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ハラッパバッカのコのセカイ
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巨樹は自らの虚に枝葉を突っ込もうと必死になって幹を曲げていたが、やがて諦めたのか元の姿勢に戻ると、何事もなかったかのように立ち尽くした。そんな巨樹と同様にトロンとウェザーも黙して立ち尽くし、一人と一匹の帰りを気長に待っていた。ところが、待てども待てども一向に虚から誰かが帰ってくる気配はなかった。
不審に思ったウェザーが、ふと声を漏らした。「遅いですねぇ…」
トロンも同感であった。十分も経てば戻ってくるものだと思い込んでいたが、どうやら誤りであったらしい。他人事とはいえ、だんだんと気がかりになってきたので、いっそ自分も虚に侵入してやろうか、とも考えた。しかし、疾風のように走る事は叶わず、また、ウェザーがおとりになってくれるとも到底思えなかったので、結局はその場で足踏みをしているしかなかった。
「仕方ありませんね。こうなったらあの木を焼き払ってしまいましょうか」ウェザーは思い切った行動を提案した。「私が焼き払うための準備をしますから、その間あなたは時間を稼いでください。ああ、焼き払うと言っても、根本までは焼かないようにしますから」
トロンのウェザーに対する信用は地に堕ちていた。二度といいように使われてたまるか、と頑なな意地を張った。「断る」
「まぁ、そうつっけんどんにならずに」ウェザーは苦笑を浮かべた。「私だって、このまま手をこまねいているわけにはいかないんです。日暮れも近いですし、それまでにはここを去らなければ。後々面倒に巻き込まれるのは、勘弁願いたいですから」
「アンタに、あの大きな木を焼き払えるとは思えない」トロンは、ため息混じりに言った。
「以前、私は世界を旅していると言いましたよね。その際、方々で面白い技を色々と学びまして。そのうちの一つを今この場で、お目にかけますよ」
トロンの不信が晴れる事はなく、むしろますます突き放したくなった。視線では既にそうしているが、あいにく当の本人は、けろりとしているように見えた。
ウェザーは目頭を手で押さえた。それから、物静かかつ尊大な口調でこう手ほどきした。
「いいですか。これから私がお見せする力は、廻仔であるなら誰にでも使えうるものなのです。この世界には、自然から身を守るための人の集まり、ガゼットもその一つですが、そういった街が点在している事は以前説明しましたよね。しかし、それらのすべての街にも廻仔が存在しているという事実をご存じですか?しかし、廻仔と言っても、その才覚は決して我々と同じというわけではなく、非常に奇妙な事ですが、彼らは街ごとにそれぞれ固有の力を宿しているのです。例えば、ガゼットにて産声を上げたすべての廻仔は、セイズ、動物を従える力の事ですね、そのセイズを生まれつき使う事ができるんです。しかし、ガゼット以外の街の廻仔には、基本的にセイズを使う事ができません。ただし、一から教えてもらえば、誰にでも使えるようになりますが。私も世界の街を渡り歩き、いまだ不完全ではありますが、いくつかの固有の力を身に着けました。その一つを、お目にかけると言っているのです」
トロンは、その話が本当かどうか確かめたくなった。自分がセイズを使える事などはっきり言ってどうでもよく、それよりかは世界中に兄弟がいる事に心底驚愕した。この世界には一体何人の兄弟がいるのだろうか、と好奇心をくすぐられ、愚かな事に同じ過ちを繰り返そうとしていた。
「やってみせろ」トロンは剣を抜いた。
「では、申し訳ありませんが、少しの間だけ木の注意を引き付けておいてください。いかんせん未熟なものでして、ある程度は標的に近寄らなければ、術を当てられないのですよ」ウェザーは眼鏡をくいっと上げた。
トロンは、静かに佇む巨樹に向かって歩を進めた。その後をウェザーが追従し、二人は巨樹に真っ向から戦いを挑んだ。それに応えるかのように巨樹は、その枝葉をしならせ始めた。トロンは思い切って駆け出した。ウェザーを信じたわけではないが、自らが囮となるべく虚に向かって駆け出した。仮に、この覚悟が裏切られるような事があれば、その痛みを海淵より深く胸に刻み込み、二度と好奇心の誘惑に屈しないよう自らを律するだけである。上空より襲い来る枝葉の合間をかいくぐり、立ち塞がった枝を剣で切り払い、身を投げ打って猛然果敢に突き進んだが、その甲斐もなく枝葉の檻に周囲を囲まれ、針のむしろに追い込まれた。彼は、この覚悟に報いてくれているだろうか、と枝葉の隙間から後ろを垣間見ると、ウェザーが目を閉じ、何やらぶつぶつと声なき小言を呟いている様子をかろうじて見る事ができた。念仏でも、のたまっているのか。そんな心の嘆きも、すぐに裏切られる事になる。
それは突然やって来た。夕暮れに染まった橙色の空、その彼方から燃えるような音と共に火の玉が飛来した。目を凝らしてよく見てみると、それは円状の炎を纏った引き車であった。形容しがたい炎の魔人とでも言おうか、赤い妖怪の上半身が、下半身となる引き車から飛び出していた。おおよそ、この世のものとは思えないほどの恐ろしげな風貌に、トロンは図らずも震駭してしまった。
引き車の妖怪は夕空を天翔け、いまだに念仏を唱え続けるウェザーの遥か頭上を越え、巨樹の天上を通り過ぎていく間際、巨樹めがけて正真正銘の火の玉を投げつけると、そのまま何処かへ飛び立っていった。
放たれた火の玉は、業火をたなびかせながら隕石のように流れ落ち、その果てに巨樹に墜落すると、轟々と炎上させた。幹から枝葉の先にかけて燃え上がったが、根本にまで炎が燃え広がらなかったのはウェザーの宣言通りであった。しかし、トロンを一切考慮しておらず、枝葉の檻に囚われていた彼は、たちまち業火の中に放り込まれた。ヒートヘイズといい、つくづく熱いものに縁がある、と心の中で愚痴をこぼしながらも、急いで駆け出し、歯を食いしばって熱に耐え抜きつつも、燃えに燃える枝を剣で薙ぎ払い、やっとの思いでウェザーの元へ生還した。
「ほら、ごらんなさい。これが廻仔の力なのですよ」ウェザーは、燃え尽きていきながらも微動だにしない巨樹を満足げな表情で静観していた。
トロンは文句の一つや二つくらい言いたくなった。しかし、ウェザーは有言実行しただけなので、ここは我慢に我慢を重ね、煮えくり返る気持ちを抑えてやる事にした。
まもなく巨樹は、大きな切り株となった。根元だけを綺麗に残し、それ以外すべては灰燼に帰した。それにしても、あの巨樹がこうまでも焼け落ち、木炭の一片すら残らないとは。ウェザーの術を用いれば、跡形もなく自然を焼き払えるのではないか、とトロンは原初の必要性を疑い始めた。
「どうせならガゼットの木炭も焼いてみたらどうなんだ」トロンはウェザーにたずねた。
「あまり買い被らないでもらいたいですね」ウェザーは、まんざらでもなさそうに答えた。「この術は、慣れない人間にとっては諸刃の剣でしてね。“五行”と呼ばれているんですが、いかんせん“十二の部族”に助力を乞うものでして、私のような未熟者の手に余る所がありまして…」
「あの化け物は、十二の部族というのか」
「ああ、失礼。十二の部族とは、自然を構成する十二のグループの事でして、要は自然そのものの事です。火や水、風といった自然を構成する要素が十二に区分けされており、そのそれぞれが独自の集団を築いているのです。例えば、あなたがガゼットで散々戦ってきた木々は、“蒔ク種族”といい、この世のすべての植物を象徴する部族なのです。それら十二の部族の力を借りる技こそが五行であり、ほんの一時的ではありますが、呼び出した者の都合の良いように動いてくれるのです。ちなみに、さっき私が呼び出したのは、日を象徴する“照ラス日族”と呼ばれる部族の一員なのですが、五行で呼び出せる個体は、いささか特別でしてね。同じ照ラス日族といえども、その形態は他の地域の個体と大きく異なっているのです」
トロンは、やたらと物知りなウェザーを奇特に思った。しかしながら、あの木人たちが部族を形成していたとは、初耳であった。
「さて、では私たちも虚に入りましょうか。猿の安否も気にかかりますしね」ウェザーは、虚に向かって、さっさと歩を進めた。
虚の中に入った途端、先ほどの炎のせいか少し蒸し暑く感じられた。ところが、気温の事などすぐに頭から吹き飛び、かわりに、猿と取っ組み合って夢中で格闘を続けるスコアの姿が目に飛び込んできた。それどころか、よくよく洞内を見回してみると、熊の寝床にしかならないような狭々とした空間にあたりを囲まれていた。所詮は木の虚、穴が地中にまで続いているはずはなく、二人は拍子抜けする事となった。原初どころか何もなく、結局の所、先ほどまでの闘争は徒労に終わったのだ、とウェザーも嘆いている事だろう。
それにしても、スコアは、人間にとっては取るに足らないはずの猿に手を焼かされているようだった。こちらの存在にもまるで気付く事はなく、猿共々目を三角にし、互いに腕を掴み合い、一心不乱に地面を転げ回っていた。猿が、けたたましい奇声を上げると、スコアも負けじと猫のような唸り声を上げた。仲睦まじく、たわいもない子どもの喧嘩にしか見えなかった。ふと猿がウェザーを視界に入れると、すぐに格闘を中断し、一目散に飼い主の左肩へ戻っていった。ウェザーが黙したまま、その頭をしきりに撫でてあげると、猿は嬉々として温もりを受け入れた。そんな猿を口惜しい目で見つめるスコアは、肩で息をしながら座り込むのが精一杯のようだった。
「残念ながら、ここに原初はなかったようですね」ウェザーが無念そうに口を開いた。「しかし、こういった骨折り損をするのは、最初でもなければ最後でもないでしょうし、気長に探すとしますよ」
スコアは息を整えると、立ち上がり、トロンの目の前まで寄って来た。「あのおサル、意外と強くて…!すぐにやっつけようと思ったんだけどね…!」
トロンは、ため息すら出ないほどに意気消沈していた。苦労ばかりで、金銭もろくに得られず、挙句の果てに今からガゼットまでの長い距離を逆戻りしなければならない事に心底嫌気が差していた。あれほどまでに新鮮だった風景も、いつしか味気ないものへと変わってしまい、かつてのような喜びを得るのは難しくなっていたのである。
と、思いがけず虚の内壁に奇妙な傷を見つけた。スコアの背後、虚の突き当りに文字のような傷を見つけ、不思議に思って近づいてみた。文字は途切れ途切れで今にもかすれて消えてしまいそうであったが、かろうじては読み取れた。
「憎悪 の 果てに 生まれし 人 の 原初 が 敵 を 滅ぼす 希望 である」
短い文章ではあったが、トロンの興味を大いにそそるには十分であった。文字のかすれ具合から判断するに、最近書かれたものでは断じてなく、むしろ逆に、太古の壁画から醸し出されるような若干仰々しい雰囲気すら放っているように感じられた。ウェザーのせいだろうか、“原初”の二文字に一際目が釘付けになっていると、両横に人の気配を感じ、視線を動かさざるを得なくなった。
「これは……よく見つけましたねぇ」ウェザーは文字を見ながら呟いた。「やはり狩人ですから目ざといんですね」
「…ほんと!でも、これ、どういう意味?」スコアは、間の抜けた声を発した。
「もしかしたら、かつてここには原初があったのかもしれません。もっとも、十二の原初の中に、人の原初などというものは含まれていませんが。あるいは……」そこでウェザーは口をつぐんでしまった。
「え?なになに?」スコアは気になってたずねてみたものの、
「いえ、どうせただの落書きでしょう。日暮れも近いですし、もう帰りましょうか」とウェザーは、文字に背を向け、虚から出て行ってしまった。
トロンは、ウェザーの反応に違和感を覚えたものの、ここで下手に言及すると、より長くこの場に留まる事になるので、いずれまた問いただす事にした。とにかく、今はガゼットへ帰還する事が第一であり、他の事は二の次であった。
日暮れも間近になった頃、三台のバイクが森の中を駆け抜けていた。ハンドルを力強く握りしめ、いかなる獣道においてもアクセルを緩める事はなく、猶予なき日没との競争に没頭していた。片道三時間ほどの道のりを焦心しながら走っていると、天は三人を見放したのか、何の前触れもなく空を黒雲が覆い隠し、数滴の雨がぽつぽつと降り出したかと思うと、まもなく土砂降りに見舞われた。しかし、猛烈な雨もどこ吹く風、三人は雨に全身を打ち付けられながらも、フロントライトだけを頼りに暗がりの森を突き進んだ。
視界を確保する事すらも困難なほどの土砂降りの中、トロンは、またしてもその目ざとさを発揮し、なにやら遠い前方にうごめく巨大な影を発見した。まるで巨大な魚のような影だ、と思ったのも束の間、それは影ではなく水の集合体だと、すぐに認識を改めさせられた。近寄れば近寄るほどに、ぼんやりと形作られた水魚はその巨大さを増していき、遂に目前に迫った時、小屋のごとき大きさを誇る大口をぱっかりと開け、こちらに向かって猛進している様をようやく目視できた。
手遅れだ、とトロンは観念した。が、それは他の二人も同じだろう、と思い込む事にし、そのまま成す術もなく、三人まとめて大口に飲み込まれていったのであった。
不審に思ったウェザーが、ふと声を漏らした。「遅いですねぇ…」
トロンも同感であった。十分も経てば戻ってくるものだと思い込んでいたが、どうやら誤りであったらしい。他人事とはいえ、だんだんと気がかりになってきたので、いっそ自分も虚に侵入してやろうか、とも考えた。しかし、疾風のように走る事は叶わず、また、ウェザーがおとりになってくれるとも到底思えなかったので、結局はその場で足踏みをしているしかなかった。
「仕方ありませんね。こうなったらあの木を焼き払ってしまいましょうか」ウェザーは思い切った行動を提案した。「私が焼き払うための準備をしますから、その間あなたは時間を稼いでください。ああ、焼き払うと言っても、根本までは焼かないようにしますから」
トロンのウェザーに対する信用は地に堕ちていた。二度といいように使われてたまるか、と頑なな意地を張った。「断る」
「まぁ、そうつっけんどんにならずに」ウェザーは苦笑を浮かべた。「私だって、このまま手をこまねいているわけにはいかないんです。日暮れも近いですし、それまでにはここを去らなければ。後々面倒に巻き込まれるのは、勘弁願いたいですから」
「アンタに、あの大きな木を焼き払えるとは思えない」トロンは、ため息混じりに言った。
「以前、私は世界を旅していると言いましたよね。その際、方々で面白い技を色々と学びまして。そのうちの一つを今この場で、お目にかけますよ」
トロンの不信が晴れる事はなく、むしろますます突き放したくなった。視線では既にそうしているが、あいにく当の本人は、けろりとしているように見えた。
ウェザーは目頭を手で押さえた。それから、物静かかつ尊大な口調でこう手ほどきした。
「いいですか。これから私がお見せする力は、廻仔であるなら誰にでも使えうるものなのです。この世界には、自然から身を守るための人の集まり、ガゼットもその一つですが、そういった街が点在している事は以前説明しましたよね。しかし、それらのすべての街にも廻仔が存在しているという事実をご存じですか?しかし、廻仔と言っても、その才覚は決して我々と同じというわけではなく、非常に奇妙な事ですが、彼らは街ごとにそれぞれ固有の力を宿しているのです。例えば、ガゼットにて産声を上げたすべての廻仔は、セイズ、動物を従える力の事ですね、そのセイズを生まれつき使う事ができるんです。しかし、ガゼット以外の街の廻仔には、基本的にセイズを使う事ができません。ただし、一から教えてもらえば、誰にでも使えるようになりますが。私も世界の街を渡り歩き、いまだ不完全ではありますが、いくつかの固有の力を身に着けました。その一つを、お目にかけると言っているのです」
トロンは、その話が本当かどうか確かめたくなった。自分がセイズを使える事などはっきり言ってどうでもよく、それよりかは世界中に兄弟がいる事に心底驚愕した。この世界には一体何人の兄弟がいるのだろうか、と好奇心をくすぐられ、愚かな事に同じ過ちを繰り返そうとしていた。
「やってみせろ」トロンは剣を抜いた。
「では、申し訳ありませんが、少しの間だけ木の注意を引き付けておいてください。いかんせん未熟なものでして、ある程度は標的に近寄らなければ、術を当てられないのですよ」ウェザーは眼鏡をくいっと上げた。
トロンは、静かに佇む巨樹に向かって歩を進めた。その後をウェザーが追従し、二人は巨樹に真っ向から戦いを挑んだ。それに応えるかのように巨樹は、その枝葉をしならせ始めた。トロンは思い切って駆け出した。ウェザーを信じたわけではないが、自らが囮となるべく虚に向かって駆け出した。仮に、この覚悟が裏切られるような事があれば、その痛みを海淵より深く胸に刻み込み、二度と好奇心の誘惑に屈しないよう自らを律するだけである。上空より襲い来る枝葉の合間をかいくぐり、立ち塞がった枝を剣で切り払い、身を投げ打って猛然果敢に突き進んだが、その甲斐もなく枝葉の檻に周囲を囲まれ、針のむしろに追い込まれた。彼は、この覚悟に報いてくれているだろうか、と枝葉の隙間から後ろを垣間見ると、ウェザーが目を閉じ、何やらぶつぶつと声なき小言を呟いている様子をかろうじて見る事ができた。念仏でも、のたまっているのか。そんな心の嘆きも、すぐに裏切られる事になる。
それは突然やって来た。夕暮れに染まった橙色の空、その彼方から燃えるような音と共に火の玉が飛来した。目を凝らしてよく見てみると、それは円状の炎を纏った引き車であった。形容しがたい炎の魔人とでも言おうか、赤い妖怪の上半身が、下半身となる引き車から飛び出していた。おおよそ、この世のものとは思えないほどの恐ろしげな風貌に、トロンは図らずも震駭してしまった。
引き車の妖怪は夕空を天翔け、いまだに念仏を唱え続けるウェザーの遥か頭上を越え、巨樹の天上を通り過ぎていく間際、巨樹めがけて正真正銘の火の玉を投げつけると、そのまま何処かへ飛び立っていった。
放たれた火の玉は、業火をたなびかせながら隕石のように流れ落ち、その果てに巨樹に墜落すると、轟々と炎上させた。幹から枝葉の先にかけて燃え上がったが、根本にまで炎が燃え広がらなかったのはウェザーの宣言通りであった。しかし、トロンを一切考慮しておらず、枝葉の檻に囚われていた彼は、たちまち業火の中に放り込まれた。ヒートヘイズといい、つくづく熱いものに縁がある、と心の中で愚痴をこぼしながらも、急いで駆け出し、歯を食いしばって熱に耐え抜きつつも、燃えに燃える枝を剣で薙ぎ払い、やっとの思いでウェザーの元へ生還した。
「ほら、ごらんなさい。これが廻仔の力なのですよ」ウェザーは、燃え尽きていきながらも微動だにしない巨樹を満足げな表情で静観していた。
トロンは文句の一つや二つくらい言いたくなった。しかし、ウェザーは有言実行しただけなので、ここは我慢に我慢を重ね、煮えくり返る気持ちを抑えてやる事にした。
まもなく巨樹は、大きな切り株となった。根元だけを綺麗に残し、それ以外すべては灰燼に帰した。それにしても、あの巨樹がこうまでも焼け落ち、木炭の一片すら残らないとは。ウェザーの術を用いれば、跡形もなく自然を焼き払えるのではないか、とトロンは原初の必要性を疑い始めた。
「どうせならガゼットの木炭も焼いてみたらどうなんだ」トロンはウェザーにたずねた。
「あまり買い被らないでもらいたいですね」ウェザーは、まんざらでもなさそうに答えた。「この術は、慣れない人間にとっては諸刃の剣でしてね。“五行”と呼ばれているんですが、いかんせん“十二の部族”に助力を乞うものでして、私のような未熟者の手に余る所がありまして…」
「あの化け物は、十二の部族というのか」
「ああ、失礼。十二の部族とは、自然を構成する十二のグループの事でして、要は自然そのものの事です。火や水、風といった自然を構成する要素が十二に区分けされており、そのそれぞれが独自の集団を築いているのです。例えば、あなたがガゼットで散々戦ってきた木々は、“蒔ク種族”といい、この世のすべての植物を象徴する部族なのです。それら十二の部族の力を借りる技こそが五行であり、ほんの一時的ではありますが、呼び出した者の都合の良いように動いてくれるのです。ちなみに、さっき私が呼び出したのは、日を象徴する“照ラス日族”と呼ばれる部族の一員なのですが、五行で呼び出せる個体は、いささか特別でしてね。同じ照ラス日族といえども、その形態は他の地域の個体と大きく異なっているのです」
トロンは、やたらと物知りなウェザーを奇特に思った。しかしながら、あの木人たちが部族を形成していたとは、初耳であった。
「さて、では私たちも虚に入りましょうか。猿の安否も気にかかりますしね」ウェザーは、虚に向かって、さっさと歩を進めた。
虚の中に入った途端、先ほどの炎のせいか少し蒸し暑く感じられた。ところが、気温の事などすぐに頭から吹き飛び、かわりに、猿と取っ組み合って夢中で格闘を続けるスコアの姿が目に飛び込んできた。それどころか、よくよく洞内を見回してみると、熊の寝床にしかならないような狭々とした空間にあたりを囲まれていた。所詮は木の虚、穴が地中にまで続いているはずはなく、二人は拍子抜けする事となった。原初どころか何もなく、結局の所、先ほどまでの闘争は徒労に終わったのだ、とウェザーも嘆いている事だろう。
それにしても、スコアは、人間にとっては取るに足らないはずの猿に手を焼かされているようだった。こちらの存在にもまるで気付く事はなく、猿共々目を三角にし、互いに腕を掴み合い、一心不乱に地面を転げ回っていた。猿が、けたたましい奇声を上げると、スコアも負けじと猫のような唸り声を上げた。仲睦まじく、たわいもない子どもの喧嘩にしか見えなかった。ふと猿がウェザーを視界に入れると、すぐに格闘を中断し、一目散に飼い主の左肩へ戻っていった。ウェザーが黙したまま、その頭をしきりに撫でてあげると、猿は嬉々として温もりを受け入れた。そんな猿を口惜しい目で見つめるスコアは、肩で息をしながら座り込むのが精一杯のようだった。
「残念ながら、ここに原初はなかったようですね」ウェザーが無念そうに口を開いた。「しかし、こういった骨折り損をするのは、最初でもなければ最後でもないでしょうし、気長に探すとしますよ」
スコアは息を整えると、立ち上がり、トロンの目の前まで寄って来た。「あのおサル、意外と強くて…!すぐにやっつけようと思ったんだけどね…!」
トロンは、ため息すら出ないほどに意気消沈していた。苦労ばかりで、金銭もろくに得られず、挙句の果てに今からガゼットまでの長い距離を逆戻りしなければならない事に心底嫌気が差していた。あれほどまでに新鮮だった風景も、いつしか味気ないものへと変わってしまい、かつてのような喜びを得るのは難しくなっていたのである。
と、思いがけず虚の内壁に奇妙な傷を見つけた。スコアの背後、虚の突き当りに文字のような傷を見つけ、不思議に思って近づいてみた。文字は途切れ途切れで今にもかすれて消えてしまいそうであったが、かろうじては読み取れた。
「憎悪 の 果てに 生まれし 人 の 原初 が 敵 を 滅ぼす 希望 である」
短い文章ではあったが、トロンの興味を大いにそそるには十分であった。文字のかすれ具合から判断するに、最近書かれたものでは断じてなく、むしろ逆に、太古の壁画から醸し出されるような若干仰々しい雰囲気すら放っているように感じられた。ウェザーのせいだろうか、“原初”の二文字に一際目が釘付けになっていると、両横に人の気配を感じ、視線を動かさざるを得なくなった。
「これは……よく見つけましたねぇ」ウェザーは文字を見ながら呟いた。「やはり狩人ですから目ざといんですね」
「…ほんと!でも、これ、どういう意味?」スコアは、間の抜けた声を発した。
「もしかしたら、かつてここには原初があったのかもしれません。もっとも、十二の原初の中に、人の原初などというものは含まれていませんが。あるいは……」そこでウェザーは口をつぐんでしまった。
「え?なになに?」スコアは気になってたずねてみたものの、
「いえ、どうせただの落書きでしょう。日暮れも近いですし、もう帰りましょうか」とウェザーは、文字に背を向け、虚から出て行ってしまった。
トロンは、ウェザーの反応に違和感を覚えたものの、ここで下手に言及すると、より長くこの場に留まる事になるので、いずれまた問いただす事にした。とにかく、今はガゼットへ帰還する事が第一であり、他の事は二の次であった。
日暮れも間近になった頃、三台のバイクが森の中を駆け抜けていた。ハンドルを力強く握りしめ、いかなる獣道においてもアクセルを緩める事はなく、猶予なき日没との競争に没頭していた。片道三時間ほどの道のりを焦心しながら走っていると、天は三人を見放したのか、何の前触れもなく空を黒雲が覆い隠し、数滴の雨がぽつぽつと降り出したかと思うと、まもなく土砂降りに見舞われた。しかし、猛烈な雨もどこ吹く風、三人は雨に全身を打ち付けられながらも、フロントライトだけを頼りに暗がりの森を突き進んだ。
視界を確保する事すらも困難なほどの土砂降りの中、トロンは、またしてもその目ざとさを発揮し、なにやら遠い前方にうごめく巨大な影を発見した。まるで巨大な魚のような影だ、と思ったのも束の間、それは影ではなく水の集合体だと、すぐに認識を改めさせられた。近寄れば近寄るほどに、ぼんやりと形作られた水魚はその巨大さを増していき、遂に目前に迫った時、小屋のごとき大きさを誇る大口をぱっかりと開け、こちらに向かって猛進している様をようやく目視できた。
手遅れだ、とトロンは観念した。が、それは他の二人も同じだろう、と思い込む事にし、そのまま成す術もなく、三人まとめて大口に飲み込まれていったのであった。
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