失われた子どもたちの童話集  ――This is the story of Lost children.

青海汪

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第二部 首を繋がれた王と姫君

第十六話 徘徊する裸の王  

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―――This is the story of Kisame.
 
ガドレ以来雨が続くと思えば予想を裏切り、今朝は雪が降っている。この調子で冬期休暇へ移行していくのだろう。校舎内は暖房がきいていてるものの、寮から繋がる階段を登る間横殴りに吹きつける風に煽られ、誰もが口数少なく俯き加減に駆け上っていった。彼らがまとう黒いマントの上に白い雪がかかるのを眺めながら、ゆっくりと足を動かしていく。
 寒いけれど考えごとをする時は神経が研ぎ澄まされるこの気温が向いている。かじかむ指をポケットの中で温めながら、凍った階段に躓きそうになる男子生徒を見た。ぼくの予想ならガドレが終わると同時にセトたちが動き出すはずだった。なのに肝心のセト本人がここ数日、姿を消している。彼の失踪が日常茶飯事とは言え、絶好のタイミングを失っては元もこもないはずだ。
 集めた生徒たちを実験に使っているなら、彼もその現場にくるのが例年の慣わし。けれど彼女の報告によると教授たちの間にも今だ動きはない。
 どういうことだ?
 セトはバロの手下ではなかったのか?
 あまりに突飛な発想につい苦笑を漏らす。ようやく校舎に入り込むと既に生徒たちは教室で待機しているのか、廊下はとても静かだった。
 とりあえず朝食を優先させようと思い食堂へ向かう。一限目は美術なので多少遅刻しても昨夜から共にいた彼女なら大目に見てくれるだろう。肩の雪を払い人気のない廊下を歩き進める。すると柱の影から燃えるような赤毛が覗き、期待に満ちた表情のベティが頬を染めてあらわれた。
 「キサメ!」
 「やぁ…ベティ」
 もし手ぶらで接近してきたのだとしたら軽くあしらって逃げようと決めていたが、素早くぼくの左側に回り腕を掴むと
 「聞いてちょうだい、キサメ! 私…」
と紡ぎかけてから、そっと頭をぼくの胸に預け甘えてきた。
「貴方の為に必死に調べたのよ。すっごく大変だったんだから」
 辺りに人の気配はないかを確かめてから、彼女の身体ごと柱の影に隠れた。
 「調べた限り二人とも生きているみたいよ。どこにも処理された形跡がないの。ただキッコのパターンは少し違っていて、彼女が最後に目撃された教室に毛髪が落ちていたの。これって今までにない証拠じゃないかしら?」
 「……それで、証拠はどこに?」
 「私の部屋にある金庫に保存しているわ。貴方の写真もそこに入っているのよ」
 上目遣いに見上げてくる彼女の瞼に褒賞のキスを授け、甘い声で語りかけた。
「可愛いぼくのベティ。なんて素晴らしいのだろう。生涯のパートナーにきみ以外は考えられないよ」
 「おぉキサメ! その言葉を信じてもいいのね…?」
 「きみには嘘をつけないもの。それでベティ……その髪を、もちろん。後でぼくの元に届けてくれるだろう?」
 「貴方のお願いに、否定の言葉なんてないわ」
 両手を胸の前で組みベティは嘆息した。それから延々とくだらない戯言を述べる彼女に適当に相槌を返しながら、今の報告について自分なりの疑問を上げ連ねていった。これまで邪魔な生徒たちを平然と殺していった彼らが、何故あの二人を処分していないのだろう。いずれにしろ、日本の家族からは邪魔者扱いされてきたイヒヌゥだというのに。
 ましてやキッコはリンコの父親の正体を知った後の失踪だ。余計な情報を与えられた彼女こそ、真っ先に消されていなければいけない。それに教室に残された髪というのも気になる。
 彼らがそんな初歩的なミスを犯すだろうか。
 ―――セトと仲間の目的はバロと別にあるのか?
 ふいに会話が途切れる。じっと向けられた視線に気づき、いつもの微笑みを浮かべると彼女を見た。
 「……嫌な、予感がするの」
 眉間に深く皺を寄せて呻くように呟いた。
 「なんだか、とても嫌なの。ねぇキサメ。休みを使って一緒にドイツへ行きましょうよ。貴方の生まれた家を見たいわ。そうよ、卒業したらすぐに結婚しましょう」
 鬼気迫る真剣な面差しについ口先まで出ていたジョークがしぼんでいく。
 ぼくの胸にしがみつきベティはなおも訴えかけてきた。
「お願いよ。絶対に約束してくれなくちゃ…なんだかもう、会えない気がするの」
熱い想いを横溢とさせた瞳。決して求めるだけの見返りなど得られないとわかっていながら、それでも愛せずにはいられない愚かな女。欲しいのはキス? それとも抱擁?
 形にならない感情を得る為なら命さえも惜しまない。恋の下僕となりさがった彼女の眼差しは、いつもあの人を思い出させた。
 「……きみは…アップルパイを作れる?」
 唐突な質問にベティは虚を衝かれた表情をした。前後の会話を無視した話題に気づき、慌ててかぶりを振る。何か言いたげに口を開け、逡巡する睫を伏せた彼女の額に唇を近づけ
 「約束するよ」
と乾いた声で呟いた。
 
 
 窓の向こうで積もっていく雪を一瞥し、手紙に書く内容を考えていた。
 空き教室には私とティルの他に誰もいない。隣の席に座るティルは持ってきたむかしのアルバムを広げ、懐かしげに一ページごとを丹念に眺め時折、口元を緩め微笑を漏らしている。
 再び真っ白な紙と向かい合い思案に暮れる。何て書けばいい? あれだけ憎んでいた母を、もっと知りたい。お祖父ちゃんたちを死に追いやったのは私だから。愚かな子どもだった私が家族を破滅させてしまった。そのくせ何も知らずに、自分が犯した罪も忘れて周囲の冷たい対応に傷ついていた。
頭の中で蠢く沢山の言葉を整理しながら、ホッと溜息を吐くと一番上の行に『芹沢さんへ』とだけ書いておいた。
扉が開く音がして同時に翠の声が飛んできた。
「準備ができた」
ティルと共に立ち上がると、入り口に佇む彼の後を追って教室を後にした。
 
 
 心理学の授業は毎度のことながら眠たくなる。老いぼれ教授の朗読する声はいつも子守唄にしか聞こえない。プレイに夢中になってしまい二人とも眠りに落ちたのは外が明るくなってからだった。もちろん熟睡できる訳もなく、うたた寝程度の睡眠の後、誰も起きないうちに彼女の部屋を抜け火照った身体が冷めやらぬうちに寮へ戻り、眠気眼のままベッドに入った。
 意識が朦朧としつい夢うつつと彷徨ってしまう。
 「そこでフロイトの―――」
頭の一部を覚醒させたまま、ぼくは浅い眠りについた。もう思い出すこともないだろうと思っていた過去の記憶が、まるでクローゼットにしまっていた服を取り出し洗濯機にかけるように、前後の見境もなく途切れ途切れに蘇っていく。
母が焼いてくれたビスケットを持って出かけたピクニック…仕事に没頭する父の代わりに、執事がよくキャッチボールの相手をしてくれた。広いばかりで人気のないあの家は学園によく似ていて地下にたまる重たく淀んだ空気に薔薇の香りを嗅いだ時、初めて薬の恐ろしさを知った。
世界があの薬を求めていると言われても、大して実感も湧かず他人事としてしか捉えていなかった。むしろたかだか日本人が運営する学園が開発した薬に、誰が興味を示すのだろうと思っていた。
そんなぼくの胸中を察してか父は冷ややかな笑みを浮かべた。
「お前にはまだ薬の真の価値というものがわかっていないようだな」
あれは学園への入学条件として、薬について調べるよう命じられた時のことだった。居丈高な口調には相手を苛立たせる周波数でも組み込まれているのか、常に彼と会話するたびに自然と目を逸らし眉間に皺を寄せる癖ができていた。
視界にもあいつの姿を映したくない。常に美しいものだけを求めることが、ぼくのアートに対する姿勢だと日頃から気をつけていたからなお更だった。嗅ぎたくもないのに香水の匂いが鼻につく。奴の匂いが充満したこの書斎にいることがただ苦痛で仕方がない。
カーテンは開いているものの、灰色の雲が空を制し注ぎ込む光もどこか頼りない薄暗い室内に再び声が響く。
「イサム・ハナブサという日本の学者が、過去に医学界にどれだけ偉大な成績を残したのかも知らないとはな」
葉巻に火をつけうまそうに煙を吐き出すと、こちらを品定めするような態度で椅子に深く腰を下ろし頬杖をついて見上げてきた。横顔に集中する視線を忌々しく思いながら新しく言葉を紡ぐのを待つ。どうせ途中退出など許さないだろう。学長の過去など興味もなかったが、あの学園はこれまでに多くのアーティストを輩出してきたことでも有名だ。条件がどうであれ何がなんでもあそこへ行きたかったからこそ、こうして堪えることができた。
「彼は新薬の開発をしていた。それがどのような効果を持つのかも定かではない。しかしわずかに漏洩した情報によるならば、ほぼ百パーセント検査にひっかからない麻薬に似た作用を持つものだという」
「ぼくがそれを見つけて素直に手渡すとでも思っているのか?」
吐き捨てるように呟くと、視界の隅であいつの口元が不吉に歪むのが見えた。
「お前は必ずわたしに従うさ」
「!」
確信に満ちた声に反射的に顔を上げる。バックに広がる林檎の木の枝が大きく上下に揺れたかと思うと、寝巻き姿の母が降ってきた。
首に巻いた頑丈なロープが地面に向かって落ちていく身体を引き止め、しばらく左右に振動していたが枝にぶつかるうちにやがて動かなくなった。それでも全身の痙攣は止まらず飛び出した眼球から透明な液体が流れていた。
窓枠を額に見立てたそれはまるで一枚の絵画のようだった。目や鼻、口から出るものがすべて流れ出て、ドレスから覗く脚からは水が滴っている。
瞳孔の開いた瞳にはもはや生気がなく、ブロンドに縁取られた血の気の引いた顔は人形よりも無表情だった。現物を目の当たりにしてもその表情から生前の彼女を思い出せず、まるで夢の中の出来事としてしか捉えられない。頭の一部が麻痺しているのか先程まで昂っていた感情が今はやけに落ちついて、その癖何が起こったのか理解するのを本能が拒んだ。
あの木は秋になると大きな実をつけた。ぼくはそれを取り大好物のアップルパイを作ってもらった。そして残った分をジャムにし使用人たちに分け与えていた。枝ぶりがよく木登りには最適だった。
 夏になれば芝生にちょどいい木陰を作り幼い頃はよくそこで絵本を読んでくれた。遠い異国の学園に行ってもこの家での思い出を忘れないでと、彼女は口癖のように繰り返した。
 その口癖は現実になり、まさに忘れられない思い出を築き上げた。
「そう、ルーティとは正式に離婚手続きを行ったから…」
悠然とした面持ちを崩さず、上体を捻り窓の向こうで吊るされた死体を見据え
「もうあの女はお前の母親ではない」
と呟いた。
「惜しいことをした…。お前がもっと早くに決断すれば、離婚を見送ることも考えたのだが」
髭を綺麗に剃った顎を撫ぜながら、卑屈に眉を寄せながらぼくの方に向き直り吐き捨てた。
「何せ彼女はわたしを愛し過ぎていたからな」
『愛シ過ギテイタカラナ』『愛シ過ギテイタカラナ』『愛シ過ギテイタカラナ』『愛シ過ギテ……
「!」
身体に巻きついていた何かが切れたような感覚の後、我を忘れ奴に拳を向けた。が、素早くそれをかわさすと、腕を掴まれ床に投げ倒された。弱冠十二歳の力など大人と比べたら赤子の手を捻るようなもの。
激しく蠢く感情が言葉になれず、悲しみを、憎しみも、等身大のままにあらわせず涙を流しながら呻いた。すると黙らせるように頑丈な靴を履いた踵が頭を踏みつけた。あいつに足蹴にされて、憎い男に母親を殺されて、それでも母はこの男を愛していたから死を選んだ。
―――!!
精一杯の慟哭。どんなにもがいても逃げ出すことさえできない。
「お前は母親想いのいい子どもだったからなぁ」
歯を食い縛って顔を近づけてくる奴を睨んだ。
「どうせお前たちにはまだ世界は動かせない。わたしが憎ければ力をつけろ。力を手に入れられるのは一部の人間だけなのだ」
頭を踏みつける脚に力が加わり、その圧力で歯が折れるのではないかと思った。
「世界は大人の為にあるのだよ。キサメ…」
口の中が切れ錆のような血の味が広がる。
「けれどあの学園は子どもの為にある。わたしを殺したければ、与えた立場を利用し策略を練るのだな。まぁ…お前に薬の正体を明らかにする程度の能力はあっても、このわたしを殺せるとは夢にも思わないがな」
全身の血が逆流し脳みそが沸騰しそうだ。圧迫された胃が急に異物を押し上げてきた。
「ウッ…グフアァ」
絨毯の上に吐瀉物をぶちまけるとようやく靴が頭から離れた。喉が胃液にやられて痛む。声がうまく出なくて必死に発声しようとしたが、最初に出た音は泣き声となった。
子どもであることが悔しい。母を救えなかったことが悔しい。あいつの存在が悔しい。何よりも、自分の無力さが悔しかった―――
 窓の向こうで揺れる亡骸が恨めしげにぼくを睨んでいる。こんな男の為にどうして命を捨てたのだと罵りたかった。愛しているから? 死も愛情があれば拭えるものなのか?
 「薬を手に入れろ。もしお前が馬鹿げた考えを持つようなら、あの木にかかる死体も増えると思うのだな」
耳に貼りついた奴の声がこだました。
今まで明確な憎悪を抱いたこともなかった父親を、初めて心から憎いと思った。これまでどんなに母に冷たい態度をとってきても、奴を愛する故に
 「彼が悪いんじゃないのよ。私が至らないから怒られるだけなの」
 と寂しげに笑う母がいた。彼女がいたから憎しみに歯止めをかけられた。
 『そんな目で見ないでよ―――』
 雨が降り出す木の下に母の死体が吊り下げられている。誰も枝から下ろしてやろうとしない。あいつに睨まれるのが怖くてカラスに啄ばまれる彼女を助けようとはしなかった。
 瞼を閉じるたびに彼女の最期の顔が闇の中に浮かび、恨めしげにこちらを睨んでいた。非業の死を遂げてもなお、あの男を愛していると囁く母。
 夜な夜な灯りの消えた長い廊下を彷徨ううちに、いつしか使用人たちはぼくを奇異な目で見るようになった。陰でさすがはあの父親の子ども。頭もいかれているに違いないと、口々に噂されているのも知っている。けれど眠れば睡魔が死に様を思い出させるのだ。忘れるな、お前もいつかあの男に殺される、と耳元で低く囁く。
 「ぼっちゃま、ぼっちゃま! しっかりして下さいませ!」
焦燥し意識も斑になりつつあったぼくの肩を揺すりながら泣きそうな顔で叫ぶマルゴット。乳母でもある女中頭の彼女は、密かに離婚の原因を教えてくれた。
 「実は旦那様がお付き合いされている女性とご結婚されるとかで…奥様を追い出されたのです」
 つまり母には何も落ち度はなかったのだ。ただ、邪魔だったから追い出しただけ。そして母の影響からアートに惹かれたぼくの情熱さえも疎み、強制的に奪い取ろうとした。彼が薬を手に入れて何をしようとしているのかはどうでもいい。愛すべき者を奪った奴への復讐が、今のぼくを作り出しているのだから。
 鳴り響くベルの音が、おぞましい記憶からぼくを覚醒させた。生徒たちの集中も既に途切れていたのか、壇上の教授も早々に教材を片づけ出ていった。
 座ったまま大きく伸びをして、涙ぐんだ視界を拭い寝起きの頭で考えを巡らせた。ここ最近、義母からの連絡が途切れがちだ。以前はうるさいくらいに子どもの成長やら近状報告など、何かにつけ手紙を寄越してきていたはずなのに。
 沈黙は、危険だ。
 まさかベティの予感を信じるわけでもないが、ガドレが終わって以来学園で蠢いていた何かが活動を停止している気がする。渦中の人物が消えたから、そう思うだけかもしれない。
 しかしキッコの失踪はぼくに対する宣戦布告だ。
 教室を出ていく生徒たちの喧騒で我に返り、開いたままにした教科書を閉じた。
 
 
 向かった先は生徒会室だった。先程まで空き時間を利用してドーニャとジョナサンが書類の作成をしていたらしいが、二人が授業へ戻るのを待って話し合いの場に使うことになっていた。
 あいかわらず室内に薔薇が飾られていたけれど、前に入った時と比べて量が減った気がする。
 「適当に座ってくれ」
 促されるようにティルとソファに腰を下ろすと、すかさず翠は私たちの前にリスト表を出してきた。
 「ガドレの間に消えた生徒のリストだ」
 ざっと見た限りでも十数名に及ぶ生徒たちに共通はない。
 「きみに聞きたいことは三つ。一つは選別の基準。二つ目は選別に携わる生徒。三つ目はその目的」
 ……さっきから一度も私を見てくれない。
 翠の視線は私の前を素通りしてティルか、もしくはリストに向けられていた。きっと彼女と一対一でこうした質問をしたいのだろうけど、いずれ私の耳にも入ると見越してこうやって招いただけなんだ。その証拠に翠は彼女にベンジャミンのアルバムを持ってくるようにだけ指示し、私の同行を示唆するような言葉は一切つけ加えなった。
 目の前でお祖父ちゃんたちを惨殺されたのは翠。都合よく記憶をなくした私なんかよりも、きっと辛い思いをしていたに違いないのに。わかってはいるものの、膝の上に揃えた指に無意識に力がこもっていった。
 「基準…は健全な肉体を持つ男女。携わる生徒は主に、バロの息がかかった生徒会たち」
ティルの言う通りなら生徒会長である翠の知らない間に生徒会は動かされていたってことになる。
 「目的は新しい薬の人体実験」
 ティルが答えるとしばらく沈黙が流れた。その静寂を使って翠が様々な策略を立てているのは明らかだったが、つい耐えきれず口火を切った。
 「ツインが…ベンジャミンの替え玉を演じているの」
 「!」
 翠は初めて私を正面から見据えると興味深げに先を促した。こんなことで許される訳がない。でも他に贖罪の方法がわからず、私はうな垂れたまま続けた。
 「どっちから聞いたんだ?」
 「化けていなければナルキから告白された。でも私は、ガドレの前にキサメからも…聞いていたの」
 鋭い眼光から目を逸らす。すると翠はさっきよりもリラックスした態度で、脚を組みかえた。傍らでティルがそっと私の手に触れる。わかっているわ、そう言う代わりに顔を上げると
 「伊豆の別荘でのことを思い出したの…」
 肩を震わせると翠は眼鏡の奥で瞳を大きく開けた。
 「図書館の職員だったお兄ちゃんが…犯人だった。雨が降って、雷も鳴っていたわ」
小刻みに震える声を飲み込み、意を決しお腹から吐き出した。
 「本当は…気づいていた。お兄ちゃんは私の為にどんなことだってしてくれる。翠があのお兄ちゃんを嫌っていたのも知っていた。だから、私……お兄ちゃんの好意を利用して、翠に」
 「ハッ」
私の贖罪を鼻で笑い眼鏡のブリッジに触れると、翠は鋭い眼差しを向けてきた。
「さすがは母さんの娘だなとでも言って欲しかったのか? 思い出した所で何を求めているんだか知らないけど、せっかくだ。日本に帰った折にはちゃんと墓参りにいってやれよ」
 心からの侮蔑の情を感じ取り全身の筋肉が縮まる。肺が縮小したまま、彼の憎悪が伝染したこの場の空気を吸い込みたくないと拒否した。鼓動が頭の中でこだまする。こんなにあからさまに感情を露出する彼を見たのは、葬式の夜に泊まったビジネスホテル以来だった。
 「……わ、私…」
 身体が痙攣を起こしてうまく立ち上がれない。けれど必死にソファにもたれ、不確かな足取りで翠から離れると
 「馬鹿だった。翠が憧れのすべてだったからいつも真似ばかりしていた。あの事件を引き起こしたのは私だけど、翠は被害者で……だけど…もしかしたらっていつも思っていた」
 頬を熱いものが伝っていく。それを見るなり翠はおもむろに私から目を逸らした。
 巨大な針が胸を貫くような痛みが走る。
 「―――ただ翠に認めて欲しかった、だけ。翠の期待に応えたかった」
 膨らんでいく悲しみが溢れて身体ごとはちきれそうだった。視界の端にティルの同情が滲んだ顔を見つけて、無理やり押さえつけていた感情に火がつき、思わず生徒会室を飛び出した。
 ただ悲しくて…悔しくて……手を伸ばしても届かないものに、地団太を踏む私。選ばれた彼にはきっとわからない。持てない者の気持ちなんて、絶対に、理解してくれない。
 『…前から聞きたかったんだけど、メール・ヴィの意味って』
 『選ばれたって意味。でもタタ音調で読むと、取り残されたって意味になる』
 今ならわかる。どうして彼が私をグドゥに誘ってきたのか。
 取り残された私を認めてくれる唯一の居場所。それがセトが築こうとする世界なのかもしれない。
 
 
 これで午後まで授業はない。荷物になる教科書を一旦ロッカーに預け、しばらくフリータイムを楽しもうと歩いていると通りがかった談話室の向こうからベティの声が聞こえてきた。
 どうやらいつものメンバーでお菓子を囲っているようだ。ベティさえいなければ黒髪が魅力的なサエや、どこか男性的なさっぱりした性格のジェニファーともっと親密になりたかったのだが…彼女に手を出した時点で永遠にその機会は失われてしまった。むしろどうした経緯でベティと付き合ったのか、よく覚えていない。
 確か入学した頃に向こうから声をかけてきた気がするのだが、最初のベッドインよりも後のストーキングの方が印象的だった。まさかあそこまで執着心の強い子だとは想像もしなかったし、外見のイメージとのギャップを可愛いとも思った頃もあったが限度というものがある。周囲の顰蹙もものともしない強靭な根性は、ある意味の最強の女だと公認させた。
 「ダンスだってパートナーを組んだんだし、もうあんたたちは公認の仲だね」
 ジェニファーの合いの手にベティは嬉しそうに声を上げた。
 「実はもう婚約しちゃったのよ」
 「ウソォ! いつぅ? いつの間にィ~?」
 「ふふふ…内緒よ。でも卒業したら一緒になるのよ」
 「もう春になれば卒業するけど、キサメはまだあと二年は待たなくちゃあ」
 「あまり気にしたことないけど、実は年下だったんだね」
「学生結婚なんて珍しくないわよ」
 あいかわらずどんどん勝手に話を進めていく。来年になればやっと邪魔者が消えると思っていたのに、あまり噂を立てられてはまたガールハントが難しくなるではないか。
 深々と息を吐き出すし止めていた脚を動かした。どうしてあぁも無条件にぼくを愛せるのだろう。一途すぎる愛は時に大きな代償を必要とするのに。
 「ハァイ」
柱に凭れかかりぼくを待っていたカナムラ教授は妖艶な赤い唇を曲げ、微笑んだ。
 「今朝から雪がやまないのよ」
 うんざりした面持ちで窓を睨む。天然パーマの彼女は湿気の多い日を嫌っていた。頭上で一つにまとめたポニーテールも、カール具合がお気に召さなかったようだ。
 「雪は好きだよ。きみを描くならバックは一面の雪がいい」
 「口がうまいわね。もし手が空いているようなら美術室の片づけでも手伝ってもらえるかしら?」
 媚態を秘めた眼差しを受け止め優しく笑いかける。
 生徒と教師という禁断の恋愛を楽しむ彼女は、常にぼくらが置かれている立場をゲーム感覚で観察していた。学園にばらまかれた薬のことや、利用され消えていく生徒たちのことも彼女にとってはゲームをよりスリリングに演出するスパイスでしかない。
 ふいに胸を何かが過ぎった。
捉えどころのない気持ちに揺さぶられ、脳裏に暗闇の中を徘徊したあの頃の自分の姿が映し出された。手を伸ばしても届かない何か。誰も与えてはくれなかったものを探してずっと彷徨っている。母親の自殺はぼくを苦しめた。けれど自分の選択が彼女を死に追い詰めたのだとしても、取り残された幼いぼくの気持ちを察してくれなかったことが、一種の絶望を植えつけた。
もし逆にぼくの命と引き換えに離婚を破棄することができたなら、きっと彼女は迷わず後者を選んだに違いない。所詮はみんな自分の身が最優先事項なのだ。己の身の保全、幸せ、栄光、名誉。すべては自分の為。
窯から取り出したばかりの湯気が昇るおいしそうな黄金色のパイ。白煙の向こうには母の幸せに満ちた最高の笑顔があった。
「あぁ……ねぇ、きみはパイを、焼けるかい?」
「パイ? それなら給仕に頼めばすぐに持ってきてくれるわよ」
首を傾げるカナムラ教授に薄く貼りつけた表情を向け、質問を避けるようにして美術室へ向かった。
今、思い出したベティが最初にかけてきた言葉。食後のデザートに選んだケーキが口に合わず機嫌を損ねていたぼくに、彼女から接近してきた。手には表面を黄金色に焼いた、まだ湯気の残るパイ。
『私が焼いたアップルパイはとっても美味しいのよ。ねぇ食べてみて』
久しぶりに食べたパイは、かつて母が焼いてくれたあの味とよく似ていた。まさか彼女以外にあの味を再現できる人がいるとは思いもしなかった。
「……男は誰もがマザコンなのだろうかね…」
疑問符を浮かべるカナムラ教授に微笑みかけ、ふっと肩の力を抜いた。
 
 
 涙が乾くまで歩き回っているうちに、ふいに思い出のある場所へ辿り着いた。
 個人レッスンを打ち切られてからずっときていなかった、秘密の部屋の入り口。あの時は迫りくる男子生徒の気配に恐怖して、彼に助けてもらったのを覚えている。
 「……」
わずかな希望に押され、壁にかけられた肖像画を見上げたまま押してみる。鍵もかかっていないのか隠し扉は思いの外すんなりと開いた。
「誰だ!」
鋭い一喝に驚く。窓際に立つ人影に一縷の期待が生まれたが、その顔を確認してすぐに落胆してしまった。
「なんだ…お前か」
ゲンジロウも同じ気持ちだったのか肩を落とすと大きな溜息を吐いた。久しぶりに入る室内はあいかわら多種多様な本と埃で埋め尽くされている。それらに触った形跡もない。
「同じこと考える奴がいるとはなぁ」
言葉とは裏腹に仲間を得た彼の表情は、翳りに紛れてどこか嬉々としていた。
「……ずっと、姿が見えないわね」
泣き腫らした目を隠すように足元の本たちに視線を向ける。
「これは全部、ユキオさんのものだったんでしょう?」
一瞬、虚を衝かれたような顔をしたが「そんなことまで…あいつは喋ってたんだなぁ」と感慨深げに呟いた。
言葉の裏側にある意味を考えながら、彼から発せられるセトの情報を待った。
「誰に聞いてもバロに聞かなくちゃわかんないの一点張り。そのくせ誰もバロに確かめようとしないんだ」
「日本に戻っている可能性はないの?」
「ない、とは言い切れないけど…もしかしたらユキオさんみたいに、バロの虐待を受けてるんじゃないかって、つい不安になっちまうんだ。まさか、もうそんなことがある訳がないってわかってるけど。でも……」
言い淀み俯くと、落ちつかなげに両腕をさすり始めた。顔色が悪く視線も宙を漂い焦点が合わない。
ついに我慢できなくなったのかポケットからチョコレートを取り出すと、まるで禁断症状の患者に薬を与えた時のような鬼気迫る表情でそれを口の中へ放り込んだ。
「中毒、なんでしょう? ここのお菓子ばかり食べている…」
見ているのが辛くなり、踵を返してゲンジロウに背中を向けた。
「仲間はあと…ユンと誰がいるの? ティルがセトを裏切ったって…どういうこと?」
二人の間に流れる空気が一気に密度を増した。耳が痛くなるような沈黙に紛れて、外で静かに降り続ける雪の音が聞こえた。
ユンは完全にセトを崇拝しているようだった。けれど、彼の友人という立場にあるゲンジロウなら、私の質問にも客観的に答えてくれるかもしれない。
背後で長い溜息が響く。思案するように黙り込んだが、チョコを摂取して冷静さを取り戻したのかふいに語り出した。
「チュチュが、セトの最初の仲間だった。だけどその時はまだ仲間の意味も曖昧で、ただあいつがいつか学園長になった時に幹部として、補佐的役割を果たす為の仲間集めだった。けどチュチュが消えてからは…形だけの婚約でも、フィアンセのティルが仲間だってユンは思っていたみたいだな」
それは姉が死んだ後に、孤独を味わう彼に同情して思い込んでいたのだろうか?
「だけどティルにはベンジャミンがいた。二人の関係を知って、すごい剣幕で怒ってたぜ。…グドゥに誘った時、あいつはお前らを仲間にしようとしてたんだろうな」
「……シィクンツッの翠をグドゥにして、バロの手中で監視下に置きたかったのね」
しばらく無言で顔を合わせていたが諦めたように頷いて肯定した。
「話を持ちかけられた時は俺もここにまた戻ってこれるならって、軽い気持ちで承諾した。だけど日常から学園長になる為の教育を受けるあいつを見て、学園の秘密を知って…何かが違うって、思うようになったんだ」
掌を上げ乾いた笑い声をこぼすと
「でも気づいた頃にはもう、俺もここの薬がないと生きていけないくらいの中毒になっていた。ここの菓子をあまり食べないユンも、気持ちの上で十分学園に依存している」
「それでも…なんらかの方法が」
「バロの計算だったんだよ」
 ぴしゃりと言い返すと、ゲンジロウは窓に手を当て眼下に広がる雪景色を眺めた。
 「ここに集まるのは行き場のない奴らだから、どこにも助けを求められない。家族が望んで薬を買いにきている所もあるらしいぜ。俺たちは、この学園に売られたんだよ」
 「それ…本当なの?」
 「さぁな。でもこれほどモルモットを監禁するのに優れた場所はないぜ」
 反論どころか同調するしか術はない。確かにそうなんだ。社会から取り残された存在だから、誰も私たちが消えても悲しまない。私がお母さんを嫌ったようにお母さんも、お祖父ちゃんたちを追いやった私を嫌っていたんだ…
 暗澹とする気持ちを振り切り、気になっていたことを質問してみた。
 「グドゥやシィクンツッの意味って」
 ガラスに映る彼の顔が暗く沈んだ。
 「門前に集まる子どもたちが、イヒヌゥ。あいつらは切り捨てられる子どもたち。錠がグドゥ。ユンたちは英才教育を受ける選ばれた子どもたち。シィクンツッは……」
 
 
 いつの間にか窓枠に雪が高く積もっていたことにも気づかないくらい、珍しく集中できた。ここ最近スランプ気味だったが、出来上がった作品を見る限り壁は乗り越えられたようでもある。
カルトンに挟んだ画用紙と目の前でポーズを決めるカナムラ教授を見比べた。彼女のすべてを知っているだけに、ちょっとした仕草や光の加減を利用することで、魅力を最大限に表現できると自負していたが、これもなかなかの出来だ。
つい自画自賛し、口元が綻んだ瞬間を見逃さなかったカナムラ教授、もといエリは大きく伸びをすると
「見せてちょうだいよぉ」
艶かしい媚態を秘めて乞うてきた。
「モデルがいいと素晴らしいものができるね」
壁に立てかけ彼女に作品を見せると、わぉと表情を崩した。
 「貴方ってば本当に才能があるのに……もったいないわぁ」
 何度も聞いてきた言葉を口にする彼女の嬉しそうな横顔を一瞥し、鉛筆を片づける。この時間帯に美術の授業は入っていないので、よく逢瀬に利用していた。
 教室に鍵をかけるとエリはおもむろにぼくに笑いかけた。
「一休みする?」
 紅茶の準備をする彼女の背中を眺めながらソファに移動する。本当は首筋に残るキスマークも描写したかったが、さすがに二人の関係がばれてはまずいので我慢した。
 「貴方から頼まれていた例の意味、調べたわよ」
やかんをコンロにかけカップを温めなが紡いだ。
 「シィクンツッの直訳が『鍵』になるわ。けれどもう一つ別の意味があって、それが複雑で英語に直しづらいんだけど…」
 「構わないよ」
 「そぅ? 大まかな意味でまとめるなら、窓を開ける可能性があるってことになるみたい」
 「窓を開ける?」
どういうことだろう。ずいぶん抽象的な表現だ。
 「ねぇそれとバロの息子が書いていた童話について、貴方…知りたがっていたじゃない?」
 思案するぼくの前にミルクティを差し出すと、傍らに寄り添うように座った。長い髪を耳にかけ、そこから覗く白いうなじに浮かび上がる桃色のキスマークが色っぽい。
 温かなカップを両手で包み込むように持つと、肩にもたれかかり甘えてくるエリの香水を嗅いだ。
 ……前と違う。いつから香水を変えたのだろう。
 疑問が湧いたがそれを気にかけるより先に会話を始めた。
 「書かれているのよ」
 「何がだい?」
 「だーかーらー、一連の事件はそこに書かれている通りに行われているの」
 予想もしなかった答えにしばらく黙り込む。まさかチュチュの失踪から始まりキッコに及ぶまでの犯行は、すべて物語を実現させる為に? しかしバロの息子がそん何先までを見据えて、童話を書いていたとはにわかに信じがたい。
 いや、待てよ。バロの息子はずっと病棟に監禁されていた。彼は恋人に童話を贈り続けていた。そして恋人は彼の元を去っていった。
 「……子どもからおもちゃを取り上げたらどうなる?」
 「え?」
唐突な質問に目を丸く開けると、唇に指を当てて答えた。
 「そりゃぁ…怒るでしょうね。大切にしていたものならなお更だわ」
 「何気ない言葉でも、受けた傷の深さは意外と深刻だね」
 一瞬、エリの瞳が不安げに宙を彷徨った。
 「子どもが奪われたおもちゃを奪い取ろうとしている。本来の形に戻そうとしているのが彼の目的なのだ」
 すべては繋がった。お互いに目的を持ち警戒し、利用し合っているだけ。セトが率いる『仲間』の目的も、バロの野望にも、根源となる存在にバロの息子がいたのだから似通ってしまうのも当たり前だろう。
 「そういえば日本で展覧会をしていたのだろう? あまり人目に出さないくせに、どんな作品を出したんだい?」
 「貴方には見せたくないだけよ。美術教授のプライドが傷つくじゃない」
 ウィンクをするエリを見て思わず苦笑する。しかし学内で調べまわっている彼女に一体いつ、制作をする時間があったのだろう。そんなことを考えながら紅茶を啜った。
温かな液体が喉を通って体内へ入り……
 「!」
 本能が異変に気づくと同時に急に全身の体温が下がった。冷水を浴びたような寒気と共に激しい眩暈と頭痛が起こる。鼻の奥がやけにきな臭く、神経が麻痺して動かなくなった手先からカップがこぼれ落ちた。
 景色が混濁し背中に鈍い衝撃を感じ、大量の血を吐き出しながら床の上に倒れ込んだ。
 「お父様から伝言よ」
 ソファに座り涼しげな顔で紅茶を啜るエリが口を開いた。
 「孫は責任を持って育てよう。…本当に心が広くて人間のできた人よねぇ。まさか自分の奥さんが息子とできて、子どもまで作っていただなんて…光源氏じゃあるまいし」
 低く押し殺した声を漏らす彼女を睨み、恐ろしい勢いで早鐘を打つ心臓を押さえた。
 「ぼ、く…を裏切る…のか……」
 「裏切る?」
醜く口角を上げ、立ち上がると血溜まりの中に沈むぼくを冷ややかに眺めた。
 「私、お父様の新しい部下なの。元々卒業生だった私は彼の命令を受けて、シィクンツッの貴方を監視する為についていただけよ」
 腹の底から込み上げてきた異物を吐き出すと、手足から徐々に力が抜けていった。
そうだ、あの香水は父が好んだ香りと同じ…母さんも、義母も…同じ、香りをまとっていた……
 鼻を刺激していた血の匂いも今は感じられない。意識が遠のいていく中に、エリのどこか科白がかった声が聞こえてきた。
 「そうとは知らず、あたかも私を操っている気になっていたのは、貴方。とんだ道化…いえ、プライドの高さが邪魔をして、自分の愚かさに気づかなかった裸の王様と同じね」
 瞼が重力に負けて閉じていく。
 「貴方の舞台はここで終わりよ。さようなら」
甲高い笑い声を聞いたのを最後に一切の感覚が途切れ、目の前は暗闇に包まれた。
 
 
 腕時計を確認するとゲンジロウも壁から背を離した。もうすぐ授業も終わる。
 飛び出してきたから心配しているかもしれない。扉を開けようとする私の後ろについてきたゲンジロウが、押し殺すように聞いてきた。
 「ティルと…手を組んでるのか?」
 切実な彼の気持ちを感じ、食堂で叫んだユンの顔が蘇った。
 仲間である彼らからすれば、ティルと親しくしていることが脅威になっているのだろう。私が学園にも仲間にも属さないから…
 でも、この気持ちをどうあらわしたらいいのかわからない。だけど確かに言えることは
 「……傍にいたい」
 例え裁かれるべき罪を犯したとしても、彼が背負うものを分かち合いたいと思うのは自己犠牲の精神からじゃない。ゲンジロウの顔を正面から捉え
 「私も同じだった。取り残された…から、どこにも居場所がない。何も掴めなかったけど、でも、セトの傍にはずっといたいの」
 「……わかったよ」
目を逸らすと肩を落として溜息を吐いた。そして足元に置いていた鞄からA4サイズの封筒を取り出した。
 「ガドレの前に届いていて、あいつがお前に渡そうとしていたんだけど…」
悔やむように言葉を区切り手渡した。送り主は芹沢さんだが封筒にいつもより厚みがある。それに普段は可愛らしい便箋を使ったやりとりだったけれど、今回は何故か茶封筒だ。
 「俺たちはバロと違う目的があるんだ。ユキオさんが作ろうとした世界を、最も理想的な形で築き上げたかった。誰も…漏れることなく平等に扉を開けて迎えてやりたくて」
 ゲンジロウを一瞥し封を切る。重たいと思ったら手紙と一緒に画集が同封されていた。モチーフは様々だったが油絵やデッサンなど、どれも写実的で実物みたいだ。と、見覚えのある少女のデッサンで手を止める。
 異変に気づいたゲンジロウも私の手元を覗き込み
「それ、キサメの作品だろ? 石膏を模写したやつ」
嫌な予感を煽られ手紙を開ける。時候の挨拶の後に信じられない文章を見つけ絶句した。
『以前手紙にも書いていた金村教授の展示作品を撮ったものを送ります。どれも素敵でしょう? 石膏像の生前の姿を空想して描いたした女の子の作品は、名誉ある芸術大賞を受賞しました』
 横から手紙を覗いていたゲンジロウも狼狽をあらわにした。
 「どういうことだよ…キサメの作品を、カナムラ教授が自分の名前で出品したってことか?」
 「……彼女はキサメの諜報員だと思っていたのに…」
 ふいに短い沈黙が流れた。同時に私とゲンジロウはきっと同じことを考えただろう。
 「…明後日から」
窓の外で深々と降り続ける雪を見詰め、彼は消え入りそうな声で呟いた。
 「転入期間が始まる」
 多くの生徒がこの国を出ていく転入期間に紛れ、私たちの胸ではもうキサメと二度と出会えないのではないかと、予感というにはあまりに確証が強い思いがくすぶっていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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