めぐりしコのエコ

しろくじちゅう

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流せ、綴れ、情愛

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 アンデスは、亡きエシレウス将軍の霊をタフに憑依させるべく、メルヘンに命じてタフを教会から連れてこさせた。ポワソンは喜んでタフを送り出しはしたが、やはり兄と顔を合わせるのを嫌っているのか、憑依の瞬間を見届けはしなかった。遂に、エシレウス将軍が復活するにもかかわらず、ラブ=ラドール、もといタフは、これから起こるであろう奇跡など露知らず、ぼけっと突っ立っているばかりであった。以下、霊を憑依させる業である。まず、アンデスは小瓶を開け、数滴の池水を左手のひらに垂らした。次に、右手の人差し指と中指を垂らした池水に浸すと、描くような軌道でタフの顔面をなぞった。右頬から右目周り、それから左目周りを経由し、左頬で指を離した。最後に、両目を閉じ、「かの道を備えよ、その道を称えよ」と締めくくって完了である。
 途端、タフの全身が小刻みに震えた。かっと目を見開き、放心の表情を浮かべ、不可視の力に揺さぶられ続けた。その光景を双子は、いぶかしげに凝視し、アンデスとメルヘンは平然とした態度で見守っていた。
 やがてタフの震えが止まった。憑依は完了しているはずだが、なぜか眠ったように目を閉じ、微動だにも動こうとしない。シフォンやメルヘンは、タフの異変を察したのか、その顔を心配そうに覗き込んだ。しかし、トロンは、タフから放たれる圧倒的な気迫に気付いていた。それは思わず歴戦の剣を鞘から引き抜かせるほどであった。
 その刹那、タフは、ポワソンから授かった黄金に装飾された剣を凄まじい早業で引き抜くと、アンデスめがけて垂直に振り下ろしたが、間一髪の所でトロンの剣に阻まれた。その鍔音は、メルヘンとシフォンに張り詰めたような緊張感を与え、その表情を一瞬にしてこわばらせた。ところが、アンデスは、眉一つ動かさず、それどころか剣の一振りに対して身を守る素振りも見せず、ただ虚ろな表情のままで立ち尽くしているだけであった。
 タフ、もといエシレウスは、アンデスの態度を真摯に見据えた。それから、眼光鋭いトロンの表情に目をやり、微笑を浮かべると、遂に第一声を呟いた。「誰も我が剣を止める事はなく、誰も我が心情を察する事はない。そう思っていたが…」
「アンタはアンデスが憎いのか」トロンは、凶刃からアンデスを守りつつたずねた。
エシレウスは、おもむろに剣を引くと、鞘に納めた。「この神速のエシレウス、果たすべき務めを果たすのみだ」
やはりこの肉体は既にタフではなく、エシレウス将軍の支配下にある。言動が様変わりしただけでなく、その面持ちからも、かつてのような無知蒙昧からくるあどけなさは消え、今では精悍せいかんかつ垢抜けたような、それこそ歴戦の猛者を思わせる凛々しい表情をたたえている。我らの眼前に堂々と立つのは、正真正銘のラブ=ラドール・エシレウスであり、今ここに復活を遂げたのだ。
「あ…あの…!」シフォンがエシレウスに進み出ると、やはり頭を下げた。「あなたには……なんとお詫びすればいいのか…わからなくて…!それでも、わたし…あなたに謝りたいんです…!」
エシレウスは、一言も返さなかった。そのまま皆に背を向けると、その場から立ち去って行こうとした。
「将軍!!まさかポワソンの所へ行くつもりなのですか!?」メルヘンは、エシレウスを呼び止めようと、声を張った。「あの馬鹿に手を貸す事はありません!!どうか皆の目を覚まさせてやってください!いい加減に対立するのはやめろ、と!」
しかし、エシレウスが立ち止まる事はなく、その去り際を不安げに見つめるメルヘンとシフォンであった。
 それから、しばらくした頃、教会の建つ高台にポワソンとエシレウスの姿が現れた。高台下に広がる教会の領域を見下ろし、同志たる住人の一団に向かって、ポワソンは、はち切れんばかりの声量でこう述べた。
「この洗礼のエラクレスと同じ道を往く者たちよ!!長きに渡って苦汁の日々を耐え忍んできた者たちよ!!我々は数々の試練を乗り越え、今この場にて敢然かんぜんと決起する!!兄弟を凌駕し、自然を超越し、我らこそがシュラプルの新たな歴史を築き上げるにふさわしい存在である事を、武をもって証明するんだ!!そして、これまでの我らの祈りに報いたかの如く、神は御霊みたまを遣わした!!ああ、諸君、見るがいい!!ここにいるのは、かの誉れ高き神速のエシレウスである!!彼は、かの奇跡の業により、今再び、この現世に顕現けんげんされたのだ!!もはや我らに恐れるものなど何もなく、栄光への行軍を妨げるものは何もない!!時は満ちた!!繁栄は近づいた!!我らが故郷、シュラプルは退廃すらも乗り越え、遂に、栄華の極みへと到達する!!」
それを静聴していた住人は、どっと沸き上がり、武器を天へ掲げ、勇み立った。その姿を見たポワソンは満足げに笑みを浮かべた。ところが、エシレウスは笑みを浮かべるどころか、むしろ怒りに眉を上げた。そして、黄金に装飾された剣を引き抜くと、柄と刀身を両手で掴み、渾身の力をもって中程から真っ二つに折ってしまった。その狂人の所業を目の当たりにした住人は、打って変わって静まり返り、徐々に士気が削がれていった。
 エシレウスは、折れた剣を放り捨てると、血まみれの左拳を天に掲げ、その滴る流血を額に浴びつつも住人にこう訴えた。
「戦いへ赴く前に一つだけ皆に言っておきたい事がある!!我々は皆、敗者だ!!故郷を失い、無様にも逃げ延びた臆病者だ!!だが、すべてを失おうとも、かつて宿した愛の灯火が消える事はなく、この拳から流れ落ちる紅き血の如く、脈々と皆の中に胎動しているのだ!!その事を各々が肝に銘じた上で、改めて決意してもらいたい!!己が愛のために、進んで血を流す事ができる、そう決意できた者だけが、真の勝者へと這い上がる資格がある!!さぁ、何よりも熱く燃やしてみせろ!!己が愛の燃ゆるままに!!」
 その強き言葉は、聞く者を鼓舞し、心を奮い立たせた。住人は、再び熱を帯びると、沈黙を破り、誰もが一声を上げ、自らの士気を高ぶらせた。そんな光景に不敵な笑みを浮かべるポワソンと、颯爽と青空を見上げるエシレウスは、三つに分断されたシュラプルを統一する手始めとして、まずは共に宣戦布告を成し遂げた。その様子を壁のある高台から見ていたトロンらは、危機感を抱いていた。本当にエシレウスを復活させてもよかったのだろうか。長兄たるアンデスの下した判断により、戦いの火蓋は切って落とされ、二人の弟たちは内紛へと突き進んでいくのであった。
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