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第2章
守護天使の誓い
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王太子という立場に相応しい重々しく歴史のある調度は最低限に抑え、居心地の良さを追及した瀟洒な寝室に、聞く者まで苦しさを感じる浅い息が響いている。
持ち得る知識と技術を試し尽くした白の守護師と侍医は、疲労と絶望の色を隠せないまま、寝台を取り囲むように立ち尽くしていた。
その二人の脇に置かれた椅子に腰掛けたリズが、殿下の冷え切った手を握り、さすっている。
彼女の胸からは、エドワードが倒れてからずっと白金の光が放たれ続け、彼女の心情を周りに伝えていた。
殿下の寝台に、長年焚きしめ続けられたリズの香が染みつていることも、彼女の頬に涙が伝っていることも、全く気付いてもいない妹の様子に、アンソニーはとうとうリズを自分の胸に抱きよせた。
それを合図としたように、ヒューが声を発した。
「白の守護師、僕は彼女と話してみます」
守護師はゆっくりと若い魔法使いを振り返った。深い知と経験を備えた赤い瞳はどこまでも穏やかなまま、ヒューを見つめ、ふわりと魔力を立ち上らせた。
「そなたの決断に幸があるように」
守護師は、幼いころから我が子のように見守ってきた魔法使いに祈りを捧げ、侍医を促して静かに退出した。
二人を見送ったヒューは、アンソニーに向き直る。
アンソニーはそのエメラルドの瞳で、向かい合う凪いだ瞳の奥底まで眼差しを向けた後、目を伏せ嘆息した。
「君が幸せなら、止めはしないよ」
アンソニーはリズの頭に口づけを落としてから、ゆっくりと扉に向かい、ヒューとすれ違いざま、ヒューの頭を抱え込み、自分の頭と触れ合わせた後、一切振り返ることもなく部屋を出た。
扉がゆっくりと閉じられてから、ヒューは息を吸い込み、3人が退出したことに全く意識を向けていないリズの後ろ姿を見つめた。
「リズ、話があるんだ」
彼女は全く反応を示さない。ヒューは右手を掲げ、リズの眼前に魔力で僅かに火花を散らした。
その途端、リズはピクリと体を揺らし、ゆっくりと周りを見回した。その様子に、彼女がどうやら殿下の寝室にいることすらも気づいていなかったらしいとヒューは苦笑した。
ヒューの気配を感じて、リズがヒューの方へ振り返った。
濡れた紫の瞳がヒューを認めると、一瞬、澄んだ瞳に意志が戻った。
「護ってくれてありがとう」
掠れた声で囁かれた思いもかけない言葉に、ヒューは自分の心がかき乱されたことを感じた。咄嗟に瞳を閉じて、動揺を隠した。
それでも目を閉じたまま、ヒューはリズに話し続ける。
「僕は、6年間、リズから離れていなければ、殿下にリズを奪われなかったとどこかで思っていた」
凪いだ瞳しか見てこなかったリズは、微かに喘いだ。
瞳を閉じたままの魔法使いは、苦笑を浮かべた。
「でもね、感じたんだ。殿下に負けたと」
静かに零された彼の言葉に、リズは目を瞠る。
ヒューは穏やかな表情に戻り、彼には珍しくリズの疑問をそのままにして、話を変えた。
「僕はウィンデリアを去る少し前、ウィンデリアとクロシアの同盟が成立した日に、予知を見た」
ヒューはローブの袖の中で、手を握りこんだ。
「君が毒で斃れる予知だった」
リズは身じろいだ。確かに、現実でも刃物は彼女に向かって飛んでいた。
ヒューは思い出した光景に眉を寄せた。
「殿下は君を抱いて慟哭し、レクタムを滅ぼすと叫んでいた」
ヒューの絞り出すようなその声に、リズはもう一度口を開いた。
「護ってくれてありがとう」
とうとうヒューは目を開けた。その瞳は彼の抱える苦しみを隠せていなかった。
「僕は君を護ることしか考えなかった。いや、…どこかで殿下よりも君を選んでいた。それなのに、殿下がご自分の結界を解かなければ、誰も救えない事態になっていた」
ヒューがリズにかけていた守護と、白の守護師がエドワードにかけていた守護は、刃物に反応してそれぞれが結界を張り、ぶつかり合って、二つとも歪が出そうになったことを言っているのだろう。
リズは首を小さく振った。危険が大きければ、発動された結界も強くなる。
どちらも国の要の魔法使いで、その強さがもたらした事故だ。誰かが悪いとすれば、それは刃物を投げた人間しかいないはずだ。
リズの考えを読んだヒューは、溜息を付いた。
「そうかもしれないね。だけど、あの事故の中、殿下は予知を変えたんだ。僕は負けたと思った」
ヒューの結界がなければ、リズは確実に予知通り斃れていた。何より、二つの結界は壊れそうになってはいたが、本当に壊れてしまうかは分からなかった。
リズが声を上げようとするのをヒューは遮った。
「リズ。僕はそれでも君を幸せにすることは諦めない」
ヒューは魔力を立ち上らせ、強い眼差しをリズに向けた。
彼が敗北を感じることも、彼の言葉の意味するところも、リズには納得も理解もできないものがあったが、リズは彼の決断の重さは感じ取ることができた。
ヒューは浅い息を吐き続けるエドワードに目を向けた。
「リズ。殿下の毒は君の予想通り、レクタム国の最強の生物毒だろう。…このままでは、殿下は確実に死を迎える」
リズは目を閉じた。
ヒューが即座に毒を吸いだしたものの、刃物に塗られた毒は最強という評価に相応しく、僅かな量で効果を現した。
万能の毒消しなど存在しない。毒がもたらす症状を緩和する薬を服用するだけだ。
そして、緩和する薬がある場合もまれである。
そもそも、緩和するための薬を用意するために、毒の種類と濃度を知ろうにも、毒を放った従者は放った瞬間、絶命していた。
侍医ができたことは、遅いと分かっていても、効果が薄いと分かっていても、傷と傷口の周りを拭い、エドワードの呼吸を少しでも楽にするように、彼の上体を起こすことだけだった。
毒草に詳しいリズには打つ手がない現実を分かっていた。
だから、白の守護師の治癒に一縷の望みを託していた。けれど――、
「魔法使いの治癒は、本人の生命力を増幅させて、回復の手助けをする方法をとる」
ヒューの告げる事実に対して、リズはぼんやりと頷いた。
エドワードがまだ生きているのは、そのお陰なのだろう。
「根本的な治癒にはならない。…殿下の苦しみを長引かせるだけになってしまう」
リズにもそれは分かっていた。
リズの瞳から雫が零れた。
魔法石が一段と強い光を放つが、リズの心が癒えることはない。俯き涙を隠そうとするリズの涙を、ヒューは指で優しく拭った。
「リズ。だけど、その魔法石なら殿下を治癒することができる」
リズは顔を跳ね上げた。ヒューは彼女の驚きと期待に満ちた視線をしっかりと受け止めた。
「リズの魔法石は、僕や白の守護師とは成り立ちの違う魔力の持ち主が作った魔法石だ。体を作り替えて治癒を施す。だから、殿下のこの状態を治癒できるんだ。過去に実績がある」
ヒューは決して魔法使いの名を明かさなかったけれども、リズも「白金の魔法使い」の噂は耳にしたことがあった。エルフの生まれ変わりともいわれる稀代の魔法使いがまだ幼いころに、毒を盛られたウィンデリアの王太子を救った話は知らぬものはいない程だ。
リズは胸元で光を放ち続ける魔法石に目を遣った。魔法石はエドワードにはその偉大な力を向けていない。
――殿下にこの魔法石を握ってもらえば、効果が及ぶのかしら。
そのリズの疑問を読んだヒューは、静かに言葉を紡いだ。
「誰だって大切な人の死は避けたい。だからこそ、その魔法使いに頼るものが現れすぎないよう、その治癒の力を狙うものをけん制するために、悪用を避けるために、その魔法石は、石の主以外の者を治癒することには制限がかけられた」
初めて聞く、石の制限にリズは目を瞬かせた。
ヒューは小さく息を吸った。
「石の主自身の魔力をもって治癒を行うときにのみ、その石は他人に対しての治癒を発動する。魔力は誰にも嘘をつかないから」
リズは理解が追いつかず、首を傾げてしまう。ヒューは目元を緩めて、説明を加えた。
「大きな魔法ほど、本人の心から望むことにしか発動しないんだよ。だから、その石を主の願い以外で使うことはなくなる」
理屈を理解したリズは、絶望した。皮肉にも白金の光が強く放たれる。
「私は魔力が使え…!」
「方法はある」
リズの悲鳴を、ヒューは確信に満ちた声で遮った。
凪いだ瞳はリズに彼の言葉真実であることを伝えていた。そして、ほんの刹那、悪戯めいた輝きを見せ、リズは不審を覚えたが、ヒューはリズに考える時間を与えなかった。
「リズ。白の守護師は『忠誠の誓いの印』を陛下に贈っているのは知っている?」
ヒューの質問の意図は分からないまま、リズは小さく頷いた。
大きな魔力が政治に利用されることを防ぐために、代々の守護師は陛下に印を贈り、忠誠を誓う。
想い人に贈る誓いの印とは異なり、贈られた相手が忠誠を望むときにのみ、印が浮かび上がり、守護師の魔力が流れ込むという。
ヒューは凪いだ瞳に、強い意志をのぞかせた。
「僕の魔力は大きい。次代の守護師と目されている」
何の誇張も含まれない、明快な事実だった。
ヒューの名はその魔力の大きさで、幼いころから国中に鳴り響いていた。
「だから、僕はリズに忠誠を誓おうと思う」
思いもかけない宣言に、リズは声も出せなかった。
ヒューは浅い息を響かせるエドワードに視線を向けた。
「誓いの印を贈ることは大きな魔法を発動する。一切の曇りなく真摯に誓わなければ、発動しない。僕は殿下に負けたことは認めても、恋敵に忠誠を誓える自信はないからね」
苦しむエドワードに再び意識を取られつつ、リズは何とか口の端を上げた。
「魔力は誰にも嘘をつかない、なのね?」
ヒューはクスリと笑いを零し、次の瞬間、次代の守護師の顔を取り戻した。
「印を贈れば、僕の魔力がリズの中に入り、リズの魔力に寄り添うことになる。僕の魔力でリズの魔力を導いて治癒の魔法を使うことができる。そして、魔法石を発動させることになる」
次代の守護師の言葉がリズの頭に入ったとき、白金の光はすっと消え、リズの心は澄み切っていた。
忠誠を誓われる、それは、リズが王太子妃になることを意味していた。
リズは無駄のない動きで、音もなく椅子から立ち上がった。
驚くほど何の迷いもなく、リズは静かに声を発した。
「ヒュー。私に忠誠を誓って」
ヒューは眩しそうに、そしてどこか懐かしそうに、目を細めてリズを見つめ、優雅な仕草で跪いた。
見惚れるような美しい動きで差し出されたリズの手を取った。
ヒューは、瞳を閉じた。空気に、束の間、清らかな気配が流れる。
「私、魔法使い、ヒュー・ウィルソンは、この魂とこの魔力にかけて、永遠の愛を誓います」
誓いの言葉を紡ぎ終わった瞬間、眩しいまでの強い緑の魔力がヒューから立ち上り、ヒューはゆっくりとリズの手の甲に口づけた。
手の甲にヒューを感じると同時に、リズの身体の隅々に、熱く、けれども澄み切ったものが流れ込み、駆け巡った。
そして、ヒューが手の甲から離れると、そこには鮮やかな緑の光を放つ小さな印が浮かび上がった。
――え…?
印はまるで想い人に贈る誓いの印のように浮かび上がったまま光を放ち続けている。
――今、私が忠誠を、ヒューの力を求めているからかしら。
リズが手の甲を凝視していると、ヒューの申し訳なさそうな、そしてどことなく悪戯めいた声が、リズの疑問に答えた。
「ごめん。真摯に、確実に、誓えることを誓ったんだ。魔力は誰にも――」
「嘘をつかないから」
思わず、魔法使いの真理を引き継ぎ、リズはヒューの瞳を見つめた。
彼はいつものようにクスリと笑いを零した。
「さぁ、リズ。僕を負けたままにしないでおくれ。二人で殿下に治癒を施そう」
リズの脳裏に、ヒューの言葉が蘇る。
――リズ。僕はそれでも君を幸せにすることは諦めない――
リズは目に込み上げた熱いものを隠すため、瞳を閉じた。
始めから、彼は自分に誓えることは分かっていたのだろう。もしかすると、想い人への誓いの印でなければ、魔力に寄り添うことができなかったのかもしれない。
リズに、罪悪感を、躊躇いを抱かせない為、忠誠の誓いを持ち出したのだ。
ヒューの穏やかな声が、リズの思考を遮った。
「リズ。君の意志が大切だ。集中して」
リズは息を吸い込み、頷いた。
ヒューはリズの背後に立つと、リズをエドワードの方に向き直らせた。そして、リズの両手を自分の両手で握り締めた。
再び、ヒューの魔力が流れ込み、リズの身体の内にあるヒューの魔力が息づく。
リズが今まで意識していなかった自分の魔力の存在を教えてくれた。
ヒューの清らかな魔力は、そのままリズの魔力の形を変えさせ、リズの手から紫の魔力が立ち上り、それはエドワードの身体を覆った。
そのとき、リズの胸元から目も開けられない白金の閃光が放たれ、エドワードの身体を貫いた。
ヒューを通して、リズはその白金の魔力がエドワードの身体を駆け巡ることを感じていた。その魔力の強さは、感じるだけのリズの身体の感覚を無くすほどだった。
そして、エドワードの身体のあらゆる部分に行き届いた白金の光がゆっくりと消えたとき、部屋は平常を取り戻し、エドワードの呼吸も落ち着いたものに戻っていた。
持ち得る知識と技術を試し尽くした白の守護師と侍医は、疲労と絶望の色を隠せないまま、寝台を取り囲むように立ち尽くしていた。
その二人の脇に置かれた椅子に腰掛けたリズが、殿下の冷え切った手を握り、さすっている。
彼女の胸からは、エドワードが倒れてからずっと白金の光が放たれ続け、彼女の心情を周りに伝えていた。
殿下の寝台に、長年焚きしめ続けられたリズの香が染みつていることも、彼女の頬に涙が伝っていることも、全く気付いてもいない妹の様子に、アンソニーはとうとうリズを自分の胸に抱きよせた。
それを合図としたように、ヒューが声を発した。
「白の守護師、僕は彼女と話してみます」
守護師はゆっくりと若い魔法使いを振り返った。深い知と経験を備えた赤い瞳はどこまでも穏やかなまま、ヒューを見つめ、ふわりと魔力を立ち上らせた。
「そなたの決断に幸があるように」
守護師は、幼いころから我が子のように見守ってきた魔法使いに祈りを捧げ、侍医を促して静かに退出した。
二人を見送ったヒューは、アンソニーに向き直る。
アンソニーはそのエメラルドの瞳で、向かい合う凪いだ瞳の奥底まで眼差しを向けた後、目を伏せ嘆息した。
「君が幸せなら、止めはしないよ」
アンソニーはリズの頭に口づけを落としてから、ゆっくりと扉に向かい、ヒューとすれ違いざま、ヒューの頭を抱え込み、自分の頭と触れ合わせた後、一切振り返ることもなく部屋を出た。
扉がゆっくりと閉じられてから、ヒューは息を吸い込み、3人が退出したことに全く意識を向けていないリズの後ろ姿を見つめた。
「リズ、話があるんだ」
彼女は全く反応を示さない。ヒューは右手を掲げ、リズの眼前に魔力で僅かに火花を散らした。
その途端、リズはピクリと体を揺らし、ゆっくりと周りを見回した。その様子に、彼女がどうやら殿下の寝室にいることすらも気づいていなかったらしいとヒューは苦笑した。
ヒューの気配を感じて、リズがヒューの方へ振り返った。
濡れた紫の瞳がヒューを認めると、一瞬、澄んだ瞳に意志が戻った。
「護ってくれてありがとう」
掠れた声で囁かれた思いもかけない言葉に、ヒューは自分の心がかき乱されたことを感じた。咄嗟に瞳を閉じて、動揺を隠した。
それでも目を閉じたまま、ヒューはリズに話し続ける。
「僕は、6年間、リズから離れていなければ、殿下にリズを奪われなかったとどこかで思っていた」
凪いだ瞳しか見てこなかったリズは、微かに喘いだ。
瞳を閉じたままの魔法使いは、苦笑を浮かべた。
「でもね、感じたんだ。殿下に負けたと」
静かに零された彼の言葉に、リズは目を瞠る。
ヒューは穏やかな表情に戻り、彼には珍しくリズの疑問をそのままにして、話を変えた。
「僕はウィンデリアを去る少し前、ウィンデリアとクロシアの同盟が成立した日に、予知を見た」
ヒューはローブの袖の中で、手を握りこんだ。
「君が毒で斃れる予知だった」
リズは身じろいだ。確かに、現実でも刃物は彼女に向かって飛んでいた。
ヒューは思い出した光景に眉を寄せた。
「殿下は君を抱いて慟哭し、レクタムを滅ぼすと叫んでいた」
ヒューの絞り出すようなその声に、リズはもう一度口を開いた。
「護ってくれてありがとう」
とうとうヒューは目を開けた。その瞳は彼の抱える苦しみを隠せていなかった。
「僕は君を護ることしか考えなかった。いや、…どこかで殿下よりも君を選んでいた。それなのに、殿下がご自分の結界を解かなければ、誰も救えない事態になっていた」
ヒューがリズにかけていた守護と、白の守護師がエドワードにかけていた守護は、刃物に反応してそれぞれが結界を張り、ぶつかり合って、二つとも歪が出そうになったことを言っているのだろう。
リズは首を小さく振った。危険が大きければ、発動された結界も強くなる。
どちらも国の要の魔法使いで、その強さがもたらした事故だ。誰かが悪いとすれば、それは刃物を投げた人間しかいないはずだ。
リズの考えを読んだヒューは、溜息を付いた。
「そうかもしれないね。だけど、あの事故の中、殿下は予知を変えたんだ。僕は負けたと思った」
ヒューの結界がなければ、リズは確実に予知通り斃れていた。何より、二つの結界は壊れそうになってはいたが、本当に壊れてしまうかは分からなかった。
リズが声を上げようとするのをヒューは遮った。
「リズ。僕はそれでも君を幸せにすることは諦めない」
ヒューは魔力を立ち上らせ、強い眼差しをリズに向けた。
彼が敗北を感じることも、彼の言葉の意味するところも、リズには納得も理解もできないものがあったが、リズは彼の決断の重さは感じ取ることができた。
ヒューは浅い息を吐き続けるエドワードに目を向けた。
「リズ。殿下の毒は君の予想通り、レクタム国の最強の生物毒だろう。…このままでは、殿下は確実に死を迎える」
リズは目を閉じた。
ヒューが即座に毒を吸いだしたものの、刃物に塗られた毒は最強という評価に相応しく、僅かな量で効果を現した。
万能の毒消しなど存在しない。毒がもたらす症状を緩和する薬を服用するだけだ。
そして、緩和する薬がある場合もまれである。
そもそも、緩和するための薬を用意するために、毒の種類と濃度を知ろうにも、毒を放った従者は放った瞬間、絶命していた。
侍医ができたことは、遅いと分かっていても、効果が薄いと分かっていても、傷と傷口の周りを拭い、エドワードの呼吸を少しでも楽にするように、彼の上体を起こすことだけだった。
毒草に詳しいリズには打つ手がない現実を分かっていた。
だから、白の守護師の治癒に一縷の望みを託していた。けれど――、
「魔法使いの治癒は、本人の生命力を増幅させて、回復の手助けをする方法をとる」
ヒューの告げる事実に対して、リズはぼんやりと頷いた。
エドワードがまだ生きているのは、そのお陰なのだろう。
「根本的な治癒にはならない。…殿下の苦しみを長引かせるだけになってしまう」
リズにもそれは分かっていた。
リズの瞳から雫が零れた。
魔法石が一段と強い光を放つが、リズの心が癒えることはない。俯き涙を隠そうとするリズの涙を、ヒューは指で優しく拭った。
「リズ。だけど、その魔法石なら殿下を治癒することができる」
リズは顔を跳ね上げた。ヒューは彼女の驚きと期待に満ちた視線をしっかりと受け止めた。
「リズの魔法石は、僕や白の守護師とは成り立ちの違う魔力の持ち主が作った魔法石だ。体を作り替えて治癒を施す。だから、殿下のこの状態を治癒できるんだ。過去に実績がある」
ヒューは決して魔法使いの名を明かさなかったけれども、リズも「白金の魔法使い」の噂は耳にしたことがあった。エルフの生まれ変わりともいわれる稀代の魔法使いがまだ幼いころに、毒を盛られたウィンデリアの王太子を救った話は知らぬものはいない程だ。
リズは胸元で光を放ち続ける魔法石に目を遣った。魔法石はエドワードにはその偉大な力を向けていない。
――殿下にこの魔法石を握ってもらえば、効果が及ぶのかしら。
そのリズの疑問を読んだヒューは、静かに言葉を紡いだ。
「誰だって大切な人の死は避けたい。だからこそ、その魔法使いに頼るものが現れすぎないよう、その治癒の力を狙うものをけん制するために、悪用を避けるために、その魔法石は、石の主以外の者を治癒することには制限がかけられた」
初めて聞く、石の制限にリズは目を瞬かせた。
ヒューは小さく息を吸った。
「石の主自身の魔力をもって治癒を行うときにのみ、その石は他人に対しての治癒を発動する。魔力は誰にも嘘をつかないから」
リズは理解が追いつかず、首を傾げてしまう。ヒューは目元を緩めて、説明を加えた。
「大きな魔法ほど、本人の心から望むことにしか発動しないんだよ。だから、その石を主の願い以外で使うことはなくなる」
理屈を理解したリズは、絶望した。皮肉にも白金の光が強く放たれる。
「私は魔力が使え…!」
「方法はある」
リズの悲鳴を、ヒューは確信に満ちた声で遮った。
凪いだ瞳はリズに彼の言葉真実であることを伝えていた。そして、ほんの刹那、悪戯めいた輝きを見せ、リズは不審を覚えたが、ヒューはリズに考える時間を与えなかった。
「リズ。白の守護師は『忠誠の誓いの印』を陛下に贈っているのは知っている?」
ヒューの質問の意図は分からないまま、リズは小さく頷いた。
大きな魔力が政治に利用されることを防ぐために、代々の守護師は陛下に印を贈り、忠誠を誓う。
想い人に贈る誓いの印とは異なり、贈られた相手が忠誠を望むときにのみ、印が浮かび上がり、守護師の魔力が流れ込むという。
ヒューは凪いだ瞳に、強い意志をのぞかせた。
「僕の魔力は大きい。次代の守護師と目されている」
何の誇張も含まれない、明快な事実だった。
ヒューの名はその魔力の大きさで、幼いころから国中に鳴り響いていた。
「だから、僕はリズに忠誠を誓おうと思う」
思いもかけない宣言に、リズは声も出せなかった。
ヒューは浅い息を響かせるエドワードに視線を向けた。
「誓いの印を贈ることは大きな魔法を発動する。一切の曇りなく真摯に誓わなければ、発動しない。僕は殿下に負けたことは認めても、恋敵に忠誠を誓える自信はないからね」
苦しむエドワードに再び意識を取られつつ、リズは何とか口の端を上げた。
「魔力は誰にも嘘をつかない、なのね?」
ヒューはクスリと笑いを零し、次の瞬間、次代の守護師の顔を取り戻した。
「印を贈れば、僕の魔力がリズの中に入り、リズの魔力に寄り添うことになる。僕の魔力でリズの魔力を導いて治癒の魔法を使うことができる。そして、魔法石を発動させることになる」
次代の守護師の言葉がリズの頭に入ったとき、白金の光はすっと消え、リズの心は澄み切っていた。
忠誠を誓われる、それは、リズが王太子妃になることを意味していた。
リズは無駄のない動きで、音もなく椅子から立ち上がった。
驚くほど何の迷いもなく、リズは静かに声を発した。
「ヒュー。私に忠誠を誓って」
ヒューは眩しそうに、そしてどこか懐かしそうに、目を細めてリズを見つめ、優雅な仕草で跪いた。
見惚れるような美しい動きで差し出されたリズの手を取った。
ヒューは、瞳を閉じた。空気に、束の間、清らかな気配が流れる。
「私、魔法使い、ヒュー・ウィルソンは、この魂とこの魔力にかけて、永遠の愛を誓います」
誓いの言葉を紡ぎ終わった瞬間、眩しいまでの強い緑の魔力がヒューから立ち上り、ヒューはゆっくりとリズの手の甲に口づけた。
手の甲にヒューを感じると同時に、リズの身体の隅々に、熱く、けれども澄み切ったものが流れ込み、駆け巡った。
そして、ヒューが手の甲から離れると、そこには鮮やかな緑の光を放つ小さな印が浮かび上がった。
――え…?
印はまるで想い人に贈る誓いの印のように浮かび上がったまま光を放ち続けている。
――今、私が忠誠を、ヒューの力を求めているからかしら。
リズが手の甲を凝視していると、ヒューの申し訳なさそうな、そしてどことなく悪戯めいた声が、リズの疑問に答えた。
「ごめん。真摯に、確実に、誓えることを誓ったんだ。魔力は誰にも――」
「嘘をつかないから」
思わず、魔法使いの真理を引き継ぎ、リズはヒューの瞳を見つめた。
彼はいつものようにクスリと笑いを零した。
「さぁ、リズ。僕を負けたままにしないでおくれ。二人で殿下に治癒を施そう」
リズの脳裏に、ヒューの言葉が蘇る。
――リズ。僕はそれでも君を幸せにすることは諦めない――
リズは目に込み上げた熱いものを隠すため、瞳を閉じた。
始めから、彼は自分に誓えることは分かっていたのだろう。もしかすると、想い人への誓いの印でなければ、魔力に寄り添うことができなかったのかもしれない。
リズに、罪悪感を、躊躇いを抱かせない為、忠誠の誓いを持ち出したのだ。
ヒューの穏やかな声が、リズの思考を遮った。
「リズ。君の意志が大切だ。集中して」
リズは息を吸い込み、頷いた。
ヒューはリズの背後に立つと、リズをエドワードの方に向き直らせた。そして、リズの両手を自分の両手で握り締めた。
再び、ヒューの魔力が流れ込み、リズの身体の内にあるヒューの魔力が息づく。
リズが今まで意識していなかった自分の魔力の存在を教えてくれた。
ヒューの清らかな魔力は、そのままリズの魔力の形を変えさせ、リズの手から紫の魔力が立ち上り、それはエドワードの身体を覆った。
そのとき、リズの胸元から目も開けられない白金の閃光が放たれ、エドワードの身体を貫いた。
ヒューを通して、リズはその白金の魔力がエドワードの身体を駆け巡ることを感じていた。その魔力の強さは、感じるだけのリズの身体の感覚を無くすほどだった。
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史実に良く似た出来事もあるかもしれませんが、この物語はフィクションです。
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