【完結】碧血の墓標 ――新選組最後の局長、明治の闇を斬る

高杉 優丸

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第7章 裏切り者の用心棒

3話

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「……斎藤、さん」

 相馬の口から、懐かしい名が漏れた。
 戦場で背中を預けた、あの頃の名だ。
 だが、男は眉一つ動かさなかった。

「その名は捨てた」

 男の声は、夜風よりも冷たかった。

「今の俺は、警視庁一等巡査、藤田五郎ふじたごろうだ」

「藤田……」

 相馬は、男の制服代わりの黒羅紗くろらしゃと、腰の日本刀を見た。
 噂には聞いていた。
 西南戦争で抜刀隊として活躍し、今は警視庁の切り札として「鬼警部」と呼ばれている男がいると。それが、かつての斎藤一だったとは。
 名を捨て、剣だけを信じて生きる。その生き様は変わっていない。

「相馬。貴様も死んだと聞いていたが」

 藤田が、相馬の車屋姿を冷ややかに見下ろした。
 そこに驚愕の色はない。
 ただ、事実を確認するだけの静かな瞳だ。

「腹を切ったというのは狂言か。……相変わらず、しぶとい男だ」

「生き残っちまったんでな。……あんたと同じさ」

 相馬は脇差を握り直した。
 じり、と間合いを測る。
 だが、測れない。
 藤田の立ち姿には、針の穴を通すほどの隙もなかった。
 自然体に見えて、どこからでも斬れる構え。
 この男と斬り合えば、間違いなく死ぬ。相馬の古傷が、危険信号を鳴らしている。

「そこをどいてくれ、斎藤さん。……いや、藤田の旦那」

 相馬は声を絞り出した。

「俺は、あの鈴木という豚を始末しなきゃならんのだ。……あんただって、奴が許せないはずだ」

「……」

「奴は御陵衛士ごりょうえじだった。あんたが潜入し、壊滅させた敵の生き残りだ。……それが今、あんたと同じ警察の威光を借りて、のうのうと生きている。……虫唾むしずが走らないのか!」

 相馬の問いに、藤田は薄く笑った。
 氷の笑みだった。

「……虫唾なら、毎日走っているさ」

「なら、なぜ!」

「だからこそ、俺が引き入れた」

 藤田の言葉に、相馬は耳を疑った。

「引き入れた……?」

「鈴木は、維新のどさくさで司法省に潜り込んだが、最近は悪評が立ち、居場所を失いつつあった。……だから俺が、警視庁との太いパイプ役として、奴の面倒を見てやっている」

「馬鹿な……。あんたが、あんな奴の手先になったと言うのか」

「逆だ、相馬」

 藤田の目が、妖しく光った。

「野放しにすれば、奴はまた地下に潜り、悪事を働く。……だから、俺の目の届く『おり』に入れたんだ」

 藤田は、逃げ去った馬車の方角を見た。

「奴は俺を、かつての『御陵衛士の同志』として頼っている。……滑稽こっけいな話だ。俺が自分の兄(伊東甲子太郎)を殺した張本人だとも知らずにな」

 相馬は戦慄せんりつした。
 この男は、鈴木を守っているのではない。
 飼っているのだ。
 いつか、その首を法という名の刀でねる、その瞬間のために。
 もっとも残酷で、もっとも確実な復讐の準備をしていたのだ。

「……だが、今夜は予定外だ」

 藤田が視線を相馬に戻した。
 殺気が膨れ上がる。

「俺の獲物に、余計な傷をつけるな。……目の前での私刑しけいは見過ごせん」

 藤田の手が、鯉口こいぐちを切った。
 カチリ。
 その微かな音が、相馬の心臓を凍らせる。

「それに、今の貴様はただの強盗傷害犯だ。……抵抗するなら、斬る」

 虎ノ門の空気が重くなる。
 相馬は冷や汗が背中を伝うのを感じた。

 だが、引くわけにはいかない。
 藤田には藤田のやり方がある。だが、俺には俺の「落とし前」がある。

「あんたは……あの記事を見たか」

 相馬が問うた。
 賭けだった。この男の中に、まだ「法」ではない「誠」が残っているかどうかの賭けだ。

「鈴木が、『土方副長の首』を見世物にしようとしている記事を」

 藤田の動きが、ほんの一瞬、止まった。
 殺気が揺らいだのを、相馬は見逃さなかった。

「……見た」

「あれは偽物だ!」

 相馬が叫んだ。

「俺が埋めたんだ。副長の遺体は、俺の手で土に還した。首なんて取られていない! 鈴木は、適当な死体をでっち上げて、副長の名誉を汚し、金儲けの道具にしようとしている!」

 相馬の悲痛な叫びが、路地に響く。
 加納鷲雄が呻き声を上げているが、二人の耳には入っていない。

 藤田の目が、相馬を射抜くように見つめた。
 値踏みしているのではない。相馬の魂の底にある「真実」を見極めようとしている目だ。

「……貴様が埋めたのか」

「そうだ。誰にも知られぬ場所にな」

 沈黙が落ちた。
 遠くから、ピーッ、ピーッという警笛の音が聞こえ始めた。
 騒ぎを聞きつけた増援の巡査たちが近づいている。
 逃げるなら今しかない。だが、藤田が道を塞いでいる。

「……」

 藤田は、ふっと殺気を消した。
 刀を、さやに納める。
 パチン、という音が、対峙の終わりを告げた。

「……なるほどな」

 藤田は、路上に転がって呻いている加納鷲雄を一瞥し、そして相馬に向き直った。
 その目に、微かな共感の色が宿っていた。

「副長の名誉を汚す。……それは『悪』だ」

 藤田の口癖だった。
 悪・即・斬。
 その信念は、警官になっても、名前を変えても、決して錆びついてはいなかった。
 法で裁けぬ悪を、この男は許さない。

「行け」

 藤田が、あごで闇の奥をしゃくった。

「え……」

「俺がここに来た時、犯人はすでに逃走していた。……現場には、腕を斬られた加納と、横転した人力車があるだけだ」

 藤田は背を向けた。
 職務放棄だ。だが、それが彼なりの正義の通し方だった。

「だが、勘違いするな。貴様を見逃すわけではない。鈴木の件、警察の手では『手掛かり』が足りん」

「手掛かり?」

「鈴木は狡猾こうかつだ。偽物だという決定的な証拠がなければ、奴は権力を使って揉み消すだろう。……ただ斬れば済む話ではない」

 藤田は、夜空を見上げた。
 そこには、箱館の夜と同じ星が輝いている。

「奴の嘘を暴き、社会的に殺す。……それが、今の世での『士道』だ」

 相馬はハッとした。
 ただ殺すだけでは、土方の名誉は回復しない。
 偽物を偽物だと証明し、鈴木の不正を白日の下に晒さなければ、本当の勝利ではないのだ。
 それは、刀を振るうことよりも難しい戦いだ。

「……道標みちしるべをやる」

 藤田が、独り言のように呟いた。

本所ほんじょに、立川《たちかわ》という米屋がいる」

「立川……主税ちからか」

 箱館で共に土方を埋葬した、あの小姓の立川だ。
 彼もまた、生きていたのか。

「あいつは、あの日……一本木関門で副長が撃たれた瞬間を、一番近くで見ていた。鈴木が言う『後頭部への狙撃』が嘘だと証明できるのは、あいつの記憶だけだ」

 警笛が近づいてくる。
 もう時間がない。

「行け、相馬! 野良犬なら、野良犬らしく泥にまみれて証拠に噛み付いてこい!」

「……恩に着る!」

 相馬は一礼し、闇へと走った。
 振り返ると、瓦斯ガス灯の下に立つ藤田五郎の背中が見えた。
 孤高の狼は、警察という群れの中にいても、決して飼い慣らされてはいなかった。

 相馬は走った。
 心臓が熱い。
 斎藤一――いや、藤田五郎は、俺を信じて逃がした。
 「土方歳三の名誉を守れ」と、無言で託されたのだ。

(立川……)

 相馬は、次の目的地を定めた。
 かつての同志、立川主税。
 あの日、土方の最期を看取り、共に涙を流した男。
 彼なら知っているかもしれない。
 鈴木の嘘を暴く、決定的な「何か」を。

 相馬は隠れ家である長屋へ戻り、血と泥に汚れた車屋の法被を脱ぎ捨てた。
 代わりに、着古した着流しをまとう。
 懐には匕首あいくち。そして心には、新たな使命。

 夜明けが近い。
 煉瓦街の空が、薄紫色に染まり始めている。

 鈴木三樹三郎。加納鷲雄。
 そして、その背後にいるであろう、まだ見ぬ黒幕たち。

「……首を洗って待っていろ」

 相馬は、匕首を畳に突き立てた。

 復讐の夜は明けた。
 次は、真実を暴くための戦いだ。
 死んだはずの男の、長い一日が始まろうとしていた。
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