【完結】碧血の墓標 ――新選組最後の局長、明治の闇を斬る

高杉 優丸

文字の大きさ
29 / 41
第10章 日野の夕陽、兼定の輝き

1話

しおりを挟む
 武州、日野宿ひのじゅく。 甲州街道の要衝であり、多摩の山並みを背負うこの地は、新選組にとっての聖地だ。 近藤勇や土方歳三、井上源三郎らが剣を磨き、夢を語り合った故郷。

 明治十一年、早春。 乾いた北風が、夕陽に染まる街道を吹き抜けていく。 街道沿いの家々は雨戸を閉ざし始め、往来する人の姿もまばらだ。 かつて、ここには熱気があった。 時代を変えようとする若者たちの、むせ返るような熱と、剣戟けんげきの音が響いていた。 だが今は、枯れ草が風に舞う音しかしない。

 新島省吾にいじましょうご――相馬主計そうまかずえは、笠を目深に被り、一軒の屋敷の前に立っていた。 豪壮な長屋門。 『佐藤』の表札。 土方歳三の義兄であり、新選組を物心両面で支え続けた日野宿名主、佐藤彦五郎さとうひこごろうの屋敷である。

 相馬は、門の柱に手を置いた。 冷たい木の感触。 その冷たさが、十年前の記憶を呼び覚ます。

 慶応四年、三月。 鳥羽伏見の敗戦後、江戸へ戻った近藤勇は、「甲陽鎮撫隊こうようちんぶたい」を率いて甲州へ進軍した。 相馬もその隊列の中にいた。 あの日、日野は祭り騒ぎだった。 「近藤先生が帰ってきた」「錦を飾った」と、宿場中の人々が熱狂的に迎えた。 彦五郎は私財を投げ打ち、数百人の兵士たちに酒を振る舞い、握り飯を配った。

 庭先で食べた握り飯の味を、相馬は覚えている。 塩が効いていて、温かかった。 近藤局長は、集まった若者たちに「これからが本番だ」と豪快に笑って見せた。 誰もが信じていた。 新選組は負けない。徳川は終わらないと。

(……夢の跡だ)

 あれから十年。 近藤は板橋で処刑され、土方は箱館で戦死し、新選組は逆賊となった。 あの日の歓声は消え、今はただ、冷たい風が砂埃すなぼこりを巻き上げているだけだ。 栄光も、挫折も、すべては土に還った。

「……ごめんください」

 相馬は声をかけた。 喉が張り付くような緊張があった。 死んだことになっている自分が、ここに来ていいものか。

 重い引き戸が開き、白髪の老僕が出てきた。

「へい、どちら様で……」

「東京から参りました、新島と申す者です。彦五郎様に、折り入ってお話が」

「旦那様は、やまいの床に伏せっておいでです。面会は……」

 老僕は迷惑そうに顔をしかめた。 無理もない。没落した旧家の主を訪ねてくる者など、ろくな用件ではないだろう。

「『歳三としぞうの使いだ』と伝えてください」

 相馬は静かに言った。 老僕の目が丸くなった。 この家において、その名は禁忌であり、同時に聖なる響きを持つ。 老僕は居住まいを正し、慌てて奥へと下がっていった。

 しばらくして、廊下を渡る重い足音が近づいてきた。 玄関に現れたのは、痩せこけた、だが眼光の鋭い老人だった。 佐藤彦五郎。 病み上がりなのか、杖をついているが、その立ち姿には武人の威厳が残っている。

「……お前さんが、トシさんの使いか」

 彦五郎の声はかすれていた。 その目は、不審と期待が入り混じった色で相馬を見ている。

「面を上げろ」

 相馬はゆっくりと笠を取った。 夕陽が、その顔を照らし出す。 無精髭。日焼けした肌。車屋として泥にまみれた歳月。 だが、その骨格と目に宿る光は、あの頃と変わっていない。

 彦五郎が息を呑んだ。 目を見開き、口元をわななかせる。

「お前……」

 彦五郎は、よろめきながら一歩近づいた。 亡霊を見るような目だ。

「見覚えがある……。六年前に、赦免の挨拶に来た……。いや、まさか。……相馬、か?」

 彦五郎の声が震えた。

「だが、相馬主計は……三年前に死んだはずだ。東京の蔵前くらまえで発狂し、腹を切って果てたと……新聞で読んだぞ」

 相馬は土間に手をつき、深々と頭を下げた。

「……ご無沙汰しております、彦五郎様」

 相馬は静かに、しかしはっきりと言った。

「あの折、甲陽鎮撫隊の一員として立ち寄った私ごときに、温かい握り飯を振る舞ってくださったこと……。あの日、庭先で頂いた飯の味、片時も忘れたことはございません」

 その言葉が、彦五郎の記憶の扉をこじ開けた。 十年前の記憶。数百人の若者たち。 その中にいた、ひときわ目の鋭い若者。 そして、六年前に生きて戻ってきた、傷ついた狼のような男。 すべてが繋がり、目の前の「死人」と重なる。

「生き恥を晒して戻って参りました。……すべては、副長の遺言を全うするために」

 彦五郎の目から、涙が溢れ出した。 老人は杖を捨て、相馬の手を取り、その温かさを確かめるように強く握りしめた。

「生きていたか……。よくぞ、生きていてくれた」

 彦五郎の指が、相馬の手に食い込む。

「トシさんも、近藤さんも逝ってしまった。源さんも、総司も……。みんな、わしの前からいなくなってしまった。……若いお前まで死ぬことはないと、ずっと思っていたんだ」

「申し訳ありません。妻にさえ、真実を告げずに……」

「よい。……事情があったのだろう。生きてさえいれば、それでいい」

 彦五郎に招かれ、相馬は屋敷へ上がった。 かつての活気はない。廊下はひっそりと静まり返っている。 相馬は、屋敷の奥にある土蔵へと通された。 分厚い扉の向こう。 冷んやりとした空気の中に、新選組の遺品がひっそりと守られていた。 古びた羽織、鉢金、そして書きつけの数々。 ここは、滅び去った夢の墓場だ。

「相馬よ。……死んだふりをしてまでここへ来たということは、何かあったのだな」

 彦五郎が、行灯あんどんに火を灯しながら問うた。

「はい。……副長の死について、新たな事実が判明しました」

 相馬は、浜松の中島登なかじまのぼりから託された絵図面を広げた。 一本木関門の地形図。そこに記された、味方陣地の不自然な空白。 大鳥圭介による謀殺の可能性を、相馬は淡々と語った。

 彦五郎は、怒りに震えながらそれを聞いていた。 拳が膝の上で握りしめられる。

「大鳥が……。トシさんを、生贄いけにえにしたというのか」

「許せません。……ですが、大鳥は実行犯に過ぎない。奴に指示を出した黒幕がいるはずです」

 相馬は彦五郎の目を見た。

「中島が言っていました。副長は死の直前、市村鉄之助いちむらてつのすけに『何か』を託したはずだと。……遺髪や写真だけではない、もっと重大なものを」

「……鉄之助か」

 彦五郎は寂しげに目を伏せた。

「あの子は、去年の西南戦争で死んだよ。西郷隆盛軍に参加してな。……トシさんの後を追うように、城山しろやまで散ったと聞く」

「知っています。……ですが、あいつはここへ帰ってきたはずです。箱館から脱出したその足で」

「ああ。……確かに来た。ボロボロになってな」

 彦五郎は、蔵の奥にある桐の箱を指差した。

「あの子が持ち帰った、トシさんの愛刀『和泉守兼定いずみのかみかねさだ』。……そして、もう一つ。封印された書状がある」

「書状?」

「鉄之助は言っていた。『これは、いつか時が来たら開けてくれと副長に言われた』とな。……あの子は、中身を見ずに戦場へ散った。中身が何であれ、トシさんの遺志ならば、わしが守らねばならんと思ってな」

 相馬の鼓動が早くなった。 それだ。 土方が命を賭して残した、最後の切り札。 自らを死に追いやった者たちへの、呪いにも似た告発状。

 彦五郎が箱に手をかけようとした、その時だった。

 ワンッ! ワンッ!

 屋敷の表で、飼い犬が激しく吠え立てた。 ただ事ではない鳴き方だ。 誰かが来た。一人や二人ではない。

 キャンッ!

 短い悲鳴と共に、犬の声が途絶えた。 斬られたのだ。

「……!」

 相馬は反射的に立ち上がり、蔵の扉へ向かった。 隙間から外をうかがう。 夕闇に沈む庭に、黒い影がいくつも動いている。 黒装束に鉢金。手には抜き身の刀。 浜松で襲ってきた連中と同じ、手練れの刺客たちだ。

(早すぎる……)

 相馬は舌打ちをした。 奴らは、相馬がここへ来ることを予測し、先回りして網を張っていたのだ。 ここには、土方の遺品という「証拠」がある。 それを消しに来たのだ。

「彦五郎様、下がってください」

 相馬は懐の匕首あいくちを抜いた。 いや、この数相手に匕首では心許ない。 相手は十人以上いる。

「相馬。……使いなさい」

 彦五郎が、桐の箱を開けた。 中から取り出したのは、一振りの打刀。 黒塗りの鞘。 鳳凰ほうおうの彫金。 あの日、箱館の戦場で土方が振るっていた愛刀。

「兼定……」

「トシさんも、お前に使われるなら本望だろう。……この家を、守ってくれ」

 相馬は震える手で刀を受け取った。 ずしりと重い。 だが、不思議と手に馴染む。 つかに染み込んだ汗と血の記憶が、相馬の魂と共鳴するようだった。

「お借りします!」

 相馬は蔵を飛び出した。 庭には、すでに殺気が満ちている。

「……出たな、相馬主計」

 先頭の男が、低い声で言った。

「浜松のネズミから報告があったぞ。……ここが貴様の墓場だ」

「墓場になるのは、貴様らの方だ」

 相馬は兼定を抜いた。 刀身が、夕陽を浴びて赤く輝く。 その輝きは、かつて京の夜を震え上がらせた「誠」の色だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

狐侍こんこんちき

月芝
歴史・時代
母は出戻り幽霊。居候はしゃべる猫。 父は何の因果か輪廻の輪からはずされて、地獄の官吏についている。 そんな九坂家は由緒正しいおんぼろ道場を営んでいるが、 門弟なんぞはひとりもいやしない。 寄りつくのはもっぱら妙ちきりんな連中ばかり。 かような家を継いでしまった藤士郎は、狐面にていつも背を丸めている青瓢箪。 のんびりした性格にて、覇気に乏しく、およそ武士らしくない。 おかげでせっかくの剣の腕も宝の持ち腐れ。 もっぱら魚をさばいたり、薪を割るのに役立っているが、そんな暮らしも案外悪くない。 けれどもある日のこと。 自宅兼道場の前にて倒れている子どもを拾ったことから、奇妙な縁が動きだす。 脇差しの付喪神を助けたことから、世にも奇妙な仇討ち騒動に関わることになった藤士郎。 こんこんちきちき、こんちきちん。 家内安全、無病息災、心願成就にて妖縁奇縁が来来。 巻き起こる騒動の数々。 これを解決するために奔走する狐侍の奇々怪々なお江戸物語。

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

処理中です...