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第2章
始まり(シャーリー)
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「一人で成功すると思ったのですかねぇ」
心底不思議そうにケネス先生が呟いている。
彼の作った結界の封印の中に、一人の男が閉じ込められていた。
覆面をしていて歳は分からない。無駄のない引き締まった体つきだ。
自害を防ぐために意識は失くしているが、生きて情報を引き出せるかは疑問だった。
かなりの手練れだ。
失敗の時には自害することを刷り込まれているだろう。
私は溜息を何とか飲み込んだ。
「しかし、今まで刺客が来なかったのは、意外でしたなぁ」
グレッグ先生がのどかに感想を述べた。
私の顔に疑問が浮かんでいたのだろう、先生が説明を続けて下さる。
「あぁ、シャーリーは知らなくて当然です。ハリーが生徒だった時の話ですよ」
私の疑問はさらに膨らんでしまった。
ハリー殿が、刺客に狙われていたことがあるのだろうか?
聞いたことがなかった。
「あれだけの力。何とか自分のものにしたい、できなければ敵になる前に滅ぼしたい、そんなところだったのでしょうねぇ」
他に仲間がいないか見回っていたジェフリー先生が、転移で戻ってきながら、説明を加えて下さる。
やはり、この刺客は一人で乗り込んだようだ。
何とも残酷な主だ。
こみ上げる嫌悪感を刺客から目を逸らして、私はやり過ごした。
「全く、ハリーの時は、入学して一月も経たないうちから、わらわら現れましたなぁ」
「あの頃は、私の技も鍛えなおされたものです」
先生方は暢気に昔話に花を咲かせている。
「そこまで強敵が送り込まれたのですか」
気持ちを切り替えるため、会話に参加することにした。
途端、先生方が一瞬黙り込み、その後、一斉に笑い出した。
――?何だろう?
ジェフリー先生は涙を流すまで笑っている。
「いやいや、普通はそう考えますよねぇ」
「本当に、うっかりしていましたね」
「……っ」
ジェフリー先生は笑いすぎて声が出なくなっているようだ。
「シャーリー、すみませんでした。いや、大変だったのは、鍛え直されたのは、ハリーを止めるためだったのですよ」
先生方は再度笑いの渦に飲み込まれた。
「ハリーは我々の動きなどお見通しでね、黙って守られるような子ではなくて…」
「本当に…、刺客を殺させないために、我々は最大限力をふるっていましたねぇ、ハリーに対して…」
「………っ、…っ、っ、っ、っ」
ジェフリー先生は笑いすぎて、呼吸困難気味だ。こんな方だったとは知らなかった。
封じたとはいえ刺客を前にしてあまりにも長閑な先生方に、騎士である父に手加減なく育てられた私はそわそわと落ち着かない思いだった。
もちろん、結界は無事だったのだが、もう少ししっかり監視した方がよいのではないかと、気が付けば腰に下げた剣に手がかかっていた。
その瞬間、
「私は、もう一度念のため仲間がいないか見回りに行きます」
転移が得意なジェフリー先生は、一気に呼吸を取り戻し口早に告げながら、転移した。
しまった、剣に手をかけていたのを誤解されたのだろうか
「しかし、シルヴィアは叔父に似ず、穏やかで本当に助かりますねぇ」
「私も初めは、ハリーの再来だったらと頭を抱えていたのですよ」
私の焦りなど無関係に先生方は再び笑い出した。
そのとき、私は自分の誤解にようやく気が付き、いや、感づき、ジェフリー先生の探知能力に驚いた。
辺りを払うような厳かな魔力とともにハリー殿が現れたのだ。
先生方は、すっと表情を改める。
「まさか聞こえていないと思っていませんよね」
底冷えのする声にかすかに魔力が込められている。
「おや、王都から転移するなど、随分無謀ではないか」
「我々を信用していないのですかねぇ」
先生方は視線をさまよわせながら、言い募る。
「まさか、それで会話を逸らせるなど、思っていませんよね」
初めて聞く地を這うような声に、震えを感じながら私は退散させていただくことにした。
「ハリー殿、私はお嬢様とのお茶の約束がありますので、刺客はお任せします」
私はこれ以上ない理由に感謝しながら、転移した。
「ああっ、シャーリー、つれないですよっ!」との叫びは聞こえなかったと思おう。
何はともあれ、ハリー殿がいれば刺客が逃げることはないだろう。――先生方がどうなろうとも。
部屋に着くと、花の香りが出迎えてくれた。
お嬢様の好きな茶葉の香りだ。既にお茶を淹れて下さったようだ。
「おお、お帰り、シャーリー」
『偶々』お茶に加わることになり最後の砦としてお嬢様についていらしたパトリック先生は、もうお茶を味わっていらっしゃる。
くつろげるときを逃さない方だ。恐らく始めからずっと寛いでいらしたのだろう。
長がこの様子なら、先生方のあの長閑さも当然のことなのかもしれない。
こみ上げてきた笑いを隠しながら、お嬢様が渡してくださったカップを受け取った。
ふわりと温かい魔力が私を包んだ。体が芯までほぐされた気がする。
「ごめんなさい、なんだか疲れたように見えたの」
私のお嬢様が、困ったような顔で謝る。今日も見るだけで癒される可愛らしさだ。
白金の髪に結んでいる青いリボンがとても似合っていらっしゃる。
アメリア様のお見立てはさすがだ。
「少し、剣の稽古に夢中になりすぎたのです」
嘘をつくのは苦しいが、まだ、刺客のことを知らせたくはなかった。刺客のことを常に考え、様々な勉強にいつ倒れてもおかしくないほど取り組んでいるお嬢様に負担をかけたくなかった。
「シャーリーは剣もできて、本当に素敵ね。シャーリーならセディとも互角に戦えるのかしら」
目を輝かせてお嬢様は話し続ける。この目の輝きも私のお嬢様の可愛らしさの一つだ。
そのままお嬢様の話はセドリック殿からの手紙の話に移っていった。
少し上気した頬が可愛らしさを倍増する。頭を撫でたい気持ちを抑えて、相槌を打っていた私は、不意に現実に引き戻された。
「もうあと1年もしたら殿下が成人なさるでしょう?その半年後には他国を招いて成人のお披露目の会を開くのですって。セディは今から準備の手伝いに取り掛かるそうよ。こんなに前から準備するなんて…」
なるほど、刺客はそれでやってきたのだ。『こんなに前から』。
今日は始まりなのだろう。
ふとパトリック先生の視線を感じた。
森を思わせる暗い緑色の瞳は、全てを受け止める深さを持っていた。
その瞳にはどれだけのことが見えているのだろう。
こみ上げる疑問を私はお茶とともに飲み込んだ。
心底不思議そうにケネス先生が呟いている。
彼の作った結界の封印の中に、一人の男が閉じ込められていた。
覆面をしていて歳は分からない。無駄のない引き締まった体つきだ。
自害を防ぐために意識は失くしているが、生きて情報を引き出せるかは疑問だった。
かなりの手練れだ。
失敗の時には自害することを刷り込まれているだろう。
私は溜息を何とか飲み込んだ。
「しかし、今まで刺客が来なかったのは、意外でしたなぁ」
グレッグ先生がのどかに感想を述べた。
私の顔に疑問が浮かんでいたのだろう、先生が説明を続けて下さる。
「あぁ、シャーリーは知らなくて当然です。ハリーが生徒だった時の話ですよ」
私の疑問はさらに膨らんでしまった。
ハリー殿が、刺客に狙われていたことがあるのだろうか?
聞いたことがなかった。
「あれだけの力。何とか自分のものにしたい、できなければ敵になる前に滅ぼしたい、そんなところだったのでしょうねぇ」
他に仲間がいないか見回っていたジェフリー先生が、転移で戻ってきながら、説明を加えて下さる。
やはり、この刺客は一人で乗り込んだようだ。
何とも残酷な主だ。
こみ上げる嫌悪感を刺客から目を逸らして、私はやり過ごした。
「全く、ハリーの時は、入学して一月も経たないうちから、わらわら現れましたなぁ」
「あの頃は、私の技も鍛えなおされたものです」
先生方は暢気に昔話に花を咲かせている。
「そこまで強敵が送り込まれたのですか」
気持ちを切り替えるため、会話に参加することにした。
途端、先生方が一瞬黙り込み、その後、一斉に笑い出した。
――?何だろう?
ジェフリー先生は涙を流すまで笑っている。
「いやいや、普通はそう考えますよねぇ」
「本当に、うっかりしていましたね」
「……っ」
ジェフリー先生は笑いすぎて声が出なくなっているようだ。
「シャーリー、すみませんでした。いや、大変だったのは、鍛え直されたのは、ハリーを止めるためだったのですよ」
先生方は再度笑いの渦に飲み込まれた。
「ハリーは我々の動きなどお見通しでね、黙って守られるような子ではなくて…」
「本当に…、刺客を殺させないために、我々は最大限力をふるっていましたねぇ、ハリーに対して…」
「………っ、…っ、っ、っ、っ」
ジェフリー先生は笑いすぎて、呼吸困難気味だ。こんな方だったとは知らなかった。
封じたとはいえ刺客を前にしてあまりにも長閑な先生方に、騎士である父に手加減なく育てられた私はそわそわと落ち着かない思いだった。
もちろん、結界は無事だったのだが、もう少ししっかり監視した方がよいのではないかと、気が付けば腰に下げた剣に手がかかっていた。
その瞬間、
「私は、もう一度念のため仲間がいないか見回りに行きます」
転移が得意なジェフリー先生は、一気に呼吸を取り戻し口早に告げながら、転移した。
しまった、剣に手をかけていたのを誤解されたのだろうか
「しかし、シルヴィアは叔父に似ず、穏やかで本当に助かりますねぇ」
「私も初めは、ハリーの再来だったらと頭を抱えていたのですよ」
私の焦りなど無関係に先生方は再び笑い出した。
そのとき、私は自分の誤解にようやく気が付き、いや、感づき、ジェフリー先生の探知能力に驚いた。
辺りを払うような厳かな魔力とともにハリー殿が現れたのだ。
先生方は、すっと表情を改める。
「まさか聞こえていないと思っていませんよね」
底冷えのする声にかすかに魔力が込められている。
「おや、王都から転移するなど、随分無謀ではないか」
「我々を信用していないのですかねぇ」
先生方は視線をさまよわせながら、言い募る。
「まさか、それで会話を逸らせるなど、思っていませんよね」
初めて聞く地を這うような声に、震えを感じながら私は退散させていただくことにした。
「ハリー殿、私はお嬢様とのお茶の約束がありますので、刺客はお任せします」
私はこれ以上ない理由に感謝しながら、転移した。
「ああっ、シャーリー、つれないですよっ!」との叫びは聞こえなかったと思おう。
何はともあれ、ハリー殿がいれば刺客が逃げることはないだろう。――先生方がどうなろうとも。
部屋に着くと、花の香りが出迎えてくれた。
お嬢様の好きな茶葉の香りだ。既にお茶を淹れて下さったようだ。
「おお、お帰り、シャーリー」
『偶々』お茶に加わることになり最後の砦としてお嬢様についていらしたパトリック先生は、もうお茶を味わっていらっしゃる。
くつろげるときを逃さない方だ。恐らく始めからずっと寛いでいらしたのだろう。
長がこの様子なら、先生方のあの長閑さも当然のことなのかもしれない。
こみ上げてきた笑いを隠しながら、お嬢様が渡してくださったカップを受け取った。
ふわりと温かい魔力が私を包んだ。体が芯までほぐされた気がする。
「ごめんなさい、なんだか疲れたように見えたの」
私のお嬢様が、困ったような顔で謝る。今日も見るだけで癒される可愛らしさだ。
白金の髪に結んでいる青いリボンがとても似合っていらっしゃる。
アメリア様のお見立てはさすがだ。
「少し、剣の稽古に夢中になりすぎたのです」
嘘をつくのは苦しいが、まだ、刺客のことを知らせたくはなかった。刺客のことを常に考え、様々な勉強にいつ倒れてもおかしくないほど取り組んでいるお嬢様に負担をかけたくなかった。
「シャーリーは剣もできて、本当に素敵ね。シャーリーならセディとも互角に戦えるのかしら」
目を輝かせてお嬢様は話し続ける。この目の輝きも私のお嬢様の可愛らしさの一つだ。
そのままお嬢様の話はセドリック殿からの手紙の話に移っていった。
少し上気した頬が可愛らしさを倍増する。頭を撫でたい気持ちを抑えて、相槌を打っていた私は、不意に現実に引き戻された。
「もうあと1年もしたら殿下が成人なさるでしょう?その半年後には他国を招いて成人のお披露目の会を開くのですって。セディは今から準備の手伝いに取り掛かるそうよ。こんなに前から準備するなんて…」
なるほど、刺客はそれでやってきたのだ。『こんなに前から』。
今日は始まりなのだろう。
ふとパトリック先生の視線を感じた。
森を思わせる暗い緑色の瞳は、全てを受け止める深さを持っていた。
その瞳にはどれだけのことが見えているのだろう。
こみ上げる疑問を私はお茶とともに飲み込んだ。
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