56 / 74
第3章
誓いの確認
それは、もう日も落ちきり夜を迎え、今日の仕事は諦めて帰り支度を始めた時のことでした。
――ッ!
駆け抜けた衝撃に書類を取り落としてしまいました。
叔父様も先輩も、部屋の全てが凍りついた一瞬の後、叔父様がゆっくりと立ち上がりました。
「シルヴィ、殿下の下へ報告に行きなさい。ダニエル、城内の魔法使いの安否確認をしながら、報告するように」
叔父様はそのまま転移しました。
叔父様一人だけで現場に向かうのは危険です。
私も転移しようとすると、先輩は「現場に残っている間抜けな敵ではないだろ」と私を制し、部屋を飛び出しました。
私も続いて殿下の棟へ転移しました。
王都の結界に反応が出たのです。街の人たちに、騎士の皆さんに被害は出ていないでしょうか。セディはこの時間、城で侍従長と打ち合わせだったはずです。
私は殿下の部屋へと急ぎました。規則を破って殿下の部屋へ直接転移したいぐらいです。
執務室の前には、この時間でもいつも通り護衛の方が一名立っていました。
私にいつものように笑顔を見せて下さる途中、笑顔が消えてしまいました。
ごめんなさい、私が動揺を見せてはいけないです。
私は笑顔をかき集めて、挨拶しました。
護衛の方はやや硬い笑顔を返して下さりながら、私を通してくれました。
殿下は書類から目を上げ、私を見て溜息を吐かれます。
一目見て、状況を察したようです。
「こんなことを口にするのは不謹慎と百も承知だが、ようやく、といった気分だ」
髪をかき上げながら、殿下は優雅に立ち上がります。
「まだ、詳細は分からないのだね」
「はい、王都に侵入したことしか分かりません」
答えながら、叔父様が転移した理由がようやく分かりました。結界に侵入者の痕跡が残っていないか確認したかったのでしょう。
「守護師が転移しましたので、もうしばらくすると情報があるかもしれません」
痕跡を消そうと敵がまだいるのではないかと不安になり、私は転移のために部屋を下がろうとしました。
ですが殿下の疲れた声が私を引き止めました。
「守護師にこのようなことをさせた王太子はいないだろうな。私の立場が弱いばかりに」
今までこんな弱気な発言をする殿下を見たことはありません。
私から見た殿下は、幼いころから、物事に一歩引いた位置で臨み、余裕を無くさず、本音を奥底にしまい込みながら、艶やかな笑顔で対応する方でした。
子どものころは、その態度はとても冷たいものに感じて、失礼にも殿下に「ちゃんと私と話をしてください」と頼んだりしたものです。
私は不安に駆られ、思わず口を開きました。
「セディがいます。私も微弱ではありますが、殿下を支えたいと思っています」
殿下が微かに息を呑んだように思えました。ですが、次の瞬間、目を閉じて俯き、再び顔を上げた時には、いつもの艶やかな笑顔が浮んでいました。
「どういう形で支えてくれるのかな?」
殿下の濃い瞳は、笑っていません。なぜだか私の身体は竦みました。
殿下はゆったりと私に向かって歩いてきます。
濃い青の瞳から視線を逸らすことが許されず、逃げ出したくなる想いを堪えて、私は後退りしそうになる足を留めました。
私から一歩離れたところで殿下は立ち止まります。
「セディの腕輪は光ったままだ。お披露目まで後二週間だ。シルヴィ、分かっているのかい?」
ご自身の命が危険にさらされているこの状況でも、賭けを持ち出される殿下に私は信じられない思いでした。
私の思いは顔に出ていたのでしょう。殿下は甘く艶やかな声で告げました。
「もちろん、賭けは決行される」
殿下の右手が私の頬へと優雅に伸ばされます。触れた指はひんやりとしたもので、私は一瞬体が震えました。そんな私を無視して、指は頬を撫でます。
殿下の眼差しが射抜かんばかりの強さへ変わりました。棘を感じる魔力も立ち上っています。
「君はどこまでセディに本気でぶつかっているのかな」
私の身体が再び震えたのを見て、殿下は視線をご自分の指に向けました。
そして震えた唇に指を走らせました。
「この唇にセディはもう触れたのかい?」
指が置かれても震えの収まらない唇から、答えは伝わったようです。
殿下は囁きました。
「君にそんな余裕はないのだよ」
殿下の両手が私の頬を包み込み、顔を上向かされました。
「君は幼いころから、私の婚約者候補だった。
中立派と目されるハルベリー侯爵家の令嬢、そして私の命の恩人だ。
どこにも波風を立てず、私の婚約者となることのできる、最適な存在なのだ」
幼いころ、お父様からそのことを聞かされた時、「セディのお嫁さんになるの!」と泣いて縋り付き、頭を撫でられた記憶が蘇りました。
殿下の氷のような感情のない声が、私を今に引き戻します。
「このままでは、君は私の婚約者となり、私が死ぬ前に子をなすため、異例の早さで婚姻の儀の日を迎えるだろう」
私の頬から手を外されました。
殿下は目を閉じました。不思議なことに魔力は穏やかなものへと転じました。
「そして、婚姻の儀の日、私は祭壇で跪き」
音楽を奏でるような穏やかな声で囁きながら、目の前で実際に殿下が跪きます。
「君の手を取り誓うのだ」
私の右手を取ります。今の殿下の手からは熱さを感じます。
「私、リチャード・アレクサンダー・ウィンドは、生涯の愛をここに誓います」
厳かに誓いの言葉を述べ、殿下はゆっくりと顔を手に近づけます。
殿下が私の甲に口づけた刹那、殿下の魔力は光を放ち私の中を駆け巡りました。
魔力は私のあらゆる場所に流れ、髪の先までも流れたことを感じました。
私も殿下も息を呑み、時が止まったかのように私の手の甲から目を離すことが出来ませんでした。
誓いの印が、小さいながらもはっきりと刻まれていたのです。
やがて私の頭が印を理解すると、全身が震え出しました。
殿下は泣き出しそうな笑い出しそうな声でぽつりと囁きました。
「『魔力は誰にも嘘をつかない』か」
時間をかけて私の手を放し、ゆっくりと立ち上がった殿下は、目を伏せて私を見ないまま絞り出すような声で告げました。
「シルヴィア、もう下がるがいい。私がこの手を放していられるうちに」
――ッ!
駆け抜けた衝撃に書類を取り落としてしまいました。
叔父様も先輩も、部屋の全てが凍りついた一瞬の後、叔父様がゆっくりと立ち上がりました。
「シルヴィ、殿下の下へ報告に行きなさい。ダニエル、城内の魔法使いの安否確認をしながら、報告するように」
叔父様はそのまま転移しました。
叔父様一人だけで現場に向かうのは危険です。
私も転移しようとすると、先輩は「現場に残っている間抜けな敵ではないだろ」と私を制し、部屋を飛び出しました。
私も続いて殿下の棟へ転移しました。
王都の結界に反応が出たのです。街の人たちに、騎士の皆さんに被害は出ていないでしょうか。セディはこの時間、城で侍従長と打ち合わせだったはずです。
私は殿下の部屋へと急ぎました。規則を破って殿下の部屋へ直接転移したいぐらいです。
執務室の前には、この時間でもいつも通り護衛の方が一名立っていました。
私にいつものように笑顔を見せて下さる途中、笑顔が消えてしまいました。
ごめんなさい、私が動揺を見せてはいけないです。
私は笑顔をかき集めて、挨拶しました。
護衛の方はやや硬い笑顔を返して下さりながら、私を通してくれました。
殿下は書類から目を上げ、私を見て溜息を吐かれます。
一目見て、状況を察したようです。
「こんなことを口にするのは不謹慎と百も承知だが、ようやく、といった気分だ」
髪をかき上げながら、殿下は優雅に立ち上がります。
「まだ、詳細は分からないのだね」
「はい、王都に侵入したことしか分かりません」
答えながら、叔父様が転移した理由がようやく分かりました。結界に侵入者の痕跡が残っていないか確認したかったのでしょう。
「守護師が転移しましたので、もうしばらくすると情報があるかもしれません」
痕跡を消そうと敵がまだいるのではないかと不安になり、私は転移のために部屋を下がろうとしました。
ですが殿下の疲れた声が私を引き止めました。
「守護師にこのようなことをさせた王太子はいないだろうな。私の立場が弱いばかりに」
今までこんな弱気な発言をする殿下を見たことはありません。
私から見た殿下は、幼いころから、物事に一歩引いた位置で臨み、余裕を無くさず、本音を奥底にしまい込みながら、艶やかな笑顔で対応する方でした。
子どものころは、その態度はとても冷たいものに感じて、失礼にも殿下に「ちゃんと私と話をしてください」と頼んだりしたものです。
私は不安に駆られ、思わず口を開きました。
「セディがいます。私も微弱ではありますが、殿下を支えたいと思っています」
殿下が微かに息を呑んだように思えました。ですが、次の瞬間、目を閉じて俯き、再び顔を上げた時には、いつもの艶やかな笑顔が浮んでいました。
「どういう形で支えてくれるのかな?」
殿下の濃い瞳は、笑っていません。なぜだか私の身体は竦みました。
殿下はゆったりと私に向かって歩いてきます。
濃い青の瞳から視線を逸らすことが許されず、逃げ出したくなる想いを堪えて、私は後退りしそうになる足を留めました。
私から一歩離れたところで殿下は立ち止まります。
「セディの腕輪は光ったままだ。お披露目まで後二週間だ。シルヴィ、分かっているのかい?」
ご自身の命が危険にさらされているこの状況でも、賭けを持ち出される殿下に私は信じられない思いでした。
私の思いは顔に出ていたのでしょう。殿下は甘く艶やかな声で告げました。
「もちろん、賭けは決行される」
殿下の右手が私の頬へと優雅に伸ばされます。触れた指はひんやりとしたもので、私は一瞬体が震えました。そんな私を無視して、指は頬を撫でます。
殿下の眼差しが射抜かんばかりの強さへ変わりました。棘を感じる魔力も立ち上っています。
「君はどこまでセディに本気でぶつかっているのかな」
私の身体が再び震えたのを見て、殿下は視線をご自分の指に向けました。
そして震えた唇に指を走らせました。
「この唇にセディはもう触れたのかい?」
指が置かれても震えの収まらない唇から、答えは伝わったようです。
殿下は囁きました。
「君にそんな余裕はないのだよ」
殿下の両手が私の頬を包み込み、顔を上向かされました。
「君は幼いころから、私の婚約者候補だった。
中立派と目されるハルベリー侯爵家の令嬢、そして私の命の恩人だ。
どこにも波風を立てず、私の婚約者となることのできる、最適な存在なのだ」
幼いころ、お父様からそのことを聞かされた時、「セディのお嫁さんになるの!」と泣いて縋り付き、頭を撫でられた記憶が蘇りました。
殿下の氷のような感情のない声が、私を今に引き戻します。
「このままでは、君は私の婚約者となり、私が死ぬ前に子をなすため、異例の早さで婚姻の儀の日を迎えるだろう」
私の頬から手を外されました。
殿下は目を閉じました。不思議なことに魔力は穏やかなものへと転じました。
「そして、婚姻の儀の日、私は祭壇で跪き」
音楽を奏でるような穏やかな声で囁きながら、目の前で実際に殿下が跪きます。
「君の手を取り誓うのだ」
私の右手を取ります。今の殿下の手からは熱さを感じます。
「私、リチャード・アレクサンダー・ウィンドは、生涯の愛をここに誓います」
厳かに誓いの言葉を述べ、殿下はゆっくりと顔を手に近づけます。
殿下が私の甲に口づけた刹那、殿下の魔力は光を放ち私の中を駆け巡りました。
魔力は私のあらゆる場所に流れ、髪の先までも流れたことを感じました。
私も殿下も息を呑み、時が止まったかのように私の手の甲から目を離すことが出来ませんでした。
誓いの印が、小さいながらもはっきりと刻まれていたのです。
やがて私の頭が印を理解すると、全身が震え出しました。
殿下は泣き出しそうな笑い出しそうな声でぽつりと囁きました。
「『魔力は誰にも嘘をつかない』か」
時間をかけて私の手を放し、ゆっくりと立ち上がった殿下は、目を伏せて私を見ないまま絞り出すような声で告げました。
「シルヴィア、もう下がるがいい。私がこの手を放していられるうちに」
あなたにおすすめの小説
これ以上私の心をかき乱さないで下さい
Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユーリは、幼馴染のアレックスの事が、子供の頃から大好きだった。アレックスに振り向いてもらえるよう、日々努力を重ねているが、中々うまく行かない。
そんな中、アレックスが伯爵令嬢のセレナと、楽しそうにお茶をしている姿を目撃したユーリ。既に5度も婚約の申し込みを断られているユーリは、もう一度真剣にアレックスに気持ちを伝え、断られたら諦めよう。
そう決意し、アレックスに気持ちを伝えるが、いつも通りはぐらかされてしまった。それでも諦めきれないユーリは、アレックスに詰め寄るが
“君を令嬢として受け入れられない、この気持ちは一生変わらない”
そうはっきりと言われてしまう。アレックスの本心を聞き、酷く傷ついたユーリは、半期休みを利用し、兄夫婦が暮らす領地に向かう事にしたのだが。
そこでユーリを待っていたのは…
【完結】王子妃候補をクビになった公爵令嬢は、拗らせた初恋の思い出だけで生きていく
たまこ
恋愛
10年の間、王子妃教育を受けてきた公爵令嬢シャーロットは、政治的な背景から王子妃候補をクビになってしまう。
多額の慰謝料を貰ったものの、婚約者を見つけることは絶望的な状況であり、シャーロットは結婚は諦めて公爵家の仕事に打ち込む。
もう会えないであろう初恋の相手のことだけを想って、生涯を終えるのだと覚悟していたのだが…。
辺境伯夫人は領地を紡ぐ
やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。
しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。
物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。
戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。
これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。
全50話の予定です
※表紙はイメージです
※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)
【完結】愛してるなんて言うから
空原海
恋愛
「メアリー、俺はこの婚約を破棄したい」
婚約が決まって、三年が経とうかという頃に切り出された婚約破棄。
婚約の理由は、アラン様のお父様とわたしのお母様が、昔恋人同士だったから。
――なんだそれ。ふざけてんのか。
わたし達は婚約解消を前提とした婚約を、互いに了承し合った。
第1部が恋物語。
第2部は裏事情の暴露大会。親世代の愛憎確執バトル、スタートッ!
※ 一話のみ挿絵があります。サブタイトルに(※挿絵あり)と表記しております。
苦手な方、ごめんなさい。挿絵の箇所は、するーっと流してくださると幸いです。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
悪女役らしく離婚を迫ろうとしたのに、夫の反応がおかしい
廻り
恋愛
第18回恋愛小説大賞にて奨励賞をいただきました。応援してくださりありがとうございました!
レジーナブックス様から書籍が4月下旬に発売されます!
王太子妃シャルロット20歳は、前世の記憶が蘇る。
ここは小説の世界で、シャルロットは王太子とヒロインの恋路を邪魔する『悪女役』。
『断罪される運命』から逃れたいが、夫は離婚に応じる気がない。
ならばと、シャルロットは別居を始める。
『夫が離婚に応じたくなる計画』を思いついたシャルロットは、それを実行することに。
夫がヒロインと出会うまで、タイムリミットは一年。
それまでに離婚に応じさせたいシャルロットと、なぜか様子がおかしい夫の話。
酔っぱらい令嬢の英雄譚 ~チョコレートを食べていたら、いつの間にか第三王子を救っていたようです!~
ゆずこしょう
恋愛
婚約者と共に参加するはずだった、
夜会当日──
婚約者は「馬車の予約ができなかった」という理由で、
迎えに来ることはなかった。
そして王宮で彼女が目にしたのは、
婚約者と、見知らぬ女性が寄り添う姿。
領地存続のために婿が必要だったエヴァンジェリンは、
感情に流されることもなく、
淡々と婚約破棄の算段を立て始める。
目の前にあった美味しいチョコレートをつまみながら、
頭の中で、今後の算段を考えていると
別の修羅場が始まって──!?
その夜、ほんの少しお酒を口にしたことで、
エヴァンジェリンの評価と人生は、
思いもよらぬ方向へ転がり始める──
2月11日 第一章完結
2月15日 第二章スタート予定
一途な皇帝は心を閉ざした令嬢を望む
浅海 景
恋愛
幼い頃からの婚約者であった王太子より婚約解消を告げられたシャーロット。傷心の最中に心無い言葉を聞き、信じていたものが全て偽りだったと思い込み、絶望のあまり心を閉ざしてしまう。そんな中、帝国から皇帝との縁談がもたらされ、侯爵令嬢としての責任を果たすべく承諾する。
「もう誰も信じない。私はただ責務を果たすだけ」
一方、皇帝はシャーロットを愛していると告げると、言葉通りに溺愛してきてシャーロットの心を揺らす。
傷つくことに怯えて心を閉ざす令嬢と一途に想い続ける青年皇帝の物語