【完結】碧血の墓標 ――新選組最後の局長、明治の闇を斬る

高杉 優丸

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第11章 板橋の誓い、北の狼

2話

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「……相馬か?」

 永倉新八ながくらしんぱちの声が、夜気に溶けた。
 切っ先が下がる。
 相馬もまた、兼定を引いた。
 張り詰めていた殺気が霧散し、代わりに、言葉にならぬ重苦しい熱が二人の間を満たしていく。

「……ご無沙汰しております、二番組組長」

 相馬が頭を下げた。
 その声は震えていた。
 安堵ではない。かつて背中を追った「最強の男」が、変わらぬ強さでそこにいてくれたことへの、魂の震えだった。

「よしてくれ。組長なんざ、十年前に捨てた肩書きだ」

 永倉は深編笠ふかあみがさを取り、乱暴に頭をかいた。
 白髪が増えている。
 だが、その顔に刻まれたしわは、北海道の厳しい風雪に耐え抜いた年輪のように深く、男の渋みを増していた。

「それにしても、驚いたぜ。……まさか、てめえが生きてるとはな」

 永倉の視線が、廃屋の陰に向けられた。

「そこにいるデカいのも、幽霊じゃねえんだろうな」

「……幽霊なら、もっと足音が軽いでしょうな」

 島田魁しまだかいが、苦笑しながら歩み出た。
 巨体が、月明かりの下に姿を現す。

「島田……。お前までいんのか」

 永倉が呆れたように吐息した。

「なんなんだ、今日は。……近藤さんの墓参りに来たつもりが、新選組の同窓会になっちまった」

「死に損ないが集まっただけですよ」

 島田が言った。

「違げえねえ」

 永倉はニヤリと笑った。
 昔と変わらない、悪戯いたずらっぽく、それでいて頼りがいのある「ガムシン」の笑みだった。

「飲むか」

 永倉は腰から竹筒を外し、二人に投げた。
 中身は酒だ。
 相馬は一口あおった。
 強い。喉が焼けるような、安酒の味。だが、五臓六腑ごぞうろっぷに染み渡る。

「……美味いです」

「だろうよ。北の酒だ」

 三人は、近藤勇の墓石を囲んで座り込んだ。
 墓前にも酒を撒く。
 石が濡れ、月の光を反射して黒く光った。

「……近藤さん」

 永倉が墓石を撫でた。

「賑やかになって良かったな。……あの世でトシさんと喧嘩してる頃かと思ったが、どうやらトシさんはまだ、こっち側(現世)に未練を残してるらしい」

 永倉の目が、相馬の腰に吸い寄せられた。
 黒塗りの鞘。
 梅の透かし彫りのつば

「……兼定か」

 永倉の声が低くなった。

「はい」

 相馬は刀を外し、両手で差し出した。

「彦五郎様から、託されました」

 永倉は、無言で刀を受け取った。
 ずしり、と手が沈む。
 つかを握る。
 鯉口を切り、少しだけ刃を覗かせた。
 冷たく、青白い輝き。
 そこには、無数の傷と、手入れされた油の匂いがあった。

「……重てえな」

 永倉が呟いた。
 それは物理的な重量のことではなかった。

「あいつは……トシさんは、最後までこれを振るっていたのか」

「はい。……一本木関門で、最期の瞬間まで」

「そうか」

 永倉は、刃を見つめたまま動かなかった。
 その脳裏には、試衛館時代からの喧嘩の日々、京での栄光と粛清、そしてたもとを分かったあの日のことが去来しているのだろう。

「頑固な野郎だ。……意地張って、痩せ我慢して、全部一人で背負い込んで死にやがった」

 永倉の声が微かに震えた。
 罵倒ではない。
 それは、誰よりも土方歳三という男を理解し、認めていた者だけが言える、鎮魂の言葉だった。

「相馬」

 永倉が刀を鞘に納め、突き返した。

「持っておけ。……トシさんも、俺なんかに握られるより、お前みたいな馬鹿真面目な男に使われた方が本望だろうよ」

「……はい」

 相馬は兼定を受け取り、再び腰に帯びた。
 腹の底に、鉄の芯が入った気がした。

「永倉さん」

 相馬は居住まいを正した。

「彦五郎様から、手紙を見せていただきました」

「ああ。……爺さん、お前に見せたか」

「『板橋の墓前で奴を斬る誓いを立てる』と。……それで、俺たちはここへ来ました」

「俺は新聞で、鈴木の野郎が悪ふざけをしていると知った。……土方の首だと? ふざけるにも程がある。あの世の近藤さんに詫びさせるために、奴の首をここに供えてやるつもりだった」

 永倉の目に、狂犬のような光が宿る。
 だが、相馬は静かに首を横に振った。

「鈴木だけじゃありません」

「あ?」

「奴はただの尻尾です。……俺たちが本当に倒すべき敵は、もっと奥にいます」

 相馬は懐から、証拠の品々を取り出した。
 中島登が描いた絵図面。
 市村鉄之助が持ち帰った密書。
 そして、島田魁が奪取した裏帳簿。

 永倉は、怪訝けげんそうにそれらを受け取り、目を通した。
 読み進めるにつれ、永倉の表情が変わっていく。
 驚き、呆れ、そして激しい憤怒へ。

「……なんだ、これは」

 永倉の声が低く唸る。

「トシさんが……味方に売られただと?」

「はい。……実行犯は大鳥圭介おおとりけいすけ。黒幕は永井尚志ながいなおゆきです」

 相馬は淡々と、だが熱を込めて語った。
 土方の死の真相。
 そして、鈴木三樹三郎が偽物の首を使って歴史を捏造し、自分たちの保身を図っていること。

 永倉は、黙って聞いていた。
 相馬の話が進むにつれ、永倉の周囲の空気が、ピリピリと音を立てて張り詰めていく。
 島田でさえ、息を呑んで身じろぎするほどの殺気。
 永倉の手の中で、枯れ枝が粉々に砕け散った。

「……なるほどな」

 すべてを聞き終えた永倉が、静かに言った。
 その静けさが、かえって恐ろしかった。

「つまり、あいつらは……トシさんを売った金で出世し、今度はトシさんの名誉を売って小銭を稼ごうってわけか」

 永倉が立ち上がった。
 その姿が、夜の闇の中で一回り大きく見えた。

「相馬。場所はどこだ」

「明日の夜。……上野、精養軒せいようけんです」

「上野か。……あそこなら、死体を積み上げるには丁度いい」

 永倉の手が、愛刀の柄にかかった。
 殺す気だ。
 大鳥も、永井も、鈴木も。全員、肉塊に変えるつもりだ。

「待ってください、永倉さん」

 相馬が声をかけた。

「あ?」

 永倉が振り返る。その目は、人を斬る前の色をしていた。

「俺たちがやるのは、殺戮さつりくじゃありません」

「何だと?」

「殺すのは簡単です。……ですが、それでは奴らは『暴徒に襲われた被害者』として死ぬことになる。歴史は変わりません」

 相馬は、永倉の目を真っ直ぐに見据えた。

「奴らを社会的に殺すんです。衆人環視の中で、その罪を暴き、地位も名誉も剥ぎ取って……生きたまま地獄を見せる。それが、俺たちの復讐です」

「……甘ぇな」

 永倉が鼻で笑った。

「そんなまどろっこしい真似ができるか。……悪党は斬る。それが俺の、新選組のやり方だ」

「斬れば、副長の名誉は戻りますか」

 相馬が問うた。
 永倉の眉が動く。

「ただの人斬りになれば、俺たちは逆賊のままです。……副長の『誠』を証明するには、奴らの『嘘』を白日の下に晒さなきゃならない」

 相馬は一歩、永倉に近づいた。

「俺だって、今すぐにでも奴らの喉笛を食いちぎりたい。……ですが、それでは副長が浮かばれない。死よりも重い罰を、奴らに与えるべきです」

 永倉は、じっと相馬を見ていた。
 値踏みするような、冷たい目。
 やがて、永倉はフンと息を吐いた。

「……嫌な男になったな、相馬」

「え?」

「昔のお前なら、泣きながら刀を振り回していただろうよ。……だが今は、もっと冷たくて、えげつない目をしていやがる」

 永倉はニヤリと笑った。

「いいだろう。……殺すよりも辛い生き地獄を、奴らに味わわせてやるってことだな?」

「……はい」

「気に入った。……乗ってやるよ、その作戦」

 永倉は嬉しそうに相馬の肩を叩いた。
 その手には、強い力がこもっていた。

 三人の男たちが、夜空を見上げた。
 雲が切れ、月が顔を出す。
 その光は、冷たく冴え渡っていた。
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