元婚約者のあなたへ どうか幸せに

石里 唯

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2.隣国へ

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「姉上!」

 ローラが屋敷に着くと、家族が皆、揃って出迎えてくれた。家族だけでなく、使用人たちも揃っている。
 どれだけ皆に心配をかけたのだろう。
 泣いて腫れてしまった瞼は隠しようがないものの、せめて笑顔を見せたいと、ローラは笑顔を作り上げようとしたけれど、弟のハワードは待ちきれず、ローラに抱きついてきた。
 母までがローラを抱きしめてくる。
 家族から向けられる確かな愛が胸に染みて、ローラの目はまた熱くなり、そっと目を閉じて涙を堪える。
 代わりにハワードが泣いていた。ローラのお腹に頭をぐっと押しつけ、弟はくぐもった涙声で叫んだ。

「僕は絶対、許さない――!」

 まだ12歳の弟に、こんな言葉を言わせてしまったことが、苦しかった。
 弟には理不尽に思えてしまうのだろう。
 このラッシュデン公爵家は、過去、国の危機には率先して援助の手を差し伸べてきた。けれど、今、ラッシュデン公爵家の危機に手を差し伸べるものはいない。
 王家は、ラッシュデン公爵家が財政危機に陥ると、時を置かずして婚約破棄を通知してきた。
 公爵家の今回の財政危機は、天災ではなく、交易船が連続して3回も海賊に襲撃されたことによるものだ。
 国として支援できる原因ではない。
 けれど、幼い弟には割り切れるものではなく、王家の対応を不義理に感じるのだろう。

 全ては公爵家の運営が悪かったと言うことになるけれど――。
 せめて、婚約破棄にもう少し時間をかけてくれれば、温情を感じられただろうに。

 泣き続ける弟の頭を撫でながら、ローラは元婚約者の凍り付くような眼差しを思い出し、蘇った胸の痛みを、目を伏せて堪えた。
 そして、泣き止む様子のない弟をしっかりと抱きしめて、大切な弟の将来を考えていた。


◇◇◇

「よく来たね。我が娘!」
「お世話になります。叔父様」

 あの忘れたくとも忘れられない日から1週間後、ローラは満面の笑顔を浮かべる叔父ロジャーに抱きしめられていた。
 
 父の婚姻を機に公爵家から離れた叔父は、商会を立ち上げ、隣国エールズベリー国に居を構えている。ローラは叔父の下に行くことで、国を離れることにしたのだ。
 王太子から財政状況を理由に婚約破棄された令嬢に、社交界の居場所はない。もちろん新たな縁組みなど望めるはずもない。あの国でのローラの未来は閉ざされたのだ。
 その姉の姿を見続けることは、ローラを慕ってくれる弟ハワードに悪い影響しか与えない。
 将来、公爵家の当主となるハワードが王家への反感を持ち続けることは、ハワードにも家にも為にならないのだ。
 
 だから、ローラは叔父の下へ来た。
 隣国とは言え、ここなら両親も、そしてハワードですら安心して送り出してくれる。
 その安心は、早速、保証された。

「お世話になるだなんて、他人行儀だぞ。ローラは私の娘だ!」
「感謝を込めて挨拶をしたかったのです」

 理由は聞いたことはないけれど、叔父には妻も子どももいない。それもあってローラとハワードを「私の娘」「私の息子」と呼び、実の子どものように可愛がってくれるのだ。
 その可愛がり方は少々激しい。
 強く抱きしめられた腕の中で、ローラは何とか言葉を返したものの、ロジャーはさらに強く抱きしめた。

「そんな堅苦しい挨拶は止めておくれ」
 
 叔父の力業の愛情表現に、思わず笑いが零れると、叔父はようやく腕を緩めてくれた。
 
 ここはいつも朗らかな気持ちにさせてくれる。
 叔父と笑顔を交わしながら、ローラは思った。そして、朗らかな気持ちを与えてくれるのは、叔父だけではない。
 ローラは出迎えに集まってくれた使用人たちに笑顔を向けた。社交的な叔父に仕えるためか、陽気な者が多いのだ。
 笑顔を向けてくれる面々を見渡して、ローラはふと目を瞬かせた。来る度に、体全体で喜び「お嬢様!」と叔父の次に声をかけてくれる、侍女長のメアリの姿が見えない。
 トクリと鼓動が耳に響いた。

――そんな、まさか……。

 湧き上がる認めたくない予想を何とか振り払おうと、ローラはつばを飲み込んだものの、ロジャーはローラの動揺に気がつき、もう一度彼女を抱きしめた。

「すまない。伝えていなかったね。メアリはあの病で逝ってしまったんだ」

――!!

 ロジャーの腕の中で、ローラは息を呑み、目を閉じた。

 叔父の暮らす、このエールズベリー国は、3年前、未知の病が発生し、瞬く間に国中に広がった。そして未曾有の死者を出したのだ。
 叔父は仕事で国を離れていたこともあり、同行した使用人は難を逃れたけれど、メアリは同行しなかったのだろう。

『お嬢様!』 
 
 あの笑顔はもう見ることが出来ない。
 病の非情さを、ローラは叔父の胸に頭を押しつけて堪えていた。


◇◇◇

「こちらの荷物は、この場所でよいでしょうか?」

 何とか落ち着きを取り戻したローラは部屋に案内され、侍女マーガレットからの問いかけに頷いた。

「ええ、ありがとう。重くなかったかしら」

 どうしても自分の目の届くところに置きたい荷物を一つの鞄に収めて、馬車でも隣に置いていたのだ。
 重くはないと思うものの、マーガレットはローラよりも2歳年下と聞いて尋ねると、彼女は朗らかな笑顔を返してくれた。

「私は弟二人を同時に抱っこできるのが、特技です」

 和やかな情景が目に浮かび、ローラは口元を緩ませた。

「安心したわ。これからよろしくね。あなたのお母様には、とてもよくしてもらったの……」

 言葉の最後が少し陰りを帯びてしまった。マーガレットはメアリの娘だ。メアリが亡き後、ロジャーの屋敷に勤めることになったという。

「はいっ。母にはまだまだ及びませんが、心を込めてお世話させていただきます」

 こちらの憂いを吹き飛ばすような元気な返事は、メアリを彷彿させた。母を喪った哀しみは当然残っているだろうけれど、彼女は前を向いている。その姿がさらにメアリを彷彿させて、メアリの残した明るさに、ローラは目を細めていた。

 マーガレットが下がり、一人になるとローラは部屋を見渡した。
 いつも使わせてもらっている馴染みのある部屋だ。窓近くにある文机では、両親に何通も手紙を書いたものだ。
 ローラは机の引き出しに目を留めると、マーガレットが運んでくれた鞄から、小さな小箱を取り出した。
 ケネスから受け取りを断られた指輪の箱だ。保管のために父に預けようとしたけれど、父は経緯を聞くとしばらく瞑目し、ローラが持っているように言い渡してきた。
 父の意図は図りかねたが、国宝とも言える指輪の保管を敢えてローラに任せたのは、彼女には見えないものが父には見えているのだろう。

 ローラは溜息を一つ零して、文机の引き出しに小箱をそっとしまった。
 こうやって、彼への想いも全て完全に仕舞うことが出来たら、どれほど楽になれるだろう。
 性懲りもなく湧き上がった胸の痛みを抑え、ローラは晩餐の支度をお願いすることにした。


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