恋の締め切りには注意しましょう

石里 唯

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第3章

前夜1

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「それでは、明日は頼んだ」
「お任せください」

侍従長を見送って、私はソファに倒れこんだ。
明日に備えて、もう休むだけだ。
セディは書類を片付けている。
ぼんやりとその手元を眺め、目の疲れを覚えた私は片手で目を覆った。

「セディ、怒っているか」

私はあの日から訊けなかったことをようやく口に出すことができた。
疲れすぎて気が緩んだようだ。
カサカサと書類を片付ける音は途切れなかった。
「何に対してです?」

分かっていて訊いているのだろうか、それとも分かっていないのだろうか。
判断に迷った。
だが、どちらでも同じだ。ここまで口に出して、なかったことにする気はない。
私はつばを飲み込んでから言った。
「シルヴィに印をつけたことに」
片づけの音が止んだ。
私は自分の鼓動が聞こえた。

ぽつりとよく透る声が部屋に響いた。
「もちろん怒っていますよ」

当然のこととは言え、胸の痛みは予想よりも鋭いものだった。
片づけがまた始まった。
「シルヴィは泣いていましたからね。当然です」

先ほどとは別の痛みが胸に走った。
何の予告もなく、好きでもない男に印をつけられ、どれだけ傷ついたことだろう。
自分はどれほど考え無しだったのだろう。
押し寄せる私の悔恨をセディは遮った。
「ですが、自分に対しての怒りよりは小さいものです」

「合意を取らずに印をつけるという発想が僕にはありませんでした。
何をもたもたしていたんでしょうね、全く。
彼女を想っていると気が付いた瞬間につけておくべきでした」

いや、付けようとして付けたのではない。
言い訳にならないことを言い出しそうで、唇をかみしめた。
しかし、皮肉なのか、本心からなのか微妙だ。
長年の経験ではこの口調は本心からだが、セディが想いに気が付いたときは、確かシルヴィが学園に行くときだったはずだ。
いくら何でも…

私は手を除けて、セディの方へ顔を向けた。
淡い緑の瞳が穏やかに私を見つめていた。
まだ腕輪は光っているが、シルヴィから印をもらって、セディはやはり変わっていた。
心を閉ざす前よりも穏やかな空気を感じる。
目に熱いものがこみ上げた。私は下を向いた。

「セディ。お前が思いを寄せている相手に、私は……」

どれだけお前がシルヴィを大切に想っているか、ずっと傍で見てきたのに…
私は何より言いたかったことを、絞り出した。

「すまなかった」

一瞬、沈黙が落ちた。
そして、微かな吐息が聞こえた。
「シルヴィに対してならもちろん必要ですが、僕に謝る必要はないでしょう」

「だが…!」

「先ほども言いましたが、もたもたしていた僕が間抜けだったのです。
殿下に目を覚ましていただいた思いです。」

私の顔に不満を読み取って、セディはまた溜息を吐いた。

「殿下、あのシルヴィですよ?
うれしいことがあると薄い青の瞳をキラキラ輝かせながら、愛らしく伝えてくれて、
美味しいものを食べると頬を緩ませて魔力をふわりと立ち上がらせ、身もだえしそうな可愛らしさがある。
ですが、それだけではないのですよ?
しっかり自分の先を見据えて努力を惜しまず積み重ね、凛とした姿はエルフのような美しさを感じさせる、
あの、シルヴィですよ?」

途中、私は体温が下がる気がしたが、気のせいだろうか。
そう、セディはこういう人間だった。
シルヴィのことに関しては、臆面もなく自分の想いをさらけ出す。
久しぶりの手加減なしの惚気に疲れが増してぼんやりした私に、セディは畳みかけた。

「ですから、傍にいて男が惚れない方がおかしいでしょう?」

私はもうただただ頷いた。
セディは、愚かな相手に道理を説いたといった風情で息を吐くと、長いまつ毛を伏せ端正な顔に憂いを帯びた。

「僕こそ貴方に謝らなくてはいけないでしょう。リック」

滅多に呼んでくれない呼び方に私は目を瞠った。

「宰相を締め上げて、親王妃派の動きとあなたの対策を聞き出しました。
隠し事をさせてしまうなど、側近失格です」

「そうではない!それは違う!」
声を荒げた私を、セディの笑顔が宥めた。私の目の前まで歩き、美しい姿勢で立ち止まり、
そして、跪いた。
「ご心配をおかけしました。今や、仕事に支障は出ない程です」
「今までだって、仕事に支障は出ていなかったぞ」
涙は何とか堪えたものの、私の声は掠れていた。

セディは顔を上げ、アメリア公爵夫人譲りの笑顔を見せた。
「それでは、今後、殿下が陰でこそこそ動いて下手な用を言い出した場合は、躊躇わず殴らせていただきます」

もう限界だった。
私は立ち上がった。セディも私の意を汲んで立ちあがった。
即座に私はセディの肩に頭を持たせかけた。

「頼りにしている」
「お任せください」

私はもう涙を堪えなかった。

「殿下、明日の会の後で笑っているのは我々ですよ」

私はセディの肩で頷いた。
もう腕輪が光っていようがいまいがどうでもよかった。
確かに私の側近が、片腕が、ここにいた。

私は涙を抑えなかった。
私の片腕の前で抑える必要はないのだから。

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