夢に楽土 求めたり

青海汪

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第十四話 死者が抱く聖なる後悔

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 ―――ブナの森の葉がくれに 宴ほがい賑わしや
 
「元々栄養失調で髪の色が抜けていたんだけど、ここで健康的な生活を送るうちに元の色へ戻ったってことなんだわ」
 
 松明赤く照らしつつ 木の葉しきて仮居(うつい)する 
これぞ流浪の人の群 眼光り 髪きよら
 燃ゆる火を囲みつつ 強く猛き男(おのこ) 息(やす)らう
 
 「えーじゃあぁ、ここよりも環境悪い場所で暮らしていたんだぁ」
 
焚火を囲みて 男息らう
 赤き焔 めぐりめぐり
 焚き火 囲みつ
 女(おみな)たちて忙しく 酒を酌みてさしめぐる
 唄い騒ぐそがなかに 南の邦恋うるあり―――
 
「……厄難(なやみ)はらう…祈言(ねきごと)を…」
記憶を取り戻すと同時に思い出した歌詞を口ずさむ。ベッドに座ったまま窓の外を眺めていたアタカは、溜息を洩らし目の前で交わされるイチタたちの会話に耳を澄ませた。
「食べるものとかはちゃんとあったんだけど、シーウェスが食べない子だったのよねぇ。人間の三大欲に欠けているような子だったって聞いてたけど、まさにそんな感じだったみたい」
恐らく監視を兼ねているのだろう。ビィシリ村を訪ねてきたナムとカヒコはさり気なく未来世界の話を出してくるので、イチタは喜んで彼らを迎えたが当のアタカは不快感を隠せずにいた。
そんな彼に親しみを込めた眼差しを向け
「だっけどあのチビだったシーウェスがこんなにでかくなってるとはなぁ。まさに強靭的な成長だな」
「驚異的の間違いでしょ。まったく…もぅ、情けなくなっちゃうわ」
こめかみに手を当てて落胆をあらわす。
「う、うるさい! 別に俺が間違っても…ナムがいつも、その…傍にいてくれたらいいじゃん…」
「はぁ? なんで私がいつもそんなことしなくちゃいけないの! 甘ったれるなって」
「そっそーいう意味じゃねーし! この鈍感ザル女!」
お約束のやりとりを聞き流し粉雪のちらつく外の景色を見詰める。こうやってぼんやりしている間も、無意識のうちにユサのことを考えてしまう。
ナムとカヒコの会話からわかったことだが、検査と名目づけてユサは今も城に滞在しているらしい。王族にふさわしい教養を備えるべく現在は行儀見習いを教え込まれているそうだ。
「それと…ウリが城に移住してきたのよ。一応あんたたちにも伝えておくようにってフサノリ様が仰られて。まだ戸籍箱のこともあるから、城内でも公にされていないし、もしウリに会いにきたとしても正門から入ったって無理だからね」
「じゃあユサと一緒にいるんだぁ」
アタカが聞きたかったことを代弁して問う。するとナムはこちらを気にかけるような表情を浮かべ
「一緒にって言っても…顔を合わせる暇なんてないよ。ウリはこれから王族としての知識を身につけないといけないし、ずっと先生がつきっきり。ユサちゃんにしても同じ状態だし…」
「別に、俺には関係ないし」
ぶっきら棒に話題を切り捨てるものの、一身に向けられる憂いを秘めた視線は変わらなかった。
彼女たちがなにを危惧しているのかアタカにもわかっている。
 (俺が…ユサを好きになって、どうして悪いんだよ)
 考えれば考えるほど苛立ちが抑えきれなくなる。ようやく自覚しその気持ちを認めることができた恋なのに、自分がいつこの時代から退去させられるかわからないのだ。
本来の歴史のままに進めば、結ばれることが決定づけられているユサとウリの間に割って入ってでも成就させたいのか。
 理性を持ってくれば答えは簡単だった。けれどそれができるのは、きっとなんも考えず感じるままに行動していた『シルパ』の頃だけだとアタカは思った。
 その時、ふいに歌声が聞こえてきた。
 「ブナの森の葉がくれに 宴ほがい賑わしや 松明赤く照らしつつ 木の葉しきて仮居する」
 アタカの視線に気づくとナムは照れ笑いを浮かべ歌を止めた。
 「さっきあんたが口ずさんでたでしょ? これってエディック博士が好きだった歌だから」
 「そう言えば部屋の前を通るとさ、時々オルゴールとかも聞こえてきたなぁ」
と、懐かしげに目を細めながら紡ぐカヒコ。
 場の空気を察したイチタは、懐古を始める二人の邪魔にならないようそっと囁きかけた。
 「アタカのお母さんってどんな人だったの?」
 「熱心な人だったよね…」
胸に手を当てて深々と溜息を洩らす。
 「独身のまま子どもを育てる傍らで、あんな開発をしていたんだもんなぁ。私の憧れの人だった。普段は結構、気真面目で冗談の通じないところもあるのに本人は意識していないけど、抜けてるところもあるんだよねぇ。気さくで誰とでも仲よくなる人だった」
 「俺も研究所入る時に色々と世話してもらった。優しい人だったよな。もぅあんな人、いないよな…」
 故人を偲ぶ言葉なのにアタカはまるで自分が責められているように感じた。
 母の偉大な発明品を使い、本来いるべきではない時代へ勝手に飛んできて歴史を掻き乱す。それが客観的に見た自分の立場なのかもしれない。
だが少なくともアタカは知っている。母エディックがこのプロジェクトに反対であったことを。だから時計に小細工をしたのだ。
 (それに今更文句言われても、俺がきちまったもんは仕方ねーだろっ)
 しかし実際のところはどうなのだろうか。彼らヤヌギ族の目的は死んでしまうはずのユサを生き延びさせ、歴史を変えることにある。ユサが死ななければ未来も変わり、そしてウィルスも戦争もなかったことにできる。それは、遠い彼方で果てていった友人の死も、彼との出会いも思い出もすべて、やり直せると言う意味も含んでいた。
 否定はできない。グリフを死なせたくなくて、死を覚悟しやってきたのだ。自分が抱く想いを無視してヤヌギ族たちにすべてを任せればいい。そうすれば歴史は、正しい方向へ導いてくれるのだから。
 「……ちょっと風当たってくる」
 心配気に顔色を伺うイチタから目を逸らして床を睨みながら部屋を出る。
 玄関の前に立つとマキヒも仕事へ出かけ、誰もいない家の中を振り返りアタカは暖炉の前に肩を寄せ合って過ごした日々を回想した。
 「独りよがり、だったのかな…」
 そうであればいいと強く願うことで自分を騙していただけなのかもしれない。所詮はこの時代にも、どこにも彼の居場所はないのだ。
 自嘲気味にこぼすとドアを開け、雪の積もる銀世界へ身を投じるようにして出ていった。
 
 
 話題の中心人物が出ていったことでカヒコの緊張も解けたのだろうか。肩の力を抜きおもむろに手足を伸ばすと、胡坐をかいていた足を組み換え
 「ちょっと気になる噂を聞いたんだ」
 「なにさ」
 アタカがシルパであると判明するまで、カヒコはやけにエディックの息子を嫌っていた。実際に二人の接点はほとんどなかったはずなので、ハザンの言う通り母親の肩書きを利用して悠々自適に暮らしていると思い込んだ上での嫉妬なのだと一応は納得していた。
 だがその考えを否定する言葉を彼は口走った。
 「シーウェスの父親は実はフサノリ様で、別れた腹いせにシーウェスを例のウィルスの実験体に推薦したって本当かな?」
 「え、まさか」
 咄嗟に否定したものの根拠はない。
 彼女に代わってイチタが応えた。
「フサノリ様って教皇のことだよねぇ。それがどうして父親なのに、息子をそんな危ない目に遭わせるのぉ?」
 「腹いせってのは嘘だと思うけど。子どもだから自分と同じDNAを持ってるじゃん。さすがに自分のクローンをつくるのには抵抗があったんだろうけど、シーウェスに抗体ができたら自分にも希望を持てるしウィルスの研究をしていたテナ支部なら、博士よりもフサノリ様の方が顔もきくだろ?」
 「確かに…言われてみればそうね。エディック博士が持っていたあのオルゴールって、シーウェスが生まれた時にフサノリ様がプレゼントしたものだわ」
 放置していた疑問と片鱗が合わさっていく手応えを感じた。
 「ちょっと変だなって思ってた。…どちらにしろ、このままじゃあの子は時間の流れから『排斥』されて、とんでもないところへ飛ばされるかもしれないのよね。それなら即行で身柄を拘束するべきだって思ったけど、自由を約束するってことが逆に父親の情愛ってものなのかな」
 「でも望みはないじゃん。ユサは…」
 「死因は―――わかっているの?」
鋭い刃を連想させる冷ややかな口調にナムとカヒコは思わず口を閉ざした。この一言を発するまで、二人は部外者がいることを忘れていた。
ベッドの縁に座っていた彼は愛らしい表情を崩さず、穏やかに微笑みかけながら繰り返した。
「死因だって。友だちが死んでいくってわかっているのに、黙って見てられないもんねぇ」
笑顔に隠された底知れない意志の強さを感じ取り、互いに目配せをする。カヒコは喋るしかないと思っているようだ。
「史実によるとウリと結婚後に突然死するんだけど…。当時の医療技術ではその原因が判明しないまま埋葬されることになってるわ」
 「それをヤヌギ族たちは阻止してくれるんだぁ。でも原因不明なのに可能なの?」
 「あのね、もし病気だとしても暗殺や自殺だとしても、歴史には都合の悪いことは残らないものなの。だから私たちはあらゆる可能性を考えて彼女の身の安全を図るんだから。その為に…命を賭けているの」
 睫毛を伏せるナムの横顔を見てイチタも彼女らの覚悟を認めたようだった。ほっと嘆息を漏らすと、その視線は項垂れる二人から窓の外へ向けられる。
 雪の積もる丘を駆けていくアタカの姿を捉えたが、彼は敢えて沈黙した。
 
 
 あの時のように後悔したくないと思った時には、既に足は大地を蹴り我を忘れて走っていた。短い呼吸を繰り返し、吐き出した息が白く染まって後方へ棚引く。
 通い慣れた道は雪に埋められているけれど彼の足はなんら抵抗を感じずに駆けていく。
 グリフが去ってからシルパは、ただ、ただひたすら後悔していた。せっかく心を開きかけていたのに、シルパが笑いかけてくれるのを待っていたのに。微笑みは笑顔になる前に打ち砕かれた。
 誰にも必要とされないと思っていたシルパは、社会の、国の命令に忠実に従っていた。機械的に仕事をこなし、機械的に生きて、機械的に、心を熱くすることもなく死んでいくはずだった。自らも血が通った人間だったことを、教えてくれたグリフと言う友出会うまでは。
 彼を失った時シルパは初めて、世界に疑問を持った。この世界が命を賭けてまで守るべきものなのかと疑い、そして彼の名前を呼びたくて時計を回したのに―――
 「違う!」
 空に向って大声で叫びアタカは否定した。
 「俺はただ、後悔している自分を見てグリフに認めて欲しかったんだ。こんなに後悔している。グリフに悪いと思っているって伝えて…俺は……」
 許して欲しかった、と呻く。
 (俺もヤヌギ族と同じかよ……!)
 自分を認められなくて。自分たちが導いた結論が納得いくものではなかったから、過去を清算しすべてをなかったことにしようとしているヤヌギ族。それが全人類の希望なのだと言われたが、アタカは首を縦に振れなかった。
 だが彼自身も償おうとして過去へ戻ってしまった。時計の螺子を回した時点で彼にもまた、同じヤヌギ族の血が流れているのだと自覚せざるを得なくなってしまったのだ。
 蜘蛛の糸ほどの希望であれ、縋りつきたくなってしまう切ない現状。この足が向かうままに彼女に会って、そしてなんと声をかければいいのだろうか。雪山で目の当たりにしてしまった二人の間に、割って入る隙間もある訳がないものを。
 それでも再び後悔することを恐れてアタカは、都へ向かって足を走らせた。
 
 
 これまでにない高度な知識を有する学者たちに囲まれたウリの勉強は、昼食を区切りに一旦休憩に入った。
 カミヨの専属教師だったらしいが、百歳をとうに超えていながらその指導力には舌を巻くものがあった。特に古代ルーン語学者に於いては初対面にも関わらず、挨拶から古代語で始まり一切の質問を受けつけてくれなかった。どうやら耳で覚えて学べと言うことらしいが、家庭教師たちの教育を受けていなかったらこの時間は拷問に等しかっただろう。
 だが苦痛ばかりではなかった。よりレベルの高い授業は幼いウリの探究心と純粋な好奇心をくすぐり、初めて誰の為でもなく自分の欲求が赴くままに勉強に打ち込むことができた。
 また家を出てきた彼を多くの家臣が笑顔で出迎え、カミヨが幼少時に使っていた部屋まで宛がわれた。
 けれど広すぎる部屋はウリの心を反映したように寂しくて、話し相手のいない室内を占めるのは、ものを言わない豪華な家具ばかりだった。
 次期王位継承者と誰もが心に思ってはいるものの、正式な発表があるまで彼はあくまでモロトミの子どもに過ぎない。行儀見習いを名目に滞在を許されたが、人目につく場所へいくことも王と共に食卓に並ぶこともできなかった。
 (むしろこの方が気楽でいいけれど…)
 食事を口へ運びながらぼやく。
 部屋と同じくらい豪華な食材をふんだんに使った料理は、舌がとろけそうなほどおいしかった。だがそのほとんどを残してウリは部屋を出た。次の授業が始まる前に小用を足しにいこうとした。
 高い天井は歩くたびに足音をこだまさせる。白い壁にかかる自分の影を追いながら、ウリは小走りになった。走ると腰のあたりで、渡されたばかりの城内の鍵束がぶつかり合い音を立てた。
 家を出たとは言えモロトミはこの城に生活の拠点をほぼ移していた。仕事場が何階にあるのかわからないが、いつ顔を合わせるかわかったものではない。その時彼の顔に浮かぶ最初の感情を確かめるのが怖くて、ウリはトイレまで立ち止まらずに走った。
 そして用を済まし再び部屋へ戻ろうとした彼の耳に、窓の外から聞き覚えのある彼女の声が届いた。
 「アータカー!」
 
 
 城の裏門に辿り着いたところで、アタカは重大なミスに気づいた。
 (どうやって中に入ればいいんだよ…)
 前回ナムたちが一緒だったからなんら問題もなく入れたが、今のアタカには身分を示すものもそれを保証してくれる人もいない。例え同じヤヌギ族であっても、彼らと同じくその顔が城内に知れている訳でもないのだ。
 門の前に佇む訳にもいかずうろうろとその場を徘徊し始める。取りあえず壁さえ越えたら中に侵入できるのだが、運よくどこかに穴でも開いていないかと思いながら歩き回った。
 やはり城の周りにはヤヌギ族が未来から持ってきた凍結防止剤が撒かれているのだろう。綺麗に雪の消えた地面には、早くも新緑の若葉が芽を出していた。
 「あいつの植林も……意味がなかった訳じゃないんだなぁ」
 ユサがつくりだす『イハヤの森』。それが何百年も先の未来に影響を及ぼすものになると、誰が想像しただろうか。アタカが知る限り、彼女の植林を積極的に推進する者は一人としていなかった。
 ふっと遭難した後に見せた彼女の笑顔を思い出し、アタカはふっと笑みを漏らした。
 (そう言えば、あいつ、絵を俺にくれるって言ってたけど……)
 考えに耽りそうになっていた彼の意識を城から聞こえた大声が連れ戻した。
 「アータカー!」
 「!」
 心臓が飛び跳ねそうなぐらい驚く。アタカは咄嗟に振り返って城を仰いだ。雪のように白い城壁は太陽の光を反射し、眩しくて目を細めたが深い影を宿す窓の一つから手を振る白銀の髪の少女を捉え、胸を高鳴らせた。
 「ユサ!」
 立ち聳える壁に縋りつきユサに手を振る。
 「今いくからな! そこにいろよっ」
 アタカがそう叫ぶと、ユサは嬉しそうに微笑んだように見えた。彼女が喜ぶ様子を見てくすぐられるような幸福を感じる。が、ちょうどユサが手を振る真下の窓から、ウリがこちらを見ていたことに気づき、風船に穴が開いたように急に全身を覆っていた温かな感情が失われていった。
 だがウリは彼に向って裏手の門を指差し
 『待っていて』と合図を送ってきた。
 彼がユサの元へ連れていってくれようとしているのは明らかだ。だがアタカは、同じ城内にウリがいるのに対し、こうして誰かの助けを借りなければ彼女へ会いにいくことも叶わない自分の立場にやり場のない悔しさを覚えた。
 
 
 意外にも扉を開けた先にはアタカだけではなくウリも連れ立っていた。
 ユサは自分の顔が綻ぶのを意識しながら二人を中へ迎え入れた。頭の包帯は取れたものの未だに城から出してもらえないことや、何故か先生と名乗る女性たちがユサの元へ押しかけて色々なことを教え込もうとしてきたのでそれに対する鬱憤が溜まっていた。が、それもウリの顔を見ると氷のように消えていった。
 「びっくりしちゃったよ。ユサでもあんなに大きな声が出せるんだね」
 「アタカを、見つけたから」
笑いかけるウリに恥じらいを覚えて俯く。
 「あ、髪の毛切ったんだ」
 「いつの間にか切られた」
 正確には彼女が湯浴みをする前に侍女に呼ばれ、その髪型をなんとかしなければいけないと一方的に捲し立てられ拒む間もなく切られたのだった。元々彼女が自分で切っていた上に、常に泥にまみれ手入れさえしていなかった頭だ。湯浴みに付き添った侍女たちが、真っ黒になった湯を見て悲鳴を上げたくらいだった。
 「よく似合ってて可愛い」
 はにかみながら褒めてくれるウリに対し喜びを伝えようと口元を緩める。だが、ずっと隣に立つアタカが話しかけてくれないことが気になって、ユサはうまく笑えなかった。
 ようやく会えたのにちゃんと彼の目を見られない。切ってしまった前髪がない視界は、遮るものをなくし真っ直ぐにアタカの姿を捉えることができるのに、胸の奥から湧きあがる感情が何故かそれを邪魔した。
 両脇で垂らした手を強く握り締める。高鳴る心臓の音が目の前に立つアタカにまで届いてしまいそうだった。
 「…怒って、るの?」
 喉を締めつける感情に必死に抵抗しながら言葉を紡ぐと、アタカは静かに首を振って否定した。
 「俺…今までみたいに、一緒にいれない」
 衝撃的な告白にユサは両目を見開きアタカを見上げた。
 
 
 髪を綺麗に結いあげ、薄い暖色の衣装に身を包んだユサの姿は心の底から綺麗だと思えた。
 それは隣に立つウリも思ったようだ。彼はすぐに髪型を褒めたがアタカにはできなかった。綺麗過ぎて、うまく言葉にできなかった。
 顔が隠れるぐらい伸びていたぼさぼさの前髪が消えて、その下から明らかになった大きな黒い瞳が不安げに揺れている。
 大丈夫だよ、と言って安心させたところで、これから自分が告げようとしている事実は二人を怯えさせるだろう。それならこのまま不安なまま、一気に明らかにしてしまえばいい。半ばやけくそになりながらアタカは閉ざしていた口を開けた。
 「俺はこの時代にいるべき人間じゃなかったんだ―――」
 ウィルス。本当の名前。死体を焼いて暮らした日々。戦争が始まり友人がいってしまったこと。研究所で時間を超えてこの国へやってきてしまい、記憶を失くし同じ時代からたってきたヤヌギ族たちの仲間だった。そして、二人こそ結ばれるべき運命の相手なのだと。
だが、一族の目的と彼女が死ぬ運命にあることだけは言えなかった。
 すべてを告げた後、アタカはわざと視線を落とし二人の表情が視界に入らないようにした。
きっとお互いに見つめ合い頬を染めているに違いない。歴史にも名を残す夫婦となる二人なのだから。
 (それでいいんだろ。だって、それが正しいんだから…!)
 悔しくて頭がおかしくなってしまいそうだ。全部がぜんぶ運命だと諦めきれるのなら、ヤヌギ族たちも過去を変えにくるはずがない。諦めきれないから、どこかでやり直したいと思うから危険をおかしてまで彼らはやってきたのだ。
 (だけどこいつらは本当に、お互いに好きで…)
 「シルパ? アタカ?」
 ふいにユサが開口した。
 「名前、どっちで呼んだらいい?」
 重い空気が漂う場にも関わらず、どこか間の抜けた質問に呆気に取られ思わず彼も
 「別に、今まで通りで…」
と答えてしまった。
 「アタカ…」
確かめるように呟き頷いた。
 そしてほんのりと紅潮した頬のまま彼を見上げると
 「アタカ。アタカに、絶対にあの白い塔の絵をあげる」
 ユサは、いつもと変わらない調子で笑いかけた。
 
 
 アタカの告白を受けた後、ウリはしばらくじっと沈黙し二人のやりとりに耳を傾けていた。
「ば、馬鹿か! 俺の話ちゃんと聞いてただろ? お前はシグノの娘で王族なんだぞ。お前を狙ってたくさんの暗殺者だってくるし…そうならないように今、こうやって城にいるのに」
 「私は元気。家に置いてあるからすぐ取ってこれる」
衣装の裾を持ち上げようとする彼女を慌てて制し
 「そういう問題じゃない!」
 「絵をあげたいの」
 「だっかっら!」
 「元気だから大丈夫」
そう言うなり再び裾を持ち上げようとした。
 「そーういう問題じゃないっ!」
 再び会話が元に戻りそうになったので、二人の間に割って入るとアタカはすぐにそっぽを向いた。
まるで大切な宝物を取り上げられたような顔をして、傷ついた気持ちを悟られまいと懸命に目を逸らしている。
 その仕草を見てウリは自分の予想に自信を持った。
先ほどからアタカを見詰めるユサの眼差しは、明らかにモロトミを想う母と同じ類の光を宿している。間違いなく二人は互いに想い合っているのだと確信し、自分が置かれている立場が奇しくも前王と似ていると思った。
当時と同じく恋人たちを権力の力で引き裂こうとしている。その結果が生み出した悲劇をウリは痛いほどよく知っていた。
未来からきたアタカが、この時代に住むユサと共に生きることができるのだろうか。もし、できるとしたら運命の相手よりもユサは彼を選ぶような気がした。
(障害さえなければ…二人が惹かれ合っていくのは、誰にも止められない……。だけどここではぼくが、障害の一つなんだね。かつてお母様たちが再び、ゼロから始めようとした時に懐妊がわかったように。ぼくは、いつも、誰かの重荷になってしまう)
偽ることもなくウリは、ユサが好きだと自覚していた。誰よりも彼女を幸せにしたいと思っている。だが、彼女の幸せは自分に叶えられないものなのかもしれない。
背後に感じる温もりが愛しくて、これまでどんなに傷ついてきても彼女が笑いかけてくれるならどこまでも頑張れる気がしていた。だが、同じように彼も。アタカもユサに心惹かれていたのだ。
 「アタカは……ユサが好きなんだね」
 確かめる為ではなく自分に言い聞かせるように呟く。
 「なっ、そ、そんな訳ない」
慌てて否定するアタカ。お世辞にもその演技はうまいと言えなかった。
 だがそれは彼を思いやる優しさからなのだと思うと余計に辛くなる。優しさが邪魔をして、傷つけるのを恐れて大切なものを手放そうとしている。例えそれが『運命』だとしても、その先にある幸せが本当に代償に等しいものだと誰も保証できないのに。
 「嘘でしょ。本気でそう思うなら、ちゃんと。ぼくじゃなくユサの目を見て、断言して」
 彼女の名前を出した途端に狼狽し始めるアタカを置いて、今度はユサと向かい合った。
 「好き…だね?」
 真実を聞きたくなかった。だけど、ユサは即座に頷くと
 「好き」
とても明快に答えた。
 胸に針で突き刺すような痛みが走るが、敢えて普段通りの態度を演じながら微笑みかける。なんでもないふりをするのはこの場にいる二人よりもずっと優れている。唯一の特技と言ってもよかったくらいだ。
 「でも、ウリも好きだよ。で、でもアタカの方が上で。でもアタカが…あ、あれ?」
 頭の中で言葉がかみ合わなくなったのだろう。せっかく綺麗に結った髪を掻き毟ると、救いを求めるようにウリへ眼差しを向けた。
 「お前はウリと一緒にならないといけないんだ!」
 「どうして?」
 「どうしてって…そう、決まって……」
 「だけど私、アタカが好きだよ」
 「だーかーらっ!」
 もどかしそうに腕を振り上げて怒鳴るアタカを遮り、ウリはユサの手を握った。
 「アタカも、ユサのことが大好きだよ」
 黒い瞳が大きく揺れ喜びに相好を崩す。伏せた睫毛が再び持ち上がると、華が開いたような初々しさが醸し出された。
感情表現に乏しい彼女が見せる、最大級の喜びだった。
(ソシテボクモ、大好キダヨ…)
 体の奥深くで悲鳴が上げる。ユサを見詰めるたびにときめいていた心臓は、鷲掴みにされたように痛み悶え苦しみ、彼女がアタカに向って微笑むだけで我を失い叫びたくなった。
 だけどウリは渾身の演技でそれらを見事に隠すと、アタカに彼女の手を預け一歩退いた。
 つながれた手を見据え、二人に父と母の姿を重ねた。
 「運命なんて関係ない。本当に好きなら、突き進まなくちゃいけないんだ」
 後悔した時にはもう遅い。モロトミが本当にジュアンのことを好きだったのなら、逃げだせばよかったのだ。誰を傷つけても、その代償を払ってでも守らないといけない大切なものだから。
 「逃げて。二人で逃げて! 運命は自分で切り開けるって信じて」
 皮肉なことに自分にはそんなこともできないとわかっていた。流れるままに玉座への階段を一歩ずつ登っているのだ。
 ユサを手放すと思うと、鉛を呑み込んだように苦しくて呼吸もできなくなる。だけど、この苦しみに耐えてでも二人を旅立たせなければいけないと思った。
 「だけど…」
言葉と同時に熱い涙が迸る。
 大切な友だちが幸せになってくれるのなら、それは自分の幸せにもつながるのだと言い聞かせて。
 「きっと、ぼく……もっと一緒にいたら、ユサのこと好きになってた」
 精一杯の冗談に、ウリは涙を堪え切れなかった。
 
 
 即座に、嘘だとアタカは察した。ウリはユサのことを想っていたはずだ。だが無理やり笑顔をつくろうとする彼の胸中を想像すると、言葉を返せなかった。彼がどんな思いで二人を送り出そうとしているのか。本来ならウリと結ばれるはずだったのだ。悔しくて、きっと腸が煮え繰り返るぐらい怒ってもいいはずなのに。
アタカはまだ告げていない。ユサがいずれ若くして死ぬ運命にあることと、自分がいつこの時代から追放されるかわからない身だということを。しかし、沈黙することが卑怯と言えるだろうか。今の自分には彼女を守る手立ても、永遠に傍にいることも叶わないけれどそれらを凌駕するだけの想いがある。運命に負けたくない。シルパと名乗っていた頃のように過去を悔み、生きている自分にすら絶望するなんてもう、味わいたくなかった。
 (いいんだ。俺は、ユサが好きだ―――!)
 自分が選ぶこの道が決して正しいものだとは思わない。ただ、好きだから。二人を取り囲むすべてを投げ売ってでも、変わらない唯一つの真実に賭けてみたかった。
 ウリによって取り持たれたユサの手を握り締める。ユサは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに手を握る指に力を込めた。
指先から二人の想いが溢れ互いの気持ちが伝わってくる。アタカが決意したその時に、ユサも同じく運命に背く覚悟をした。
 決意を宿した眼差しをユサからウリへ移す。彼は腰に提げていた鍵束をアタカの空いている方の手に持たせ
 「未来からきたアタカなら、きっとぼくらがこれから犯していく過ちをたくさん知っている。だから、ぼくらがこれからも、ずっと、失敗を重ねていってもそれは無駄に……無駄にならないんだね」
 「!」
 ウリは両手を広げてアタカとユサを抱き締めた。
 「友だちでいよう。離れていても、幸せを祈っているから」
 涙が止まらなくなった。心の奥から感謝の気持ちが溢れ出て、だけど本当のことを告げたとしても彼はこんな風に見送ってくれたのかわからなくて。自分の狡猾さが情けなくそれでも手放したくない、大切な人を、彼から奪い去っていく罪悪感がしょっぱい水へ変わって頬を濡らしていく。
 ―――無駄にしたくない。
 遥かむかし、同じように人々が暮らしてきた時代があったことを、決して無駄にしたくない。
 腕が離れた時、アタカは真っ直ぐ前を見据えたまま踵を返した。
ユサの手を持ったまま部屋を出ると、決して振り返らずに駆け出した。
 
 
 アタカと手をつなぎ城内を駆けている間、ユサはこれまでの記憶を回想させた。それらは走馬灯のように蘇っては消え、蘇っては消えと繰り返しそのたびに溢れ出る懐かしい思いを噛み締めた。
 孤児院でいつもショウキと遊んでいた。ユサにとって、彼女がいて初めて周りの世界が見える橋渡し的な存在だった。そんなショウキの初恋と協力してしまったが故にみんなを不幸にしてしまった、ルダとフワニーニャの事件。あれからもう、ショウキが笑いかけてくれることはないと思っていたのに、彼女と再び和解することができた。
 早く村に戻ってこいと、はにかみながら言ってくれたショウキ。今頃はイチタと一緒にいるかもしれない。今度こそ、幸せになって欲しくて。彼女がもう一度あの満ち足りた微笑みを浮かべて過ごす日々を見守りたいと思っていたけれど、アタカの手を握った時にそれは叶わないかもしれないと思った。
 (アタカが…好き……すごく、好きだ)
 むしろその想いはこうして手を握り締めている間に一層強くなってきている。彼と共にいれるのなら、多少の犠牲にでも目を瞑れるだろう。それだけ彼に対する感情をはっきりと自覚できるのに、ユサはずっと後ろ髪を引かれるような気持ちでいた。
 まるで背中に見えない糸がついているように。糸の先がウリとつながっているような感覚。どんなに現実の距離が離れていっても、振り向けばそこに彼が立っていそうな気がしてならない。
 (運命の相手、だから…?)
 結ばれることが既に決まっているから、いつもその存在を感じてしまうのだろうか。
 だけど、とかぶりを振りユサは目の前にあるアタカの背中を見詰めた。
 (本当に好きなら、それだけで周りも。みんな幸せになれるよね?)
 ルダに懸命に恋をしたショウキがそうだったように、満ち足りた思いを共有することができる。それが恋なのだと信じたかった。
 「やった! 誰もいないぞ」
 ウリからもらった鍵で外へ通じる扉を開けるアタカ。
彼の微笑みの向こうで開く扉から注ぐ光が眩しくて、ユサは目を細めた。
 
 
 無線ピアス型携帯機の連絡を受けてナムとカヒコは急遽城へ戻った。普段は正門に数人の兵士が立ちひっそりとしているのだが、何故か今日に限って侍女や召し使い、小姓たちも総出で茂みや壁の周りを捜しながら歩いていた。
 「なに捜してるんだろな」
 「さぁ? とりあえずフサノリ様の部屋に集合だから急ごう」
 近くにいた小姓に馬を預け、二人は城へと向かった。
 城内もいつもの厳粛な雰囲気から一変し、侍女たちが走り回ってなにかを捜し回り騒がしい様子だった。ナムはもしやユサが脱走を図ったのではないかと不安になったが、カヒコは彼女の懸念を一笑した。
 「まっさか。だって鍵もないのにどうやって逃げられるんだよ。ぼけっとした子だし、そこまで頭が回るとは思わないけど」
 「あんたに言われるとは…同情したくなるくらい可哀想だけど。まぁ考えすぎかな」
 「そーだって。今はユサのことよりも、この後に始まるケフの戦いについて作戦会議でもするんだって。なんたってハザンがニガ心してつくったR-P34の初ヒーローだろ」
 「正しくは苦心。それと初披露でしょ…。まったく…どうしてあんたみたいなガキがMIZUHAに入れたか不思議で仕方ないわ」
 「へっ。俺の運の良さを知らないから言ってるんだな」
 「運ですべてがうまくいったらいいけどね。もう少し大人を敬うってことも知るべきだわ」
 「ナムの敬うって言うのは、一緒に酒を飲み交わすってことだろ。お前と対等に飲めるザルはそうそういないって」
 「そうでもないわよ。カマスなんて放っておけば三晩は一緒に飲み続けられるわ」
 「だから! カマスには奥さんと娘がいるだろ! いい加減にもうちったぁ恥らえって」
 「そうそう。あの顔の傷跡ってさ噂によると夫婦喧嘩のものらしいよ」
 「げげっ! 嘘だろぉ…俺、名誉の戦傷だと思ってたのに……」
 「いやぁ。あのカマスに手負いをさせるくらいだから、奥さんもそうとうよね」
 「こえぇ…」
 ようやくフサノリの自室の前まで辿り着いた二人は身だしなみを整え、ドアをノックしようとした。が、ナムの手が寸でのところで停止する。
 カヒコが怪訝そうに彼女の顔を覗き込むが、中から聞こえてくる話声に気つき耳を澄ませた。
 「設定を直すことは無理なのか?」
 カマスの声に続いてハザンの仕事口調が返ってきた。
 「装置の重大な欠点については事前に説明してきました。だが、組織は一刻の猶予も許さなかった。トラベリングした後にこの時代で修理を行うつもりでいましたが、その工具までも仲間たちと一緒に消えてしまった今。率直に現状を伝えるべきだと思います。指示を仰ぐまで私は開口しません」
 「つまり、我々が元の世界に戻れる確率は極めて低いと言うのだな」
 沈黙が続く。一枚の扉を通して彼らに圧し掛かる重い空気が二人にも伝わってきた。
 俯くナムの肩にカヒコは労わるように手を置いた。
 「……そうなるかもしれないって、覚悟していたんだけどなぁ」
 そう呟く彼女の目元は光を受けてわずかに光っていた。
 「私の覚悟は決まっている。あんたは、どうする?」
 真っ直ぐ向けられた眼差しを正面から受け止め、カヒコ頷いて答えた。
 「俺も残るよ。いつか戻って、ナムにプロポーズしたかったけど、別にこの国で暮らしてもいいかなって思ったし」
 「ぷ、プロポーズ? あんたまた言葉間違えてるんじゃないの?」
 「ちょ! それはないだろっ! 俺のヒトヨヒト大事の決意なのにっ」
 「一世一代でしょ…頼むからちゃんと喋れるようになってくれよね。カヒコちゃん」
 鼻先を指で弾かれたカヒコは不貞腐れた様子でそっぽを向いた。そんな彼の反応を楽しみ気持ちを入れ替えてからナムはようやくノックをしてドアを開いた。
 「遅くなりました。召致に応じました」
 「同じくカヒコ。召致に応じました」
毅然とした態度であらわれた二人を見て、フサノリを筆頭にハザン、カマスは顔を引き締めて頷いた。
「私は、いつまでもヤヌギ族の一人として、教皇の命令に従います。ご命令を!」
敬礼をして言い放つナムに倣いカヒコも姿勢を正した。
「俺も…! 俺も、どんなことになっても命令に従います!」
すぐに話を聞いていたのだと合点した彼らは、気まずそうに互いに視線を交わしふっと笑みをもらした。
フサノリが前へ進み出て二人の肩を叩く。
「お前たちは、共に…命を懸けてきた仲間だ」
しみじみと呟くと表情を変え
「ユサが脱出した。目撃者によると黒髪の少年と共に城を出たらしい。脱出にはウリが加担している。即刻見つけ出し連れ戻せ」
 「はい!」
 
 
 ユサの煌びやかな衣装は予想以上に人々の目を惹いた。二人が城を抜けて数分とも経たないうちに城内が騒がしくなり、ただちに追手が馬に跨ってやってきた。だが文使いとして都の裏道まで知り尽くしているアタカは、なんとか捜索の目をくぐり都の端にある小さな森までユサを連れ出すことに成功した。
森の中は木陰が作用して雪が多く残っており、常に暖房のきいていた城にいたユサは寒そうに肩を震わせた。
「それじゃあ薄いもんな…」
薄らと化粧を施した顔が蒼褪めていくのを見て、アタカは上着を脱いでユサに着せてやった。
「平気。アタカが寒くなる」
脱ごうとする彼女を慌てて制し
「お前より厚着だからいいんだって。それより…どうにかして逃げないと」
腰に手を当てて考えた。
「アタカと一緒ならどこでもいい」
 「…そういうことは、もっと笑って言えよ。無表情のまま言われても…説得力ないし…」
 紅潮した顔を隠す為にわざと足元の雪を蹴る。彼の反応をよそに、ユサは頭上で大木たちが織りなす見事な枝ぶりを見上げ感極まった様子で嘆息を吐いた。
 「木がたくさんある。すごく空気が綺麗」
 うっとりと眺める彼女の横顔を一瞥し、アタカは喉元まで出かかっていた言葉を慌てて飲み込んだ。
木々を愛するその心が後の世界を救う森を創造するのだと言っても、それは彼女がウリと結ばれ生き続けた仮定の話だ。
 (こいつの未来だって俺の未来だって、まだ確定している訳じゃないんだ)
 ユサは幹の太い樹木に力いっぱい抱きついた。そして木と語らおうとするかのように幹に耳を当てると、静かに瞼を閉ざし囁いた。
 
 
 「タマ婆がむかし教えてくれた。どんな焼け跡でも何十年後かには絶対に木が生えるものだって」
 若い頃に語り部として諸国を回っていたタマ婆は、多くの国の歴史を伝えると共に戦争で消えていった国や人々のこともユサに教えてくれた。戦争に負けた国は瓦礫と人々の亡骸で埋め尽くされるが何年か後に再び訪れると、そこには多くの若い木々が芽を出しているのだと言う。やがて大地が潤うと人々がどこからか集う。そして立派に育った木々が倒され集落がつくられる。集落はやがて国へ変わり、勢力を伸ばした国は戦いの果てに滅びて、同じことを何百年も前から繰り返してきた。
 大地を癒すのは森だとタマ婆は言った。そして癒した大地を汚すのが人間の役割だった。木がなくなった国は自然と滅びの道を歩み、別の場所に誕生した緑を求め再び人が集う。
 幹に耳を当てると音が聞こえてくるような気がした。深く大地へ張った根が水を吸い上げ、呼吸をし、生きている。
 「人は、死んだらどこへいく?」
 濁流に飲まれ消えていったルダとフワニーニャ。二人の体がどこへいってしまったのか誰も知らない。時にもしかしたら生きて、どこかで家庭を築いているかもしれないと期待を抱くこともあった。
 だけど、犯してしまった罪の重さは決して忘れない。ショウキと共に誓った。きっとどんなことがあっても、生きて、二人でこの罪を償おうと。
 ひんやりと冷えた樹木に手を当てると厚い皮の奥に秘められた、生命の温もりを感じた。
命を育てることで初めてその尊さを学んだ。一粒の種から苗木にまで育てる間にかけた月日が愛情を深くし、日ごとに生長していく木々に未来を描いた。誰もが同じ命を抱き生きている。彼女がショウキを大切に想うように、ルダもフワニーニャも想いを育てていったのだ。
儚い一生を生きる人間が、愛おしいと思った。そして人々が踏み荒らしていく大地をただ無言のまま癒していく森を敬った。死んで土に還り、人間も、この森の一部となり共に未来へ向かって生きていくのだ。
死の完成された姿をそこに見た。
 「人は死んだ後に木になる。だから…世界が滅びても樹は生き続ける」
 いつか彼女が死んだとしても、彼女が植えてきた木々は生長していくだろう。ユサが悩み苦しんだ日々も糧にして。なにひとつ、無駄になるものはない。
 背後で雪を踏む音が聞こえた。アタカが歩み寄ったのだと思うと自然と口元が綻ぶ。
 「死んだ人間は……誰かの記憶に残る他に、生き続けることなんてできない」
 樹皮から顔を離し振り向いた。
 木の葉の間からわずかに注いでいた光が雲に遮られ、薄暗く変わった風景の中で一層アタカの表情が沈んで見えた。
木々をざわめかせる風が不吉にこだまする。
 「……」
彼の名前を口にしかけてふと思いとどまる。何故か目の前にいるはずの彼が、一瞬薄らいで見えたのだ。
 「みんな、骨になった後はなにも残らない。…時々いたんだ。燃やした後の粉骨を見て、こんなはずがないって言って骨を置いて帰る奴が。帰る場所のない骨は…床に積もっていくだけだ」
 感情のこもらない淡々とした口調。これまでユサが見てきたアタカは、いつも口うるさく鬱陶しいこともあったが、それでもすべての言葉の裏に優しさが垣間見えた。だが今目の前にいる人物から発せられるものは、冷たい響きを伴っていたずらに彼女の心を掻き乱していく。
 「外の世界とのつながりなんてまったくないから、俺が死んでも誰も悲しまない。定年まであの白い塔に縛りつけられて、同じ、人間を焼いて暮らしていくと思っていたんだ…」
 ふいに語尾から力が抜け、弱々しい溜息がこぼれた。
 「あいつ、を、助けられなかった」
 ぐっと涙を堪えるように黙り込むと潤んだ目元を隠すように俯いた。
 「助けたかったんだ! 本当は俺も、すっごく楽しくって幸せだったって言いたかった。クローンがたくさんつくれても、あいつの、グリフの代わりなんて絶対にいないんだ!」
 「…アタ、カ…」
 木から離れ、ユサは項垂れる彼の元へ駆け寄った。
 
 
 『世界が滅びても樹は生き続ける』
 その一言がユサの人生のすべてを語っているような気がして、アタカは深い衝撃を受けた。まさに彼女は、歴史に名を残す『イハヤの森』をつくりだし生き続けるのだ。それは絶滅寸前にまで追いやられた人類の希望となり、未来へ受け継がれていくはずだった。
 (ユサは…その為に生れてきたんだ……!)
 正しい歴史を歪め、彼女を連れて逃げてしまえばきっと後悔しないと腹を括っていた。その為にグリフや、ウリ、イチタなどかけがえのない人々と別れても、いつかきっと笑って思い出話にできると思っていた。自分たちが幸せになることで許されるだろうと信じたかった。
 「ごめん…ユサ……」
 無理やり押し殺してきた言葉が横溢とする。隠し通せなかった真実が口を衝いて出てきた。
 「本当は…お前、死んじゃうんだ。若いうちに、死ぬ運命なのに、ヤヌギ族がそれを阻止する為にやってきた」
 「私が、死ぬ?」
まるで言葉そのものの意味もわからないかのように紡ぐ。
「どうして?」
 首を傾げるユサに向って己の無力さを呪いながら叫んだ。
 「わかんねーよ! 暗殺かもしれないし、事故とか病気かもしれない。だけど…あいつらといたら……ウリと一緒になればユサは死ななくて済むんだ! 俺にはお前を守れないんだよ!」
 「やだ!」
 初めてユサも声を荒げて反論した。
 「アタカと離れたくない! やだ! 絶対に、やだ…」
 「わ、我が儘言うなよ。俺だっていやだ! だけど、お前が死ぬ方がもっと嫌なんだ」
 「私は死なない! 病気にもならない。私は、元気。絶対に死なない」
 「死ぬんだよ! もう決まってることなんだ! それに…」
喉が潰れそうなぐらい苦しくなり、アタカは半ば喘ぎながら断腸の思いで紡いだ。
「お前が生きてくれたら……俺たちの未来も変わるんだ…」
 『未来が変わる』と聞いて、ユサは怯えたように体を縮ませると表情を変えた。
 「そんなこと……できる訳ない。私、無力だ」
掌を広げ確かめるように呻いた。
小さな彼女の手に掴めるものはどれぐらいあるのだろう。こんな少女が未来を変えるだけの可能性を秘めていると、誰が信じるのか。
「だけど、俺たちは、知ってるんだ。未来から…きたから」
そう。実際に見てきた世界だから、言える。あの世界は命を懸けてまで守るべきものではない。だけどそんな世界を築いたのは間違いもなく自分たちなのだ。
「四天王時代の終わりに大きな大戦が起こる。ゴブラ大陸だけの争いじゃない。世界規模で、もっとたくさんの人間が死ぬ。地上に木が一本もなくなるけど、お前が育ててきた森だけは残るんだ。生活の拠点が地下に移されて森の苗木が大切な…地上世界とつなぐ絆になる。後に苗木は分散されて七つの大陸に渡っていく」
すらすらと出てくる知識を操りながらアタカは疑問を抱いた。何故こんなことを自分は知っているのだろう。
(もしかして…改竄された記憶が戻ってきている?)
だがアタカは続けた。言葉は湧水のように滞りなく溢れ、この時代の誰も知るはずのない未来を語った。
 「このまま政治が変わらなかったら森林の減少から、生態系が狂って自然災害が多発するようになるんだ。今のイザナム王じゃだめだ。国内で反発が起こるようになって、せっかく協定を結んだ南国と東国から同時に侵略を受けて…ワイナの戦いが始まる!」
 戦いに敗れた北の国の領土を分断され南東国の植民地とされる。人々は奴隷として扱われ人としての尊厳を侵され、死ぬまでこき使われる。そしてゴブラ大陸を二分した大帝国となった南国と東国は、トキイシの戦いで滅びた西国の王ツクヨミが手に入れたと噂される不老不死を求め、密かに薬の研究を始めていた東国との間に争いが起こる。
 「戦いばっかだろ…。こんなんじゃ、だめなんだ。ウリが王になって…お前が、生きてくれなきゃ誰も、救われない……」
 「グリフ、も、救えない?」
 彼女の口からかつての友人の名前が出たことに驚き、その衝撃の大きさから喉が震えて呻き声が漏れた。
 
 
 グリフの名前を出した瞬間、アタカの表情に浮かんだのは深い悲しみだとユサは思った。
 続けて後悔…憤り……最後に、切なくなるような過去の幸福を思い出す遠い眼差しをして、アタカは再びユサを見据えた。
 「大切な人。アタカがシルパだった時の大切な人が、戦争にいったんだ、よね?」
 確かめるように問いかけると、苦悶しながら頷いた。
 「俺がこうして過去にやってきたのも、元はと言えばあいつを…助けたかったからなんだ…」
 言葉以上に彼の傍らで震える拳が想いを語っている。強く握り締めた指の間から赤い雫が流れ地面に滴る。それでも手を握る力を緩めなかった。
 大きく見開いた血走った瞳が地面を睨み、今も助けられずにいる自分を責めているのだろう。
 友だちを助ける為にやってきたアタカ。だけど、彼とこのまま逃げることは誰も知らない新たな歴史を築いてしまうことを意味している。
 「戦争は……いや…」
 これまで孤児院でたくさんの戦災孤児たちを見てきた。親や家族を目の前で殺された子ども。体の一部を失い、障害を持った子どももいた。中には幼い彼らを少年兵に仕立て上げ、戦場に送りだしその年にして人殺しにさせられた子どもたちも大勢いた。
体だけではない。心にも深い傷を負った彼らは、同じ孤児なのにまったく違う目をしていた。目の前にいる人間を、人間として見ていない。いつ殺されるかわからない常に神経を緊張させた世界で生きてきたから、自分以外の人を敵か味方かでしか判断できないのだ。
 戦争は怖い。人間の凶暴性を目覚めさせてしまう恐ろしい祭りごとだ。死が見えているのに大人たちは勢い立って争いに向っていく。
彼らが受けた悲劇を再び繰り返していいのか。戦争が生み出す多くの犠牲を思うと、目先の幸せを選ぼうとしている自分が大罪人に見えてくる。しかし世界平和の為と大義名分に身を売って、大切な人の手を離すことが正しいのだとは到底思えなかった。
 「だけど、私…」
 諦めきれる訳がない。同じ気持ちをアタカにも持っていて欲しかった。まだ頑張れると、彼の口から聞きたかった。
 だが、閉ざされていた口が開き飛び出た言葉は、彼女の願望を見事に打ち砕いた。
 「俺たち……本当に、幸せになれるのかな」
 
 
 どんな逆境でもユサさえいれば力が湧いてくると信じていた。初めて一緒に生きていきたいと思ったからこそ、彼女にも生き抜いて欲しかった。だけど実際にはそれすら叶わない現実がある。想いだけでは越えられない厚い壁が二人を阻む。
 もう、自分の口から逃げようと言えなかった。死が二人を分かつのか、それとも時代が分かつのかわからない。暗中模索のまま逃げてきた彼だが、ただ一つ。はっきりとわかっていることがあった。
 「逃げたところで……逃げ切れるものじゃないんだ」
 このまま二人は幸せになれない。無理やりなろうとしても、どこかで歪みが生まれ引き離されてしまうのだ。運命は自分で切り拓くもの。確かにそうかもしれない。だが、それはまだなにも決定づけられていないまっさらな未来に向って吐く言葉だった。
 「ごめん…ユサ……」
 冷えきった指を握りその体を抱き寄せる。触れ合った頬はお互いの涙で濡れていて、ユサは背中に手を回すと、悔しさを噛み殺すかのように爪を突き立てて嗚咽を漏らした。
 ふいに森の奥から蹄の音が響く。
 追手がきたのだ。
 「!」
 アタカは反射的にユサの手を引いて走り出した。
 今はまだ捕まっていられない。まだ、離れたくない。二人は結論を出せずにいる。自分にはあとどれだけの時間が許されているのだろう。この時代にいるべきではない異物として、排斥された後はどこへ辿り着くかもわからないのに。
 怖くて。どうしようもなく、時間が経つのが怖かった。あと少しでいいから、残る人生のすべてを賭けてもいいからユサと一緒にいたい。世界の為だなんて言いたくない。自分が幸せになれない世界なら、それは、なんの意味もないガラクタに等しいはずだから。
 アタカは生れて初めて神に祈った。
 (カミサマ…頼む。俺に、時間をくれ―――)
 茂みの向こうから追ってくる馬の足音を聞きながら、アタカは全速力で走った。
 
 
 どうしてアタカは走るのかと、ユサは思った。
 結ばれないと断言するぐらいなら、いっそのことこの場で捕まり城へ戻ってしまえばいいのだ。逃げて惨めに引き離されるぐらいなら、せめてこの手を離さないまま足を止めたらいい。きっと捜索にはヤヌギ族も絡んでいるだろう。城へ着くまでの短い間でもいいから、アタカの傍にいたかった。
 (…諦め…きれ、ないから走るんだ……)
 長い裾が邪魔をしてうまく走れない。木の根や草に絡まり何度も転びそうになった。
 だがアタカが立ち止まることを許さなかった。彼女がバランスを崩すたびに手を強く握り締め、何度も振り返りながら目で声援を送った。
ユサはふいに大后の言葉を思い出した。
 『目の前にないものを欲しているような眼差しをしている』
 と、あの人は言った。
 (そう、だ。私、もアタカも…実際にはない幻みたいな奇跡を求めて、る)
 決してつくることのできない、そんな理想でかためられた夢の世界。走り続ければいつか見つけるだろうか? タマ婆が風の噂に聞いたと言う理想の地ウロへ、この道は続いているだろうか。
 「い、いんだ…」
 短い呼吸をしながらユサは言葉を紡いだ。
 「私。私は、流れに負けない。嘘も吐かない。アタカが好き…」
 向かい風に飛ばされ彼の耳へは届かなかっただろう。だけどユサは、腹の奥から込み上げてくる涙を放出させながら続けた。
 「ウリも、ショウキも、タマ婆ちゃんも、イチタも…! みんな好き。私、この国が好き」
 呼吸を荒げながら頭上で枝を伸ばす木々を見上げる。木漏れ日のわずかな光が暖かくユサの顔を照らしてくれた。
 「私……この世界が好きだ」
 息を吸うたびに肺が真っ白い空気で満たされる。吐き出した息は風に乗り、世界を巡る旅に出る。彼女が植えた木々は間違いなく大きく育っていくだろう。鳥が種を運び太陽と水が、大地をゆりかごに眠る彼らを見守ってくれる。
 そんな当たり前のことが単調に営まれる、なにもないけどすべてがある理想の地へいつか肉体から解き放たれ魂が遊びへいくかもしれない。
 だけど理想郷を求める切実な声はそんな我慢もできない。この現実に安らぎを与えなければいけないのだ。
略奪が生み出す悲劇に対抗できるのは、無償の愛だけ。切り倒されても、荒れた大地を残して去っていっても、木は長い時を経て大地に緑を宿し芽吹く。そして去っていった人々が再び故郷へ戻る日を待って、木は、生き続ける。愛する彼らの帰りを夢見て。
 森の入口が近づいてくる。まるで夜昼に区切られた世界を彷徨っていたような感覚。眩しい光が目の前まで迫ったその時、ユサはもしかしてすべてが夢だったかもしれないと錯覚した。
 暗い森の中をアタカと一緒に走った。せめてもの、運命に対する抵抗として二人は力の限り走った。本当は、誰よりも大切でどんな犠牲を払ってでも守り抜きたい人だったけれど、見捨てたまま前へ進めなかった。
 彼がいるこの世界が愛しかった。彼を含めるすべてを愛していた。
森を抜け眩い白光がアタカの姿を包み込んだ瞬間。ユサは声の限りに叫んだ。
 「私、イハヤの森をつくる――――――!!」
 
 
 自室へ招いたウリは、椅子の上に腰を下ろしたまま身じろぎひとつしなかった。
 「何故、逃亡の手助けをした」
窓の向こうにある都の風景を眺めながらカミヨは抑揚のない声で尋ねた。
 「一切の罪はぼくにあります」
 先ほどから同じ言葉ばかり繰り返している。どんなに問いただしても彼は決して口を割ろうとしなかった。
「わたしは理由を問うているのだぞ」
 「答えるに値しないものです。どうかご容赦を」
 王に逆らう行為だと知りながらも、彼の態度は堂々として揺るぎない根底に秘める意志を感じさせた。
 (お前にそんな目ができるとはな…)
 権力を恐れない強い眼差し。これまで見てきたウリからは想像もできないものだった。
 「あの娘はアマテル王の血族だ。いずれお前の妃にと考えていた」
 「彼女はそんな高貴な生まれではありません。育ちも卑しく、ぼくに相応しくありません」
 見え透いた嘘に微笑みを浮かべて返す。
 「ならば相応しくないから送り返したと言うのか」
 「そのように解釈して頂いて結構です」
 鉄面皮を崩さずに断言する。素晴らしい演技力に感嘆しながら、カミヨはきっと彼と似たような境遇で育った自分でなければ、そこに秘められた本音も見抜けなかっただろうと自賛した。
 「どうやらモロトミの家を出たことで、一層王としての自覚が育ちつつあるようだな」
鼻で笑いながらウリの前に椅子を置き向かい合って座った。
 窓を背にして座るカミヨの顔を眩しそうに仰ぎ見たが、唇は変わらず頑固に結ばれたままだ。
 「もはや誰も、お前を前王の遺児と信じて疑わぬ様子。聞けばあの老議員たちの心も鷲掴みにした新政策を披露したらしいが…」
 杯に水を注いで喉を潤しながら続けた。
 「お前が王となれば、さぞやモロトミたちも鼻が高いだろう。なんせ苦心して育ててきた子どもだ。手放す時も断腸の」
 「何故、西国を見捨てられました」
 それは質問と言うより、カミヨの話を遮る為に敢えて答えを知っている問いかけしたように聞こえた。
 「今、なんと言った?」
 黒い瞳が静かな迫力を湛えて彼の輪郭を捉える。見る者を黙らせるだけの力を秘めた強い眼差しだった。
 「四国の中で最も歴史の古い西国とは戦乱の世を共に生き抜いた仲。後に誕生した東国や南国よりもその絆は深いが故に、西国の近衛隊隊長オノコ殿が直談判にいらっしゃったのではないですか」
 彼の言う通り四天王時代が築かれる以前から西国は存在していた。小国から伸し上がり勢力を拡大していった北国は、古来より西国には敬意を払いその優れた文明の恩恵を受けることで親愛の情を育んでいった。
いつからか戦乱の世を経て大国に成長した東国と南国が力をつけ、それに伴い衰弱していく西国を北国は守るように支えた。それは国家建立の時から変わらない姿勢であり、当然西国とオボマ国の戦争を知った国民たちは当惑しているだろう。
「ヤヌギ族の予言だ。かの国は王と共に滅びる」
彼らの名前を出せば誰もが納得する。未来を予知するヤヌギ族たちの言うことならきっと間違いないと信じ、王にもその指示に従うことを求める。
 「しかしオボマ国とは友好条約を結んだはずです。それを破った卑怯な行為に、どうして三国は見て見ぬふりをするのですか」
 ようやく気色ばみ始めたウリの整った顔立ちを見詰め、彼に懐かしいジュアンの面影を重ねながら答えた。
 「知っているのだ。ツクヨミ王が不老不死の秘密を手に入れたと知り、南国のスサノオ王がオボマを唆した」
え、と呟いたまま硬直する。眉根を寄せ眉間に深い皺を寄せるその顔も、彼女によく似ていた。ただし幸せだったあの頃の彼女ではない。この城に縛りつけられ生きた人形と化した生気の抜けた面差しだ。
「オボマが動かずとも南国が戦争に乗り出すだろう。いずれにせよ、西国は滅びる運命にあった」
 自分が発している言葉が意味を持たない雑音のように聞こえる。
 「そして今、三国が同盟を結びオボマを滅ぼす策を練っている。西国が滅びる直前に連合軍を派遣し仇討ちと言う訳だ。ハッハッハッ…つまり西国はオボマを討つ為の囮にされたのだ。領土はすべて三国で分け合い財産も押収する。そこでスサノオ王はゆっくりと不老不死の秘密を探ることができるのだ」
 高笑いをしたがまったく愉快な気持ちになれない。それどころか耳に届く自分の声がひどく耳障りで、まるで泣き出したいのを必死に堪えている子どものように聞こえた。
 「あの姫君も短い間だが玉座をものにできて嬉しかっただろう。所詮、どんな理想を抱いても王は飾り物でしかない。不老不死を手に入れたが故に自国を破滅に導くことになるとは、なんとも情けない。いや、可哀そうな姫だ」
 今度こそうまく笑えた。そう自負したが、同胞の目は欺けなかった。
 「王は…本当に、西国を見捨ててよかったとお考えですか?」
 確信めいた口調に抑えつけていた不安が蠢く。彼がチトノアキフトに惹かれていたことを知るのはモロトミだけだ。まさかウリに伝わっていたとは思えない。
 目の前に座る少年は、フサノリと同じ未来を見据えた瞳を持ち彼を捉えた。
 「ぼくは、自分が、この先も後悔しない為に彼女を逃がしました」
 思いもかけなかった告白に息を飲む。一瞬にして手だけではなく、背中にまで汗が湧いたのがわかった。
 「王様。ぼくは、玉座を統べることが幸せにつながると考えておりません」
 心臓が早鐘を打つ。耳元で自分の鼓動が聞こえてくるようだった。
 (お前は……なにを、なにを言おうとしているのだ)
 全身の血潮が騒ぎ彼がこれから発しようとする言葉に心許ない恐怖を掻き立てられる。チトノアキフトから得られなかった答えを、まさか、まだ王位にも立たないこの少年から聞くことになるのではいかと、ふと予感めいたものが走った。
 「国の為に。民の為に生きて幸せになれますか? 自らを犠牲にして守るからと言って、それが必ずしもすべての者たちの幸せにつながるとは思えません。王が幸せでないのに、どうして民が幸せになれますか」
 言葉を紡ごうとしたが、乾いた喉からは掠れた呼吸音だけが漏れた。
 震える手で杯に水を注ぐと一気に飲み干した。
 「大義名分の下に生きることになんの意味があるのですか。王も…人間です。いつか死を迎える、ただの人間に、多くのことを求めるのは間違っています」
 一呼吸の間を置いて彼は静かに断言した。
 「自分をも幸せにできない人間に、誰かを幸せにすることなんて―――不可能です」
 「!」
 ひと時の静寂が長い一日のように感じた。その間に、自分の中でなにかが崩れ落ちたと、カミヨは直感した。
 これまで心の拠り所にしていた問いかけに対する答えを得た今、玉座と王の存在に疑問を投げかけ続けた自分がひどくちっぽけな存在に見える。先代の王が玉座の上で果て、自らも王としての責務をまっとうしなければいけないと叱咤し、その為に大切な友までも失った彼にもたらされた答えは本質を衝いていた。が、同時に残酷すぎる挫折をも与えた。
 「ならば…わたしは……間違っていたのか…?」
 自問自答をしてかぶりを振る。
 
 
 項垂れるカミヨの姿を瞼に焼きつけ、ウリはそっと目を閉じた。
 あの時、二人に逃げろと言えなかったらカミヨのように、王と言う存在に縛られ玉座の上でしか生きられない人間になっていただろう。そう思うと王の姿を直視することができなくなった。
 心はまだ痛む。二人が部屋を出ていく直前に、思いとどまってくれたらと心のどこかで願っていた。だけど迷いのない足取りで突き進んでいった彼らを見送ったウリは、不思議と苦しみは覚えたが悲しいとは思わなかった。運命に抗い生きていこうとする姿に深い感銘を受けた。
 思えば彼も、彼の両親も同じく権力と運命に翻弄され流されながら生きてきた。例え実の子どもでないとしても、二人を慕う気持ちに嘘はない。ただそれを素直に伝えられなかった。世間体を気にして『いい子』を演じてさえいれば、誰も傷つかないで済むと思い結果として楽な道に逃げていた。自分が求めるものは決して手に入らないと思い込み、悲劇に身を投じて酔い痴れていたのかもしれない。
 (ぼくは、もう、迷わない―――)
 膝の上に揃えた指を強く握り、ウリは誓った。
 再び睫毛を持ち上げ椅子の上で蒼褪めたまま沈黙するカミヨに向って
 「王として、一人の人間として幸せになります。それがぼくの王道です」
 
 
 森を抜け辿りついた先はユサがいつも木を植えていた荒野だった。吹きさらしなので雪が積もってもすぐに溶けるらしく湿った土壌に動物たちの足跡が目立った。植林したばかりの木の葉が食われているところを見ると、どうやら餌を求めて山からここまで降りてきたらしい。
辺りに点在する二人の背丈ほどある木々を見回して追手を完全にまいたことを確認した。
傾き始めた太陽が赤褐色の大地に影を長く棚引かせる。蒸気した頬を冷たい風が撫ぜて体温を奪っていく。ずっとつないだままでいた手を一瞥し、アタカはようやく緊張していた神経の糸を緩めた。
 肩の力が抜けた途端に走っていた間に負った手足の傷が痛みに驚いた。
 「い、いつの間に切ったんだ…」
短い呼吸を繰りながら特に出血のひどい腕をめくった。
 「虫に刺されたのかも」
 妙に落ち着き払ったユサは衣装の裾を歯で引きちぎると、腕から流れる血を舐めた。血の割に傷は針で刺したような小さなもので痕がいくつかある。皮膚の周りが少し黒ずんで変色していた。
毒を吸い出してから傷口を布で括る。
 ユサが触れた場所だけ熱を帯びたようになり、心臓が恐ろしい勢いで鼓動した。他の傷の様子を確かめる彼女の装いは、城で会った時の煌びやかな雰囲気は消え失せ泥にまみれた衣装に、小枝が刺さった髪はぼさぼさに乱れていたけれど変わらずに綺麗だった。
 「他、大丈夫」
安堵したように呟くとアタカを見上げた。
 黒い瞳に映る自分の姿を見て―――ふいにあの歌を思い出した。
 「母さんが……好きだった歌があるんだ」
 研究所で最後に見かけた赤毛の男。低く落ち着いた声は間違いなく教皇フサノリのものだった。母の部屋でオルゴールを聴いていた彼に、あの歌の歌詞を教えてくれた人だ。
 「なんだか、それ、俺にぴったりで…」
弱々しく震える語尾を捉えユサは促すように頷いた。
断片的に思い出した記憶の中で、誰かがいつもこの歌を口ずさんでいた気がする。あれは誰だったのだろう。冷たいガラスケース越しに聞こえてくる切なくて、悲しいメロディは、いつしか彼の心の奥深くまで入り込んだ。
「ブナの森の葉がくれに 宴ほがい賑わしや…」
 胸がいっぱいになって急に視界が曇った。嗚咽に詰まり声が途切れそうになったが、ユサが彼の手を握り締め涙を溜めた目で、歌い続けるように求めた。
 
 
ニイルの水に浸されて 煌煌(きららきらら)かがやけり
燃ゆる火を囲みつつ 強く猛き男(おのこ)息(やす)らう
焚火を囲みて  男息らう
 
 
アタカは歌った。
 森を抜ける瞬間、彼女が叫んだ言葉を思い出しながら。これが自分たちの選んだ道なのだと言い聞かせた。
ユサはアタカのことを好きだと言ってくれた。そして彼もユサが好きだ。お互いにかけがえのない大切な人だと認めたけど、だからこそ共に生きられないと悟った。
世界の為でもない。正義や正論を振り回して決めたこと訳でもない。ただ二人は、愛するからこそ、生きて欲しいから―――離れなければいけないと知った。
 
 
 慣れし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり
 慣れし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり
 
 
 いつこの時代から追放されるかわからない自分にも故郷があるのだろうか。居場所を求めて、いつも、彼の魂は彷徨っているのに。
 偶然辿り着いたこの時代で彼女と出会った。いつか死ぬ運命にあると知っていても、それでも想いは抑えられなかった。大好きで、大好きだからこそ生きて欲しい。
夢でもよかったのだ。この世にないのなら、夢ぐらいにしか理想を求められなかったから。
生まれた理由さえわからないまま死ぬ為に戦場へ送られていった孤独な戦士が、双肩に伸しかかる重責に苦しめられ家族の愛情に飢える王族が、陸の孤島で死者を焼いて暮らす少年が―――いた。みんな、幸せになることを望んで生きているのに、それが叶えられないまま残酷な現実は彼らの希望を奪っていく。だから誰も不幸にならない、そんな理想の世界が欲しかっただけなのに。
 
 
 ねぐら離れ鳥鳴けば 何処往くか流浪の民
 何処往くか流浪の民 何処往くか流浪の民
 流浪の民
 
 
決して後悔はすまいと誓い、それでも張り裂けんばかりの気持ちを歌に変えて泣きながら最後まで歌い通した。
 どんなに遠く離れていても彼女が生きていてくれたら、それでいい。
 ただ一人の観客は、彼が歌い終わると手を叩いた。
 最初は弱々しいものだったが徐々に力を込めて、掌がぶつかり合う乾いた音を辺りに響かせた。
 「ほんっと、まさに歌の通りだよな」
泣き腫らした目元から涙を拭い、笑顔を貼りつけ平然なふりをして語り出す。
 「俺たち…いつも、いつもどこかへいきたいって願っていた。現実を認められなくって、理想の故郷を探して旅をしていた」
 流浪の民なんだと、呟き顔を上げる。ユサは穏やかな面立ちでそれを受け止めた。
「俺…いつか、この時代から出ていかないといけなくなるんだ」
 ユサの顔が強張り、見る見るうちに血の気を失った唇がわなわなと震えだす。
「だから…ぴったりだろ。俺に」
 ―――――――離れたくない。
 「特にあの、慣れし故郷放たれてって下りが…まさ、に、俺……」
感極まり喉が詰まって声が出なくなった。
 これ以上我慢できない。だけど、好きな子の前ぐらい虚勢を張っていたかったがそんな見栄は、すぐに崩れ去っていった。
 ―――――――――――大好きだっ!
 耐え切れず彼女の体を抱き締めた。
 好きだから幸せを願っている。理屈で割り切れるほど大人じゃない。だけどこれだけは本気の真実で、心の底からの願いだ。
 「……私、絶対に幸せになるよ」
 アタカの胸に顔を埋めながらユサはぽつりと漏らした。
 「なにがあっても、生きる。約束するから…」
 くぐもった声に涙腺が刺激される。何故か彼女を抱き締める自分の手が、さっきから時々霞んで見えた。だが、それは気の所為ではない。
 もう時間がない。いつ、消えてもおかしくないタイムリミットが近づいている。
 「未来に帰っても、会いにいく」
強い語調で断言された言葉は、真剣な眼差しが手伝っていつか必ず叶えられる未来のように聞こえた。
ひんやりとした指が彼の頬を捉える。両手で輪郭を包み込むと、ユサは真っ直ぐに瞳を見詰め
 「アタカが褒めてくれたあの絵を、あげる。今度持ってくる。それまでは、どこにもいかないで」
 決して約束できない事柄なのにアタカは頷いた。できることならいつまでもこの時代にいたい。だけど、それが叶わないのなら二人の約束が果たされるまででいい。しばしの猶予を与えて欲しい。
 「ありがとう」
 つぼみから花が開くようにユサは笑った。ほんのりとピンク色に染まった頬を緩め、アタカの首に抱きついた。
 彼女の細い肩を抱きしめながらアタカも涙を堪えた。
 もう泣いてばかりはいられない。彼女が幸せになれるのなら、誰よりも。遠い時間の果てに飛ばされてもそれが永遠に続くように祈っている。
 「運命に…流された訳じゃない。俺たちは、自分で選んだんだよな」
 押し殺した声で呻く。ユサにも決して後悔して欲しくなかった。運命と言う絶対的な存在に引き離された恋ではない。自分たちは、己の意思で突き進んだ結果なのだと納得したかった。
 「アタカが好き。何年経っても変わらない。だから私は…生きる」
 どんなに遠く離れてもこの気持ちは変わらないと断言できる。愛している。だから、未来に向かって生きようと答えを導き出した。
 後に彼女がつくりだす木々がイハヤの森と呼ばれるようになり、その子孫は延々と未来まで受け継がれていくだろう。
 変わらない想い―――『イハヤ』の意味は『不変のもの』だった。
 そっと体を離しアタカは、ユサに向って恥じらいながら手を差し出した。
 彼女は嬉しそうに手を重ねる。一つにつながれた指は絡み合い、強く握り締め互いの温もりを確かめた。
 「帰ろう。俺たちの…故郷に」
 夕焼け色に染まって頷くユサの顔は、強く、そして美しく輝いて見えた。
 
 
 チノリコ村へ向かう途中で二人は捜索に出ていた兵士たちに捕まった。その場で二人は引き離されたが、最後まで自分の意思で手を放そうとはしなかった。
 必死の抵抗を覚悟していた兵士たちは意外にも従順についてくる彼女に驚いた。だが何度も振り返り恋人を見詰める様子は、命令ながらも二人を離すことが可哀想に思わせたと、心情を滲ませた報告を受けた後、ナムはフサノリの表情を盗み見た。
 これと言った変化はなにもない。ただ視線が報告を受ける前と比べてやや俯き加減なくらいだ。
 教皇の部屋に集うヤヌギ族たちは一同に指示を待って閉口していた。既に本来の世界へ戻れないと覚悟を決めた彼らの思いが伝染し、場の空気は緊張と、ある種の達観した思いが混じり合ったものとなっていた。
四人の視線を一身に集め、フサノリは机の引き出しから四書を取り出しておもむろに開けた。
 政府から渡された世界でも数冊しか存在しない、すべての疑惑や謎について解明された唯一の正統な事実として認定された歴史が書かれている書物だ。国家最高レベルの機密事項が書かれている。この時代へきてから手分けして過去の歴史を探り、書物と内容を照合した結果その信憑性は非常に高い。特殊な記号や暗号を使って四冊に内容を振り分け記載されている為、内容を読み解くことができるのは教皇を名乗るフサノリ唯一人だった。
 「今後の我らの行動について指示を出す」
 フサノリが命令内容について言及する前に、ナムは発言した。
 「邪推ですが、お聞きしたいことがあります」
 金色の瞳がきらりと光り、静かに顎を引いて彼女を見据えた。
 発言の許可が下りたと判断しナムも言葉を紡ぐ。
 「私たちは過去の軌道修正を行った後に、元の世界へ帰ると言う計画を立てていました。だけど実際は第一次星間戦争の開始から上層部の指令により、早急に歴史を正さなければいけなくなり、装置が未完成のままトラベリングを実行しました。けれど、この結果は既に予想されていたものなのではないですか?」
 漠然と感じていた疑問。いくら戦争が始まったからと言え、無事に帰れるかわからない状態のまま研究員たちを派遣するものなのだろうか。
 「本当は、その四書を手に入れたことで―――真実の歴史を知る者を―――邪魔だから排除するつもりで政府は私たち一族を任命したのではないですか?」
 四書の内容を直に確認したことはない。けれどそこに世間に知られては困るような政府や国家の悪事や汚点もすべて記されていると聞いた。歴史を正す上で本来の姿を知る必要がある。だから彼らヤヌギ族と言う、一部の選ばれた者たちだけがこのプロジェクトに参加できたのだ。だが逆に考えれば有事の際にヤヌギ族さえ排除すれば、政府の隠したい事実は闇に葬り去ることができる。
 まだ二十歳と十七歳と言う若さを考慮されて装置が未完成だったと言う衝撃的な事実も伝えられずにいた二人だが、他にもまだ知らされていない計画の裏側があったのかもしれない。
 そうだとすれば、彼らヤヌギ族は政府に見捨てられたと言うことになる。だから世界初の時空移動装置を開発したエディックは、途中でこの計画に反対したのではないか。
 当惑するカヒコを横目で捉え、彼に対する申し訳ない思いでいっぱいになりながら答えを求めフサノリを見詰める。
 カマスもハザンも眉ひとつ動かさず沈黙したままだ。
 「否定はしない」
 長い静寂を経てフサノリは静かにそう言った。
 「だが肯定もしない。あくまでこれは、トラベリングの最中に必要工具が紛失して起きた不慮の事故が招いた結果である」
 冷静な彼の態度に苛立ち思わず火がついた。
 「では! 私たちはこのままずっと、この国に滞在するのですか? 我々が開発を支持した新兵器の威力は続いて起こるケフの戦いで保障されます。この時代にあるはずのない破壊力に世界は震撼し、今度は! 今度は不老不死の秘密を手に入れたと噂され滅びた西国のように、もしかしたら全世界が私たちの力を求めて争いを起こすかもしれないんですよ!」
 一気に捲し立て噛みつかん勢いでフサノリを睨みつけるナムを、後ろからカヒコが羽交い絞めにして抑えた。
 「そうならない為にも、これからの行動が鍵となるのだ」
厳かに断言すると、椅子から立ち上がりフサノリも彼らの輪に加わった。
 一族四人の顔を順に見回すと
「戦争終了後に使用したすべての兵器を破壊する。その後にこの国を去る。つまり歴史の表舞台から完全に身を引く」
 だが…と続け、唇を舐めた。
 「それを行うのはわたし一人だ。残る四人には帰着を命じる」
 「ど、どういうことですか! だって装置は…」
 「そうですよ! フサノリ様が残るなら、俺だって!」
 矢継ぎ早に捲し立てる二人を遮るように間の抜けた笑い声が入ってきた。
 「ハハハハハハハハハハハハハッハハハハ」
 ナムとカヒコが黙り込むと小馬鹿にしたように鼻を鳴らし
「きみたち~ぼくが神童って呼ばれていたことも忘れてたんだね~」
と少しむくれて話し出した。
「必要な工具がなくても、緊急時の為に手動で操作できるようにはしていたんだよね~。ただし、それを作動させるには誰かがこの時代に残らなければいけない…」
 四人の視線が一斉にフサノリへ集う。注目を浴び彼は穏やかな微笑みを浮かべた。
 「これは命令だ。四書の内容を知るのはわたし限り。戻ってもお前たちに危害が及ぶことはまずない」
 「だけど…! そんな」
 ナムの目から溢れる大粒の涙を愛しげに眺め、フサノリはハザンとカマスを見た。
 「ハザン。わたしのせめてもの願いだ」
 「わかっています。神童の名にかけて、シルパを無事に未来世界へ連れ戻します」
 頷きカマスを見詰める。
「装置作動後からプロジェクト終了宣告がなされるまで、一切の権限を譲渡する」
それからふっと表情を和らげ
「できたら、カヒコたちの結婚式の仲立ちもやってやるといい」
と冗談を口にした。
「ちょ…! フサノリ様までっ」
「待てよぉ! だからどうしてそこまで拒ダツされるんだって」
「だっからあんたが馬鹿すぎるからでしょ。プロポーズぐらい誤字脱字なく決めなって」
舌を突き出し拒絶すると、息を吐いて涙ぐんだ目元を拭った。
 「もしかして…こうなることもすべて、予想をしていたんですか? だって、手動で装置を動かすなんて当初の設計になかったはずですよね」
 「俺たちを見殺しにするつもりだったんだ…」
 苦々しげに吐き捨てるカヒコ。だが、カマスが彼の肩を優しく叩きそれを宥めた。
 「真実を知り得た者に与えられる代償は大きい。それに…わたしには、この時代でやらなければいけないことがある」
 それがなんであるかを、フサノリは教えてくれなかった。
 静かに伏せていた睫毛を持ち上げると再び強い意志を宿した瞳を彼らに向け、いつもの威厳に満ちた態度を取り戻すと四書に挟んでいたメモ用紙を手に持ち、今後の歴史の流れについて語り出した。
 「現在牢につながれているカロル指導者の今後の行動に注意を要する。本来の歴史ではイザナム王カミヨは、彼女によって暗殺される運命にある。我々との協定により国王暗殺計画は中断となっているが、アマテル王を狂信する彼女が自発的に暗殺行為に乗り出す可能性がある。現段階ではまだウリを即位させるに十分な基盤ができていない。ケフの戦いが終わった後に起こる国民の反感を一身に集めた上での王位継承でなければ、後の評価につながらなくなる恐れがある」
 「西国とはむかしから親しい仲ですから、民も西国を見捨てたことに不信感を抱くんですね」
 「悪政って罵られた後だから最初は大変だろうなぁ…ウリも」
 「なぁに言ってんのよ。その逆境を味方につけて、彼は偉大な王として後世まで名を残すことになるじゃない。ユエの連中が王政復古をしてつけた王の名が、かの有名なイザナム王になるんだから」
 「そっか。そうだよな」
 自分たちの行動がすべて未来へつながっていくのだと再認識し、カヒコは感慨深げに頷いた。
 
 
 家に帰ってきたアタカを出迎えたのはイチタだけだった。
 「マキヒ、は…?」
 泣き腫らしたアタカの顔を見ても動じなかったイチタだが、彼の母の名を口にすると少し身をよじって顔を伏せた。
 辺りも暗く染まりどの家も夕食の時間だ。だが暖炉のある居間には食事をする気配どころか、彼以外の存在も感じさせない冷たさがあった。
 ユサと別れを告げてきたアタカにとって、唯一の救いでもあった家族の温もりが消え去った家は、とても殺伐としていて思わずあの白い塔に住んでいた頃を思い出させた。
 「こっちきて」
 と言って部屋へ連れていかれたアタカは、ドアを閉めるなりイチタに詰め寄られた。
 「アタカ。見損なったよ。どうしてぼくに、大事なことを話してくれなかったの? 教皇が父親で、しかもアタカはいつこの時代から消えるかわからないなんて…! どういうつもりなのっ」
 「え、ちょっと待てよ。確かに…消えることは言ってなかったけど、でも父親が教皇って初耳だぜ」
 「なんでナムとカヒコが知ってることをさぁ、アタカが知らないのさ! おかしいってばぁ!」
 「おかしいって言われても、俺はずっと塔に住んでほぼ幽閉されているようなもんだったんだぞ。それよりどうしてマキヒがいないんだよ! まさか、城に連れて…もがっ」
 興奮してだんだん声を張り上げていくアタカの口をふさぎ、イチタは尖らせた唇に指を当てた。
 「隣の部屋にいる。さっきまでクラがきていたんだよぉ」
 「フラ、ファ?」
イチタの手をどけ
「もしかして俺が…ユサを連れ出したから?」
 連れ出したと言った途端、表情が強張った。苦々しげに眉間に皺を刻むと
「なにそれ。もしかして駆け落ちぃ? 聞き捨てならないんだけどなぁ」
とぼやく。
「第一ぼくだってまだそこまでしてないのにぃ、こぉんな夜に帰ってどういうつもり? アタカって不潔だね。女の子を連れ回して一体どういうつもりだか」
 腕を組み引き攣った顔でアタカを睨む彼の態度から、どういった勘違いをしているのか咄嗟に察して顔を赤くして否定した。
 「な、なんにもしてないって!」
 「どぉだかねぇ…。あ~ぁ、母さんも結婚するならぼくも家を出ようかなぁ」
 卑屈に呟く彼の言葉に反応し叫んだ。
 「結婚! するの?」
 再びその口はイチタにふさがれたが、今度は説明もついてきた。
 「そういう訳じゃないけど…なんだか今、城内がすっごく不吉な状態にわかれているんだってぇ」
顔を近づけ声をひそめる。
「西国とはむかしから付き合いも古くって、向こうに移住している人も多くいるんだけどその西国が今、オボマ国から攻撃を受けているのにどうして助けにいかないんだってことで反感が湧いているってさ。で、三国で協力して連合軍を出そうと言う話があるんだけど、どうやら…クラも出兵するつもりらしいんだよ」
 「…オボマを滅ぼす…ケフの戦いだ…」
脳裏に蘇った記憶を思わず口走る。
 イチタは一瞬怪訝そうに顔をしかめたが、アタカは構わず続けた。
 「南東国の軍力の方がずっと上で、北は前線に立ちたくさんの死傷者を出すんだ。それも戦争中に王様が暗殺されて、国内でも混乱が起こる。確か本にそう載っていた」
 「……未来の、本に?」
 彼の予言に悲しげに睫毛を伏せて嘆息を漏らす。悔しげにくるくると巻く毛先を指に絡め
「じゃあ、もっと早く絵もあげたらよかったかなぁ」
 そう言ってイチタは壁際にある机からあるものを取り出した。
ずっと前にユサから買った、結婚祝いのあの絵だ。これをあげるとすべてが決定づけられちゃうからと言って、素直に渡せずあのままにしていたのだ。
 「戦争になりそうだからしばらく帰ってこれないって言いにきたんだ。今回はヤヌギ族が開発した新兵器があるけど、最前線に立つ部下がまだ若い兵士ばかりだから、国衛隊隊長の自分が一緒に立つって。それって、むざむざ死にいくようなものだしぃ…」
 涙ぐみながら絵を机の上に広げるイチタ。月光を浴びる後ろ姿は今にも消えてなくなりそうなくらい、とても儚く悲しげに映った。
 「これ、あげたら本当に結婚しちゃうんだろうなぁって思って。それなら、どうせなら帰ってきてくれたら渡そうって思ってたんだ。だけどアタカがそう言うならクラは……」
 その時。アタカは初めて自分の発した言葉の重みを知った。
 絵を抱き締めて泣き崩れるイチタ。きっと、心のどこかで恐れていたことを言い当てられ、必死に強がっていた仮面が剥ぎ取れてしまったのだろう。
だけど、真実を知ってしまったが故にそれを告げずにはいられなかった。
 まさに神の領域から世界を見た予言。未来を先読みした訳でもない。アタカにとってこれは知識として備え持つ教養のようなものなのに、イチタはクラミチが戦場で死ぬと信じてしまった。彼が二度と帰らないから、意地を張って二人を祝ってやれなかった自分を責めて後悔している。
 (あのイチタが…泣いている……)
 どんな時も悠然と構えて動じなかった彼が。アタカが未来からやってきたと言っても、狼狽えずに受け止めてくれたイチタが、初めて見せる涙だった。
 「だ、大丈夫だって! 絶対にクラは帰ってくる!」
 小刻みに震える肩を支えながらアタカも涙した。
 例えこの戦いで死ななかったとしても、戦は立て続けに起こる。国内で反乱が起き南国と東国が共謀して戦をしかけてくる。ワイナの戦いで北は植民地化し多くの人々が両国の支配に喘ぎ苦しむ。
 これを回避する為に―――ヤヌギ族がきたのだ。
 ずっと否定し続けてきた想いが揺らぐ。諦めたのは別に正義感だからじゃない。生きて欲しいから、二人で考え抜いて出した答えだ。
真実を知る以上。これから起こる惨事を知りながら傍観を決め込むことが、果たして本当に正しいことなのかわからなくなった。
 
 
 傍らに佇むフサノリが予言に基づいた新しい政策を発表する。反対側に並ぶ老議員たちはその政策を支持する旨を伝えた。
 久しぶりに腰をかけた玉座はあいかわらず豪華なだけで座り心地は最低だった。早くも痛みだす腰の位置をずらす為に足を組み替える。ぼんやりとしている間に話は進行しており、いつの間にかカミヨの口からあの宣告がなされる時となっていた。
 「それではイザナム王よりお言葉をお願い致します」
 深々と頭を垂れるフサノリ。
 玉座の下に集まる臣下たちの表情が一気に強張り、場の空気は一層緊張感を増した。
 既にアマテル王の姪であるユサを保護していることは告げていた。そして西国とオボマ国の戦況は収束へ向かっていること。西国の敗戦が目に見えていることを、それぞれの大臣たちから報告を受け、カミヨは一呼吸分の間を置いて言葉を発した。
 「三国同盟が無事に結ばれ、これより連合軍を結成し敵国オボマの殲滅に向う。これをケフの戦いと呼び、戦闘の始まりを宣言する」
 カミヨの合図でハザンが誰も見たこともない鉄の物体を運んできた。それは四角い長方形の箱で、表面に大きな穴が開いていた。大人の両腕で抱えてちょうど収まる程度の大きさだ。
 「ヤヌギ族が開発した新兵器でR-P34と言う。これ一つで五万の軍が一瞬で滅ぼすことができるほどの破壊力を持っている。この他にジライや特殊加工センシャなど、世界初となる軍事兵器を用意している」
どよめきと歓声が上がる中から、国衛隊隊長クラミチの姿を見つけ彼に向って言葉を発した。
「使用法を直ちに覚え実践にてその効果を確かめろ。出兵は明日の明朝と同時に行う」
 一瞬クラミチの表情に戸惑いが見えた気がした。だが、すぐに背筋正し頷くと敬礼をした。
 開戦宣告を終え極度の疲労を覚えて玉座に深く凭れかかる。
 あとは技術開発責任者のヤヌギ族のハザンによる説明を聞き流せばいい。なにも考えたくはない。考えたところで、この頭に乗る王冠の重みと玉座に触れる手の感触は変わらないのだから。
 息苦しさと激しい焦燥感から喉の渇きを覚えた。階下に顔を並べる臣下たちの視線が常に彼の動向を監視している。
 一挙一動のすべて王の評価へつながる。
 (幸せ…だと?)
 ウリの言葉を噛みしめ自問自答をするが、頭は考えることさえも拒んだ。
 答えを出してはいけない。自覚してはいけない。認めてはいけない……
 (わたしが、不幸だと、誰が認めるのだ)
 自嘲気味な笑いが込み上げてきた。最高の富を極め贅の限りを尽くして暮らす王が、玉座に縛られたちっぽけな存在だと言ったところで万人がそれを否定するだろう。
 ―――喉が乾いた。
 潤いを求め無意識のうちに視線は天井を仰ぐ。細やかな彩色が施された天井には、北の国に古くから伝わる伝説に基づいた絵が描かれている。その中にはこの世にない理想郷を描いたものも多くあった。
 (この世のどこに理想郷があると言うのだ……)
 自然と視界が涙でくもって見えた。
 誰も王を愛さない。王は誰も愛してはいけない。そう教えられて育ってきた。だから国家の為に身も心も捧げ尽くしてきたはずだった。それなのにどうして、初めて恋をした王と国を見捨てなければいけなかったのだろう。
 自分を幸せにできなに人間に平和な世は築けないと言ったウリ。ならば彼なら、カミヨよりもより平和で安泰とした国がつくれるのか。
玉座に縛られず、一人の人間として生きていくことができたら、誰よりもきっと友を大切にしただろう。
カミヨの喉の渇きに気づいた侍女の一人が杯を持って、人々の間を縫って玉座へと向かってくる。やけに背の高い細身の女だった。金色の髪を高く結いあげ顔を伏せて歩いている。
大臣の一人が声を張り上げなにかを読み上げている。だけどカミヨの目はゆっくりと近づいてくる侍女に注目していた。
見覚えのある顔。頬骨の出た顔に大きく飛び出た目が印象的な女。まさか、と思ったが心の奥では確信していた。牢屋に入れたはずの女スパイが脱獄し、こうして再びイザナム王の暗殺を目論んでいる。
(わたしを…殺しにきたのか…)
玉座へ続く階段を厳かに登ってくる。ふと、脇に控えていたカマスが女の顔を見て表情を変えた。あの牢獄に入れられた時点ですべての持ち物を没収していたが、それでも灰色の髪を金色に染め、瞳の色も濃い青色に変えている。一瞬見ただけではすぐに彼女が、カロル指導者だとわからない。
カミヨは玉座に深く凭れかかるとその感触を確かめた。
父王はこの部屋で残された日々を使い後悔と懺悔に充てたと言う。気高い国王が初めて見せた最も人間らしい一面だ。誰にも言えなかったに違いない。誰にも聞けなかったに違いない。
自分の、これまでの生き様が本当に―――この玉座に座り王冠を戴くにふさわしいものだったのか―――カミヨですらわからない。
幸せになりたい。だが、王としての責任も果たしたい。その二つは両極端に存在し決して同時に叶えられるものではないと思い込んでいた。苦悩しながらもこの座に君臨することこそ己の王道だと信じていた。
だけどまだ玉座の座り心地さえ知らずにいるウリは、すべてを否定し、その上で理想を求めた王道を貫くと断言した。
 (王は……人を愛していいものなのか?)
 認められなかった恋。突き放し滅びていく姿をただ眺めるだけの想い。
 救えなかった友情。あの時何故、すべてを投げ打ってでもジュアンを救えなかったのだろう。少なくとも行動することで運命は変えられたはずだ。
 侍女が玉座の前に到着し恭しく頭を垂れて杯を献上する。
 視界の隅でカマスがなにごとかをフサノリに囁く。それから侍女に扮したカロルに飛びかかろうとする様子を、まるでカラクリ人形たちの喜劇を眺めているように、どこか他人ごとのように捉えながらカミヨは目の前に差し出された杯に手を伸ばした。
 「――――――!!」
 誰かの叫び声が聞こえる。
怒号。
 カマスがカロルを床に抑えつけ、必死の形相をしたフサノリが杯を奪おうと走ってくる。
 並々と注がれた液体は不思議な匂いがした。
 一口、含んでみて味を確かめてから、残りを一気に喉を鳴らして飲み干した。
 頭の奥が熱くなり心臓が驚きの速さで鼓動を打つ。
騒がしくなる場内。誰かが耳元で叫んでいるがなにも聞こえない。重たくなった瞼を閉ざし、カミヨは一切の音を排除した静寂の中に身を投じた。
外界の音はなにも聞こえないのに、意識の奥底で眠っていた彼女の言葉が蘇ってきた。
『可能性を捨てているからそう思うのでしょう。民の為に国を守る王が、歩み寄る気持ちを忘れてしまえば、民の信頼も、情愛も離れてしまって当然です』
今、この瞬間にも彼女と共に国は滅びようとしている。王が愛した人々は彼女の為に最後まで戦い抜くだろうか。それを見て、王はやはり最後まで人々の王であろうとするだろうか。
悲しい…
権力を持ちながら誰も助けられない悲しみが溢れ出る。悲しみ、後悔、憎しみ、懺悔。心の奥底から沸々と込み上がり、それらの感情に飲まれていく。大后の言葉が何度も反芻された。誰も愛してはいけない。誰も愛してくれない。だから王は、孤独なのだ。
息苦しいまま意識が遠のき始める。
が、誰かに呼ばれた気がして、貼りついていた瞼を渾身の力で持ち上げた。
薄らと広がる視界いっぱいにクラミチと、モロトミの顔があった。
二人は泣いていた。泣きながら―――カミヨの名を呼んでいる。声は聞こえないけれど唇の動きでわかった。
「……」
言葉を発しようとして喉が詰まる。朦朧としながら力を込めると、なにか塊のようなものが込み上げてきて生暖かなものが吹き上げた。
モロトミの顔に赤黒い飛沫がつく。すぐにそれが血だとはわからないぐらい、色が不気味なほど濁っていた。
「―――!」
クラミチが目を剥きだし泣き叫ぶ。血を受けたモロトミは真っ赤に染まった手とカミヨを交互に見詰め、驚愕したまま言葉を失った。
血を吐き出して気道がすっきりした。しばらく掠れた呼吸を繰り返し、カミヨは二人の手を握り締め胸に当てた。
「……幸せに…なれ」
温かな手の感触を確かめてカミヨは静かに言葉を紡いだ。
 涙が溢れてくる。これまで認められなかった自分の、ただの人間としての幸せ。王位継承者として生まれ、母の顔さえ知らずに育ってきた。辛くても友だちがいた。泣きたくなると、決まって彼らが笑わせてくれた。
 幸せだった。
こうして、彼の為に泣いてくれる友だちがいる。国家の奴隷だとまで思っていた、最も孤独な王の為に。肩書きも世間体もなにも関係ない。ただ純粋に、彼という人間がこの世を去ろうとしていることを悲しみ嘆いている。
「……私も…幸せだった、のだな」
 長い歴史の中で何度、王たちは冠の重たさに泣かされてきたのだろう。何度、この玉座に君臨する孤独に怯えたのだろう。けれどそれらの苦しみは、守りたいと思う人がいるから堪えることができた。愛するからこそ、カミヨは王として国を治められた。
ただそれだけのこと。わかってしまえば一笑にして終ってしまいそうなことだったけれど、それでも、人はどうしても素直になれない。
 心の中でウリへ呼びかけた。
 どうだ、わたしは幸せだ。だからこの国も幸せなのだ――――と。
 「ありがとう…」
 泣き叫び彼の名を呼ぶ友たちに最後の微笑みを残し、カミヨは意識を手放した。
 
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※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

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