めぐりしコのエコ

しろくじちゅう

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不死鳥の背の上で

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 うんと駆けた末に噴気から免れ、塵芥の上に身を落ち着けたトロンは、そこから鯨を遠見した。あれほどまでの巨躯が、今では波打ち際にこびりつく黒い小粒となって視認できた。息は荒れ、そればかりか全身を飛礫に痛めつけられており、いささかの不便を実感しつつも、小豆あずきのように縮こまった鯨に向けて遅足を進めた。きっと自分だけでなく、他の皆も目標を同じくしている事だろう。散り散りとなった者たちは、我先にと自身を急き立て、足早に鯨を目指している。しかし、宿命稼ぎの行く手だけは阻まなければならない。バスポテトを取り返し、顔を揃えて脱出するために、ここは勝負に打って出なければならない。結局の所、一つも欠かずして事を成し遂げられはしないのだ。トロンは、そう改めて覚悟した。妹を救うという責務を背負っているにもかかわらず、我が身を投げ捨てる備えをしていた。それは犠牲となるためでなく、あくまで皆を救うために強く意を決したのだ。彼の心には、かつて自らによって犠牲とした人々の残響が今なお続いており、時としてうつむき様に沈んでしまいそうになれど、ある時は決して現実から目を背けるべきでないと叱咤された心持ちもする。その声が聞こえる限りは、みすみす命を投げ捨てたりはしない。誰かが求めるままに、ただひたむきに生きるのだ。生きるために戦い、そして、今を取りこぼされようとしている者のために生きるのだ。
 トロンは、少々の痛みなど吹き飛ばし、遂に走り出した。塵芥の大地を踏みしめ、鯨めがけて猪突の勢いで突き進んでいると、思いがけずホームズとルルリリの二人に遭遇し、立ち止まった。彼らもまた、黒船を目指す最中であったので、先を急かすための言葉をかけた。
「早く鯨の元へ行って、その背中に乗っていろ!皆が集まり次第、すぐに脱出する!」
「悠長に待ってられるか!オレたちがバスポテトを解放する!」ホームズは、いまだに宿命稼ぎへの執念を燃やしていた。
「あたしとホームズで宿命稼ぎからバスポテトを取り返すから、あんたこそ鯨に乗ってなさい!」ルルリリは、既に胸元に廻文字を転写しており、息吹くための準備を済ませていた。
 いい加減に勇み足を止めさせなければならない、そう思ったトロンは、はやる気持ちを堪えつつも説得に乗り出した。
「あの宿命稼ぎは、一筋縄ではいかない男だ。廻文字に精通しているバスポテトですら戦いを避けたがったほどの相手のために、自分の身を危険に晒すのはやめろ」
「じゃあ、見捨てて逃げろって言うの!?」ルルリリは、反目の様相を見せた。「あんたはバスポテトと出会ったばかりだからそんな事言えるんでしょうけど、あたしたちは違う!」
「そうだ!!」ホームズは、声を大にして共鳴した。「アイツとは、これまで旅を共にしてきたんだ!今みたいな困難だって一緒に乗り越えてきたんだ!なのに、こんな所で捨てていけるかよ!」
「俺は誰一人として見捨てるつもりはない」トロンは、いくら責められようが、至極冷静に徹した。「バスポテトは俺が救い出す。彼女が守ろうとした者たちもな」
「救い出すって…!?廻文字も持ってないオマエにそんな事できんのかよ!?」ホームズは、眉をひそめてたずねた。
「廻文字はない。だが、誰かを助けるだけの力はある」トロンは、凛として言い張った。
「嘘ばっかり!また捕まりたいの!?」ルルリリは、頑なに信用しなかった。
「俺は二度と捕まりはしない」
「信じられるかよ、そんなの!あの宿命稼ぎは、オレが倒してやる!オマエの出る幕はないぜ!」ホームズは、私情に任せて口早に言い尽くした。「あんなヤツに、いつまでも好き勝手させられるかよ!自然に味方するヤツは、全員オレの敵だ!」
「なぜそれほどまでに宿命稼ぎと戦おうとする?」トロンは、憎悪のこもった物言いに疑問を感じた。
 ホームズは、徐々に気を落ち着けると、身の上話をした。
「…さぁな。オレにもよくわからない。オレさ、実は記憶喪失なんだ。過去どころか、自分の名前すら思い出せなくて、ただ彷徨さまよってるだけだったオレを拾ってくれたのがバスポテトなんだよ。しかも、ホームズって名前まで付けてくれたんだぜ。それからは、記憶を取り戻すために各地を旅してきたけど、思い出せるのは………炎に消えゆく人々と集落の光景だけだった。なぜかはわからないけど、その光景を思い出すたびに、心がむしゃくしゃするんだ。自分の大切なものを奪われたような気がしてさ。もしかしたらオレは、故郷を自然に奪われたんじゃないかって、そんな気がして…。だから、自然が憎いんだよ。オレは、なぜだか廻文字だけは持ってたから、これさえあれば自然と戦えるって思ったんだ。だから、戦わせてくれよ。もうオレには故郷も何もない。あるのは憎悪だけだ。理由もわからないってのに、無性に駆られちまうんだよ、そんな感情に」
 トロンは、そんな境遇を不憫ふびんに思うと共に、精一杯の励ましをかけた。
「だが、アンタは生きている。故郷は自然に消えたかもしれないが、それですべてが終わったわけじゃない。廻仔は、生まれ故郷に住む人間を一人残らず自然に帰した時、その一生を終える。つまり、アンタの故郷の人間は、まだ生きている。故郷はなくとも、その住人は生きているんだ。アンタの過去を知っている人間が、まだこの世界に生きているんだ。だから、その人と出会って、自分の過去を取り戻すんだ。そのためには、生きなければ。ここで宿命稼ぎに捕まってしまえば、明日とも知れぬ命だ。理由もわからずに戦って、その末に死ぬ事が、本当にアンタの望みなのか?」
「……オレは…」ホームズは、踏ん切りのついた答えを出せない自分を口惜しく思った。
 その時、三人は、遠方からこだまする絶叫を耳にした。それは助けを求めるたわみつの悲鳴である事は明白であった。無言で顔を見合わせたのち、声のした方向へ咄嗟に駆け出すと、まもなくたわみつを発見したと同時に、宿命稼ぎとも出くわしてしまった。投げ縄を用い、逃げ惑うばかりの獲物を器用に捕らえており、手元に手繰り寄せようとしている真っ最中であった。
「くそっ、このイカ野郎っ!!」ホームズは、ただちにたわみつを助けようと宿命稼ぎに殴りかかろうとした。
「ここは俺に任せて、二人は鯨へ急げ」トロンは、ホームズを呼び止め、さらにはルルリリの闘志に水を差した。
「あんたに何ができるって言うのよ!?」ルルリリは、辟易へきえきしたように怒鳴った。
 トロンは、真鍮の魔笛を取り出し、横に構えたまま歌口に唇をてがった。それから、第二の故郷に思いをせ、物心ついた頃からの記憶を回想すると、そっと息を吹き込んだ。すると、厳かな細波の音色が奏でられたばかりか、たわみつに向かって水色に鮮やぐ潮の芳香が漂い、残骸の背の上を輝き渡った。その塩辛い香りは、締められた投げ縄をほぐし、獲物を自由にさせた。遂に、魔法じみた力を我がものとしたトロンには、あらゆる人工物が服従せざるを得ないのである。
 たわみつは、香りに若干むせ返りながらも一目散にトロンの元へ逃げ果せると、蒼白となった顔面に一抹の安堵が見受けられるようになった。「た…助かった…!なんかよくわかりませんが、また助けていただいて本当にありがとうございました…!」
素直に感謝されたトロンは、決まりが悪くもなったが、吹奏をやめると、矢継ぎ早に「早く鯨の所へ行け。ここは俺が食い止める」と脱出を促した。
「なんなのよ、その変な楽器は!」ルルリリは、真鍮の魔笛を物珍しそうに凝視した。
「オレ、海の匂いは、あんまり好きじゃないんだよな」ホームズは、光彩が薄らいで消えてもなお強烈な芳香に鼻を塞ぎ、盛んに口呼吸した。
「いいから行け!」トロンは、肩をすくめる宿命稼ぎから視線を外す事なく、語勢を強めて更に促した。
「はい!」たわみつは、元気よく会釈したのち、ホームズとルルリリに向けて「あんな凄い事できるんだから、ここはトロンさんに任せたって大丈夫だよ!だから、早く逃げよう!」と強く口添えした。
二人は、悩む素振りを見せたが、それでも信疑の垣根を踏み越えると、トロンに向けて力強く頷き、少年少女は渚へと続く生路せいろを突き進んだ。
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