女性執事は公爵に一夜の思い出を希う

石里 唯

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本編

番外編:公爵夫妻の微笑み

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 昼間明るかった日差しも、どこか懐かしさを覚える夕焼けへと変わり始めた。公爵一家の乗った馬車も遠出から戻る帰途につき、穏やかな気配が満ちている。
 公爵夫人クリスティは、向かいの席に座る息子リチャードの膝に目を向け、口元を綻ばせた。息子の膝を枕にして、アマリーが眠ってしまっているのだ。

 アマリーが公爵家に来てから、そして彼女の母レイチェルが逝ってから1年ほどが過ぎた。
 今日は、近くの丘まで家族で出向き、広い景色を楽しんだ。アマリーはてんとう虫や蝶を見て、顔を輝かせ、丘の上で心のままに弾く彼女のヴァイオリンの音は明るいものだった。
 その思いはまだアマリーに残っているのだろう。疲れて眠る彼女の顔は笑顔だ。

 親友が残してくれた、その愛らしい笑顔に頬を緩めながら、クリスティは隣に座る夫デイヴィッドに囁いた。

「あなた。やはりアマリーを正式に私たちの娘にしましょう」

 妻と同じものを見つめていたデイヴィッドは、同じ思いから頷いた。
 本来、アマリーを引き取るのは、彼女の祖父、モートン伯爵ハーベイであるべきだろう。けれども、ハーベイは、この1年の間、公爵家に訪れても、一度も、一言もアマリーを引き取ることを口にしていない。

――哀れなことだ。これほど可愛らしいのに。

 デイヴィッドは愛らしい少女の寝顔を見やりながら、この幸せな一時を過去のしがらみから手放してしまったハーベイに憐憫の情を抱いた。
 ハーベイがアマリーの母レイチェルを勘当したことは社交界に知れ渡っている。頑固なハーベイは知れ渡った己の決断を翻すことになるとの思いから、引き取ることを言いだせないのだろう。
 ハーベイからいつ引き取る話が出てしまうかと、デイヴィッドは恐れていたが1年経ったのだ。
 ならば、アマリーの母から託されたことを理由にして、祖父ハーベイを差し置いて、このまま正式に養女として迎え入れても問題はないだろう。結論を出したデイヴィッドは、妻に笑顔を向けた。

「明日、弁護士を呼んで書類を整えてもらうことにしよう」

 夫妻は笑顔を交わし合ったその時――、

 硬い声が夫妻の和やかな空気を切り裂いた。

「父上。それは止めて下さい」

 アマリーに膝を貸していたリチャードは、その濃い青の瞳にはっきりと憤りを見せていた。
 普段は聞き分けの好い、笑顔が馴染むリチャードは、憤りを見せることも、そもそもここまで強い感情を見せることもない。
 夫妻は驚きに固まった。

 クリスティは思わず胸に手を当てる。
 アマリーの愛らしい笑顔に合う愛らしい服を着せたくて、アマリーに似合う服を――どちらかといえばクリスティが着せたい服を――、選ぶことに時間をかけすぎていたかもしれない。
 リチャードを蔑ろにしているように思われたのだろうか。
 リチャードも率先して彼がアマリーに着せたい服を選んでいたから、見過ごしてしまっていた。

 デイヴィッドは穏やかな表情の下、己の行いを猛省していた。
 目を輝かせ頬を緩める可愛らしい笑顔が嬉しくて、アマリーが喜ぶデザートをシェフに出させ過ぎていたかもしれない。
 リチャードは甘いものが苦手なことは知っていたが、リチャード自身がアマリーの大好きなチョコレートとカスタードクリームについて、シェフにアマリーの好みの甘さを教えて注文を付けていたから、安心していたのだ。

 動揺の収まらない両親に、リチャードは再び硬い声で言葉を放つ。

「アマリーは将来僕の妻になるのです。妹ではありません」

 夫妻は再び息を呑み、一瞬後、息子の幼い恋心にふわりと微笑みを浮かべた。
 リチャードは真剣な面持ちで両親に鋭い眼差しを向けている。その思いの純粋さは十分に伝わるが、まだ9歳の想いだ。
 この日の言葉を息子がいつまで覚えているかは分からない。
 しかし、親にとっては息子の微笑ましいこの告白は、一生忘れられない心温まる思い出になるだろう。

 それに――、
 
 デイヴィッドは、宝物のようにアマリーの髪を優しく撫でる息子の姿に目を細めながら、密かに思った。
 
 遠い将来、本当に息子の妻となるのなら、アマリーが「娘」となることに違いはない。
 娘を嫁に出す寂しさを覚えなくても済む。
 
 ――実にいい話ではないか。
 
 幸せな遠い将来の夢を思い描き、デイヴィッドは同じ思いに至った妻と再び微笑みを交わした。


◇◇
「アマリー。もう屋敷に着いたよ」

 リチャードはアマリーに優しく目覚めを促したものの、彼の愛しい妻は彼の声に微かに微笑みを浮かべてくれただけで、リチャードの膝で穏やかな寝顔を見せている。

 これから出歩けなくなることを考え、安定期でいるうちに、祖父の――養父のハーベイに顔を見せに行った妻は、終始明るい笑顔を見せていたが、身重の身体だ。やはり疲れを覚えてしまったのだろう。
 馬車での帰り、二人だけになるとすぐに瞼が下がり始め、リチャードがそっと膝に誘うと、あっさりと眠りについたのだ。

 膝から伝わる彼女の温もりに、この上ない幸せを感じながら、リチャードはそっと艶やかで滑らかな栗色の髪を撫でた。妻は撫でられても幸せな眠りの中のままだ。
 妻の幸せそうな寝顔を眺めるリチャードの顔に、柔らかな微笑みが浮かんだ。
 リチャードは込み上げる想いを言葉に紡いで囁いた。

「アマリー。愛している」

 リチャードは夢の中の妻を起こさぬように細心の注意を払って抱き上げ、馬車から降り、主人夫妻の帰りを待ちわびた屋敷へ足を向けた。
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