の本音にいち早く気づき、いつも温かな気持ちにさせてくれた。
 罪悪感を覚えることはあったけれど、それも絵を渡すまでのこと。そう割り切っていたが、絵は今もチノリコ村に置いてきたままだ。いずれお付きの侍女のミツリに頼んでショウキに手紙を出し、そのことに触れてみようと思っていた。
 
 
 物音に気づき玄関へ向かった時には既に、モロトミは身支度を終えて扉を開けようとしているところだった。
 寝間着姿のジュアンは乱れた髪を軽く撫でつけて夫を見送ろうと玄関口まで歩み寄った。昨日から珍しく帰宅していたモロトミとは、今日の予定を聞く程度しか言葉を交わしていない。
 「…早いのね」
 正装姿のモロトミを見上げ感情を抑揚した口調で問いかける。
 「準備がある」
鼻先までずれた眼鏡を直しながら、敢えて彼女と目を合わせないようにして呟いた。
 今日はウリが王に即位する日である。彼女らにとって様々な思いが入り混じる複雑な記念日でもあった。
 「あの子……元気にしている?」
 「あぁ…」
掠れた声を吐き出し、それからジュアンを労わるように
「城内の評判もいい」
と付け足した。
 「この時期になるとよく喉を痛めていたから…カリンをつけた蜜を飲んで治していたけど大丈夫かしら」
 「心配ない。医師がついている」
 「もう、手首を掻いて……自分を傷つけたりしていないわよね…?」
 モロトミは答えなかった。唇を一文字に結んだまま、項垂れるように足元に視線を集中させる。
 「ここにいるよりも…幸せ、そうだったかしら?」
 耐え切れずジュアンの声も涙ぐんだ。
 「私…あの子を愛しているわ。母親として失格だったけれど、でも、最後まで守るべきだった。あなたが私たちを嫌っていると知っても、その倍も愛情を示してあげたらよかったのよ」
口に手を当て嗚咽を漏らし自分を責め立てた。
「ごめんなさい。あなたは…あなたが悪いんじゃないの。私がもっと、母親として自信を持つべきだったんだわ。だから、お願い。あの子に会わせて…!」
 胸にしがみつき懇意する彼女を支えモロトミは首を振った。
 「ジュアン、それは無理だ。きみが公の場に出たら」
 「謝りたいのよ! あの子に…あの子にちゃんと伝えられなかったわ…」
 「ジュアン……」
 鼻先までずれた眼鏡を直すのも忘れ、モロトミは彼女の顔を見詰め初めて途方に暮れた。
 「……」
涙で潤んだ紫色の瞳に映る自分が、いつの間にか彼女に見惚れていたことに気づき咄嗟に顔を逸らす。
 だがジュアンはその仕草は、自分を疎むが故の行為だと思い、悲しみを堪えるように唇を噛み締めてモロトミから離れた。久しぶりに触れた彼の温もりだけがやけに切なく心に残る。
 赤くなった目元を隠すようにそっぽを向くと
 「ごめんなさい…。仕事に遅れるわね……」
取り乱した自分を恥じるように呻いた。
 モロトミはなにも言わない。
重たい無言の沈黙が二人に圧しかかる。
 扉に手をかけるとモロトミは彼女に背を向けたまま言葉を紡いだ。
 「しばらく帰れないが…」
 「えぇ、気をつけて」
 見慣れた後姿に使い古したつくり笑いを浮かべて応える。
 扉が閉まる音が響くまで彼女は、その笑みを維持し続けた。
 
 
 戦争中の戴冠式と言うこともあって、西国を除く二国からは国王名代が出席することになっているが、北の属国や庇護下にある国々から多くの王族たちが新たな支配者の誕生を祝う為に訪れた。
 玉座の間に集まる国賓たちを眺めながらナムは、この歴史的瞬間に立ち会えることに震えるような喜びを感じていた。
 「いよいよウリが王になるのね」
カヒコと共に人々の群れを遠巻きに眺めながら嬉しげに囁く。
 「でもってこれからが大変だよなぁ…。俺たちの計画もシンチュウにいかなくちゃいけねぇし」
 「……」
 シンチュウではなく慎重に、と訂正したかったが開会を告げる鐘の音が鳴り響いたので舌先まで出かかっていた言葉を飲み込んだ。
 ざわついていた辺りが静まり返り厳粛な雰囲気が流れる。扉から玉座まで続くビロードの絨毯に沿って並ぶ近衛兵たちが一斉に敬礼をし、ロッキーヴァス総教会から選出された少年少女合唱団による国歌が流れ始めた。
 扉が開き教皇フサノリに導かれて王位継承者ウリが入場する。彼の後からは大后のピジルクもついてきた。
 玉座のある壇上へはフサノリとピジルクのみ登り、ウリは階下で佇んだ。ピジルクが大后の宝玉で飾られた椅子へ腰をかけるのを合図に合唱が止まる。その時初めてナムは、ウリが素足のままであることに気づき、研究所の資料で読んだ通りだと密かに感激した。
 司会を務めるのは老議院を代表した三老人だ。彼らはその小さな体からは想像もできないようなよく通る声を出し、儀式の始まりを宣言した。
 玉座に辿り着くまで三十三段ある階段を登らなければならない。その階段を数段ごとに分けて残る十人の老議院の老人たちがそれぞれに国宝を持って控えている。
ウリは階段を見上げると一歩登り上げた。
 最初に出会う老人が彼に美しく輝く靴を差し出して問うた。
 「あなたはこの靴を履くにふさわしいだけの誇りを持ち、我が国土安泰に尽くすと誓いますか?」
 人々が固唾を飲んで見守る中、ウリは静かに答えた。
 「誓います」
 老人は鷹揚に頷くと裸足のままだった彼に靴を差し出し履かせた。それと同時に一種類の管楽器による演奏が始まる。
 国王が履く靴を手に入れたウリは再び階段を上り上げた。二番目に出会う老人は細やかな刺繍の施された手袋を差し出して問うた。
 「この手袋は百人の娘たちによってつくられたものです。あなたはその手で何百万人もの民と、我が北の国を敬う多くの国々の統治者になり栄光を掴むと誓いますか?」
 「誓います」
 老人は穏やかに微笑み彼に手袋をはめさせた。
 
 
 手袋と靴を手に入れたウリは更に階段を上っていき、指輪、首飾り、マント、宝剣、王笏、王杖と授かりながら順調に玉座との距離を縮めていった。宝は枷と同じ働きでもあるのだろうか。体に身につけるものが増えるたびに重量に負けて、体が地面に埋め込まれていくような気がした。
 彼が宝を頂くと共に一つずつ楽器の演奏が始まり、今では九種類の楽器がそれぞれに美しい調べを奏でていた。
 そして三十二段目に佇む老人がウリの前に立ちはだかる。
 彼が持つものは王冠。枯れ木のような細腕で持つには頼りないほど、黄金色に輝き大小様々な宝石に彩られている。建国以来、代々イザナム王にのみ受け継がれてきた国宝の中でも最も価値のあるものだ。
 ここに辿り着くまでに交わした誓いは九つ。すべてで十の契約を果たさなければ玉座に座ることは許されない。
 「この王冠を頭に頂きし者は勇者であらなければいけません。そして賢者であり、聖人のように心清らかでなければいけません。我々はこの王冠を頂きし者をイザナム王と認めましょう。王の命令に従い、王の為に命を捧げ、王と共に国家繁栄へ尽力します」
 「わたしは―――誓います」
 第一声を発した時、空気が震えたような気がした。
 「わたしは国王となりあなたがたの生命、生活、幸福。そのすべてを守り国家の為に心血を注ぎ働くと誓います。勇気を持ち、知恵を備え、慈愛に満ちた心を宿し、この王冠に賭けて国家第一の奴隷となります」
 階下に集う大臣たちの中にモロトミがいるのだと思うと胸が苦しくなる。彼も他の大臣たちと同じようにウリの国王宣誓を聞いている。どんな顔をしているのだろうか。見てみたいとも思ったけれど、群衆の中から彼を見つけるのは困難だった。
 「陛下」
 そっと手袋をはめた指を握る感触が伝わってきた。見ると王冠を掲げ老人が目を細めて笑いかけている。
 「わたくしどもは陛下をイザナム王と認め、生涯の変わらぬ忠誠を誓います」 
 「……」
なにか言いかけてウリは言葉を紡ぐのをやめた。無言で腰を低くすると老人が頭に王冠を授けるのを待った。
 ずっしりと乗る王冠の重みを感じながらゆっくりと立ち上がる。十の国宝を手に入れたウリは、最後の一段を登り長かった宣誓を終えた。
 ピジルクが彼の手を誘い玉座へ導く。マントを翻して腰を据えると、金属の冷たさが布を通して伝わった。
 同時に割れんばかりの拍手が沸き起こる。
 フサノリによる神の祝福の言葉が述べられ、新イザナム王の誕生を告げた。
続けて各国の使者による祝辞と贈り物が披露され、ウリは思ったよりも硬い玉座の上で背筋を正したままただひたすら苦痛との戦いを強いられた。
「その程度の重み、耐えなさい」
王冠の所為で肩が痛くなり始めたウリにピジルクがそっと呟いた。
目下では南国の使者が祝の品の、見事な絹の織物を披露している最中だったので人々の注目はそちらへいっていた。
「こういう場では例え戦争中であっても笑いなさい。あなたの表情一つで国民の感情も左右されるのです」
諫言を素直に受け取りウリは上辺だけの微笑みを浮かべた。
けれど心の中ではこの女性こそ、まさにカミヨを育てた人だと納得していた。
 (寂しい瞳は…血のつながりなどなくても受け継がれるんだ……)
 ピジルクの瞳はカミヨとよく似ていた。どこかもの寂しげで孤高の憂いを秘めた眼差し。
 (王の柵に囚われず、己の王道を進む為に…幸せになる。そう、カミヨ様に誓ったのにこの胸はもう怯えている)
 だが彼を見詰める人々に向って、理想と現実の狭間に立ち震える心の内を隠しウリは悠然と微笑んで見せた。
 
 
 井戸と家を往復して水を運んだアタカは、彼の働きぶりとは対照的に手鏡を持って念入りに髪を梳くイチタに向って毒づいた。
 「そんなことしたって変んないって」
 「まぁそうだけどねぇ。これ以上ぼくが可愛くなるってことはないけど、邪魔者のいないデートは久しぶりだからさ」
 語尾が跳ね上がっている。余程ショウキとのデートが嬉しいのか、それとも即位を祝おうと都に集まる人々から頂く財布の中身を想って喜んでいるのかわからないが。
 (まぁ…どうせ財布の方が重要なんだろうけどな)
 その証拠に邪魔者を嗾けるようなことを先ほどから繰り返している。
 「でもさぁ本当にいかないの? もしかしたらユサに会えるかもしれないよぉ」
 「明後日…城にいくからいいよ。ちゃんとフサノリに、俺の気持ちを話しておきたいから」
 「ふぅん」
鏡を持ち替えてそこにアタカの横顔を映した。
 「……」
光の反射から鏡を向けられていることに気づき、アタカもそちらを見る。が、その一瞬鏡に映っているはずの自分の姿が透けていた。
 「…あまりゆっくりしていられないのかな」
 鏡と一緒に腕を下ろしながらイチタが寂しげに呟く。
 「俺、少しでも長くこの時代にいれるよう頼んでくる。だから―――」
 「バッカ」
舌を突き出すと、立ち上がりアタカの胸を小突いた。
「今更ぼくとの友情を深めようったってこれ以上、深まる訳がないでしょ。最高に極めちゃったんだから。それより…アタカは、今まで素直にならなかった分、ちゃんと後悔しないようにユサを守ってやりなよ。その手でウリに渡してあげるまで、好きでいても罰は当たらないって」
 「……」
 イチタの言葉に思わず涙腺が緩んだ。嬉しさと彼という友人の素晴らしさを同時に感じ、込み上げてくるものを必死に抑えた。
 「なぁイチタ。もしこの国を出るなら、どうせだから海を越えてロードリゲス大陸にいこうぜ」
 「ロードリゲス? だいぶ遠いけどぉ…」
 「うん。あそこなら、イチタの商売も成功すると思うんだ」
 逡巡するように黙り込んだが瞬きを繰り返しながら顔を上げると
「アタカが言うならそうしてみようかな」
と答えた。
 今後彼が辿る未来を思い、共に歩めない自身を嘆きながらアタカは満面の笑みを浮かべて頷いた。
 
 
 戴冠式に参加したユサは式が終わるなり即行で部屋へ戻され、別の衣装へ着替えさせられた。本来なら即位のパレードが行われるはずだったが、戦場に赴く人々に配慮して予定から外された。今頃バルコニーに出て城の外に集う国民たちに向って手を振っている頃だろう。
 「いちいち…着替えな、うっ」
 ユサを黙らせるようにわざと腰布をきつく締め付け
「いいえっ! これからアマテル王名代と面談されるんですから」
と諌めた。
 「ただでさえ私は不安です。せめて最低限の教養を身につけて頂いてからって思っていましたからね」
 早口で捲し立てるお付きの侍女ミツリがどうしてもショウキと印象が重なってしまう。ショウキよりも口うるさいのが玉に瑕だが、細やかな気遣いは彼女の方が勝っていた。
 「はい、できました」
背中を押され鏡まで連れていかれる。戴冠式で身につけた衣装と同じような色合いだったが、肩が大きく露出され白い肌に描かれた黒い刺青が一目でわかる。これまで肩を出したことがないのでなんとなく恥ずかしくなり、なにか上に羽織ろうとしたがミツリに叱られた。
 「せっかく着つけしたんですから余計なことをしないで下さいね」
 「……目敏い…」
 唇を尖らせぼやくと鏡越しに鋭い視線を向けてきた。
 「間違っても使者様の前でそんな口を利かないで下さいよ」
 「……」
 ここで逆らえば後々ひどい目に遭うのは見えているので、ユサは大人しく頷いておいた。それを素直な反応だと捉えたらしく、ミツリは殊勝に笑ってみせると彼女の手をひいて部屋を出た。
 式に参加した国賓たちはまだ宴の最中らしく、会場から離れた廊下にまで笑い声が聞こえてくる。賑やかな話題の中心にウリが拘束されているのだと思うと、つい同情してしまう。戴冠式の間、彼が浮かべていた微笑みは血の通わない人形のようだと思っていたからだ。
 ミツリに導かれ賑やかな声とは逆方向へ進む。アマテル王の使者と名代と対面し、その場でシグノの娘だと認められれば養女の手続きが取られる。ヤヌギ族が立ち合うと聞いていたが、ユサは早くも逃げ出したくてしかたがなかった。
 (このまま裏口から逃げ…れるかな…)
 と夢想したところで、ウリからもらった鍵を部屋へ置いてきてしまったことに気づいた。着替えの時にミツリに見咎められるのを恐れて、鎖に通して首飾りにしていた鍵は宝石箱にしまってしまったのだ。
 「どうなさいました? 溜息なんて吐いて」
 「……なん…でも、ない」
 恨めしげにミツリを睨みながらユサは再び溜息を洩らした。
 
 
 イチタが出ていくと家の中は静まり返った。マキヒもここ連日ジュアンの家へ通い詰めで他には誰もいない。丘を下りれば村の子どもたちと遊べるのだが、今はそんな気分でもなかった。
 暖炉の前に座り小さくなった炎に薪を与えながら考え事をした。
 (ウリがついに…イザナム王かぁ……)
 覚悟していたこととは言え、遂に迎えてしまったこの日をどういう気持ちで受け止めればいいのかわからない。ただ彼が即位したと言うことは、近くユサとの婚約も発表されるのだろう。そして結婚した後に、正しく歴史が進むのなら彼女の寿命が尽きる日がくる。
 「……絶対に…死ぬなよ…」
 膝を抱えその間に頭を埋めると押し殺した声で呟いた。
 閉ざした瞼の裏にユサの笑顔を思い浮かべながら―――暖炉の温かさと水汲みの疲労が手伝ってアタカの意識は次第に遠のいていった。
 
 目が覚めたら実験は終了していて、シルパは自分の部屋に戻されていた。実験の前にエディックが、起きたら一緒に食事をしようと言っていたので誰もいない室内から抜け出し母の姿を捜した。
 窓も時計もないので今何時頃なのかさえわからない。けれどどこまで進んでみても人の気配がない。
 「お母さん…?」
 エディックを呼んでみるものの返ってくる声はない。
 しばらく進んだところで、シルパは壁の向こうから聞こえる気の抜けるような笑い声に気づいた。
 「ハッハハハハハハハハハハハハハハッハハハハハハハッハハハハハハ~」
 この声の主は一人しかいない。時折エディックの研究助手として彼女の仕事の手伝いをしているところを見かけたことがある。
 廊下の突き当たりにある休憩所でハザンと、もう一人研究所の人間が飲み物を片手に雑談をしていた。
 「笑ってはぐらかさないでくれよな。実際にあの時代の連中にR-P34なんて使いこなせると思ってないんだろう?」
と、眉間に皺を寄せながら質問する浅黒い肌をした研究員は、何度か見かけたことはあるが名前は知らなかった。
 「ハッハハ~やだな~はぐらかしてなんかないよ~。確かにぼくも旧式DIMEの…」
 「DIME?」
 「人体の表面を傷つけず骨や内臓を高温で焼く兵器のことだよ~。R-P34はその作用を基盤にしてつくったものなんだけどね~まぁそれが、慣れない兵器を使用して戦う訳だから連合軍は混乱しちゃう訳だよ~」
 「理解できないな」
 「それでいいんだって~。ぼくらの発明品で味方の戦死者ゼロの大勝利を収められたら困るんだしね。いいように困ってもらって~それで、なんとか勝ったってことにしないと色々とシュミレーションしてみた結果、大変になるんだ」
 「ふぅむ、確かに。歴史にはケフの戦いでの戦死者名簿の筆頭に、国衛総隊長のクラミチの名前も載っているからな。後に彼は北国での英雄として語られるようになるんだろう? 若い兵士たちを救い、身を呈して国を守ったヒーローか」
 「ハハハハッハハハハハ~まぁ、ぼくらの知る歴史が正しいものだとしたら、そうなるよねぇ」
 妙に意味深な口調が気にかかったが、誰かがシルパの背中を叩いたので注意が逸れた。
 振り向くとエディックが微笑み立っていた。
 「遅くなってごめんなさいね。さぁ、いきましょうか」
 彼女が差し出した手をなんの疑いもなく握り締める。久しぶりに触れる肌の温もりがシルパの心を温めた。
 「食堂に新メニューが登場したわ。あ、でもシルパは動物性蛋白質をしっかり摂りなさい。何故ならさっきの実験で使った薬の副作用が大きく出て―――」
 一度始めたらなかなか終わらない講釈を遮って
「後でカマス叔父さんが兜虫を見せてくれるって言ってた。いってもいい?」
と尋ねた。
 しかしエディックは即座にその申し出を却下した。
「絶対に駄目! 何故ならあなたの体には今、ウィルスの抗体をつくる為のワクチンを接種したところだから。万が一あなたが虫や動物などの、非衛生的な生物と接触してしまった場合、体内でつくられている免疫細胞が変異を起こしてしまう可能性があるからよ。まったく…カマスったらなにを考えているのかしら。あの子ってむかしから鈍よ」
 「でも…」
口を尖らせて反抗しようとするも
 「何故彼が鈍との説が成り立つかと言うと、私が七歳の時―――」
持論を展開することに夢中になりシルパの声など届かなかった。
 免疫がなんであるか、抗体が何故必要かなどまだ幼いシルパには理解していない。せっかく交わした叔父との約束が打ち切られたことに、ただ頬を膨らませて怒りを表現した。
 
 喉の渇きを覚えてアタカは目を覚ました。薪の燃え具合から短時間の睡眠だとわかったが、ずっと暖炉の小火に当たっていた所為だろうか。
急いで水瓶から水を汲んで飲み干すと無意識に溜息が洩れた。けれど胸のざわめきはまだ納まらない。こめかみから噴出される汗を拭いながらアタカは夢の内容を反芻した。
 (クラが戦没者名簿に…載っているなんて、そんな訳ない。それに、それに…)
 左腕をまくりユサと逃げた時に負った虫に刺された痕を探してみた。今では跡形もなく消えて、場所も覚えていなければそれを特定することもできない。
 「………」
 粘りつくような不吉な考えごと飲み下したくて、喉仏を伝いこぼれるのも構わず水瓶の水を浴びるように飲んだ。
 
 
 迎賓室に通されたユサは最初に、扉を開けるなり立ち上がった背の高い銀髪の男に関心を奪われた。
 「シグノっ!」
 目測で三十代から四十前半ぐらいの痩せた男だ。立ち上がったついでにユサの元まで歩み寄ると、彼女の手を嬉しそうに取り直立不動の―――男と比べやや質素な装いの無骨な男に向って笑いかけた。
 「見間違えるぐらいよく似ている」
 見ず知らずの男に手を握られ、またその指がとても血が通っているとは思えないほど冷たかったのでユサはすぐに腕を振り落とそうとしたが、それを代行するようにしてフサノリが二人の間に割って入った。
 「改めてご紹介させて頂きたいのですがよろしいでしょうか」
 フサノリに言われ男もまだ名乗っていなかったことを思い出し頷いた。
 「わたしはアマテル王名代でやってきたグミツロゥだ。お前の母シグノの弟にあたる。あそこにいる木偶の坊はわたしの護衛だが、今日は証人として連れてきた」
 シグノの弟と言うことで警戒心はやや緩んだが、ユサは直感的にこの男を信用したくないと思った。
 (なんか…嫌な感じがする……)
 グミツロゥはユサの手を離すと今度はまじまじと肩の刺青を見詰め、にやりと笑みを浮かべた。そしてわずかに開いた唇の間から
「生きていたとは…」
と聞こえた気がした。
 が、そんな疑惑を打ち消すかのようにユサの頭を優しく撫でフサノリに向って
 「間違いない。この娘は姉君の忘れ形見だ。早速手続きをしようではないか」
 「仰せのままに致しましょう。筆はこちらにご用意しております」
 「うむ」
満足げに頷き後ろに控える男に声をかけた。
「おい、書類を持ってこい。わたしがこの場でサインをする」
 机に広げられた書類に目を通しサインを行うと、グミツロゥはつくり笑いのような表情でユサを眺めた。
 「ユサは運がいい。もし十五年前に侍女がお前を連れて逃げ出さなかったら、殺されていたかもしれないからなぁ。それをイザナム王に見染められ、兄王の正式な養女として嫁ぐことになったのだ。悪運が強いと言うよりないな」
 場違いな笑い声が天上のあたりでこだまする。
 (この人…嫌いだ)
 耳障りな猫撫で声に耳を塞ぎたくなったのを必死に堪え、ユサはグミツロゥを睨んだ。
 「ん? そうやってわたしを見る眼差しも…姉上にそっくりだ」
 指を伸ばし目にかかる前髪を除けようとしたが咄嗟にそれをかわした。触れられるのも嫌だと言わんばかりの彼女の態度にグミツロゥも眉を顰める。
 険悪な雰囲気が漂い始めたところでフサノリが助け船を出した。
 「初めて肉親と対面した故緊張されているのでしょう」
軽くユサの肩に手を置くと、彼女の前に立ちグミツロゥをもてなした。
 「どうぞこれより宴をお楽しみ下さい。新しき王とこれからもよき付き合いをして頂く為にも、さまざまな趣向を凝らしております」
 「ほぅ。教皇殿がそう言うのなら楽しみだ。ならばいくか」
 「ミツリ、ご案内して差し上げなさい」
 「畏まりました」低頭するとユサの時と似ても似つかぬ態度で身を翻し、上品な足取りでグミツロゥたちを部屋の外へ連れ出した。
 彼らの退場で場の空気が一気に清涼になった気がして、ユサは密かに深呼吸をした。
 「…相容れぬ性格だとしても愛想よくしておきなさい。彼は後にイズサハルを討ち、アマテル王に就任することになります」
 「!」
初めて聞いたヤヌギ族による予言に顔面の筋肉が硬直するのがわかった。
 「…あの人は……私を疎んでいる?」
 聞き間違えでなければ確かにグミツロゥはユサの存命を驚いていたはずだ。もしかしたらなんらかの形でシグノの投獄にも関与していた可能性がある。
 「王家の名を汚したとして、シグノ様に罰を与えるよう進言したのがグミツロゥ様です」
アタカによく似た金色の瞳を瞬きさせ、静かに断言した。
「シグノ様は、あの男に毒を盛られて亡くなりました」
 
 
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