めぐりしコのエコ

しろくじちゅう

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信条に架ける風

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 代り映えしない深緑の森林に、ようやく白き風が舞い込んだ。それは植物の綿毛が入り混じったそよ風であり、また、ヘイヴンが目前に迫っている証左でもある。その綿毛は、“げんぽぽ”というヘイヴンで盛んに栽培されている植物の種子である。げんぽぽは、種子を付けた綿毛を風に乗せて飛ばすという、たんぽぽによく似た特徴を持つ植物なのだが、ヘイヴンでは、その綿毛を世界中に向けて散布するのが歳時であるらしい。しかし、その目的までは、トロンの存ぜぬ所である。シュラプルを発ち、ここへ来るまでの長い間、シフォンから故郷の思い出をわずかばかり聞き出せはしたが、それだけではヘイヴンの姿を思い描く事は困難だった。ヘイヴンは、紛れもなくトロンの故郷である。生まれて間もなく実の母に連れられ、共にガゼットへ移住はしたものの、出生地がヘイヴンである事は揺るがぬ事実である。その生まれ故郷にトロンは、遂に帰ってきたのである。どんな所だろうか、と好奇心をそそられ、妙にそわそわしてばかりいる。やはり人であるならば、誰しも出自を知りたがるものだ。シフォンもまた、そわそわしてはいたが、それは好奇心ではなく、大きな不安に駆られていたからである。妹は、ヘイヴンに悪印象を抱いており、そのせいかトロンから故郷について聞かれても、口ごもるばかりであまり答えようとはしなかった。それほどまでにヘイヴンを嫌っているのだ。養母だけでなく、在世の意志をも奪い去ってしまったのだから嫌悪していても仕方がない。これまでは兄の言葉に渋々ではあるが従い、ヘイヴンへと歩を進めていたが、いよいよ到着を目前に控えた故郷に怖気づいていた。そればかりか、兄をヘイヴンに行かせまいと、数日前から突拍子のない事を言い出す始末であった。
「ねぇ、お兄様。もうヘイヴンの事なんか忘れて、小屋を建てて二人で一緒に暮らしましょう?」
片意地を張る妹にトロンは辟易へきえきしていた。大自然の中に居を構えたい、そんな我儘わがままを耳に胼胝たこができるほど聞かされていたのだ。兄妹で仲良く猪にまたがってはいたが、眼前の妹の頑固さには内心呆れ果てるばかりである。よほどヘイヴンに行きたくないのか、猪を牛歩のように延々と歩かせてばかりいる。焦燥したトロンは、シフォンをこうたしなめた。
「あの父に囲まれて暮らすだなんて、正気じゃない。それなら、生まれ故郷で暮らす方がいいに決まっている」
「……じゃあ、何度でも言います」シフォンは、兄にかたわら目を向けて警告した。「ヘイヴンは、危険なんです。絶対に帰ってはいけません。一度足を踏み入れれば………ううん、もうヘイヴンの事なんか忘れてしまいましょう?」
「ここから最寄りの街を聞くだけだ」トロンは、ため息混じりに言った。
「ダメです。ヘイヴンは、それすらも許さないんです」シフォンは、毅然として言った。「ヘイヴンには、住人同士で会話をしてはならないという戒律があって、それを破ると罰せられてしまうんです。わたし、お兄様に苦しい思いをさせたくありません」
「故郷へ帰る事の何が苦しいというのだ」
 これまで幾度となく繰り返されてきた口論は、いつにも増して逼迫ひっぱくしていた。森然しんぜんとした木々の中をいまだに歩んではいたが、既にヘイヴンは目と鼻の先に迫っているようだ。風に入り混じる綿毛の量も増すばかりか、一塊となって宙に漂い、まるで白雲のようであった。その光景にシフォンは思わず猪の歩みを止め、それからトロンに振り向き、こう訴えた。
「お願いですから、考え直してください!本当に故郷へ帰る必要があるのかどうかを!」
その妹の頑強さにトロンは遂に根負けし、ここは妥協してやる事にした。「一目見るだけだ。もうそれだけで十分だ」
「じゃあ、ここから見てください」シフォンは、猪を立ち止まらせたままであった。
「まだ森の中だ。街なんて見えるはずがない」トロンは、周囲を見回してはみたが、建造物らしきものは皆無であった。
「ヘイヴンは森そのものなんです。そこの住人は、樹木を住居にしていますから、遠くからでは森と見分けがつかないのです」そこでシフォンは仰向くと、生い茂る枝葉の隙間から青空を垣間見た。「ここからでは見えにくいですが、ヘイヴンには石造りの塔があるんです。ほら、少しだけ見えるでしょう?」
トロンは、枝葉の隙間からわずかに垣間見える白い塔を目撃した。しかし、その全貌を確かめるには、もう少し近寄らなければならない。「ここからでは遠すぎる」
「でも、一目は見ましたから、もう帰りましょう」シフォンは、さっさと猪にきびすを返させた。「さ、どこか小屋を建てるに最適な場所を見つけないと」
トロンは、文句の一つくらいも言いたくなったが、この場は抑え留めた。ヘイヴンを露骨に敬遠していたため、かえって不審に思えたからである。なぜそれほどまでにヘイヴンから自分を遠ざけようとするのかもわからず、どうにも釈然としないままであった。
 来た道を引き返そうとする双子の眼前を、ふいに一羽の小鳥がかすめていった。あまりにも突然であり、かつ一瞬の出来事ではあったが、双子の視線は、その精彩な青き姿をありありと捉える事ができたため、行方を目で追うのも容易であった。幸いな事に、すぐそばの木の枝に止まり、羽休めをしてくれたおかげで、その外見をじっくりと観察する事ができたが、まもなく目を皿にさせられた。青い鳥に相違はないのだが、やけに毛深い羽毛に全身を覆われ、尾びれは長く、平べったい。始祖鳥に似ていたが、あの青海原のような青さは、それにはない。いくら懸命になって正体を思いつこうとしてみても、まるで見た事のない鳥を前にしては首を傾げざるを得なかった。ところが、シフォンは、遠い記憶に心当たりがあったのか、こんな事を呟いた。
「あの鳥は……どこかで見たような気がします…」
「随分とおかしな鳥だ。ひょっとすると怪自然かもしれない」トロンは、蒼い鳥を勘繰っていた。
 双子が鳥を凝視していると、ふと鳥に視線を返された。すると、驚くべき事に、その点のような眼から一粒の涙が流れ出ている事に気付かされた。鳥が涙を流すなどあり得ない。見間違いかと思い、何度も目を凝らして見たものの、やはり大粒の涙が頬を伝って流れ落ちている。尋常ならざる現象である。
 そして、青い鳥は、発った。枝から離れ、おもむろに翔け出した。
「…あっ、待って!!」シフォンは、ただちに猪を駆けさせ、青い鳥を追いかけ始めた。
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