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第一章 学院編
第36話 テイムドイーター①
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「おっとっとぉ! 壮観、壮観」
突如として響く、くぐもった声。
ハーティは校門に、イルは校舎の玄関前にいたが、声の方へと振り返った結果、二人が互いに顔を見合わせる形となった。
ハーティとイルはとっさに辺りを見まわして敵を警戒するが、その敵の姿が見えない。
「ハーティ、気をつけて。透明化する魔法かもしれない」
イルはそう言って自分の周囲で鋭い風の刃を周回させた。
「今夜は餌に困らないなぁ。僥倖、僥倖」
突如、グラウンドが盛り上がった。
地面を割り、土を跳ねのけて地下から姿を現したのは、芋虫のような巨大なイーターだった。黄色い体を無数のイボが覆っている。見た目からぶよぶよしていて、触れたら破裂して体液を撒き散らしそうだ。
「こ、こいつは!」
ハーティはこのイーターに見覚えがあるらしい。
そのイーターが口を開き、中からヒョロッとした男が出てきた。鼠色の防水コートを全身にまとい、ベトベトの粘液を引きずっている。さっきから喋っていたのはこの男のようだ。
音を遮るものがなくなり、よく通るテノールの声が大声で笑った。
「キムシー、ちっと早いが晩御飯だ。好きなだけ食え。こいつらが目を覚まさないうちにたくさん食っておけ」
男はイーターをキムシーと呼んだ。ネームドイーターなのだろうか。いや、きっと男が勝手に名前をつけたのだろう。もしかして、それもネームドイーターに含まれるのだろうか。
そんなことよりも、特筆すべきは男がイーターを手名づけていることだ。俺以外にそんな奴がいるとは。しかも相手は意思疎通なんて不可能そうな巨大なバケモノだ。
いったい何者だろう。学園生ではなさそうだが、学園外の人間だろうか。
「させない。イル、攻撃するわよ! イーターが捕食によって強さを増すと厄介だわ」
ハーティがキムシーに向かって手をかざす。キムシーの周囲の空気を熱している。
「わっわっわっ! 暑い、暑い。キムシー、匿ってくれ」
男はキムシーの口の中に飛び込んだ。
キムシーは男を気に留めず、気を失って横たわっているローグ学園生の元へと這い進む。
円形の口にグルリと隙間なく生えた牙が、ウネウネとせわしなく動いている。
そして、その巨躯をうねらせて少年にかぶりついた。ひと呑みだ。
さっき見えた牙はおそらく、獲物を噛むためではなく、口内へと送り込むためのものだろう。イーターの中から苦痛に満ちた悲鳴がもれ出てくる。
「熱が効いてない?」
いや、そんなことはない。キムシーの体がだんだんと赤味を帯びてきた。
イボの一つがぷっくりと盛り上がり、その中からニョキッと何かが生え出てきた。
さっき捕食された学園生だ。学園生の上半身が裸体でイボから突き出している。全身に重度の火傷を負ったように、皮膚がドロドロに溶けている。
「な、何あれ、気持ちわるぅ!」
キムシーの赤いボディーが黄色を取り戻していき、一つのイボに赤が集約されていく。そのイボは学園生が生えているイボだ。
「アツイィ、アツイィ……ア……アァ……」
溶けただれた少年が自分の喉をかきむしる。喉から血が飛び散る。そして、その上半身とイボが瞬間的に膨張する。
パァアァンッ――。
風船が割れたような盛大な破裂音が鳴り響いた。そしてキムシーの体液が周囲に飛び散った。緑と紫のマーブルで毒々しさはいかにもだった。
「きゃっ!」
ハーティの服にも数滴ふりかかった。
湯気を立てながらジュウと香ばしそうな音がする。
「かかったのかい、お譲ちゃん。キムシーの体液はねぇ、衣類を溶かしちゃうんだよぉ。ま、当然、皮膚も溶かしちゃうけどねぇ」
「え、うそっ!」
ハーティは慌てて上着を脱ぎ捨てた。キムシーの体液は地面にうち捨てられたブレザーの上で湯気を上げつづけている。
「イル、あなたは大丈夫だった? イル? ねえ、イル?」
イルの返事がない。
さっきハーティが声をかけたときも攻撃に加わらなかった。
何事だろう。
ハーティはイーターを迂回しつつイルの元へと駆け寄った。
「ねえ、イル、どうしたの?」
イルは怯えていた。怯えて震えていた。
呆然と立ち尽くしている。
ハーティがイルの肩に手を置いたとき、絶望の色に染まったイルの瞳がハーティを捉えた。
イルは黙って指を差した。
イルが指差したのはキムシーだが、よくよく見てみると、その指はキムシーというよりは一つのイボを指していた。
「え……あれは……」
イボには顔が生えていた。
さっきの学園生みたく人間の顔が生えていた。
キムシーの体液で溶けただれていたが、その顔が女のものだということは分かった。
「イルゥ、イルゥウゥ、ヨクモォ、ミゴロシィ……」
イボから顔がせり出し、溶けただれた少女の上半身があらわになった。
皮膚のない少女の顔はずっとイルを凝視しつづけている。
「あれって、アイツなの……」
イルと因縁が深く、ハーティにも然りのその相手。
芋虫のようなイーターに食われた少女。
それはかつて、イルに対して常軌を逸したいじめを繰り返していた女だった。
彼女のことは二人が殺したようなものだ。
「あ……ああ……」
特にハーティには刺さるものがあるはずだ。自分が殺した相手に、その事実を責められるのだから。
だが、ハーティ以上にイルの精神状態が重篤だった。
イルにとって、その女の顔は恐怖の象徴なのだ。非力で無力だった当時のイルは、なすすべなく虐げられるしかなかった。
その記憶が蘇っているのか、頭を抱えて打ち震えている。
そんなイルを駆け寄ってきたハーティが抱きしめる。
しかし彼女もまた震えていた。
それではイルを勇気づけることなどできない。いや、そもそもハーティは何かにしがみつきたくてそうしただけかもしれない。
結局、二人してその場にペタリと座り込んだ。
「あたしはイルを救っただけ。あたしは悪くない。先にイルを殺そうとしたのは、あなたのほうでしょ!」
「ヒト……ゴロシィ……」
イボの少女の顔は表情など分からぬほど腐っているが、それでもそこに宿る憎悪は、そうと判別がつくほどのものだった。
生きたまま溶かされる苦しい死に様を与えた仇を眼前に、ひどい憎悪を抱いた末、その一つのイボが黒いオーラを宿した。
「うっ、もしかして、まだ生きているの……?」
分からない。キムシーが餌の記憶を保存してイボに出力しているのか、少女がいまだ生きていて溶かされつづけているのか、判別はつかない。
「タス……ケ……テ……」
イボに生える少女が、ハーティに向かって手を伸ばした。キムシーとの距離は離れているため、その手が届くわけはない。
しかし、形のない何かはハーティに届いたようだ。
上空から見下ろすだけの俺には推測することしかできないが、良心の呵責、そして後悔、そういった感情が恐怖と絶望の上からさらなる重石としてのしかかっているだろう。
「い、いやぁあああああ!」
ハーティは顔を蒼く染めて倒れた。イルを包む腕が解け、滑り落ちる。
それでもイルは動かなかった。膝を抱え込んで、膝に顔を埋め、耳を手で塞いでいる。
「キムシー、あっち。あっちのほうがいいぞ。意識があるのに動かない人間がいる。これは久しぶりに踊り食いができそうだぞ」
キムシーの口の中から響く声に反応して、キムシーが体を捻る。
狙いはイルだ。動かないイルを、生きて意識があるまま食おうというのだ。
「エスト」
「ああ、分かっている」
キムシーの前進が止まった。透明な壁にぶつかったのだ。
その衝撃に驚いたのか、中から男が這い出てきた。
「どうした、どうした? キムシー、どうした?」
男がキムシーを誘導しようと前に歩み出る。すると透明な壁にぶつかり、ようやく状況が理解できたらしい。
「どこだぁ? そこかぁ?」
男がキョロキョロと前後左右を三往復くらい確認してやっと上空に目を向けた。
俺はイルたちの前に降り立った。
「よお、イル。おまえ、俺以上にあの女が怖いのか? ちょっとジェラシーだな」
イルは答えなかった。あるいは無言の返事をした。顔を上げることもない。
「ほうほう、おまえさんがゲス・エストだな?」
俺は振り返り、粘液まみれの男を正面から見た。
上空からはフードで見えなかったが、男は仮面をつけている。
「なぜ俺の名を知っている? ティーチェから聞いたか? おまえ、マジックイーターだな?」
「こう見えても俺ってば、このローグ学園の教諭なんだよねぇ。担当科目は栄養学。好き嫌いせずに食べましょうってねぇ」
会話が噛み合っていない。
これはただ質問の回答をはぐらかされただけだろうか。
「教諭ってことは、おまえ、魔術師か? 自分の学校の生徒をイーターの餌にするなんて、さすがの俺でもまったく理解できねえよ」
「目の前に餌があるんだよなぁ。生命っつうのはな、生きるために食事をとるもんだからなぁ」
「思ってねえだろ、そんなこと。おまえ、生きた人間をイーターに食べさせるのが面白いだけなんだろ?」
「そうだと言ったら?」
仮面をつけていて男の表情は見えないが、スタッカートを効かせた声のトーンからしてドヤ顔をしていることは想像に難くない。
そう思い至ると、何がなんでもその表情を歪ませてやりたくなる。
「あー、はいはい。それね。『そうだ』と言いきったら事態が悪転するかもしれないと思って、『そうだと言ったら?』と仮定的な質問で相手の反応を見ようという魂胆のやつね。でも残念。その卑怯な質問をすると、俺の執行スイッチが入っちまうんだよ。おまえ、極刑な。どんな言いつくろいをしても、もう手遅れだぜ」
俺は風の刃を男の周囲に走らせた。
男を覆う防水コートに無数の切創が生じ、仮面がパカリと垂直な向きに割れた。
トドメに強めの風を送ってやると、コートも塵となって消えた。
「しまったぁ。しまったなぁ。痛恨、痛恨。安易に外に出てくるべきじゃなかったなぁ」
「おまえ、キムシーの中にいたら安全だったとでも思ってんの? 俺がキムシーに勝てないとでも?」
「そうだとも。そうでないとでも? だったら、見せてみな。証明してみせな」
こいつ、先にキムシーを攻撃させて少しでも自分の延命を図ろうとしているようだ。
「証明するとか、見返してやるとか、俺はそういうことはしないタチでね。だって俺は、おまえなんかの影響はまったく受けねーもん。キムシーは始末するが、おまえが先にくたばれ」
俺はキムシーの顔に風の刃を走らせた。ブシュウと鈍い音を立てて体液が飛び散る。
「ぎゃっ、危急、危急! 危殆、危殆! 危難、危難! 窮地、窮地! 九死、九死! 万事、休す! ぎゃぁああああああああ!」
キムシーの体液が男に降りかかり、男が悶えのたうちまわった。
「やっぱりな。おまえ、キムシーの中に潜っていたから、いかにも耐性がありますって感じを醸し出していたけど、そんだけ防水具で身を固めていたら本当はキムシーの毒が効くってことが見え見えだぜ」
「毒じゃねぇ! 酸だ! くそっ、こうなったらキムシー! 俺を食え!」
キムシーの巨大な口が男に覆いかぶさった。
命令されるまでキムシーが男を食わなかったところを見ると、キムシーは完全に男に手名づけられていたと見える。
男の魔術の力だろうか。イーターに魔術は効かないはずだが。
結局、男の魔術がどういった能力なのかは分からなかった。
突如として響く、くぐもった声。
ハーティは校門に、イルは校舎の玄関前にいたが、声の方へと振り返った結果、二人が互いに顔を見合わせる形となった。
ハーティとイルはとっさに辺りを見まわして敵を警戒するが、その敵の姿が見えない。
「ハーティ、気をつけて。透明化する魔法かもしれない」
イルはそう言って自分の周囲で鋭い風の刃を周回させた。
「今夜は餌に困らないなぁ。僥倖、僥倖」
突如、グラウンドが盛り上がった。
地面を割り、土を跳ねのけて地下から姿を現したのは、芋虫のような巨大なイーターだった。黄色い体を無数のイボが覆っている。見た目からぶよぶよしていて、触れたら破裂して体液を撒き散らしそうだ。
「こ、こいつは!」
ハーティはこのイーターに見覚えがあるらしい。
そのイーターが口を開き、中からヒョロッとした男が出てきた。鼠色の防水コートを全身にまとい、ベトベトの粘液を引きずっている。さっきから喋っていたのはこの男のようだ。
音を遮るものがなくなり、よく通るテノールの声が大声で笑った。
「キムシー、ちっと早いが晩御飯だ。好きなだけ食え。こいつらが目を覚まさないうちにたくさん食っておけ」
男はイーターをキムシーと呼んだ。ネームドイーターなのだろうか。いや、きっと男が勝手に名前をつけたのだろう。もしかして、それもネームドイーターに含まれるのだろうか。
そんなことよりも、特筆すべきは男がイーターを手名づけていることだ。俺以外にそんな奴がいるとは。しかも相手は意思疎通なんて不可能そうな巨大なバケモノだ。
いったい何者だろう。学園生ではなさそうだが、学園外の人間だろうか。
「させない。イル、攻撃するわよ! イーターが捕食によって強さを増すと厄介だわ」
ハーティがキムシーに向かって手をかざす。キムシーの周囲の空気を熱している。
「わっわっわっ! 暑い、暑い。キムシー、匿ってくれ」
男はキムシーの口の中に飛び込んだ。
キムシーは男を気に留めず、気を失って横たわっているローグ学園生の元へと這い進む。
円形の口にグルリと隙間なく生えた牙が、ウネウネとせわしなく動いている。
そして、その巨躯をうねらせて少年にかぶりついた。ひと呑みだ。
さっき見えた牙はおそらく、獲物を噛むためではなく、口内へと送り込むためのものだろう。イーターの中から苦痛に満ちた悲鳴がもれ出てくる。
「熱が効いてない?」
いや、そんなことはない。キムシーの体がだんだんと赤味を帯びてきた。
イボの一つがぷっくりと盛り上がり、その中からニョキッと何かが生え出てきた。
さっき捕食された学園生だ。学園生の上半身が裸体でイボから突き出している。全身に重度の火傷を負ったように、皮膚がドロドロに溶けている。
「な、何あれ、気持ちわるぅ!」
キムシーの赤いボディーが黄色を取り戻していき、一つのイボに赤が集約されていく。そのイボは学園生が生えているイボだ。
「アツイィ、アツイィ……ア……アァ……」
溶けただれた少年が自分の喉をかきむしる。喉から血が飛び散る。そして、その上半身とイボが瞬間的に膨張する。
パァアァンッ――。
風船が割れたような盛大な破裂音が鳴り響いた。そしてキムシーの体液が周囲に飛び散った。緑と紫のマーブルで毒々しさはいかにもだった。
「きゃっ!」
ハーティの服にも数滴ふりかかった。
湯気を立てながらジュウと香ばしそうな音がする。
「かかったのかい、お譲ちゃん。キムシーの体液はねぇ、衣類を溶かしちゃうんだよぉ。ま、当然、皮膚も溶かしちゃうけどねぇ」
「え、うそっ!」
ハーティは慌てて上着を脱ぎ捨てた。キムシーの体液は地面にうち捨てられたブレザーの上で湯気を上げつづけている。
「イル、あなたは大丈夫だった? イル? ねえ、イル?」
イルの返事がない。
さっきハーティが声をかけたときも攻撃に加わらなかった。
何事だろう。
ハーティはイーターを迂回しつつイルの元へと駆け寄った。
「ねえ、イル、どうしたの?」
イルは怯えていた。怯えて震えていた。
呆然と立ち尽くしている。
ハーティがイルの肩に手を置いたとき、絶望の色に染まったイルの瞳がハーティを捉えた。
イルは黙って指を差した。
イルが指差したのはキムシーだが、よくよく見てみると、その指はキムシーというよりは一つのイボを指していた。
「え……あれは……」
イボには顔が生えていた。
さっきの学園生みたく人間の顔が生えていた。
キムシーの体液で溶けただれていたが、その顔が女のものだということは分かった。
「イルゥ、イルゥウゥ、ヨクモォ、ミゴロシィ……」
イボから顔がせり出し、溶けただれた少女の上半身があらわになった。
皮膚のない少女の顔はずっとイルを凝視しつづけている。
「あれって、アイツなの……」
イルと因縁が深く、ハーティにも然りのその相手。
芋虫のようなイーターに食われた少女。
それはかつて、イルに対して常軌を逸したいじめを繰り返していた女だった。
彼女のことは二人が殺したようなものだ。
「あ……ああ……」
特にハーティには刺さるものがあるはずだ。自分が殺した相手に、その事実を責められるのだから。
だが、ハーティ以上にイルの精神状態が重篤だった。
イルにとって、その女の顔は恐怖の象徴なのだ。非力で無力だった当時のイルは、なすすべなく虐げられるしかなかった。
その記憶が蘇っているのか、頭を抱えて打ち震えている。
そんなイルを駆け寄ってきたハーティが抱きしめる。
しかし彼女もまた震えていた。
それではイルを勇気づけることなどできない。いや、そもそもハーティは何かにしがみつきたくてそうしただけかもしれない。
結局、二人してその場にペタリと座り込んだ。
「あたしはイルを救っただけ。あたしは悪くない。先にイルを殺そうとしたのは、あなたのほうでしょ!」
「ヒト……ゴロシィ……」
イボの少女の顔は表情など分からぬほど腐っているが、それでもそこに宿る憎悪は、そうと判別がつくほどのものだった。
生きたまま溶かされる苦しい死に様を与えた仇を眼前に、ひどい憎悪を抱いた末、その一つのイボが黒いオーラを宿した。
「うっ、もしかして、まだ生きているの……?」
分からない。キムシーが餌の記憶を保存してイボに出力しているのか、少女がいまだ生きていて溶かされつづけているのか、判別はつかない。
「タス……ケ……テ……」
イボに生える少女が、ハーティに向かって手を伸ばした。キムシーとの距離は離れているため、その手が届くわけはない。
しかし、形のない何かはハーティに届いたようだ。
上空から見下ろすだけの俺には推測することしかできないが、良心の呵責、そして後悔、そういった感情が恐怖と絶望の上からさらなる重石としてのしかかっているだろう。
「い、いやぁあああああ!」
ハーティは顔を蒼く染めて倒れた。イルを包む腕が解け、滑り落ちる。
それでもイルは動かなかった。膝を抱え込んで、膝に顔を埋め、耳を手で塞いでいる。
「キムシー、あっち。あっちのほうがいいぞ。意識があるのに動かない人間がいる。これは久しぶりに踊り食いができそうだぞ」
キムシーの口の中から響く声に反応して、キムシーが体を捻る。
狙いはイルだ。動かないイルを、生きて意識があるまま食おうというのだ。
「エスト」
「ああ、分かっている」
キムシーの前進が止まった。透明な壁にぶつかったのだ。
その衝撃に驚いたのか、中から男が這い出てきた。
「どうした、どうした? キムシー、どうした?」
男がキムシーを誘導しようと前に歩み出る。すると透明な壁にぶつかり、ようやく状況が理解できたらしい。
「どこだぁ? そこかぁ?」
男がキョロキョロと前後左右を三往復くらい確認してやっと上空に目を向けた。
俺はイルたちの前に降り立った。
「よお、イル。おまえ、俺以上にあの女が怖いのか? ちょっとジェラシーだな」
イルは答えなかった。あるいは無言の返事をした。顔を上げることもない。
「ほうほう、おまえさんがゲス・エストだな?」
俺は振り返り、粘液まみれの男を正面から見た。
上空からはフードで見えなかったが、男は仮面をつけている。
「なぜ俺の名を知っている? ティーチェから聞いたか? おまえ、マジックイーターだな?」
「こう見えても俺ってば、このローグ学園の教諭なんだよねぇ。担当科目は栄養学。好き嫌いせずに食べましょうってねぇ」
会話が噛み合っていない。
これはただ質問の回答をはぐらかされただけだろうか。
「教諭ってことは、おまえ、魔術師か? 自分の学校の生徒をイーターの餌にするなんて、さすがの俺でもまったく理解できねえよ」
「目の前に餌があるんだよなぁ。生命っつうのはな、生きるために食事をとるもんだからなぁ」
「思ってねえだろ、そんなこと。おまえ、生きた人間をイーターに食べさせるのが面白いだけなんだろ?」
「そうだと言ったら?」
仮面をつけていて男の表情は見えないが、スタッカートを効かせた声のトーンからしてドヤ顔をしていることは想像に難くない。
そう思い至ると、何がなんでもその表情を歪ませてやりたくなる。
「あー、はいはい。それね。『そうだ』と言いきったら事態が悪転するかもしれないと思って、『そうだと言ったら?』と仮定的な質問で相手の反応を見ようという魂胆のやつね。でも残念。その卑怯な質問をすると、俺の執行スイッチが入っちまうんだよ。おまえ、極刑な。どんな言いつくろいをしても、もう手遅れだぜ」
俺は風の刃を男の周囲に走らせた。
男を覆う防水コートに無数の切創が生じ、仮面がパカリと垂直な向きに割れた。
トドメに強めの風を送ってやると、コートも塵となって消えた。
「しまったぁ。しまったなぁ。痛恨、痛恨。安易に外に出てくるべきじゃなかったなぁ」
「おまえ、キムシーの中にいたら安全だったとでも思ってんの? 俺がキムシーに勝てないとでも?」
「そうだとも。そうでないとでも? だったら、見せてみな。証明してみせな」
こいつ、先にキムシーを攻撃させて少しでも自分の延命を図ろうとしているようだ。
「証明するとか、見返してやるとか、俺はそういうことはしないタチでね。だって俺は、おまえなんかの影響はまったく受けねーもん。キムシーは始末するが、おまえが先にくたばれ」
俺はキムシーの顔に風の刃を走らせた。ブシュウと鈍い音を立てて体液が飛び散る。
「ぎゃっ、危急、危急! 危殆、危殆! 危難、危難! 窮地、窮地! 九死、九死! 万事、休す! ぎゃぁああああああああ!」
キムシーの体液が男に降りかかり、男が悶えのたうちまわった。
「やっぱりな。おまえ、キムシーの中に潜っていたから、いかにも耐性がありますって感じを醸し出していたけど、そんだけ防水具で身を固めていたら本当はキムシーの毒が効くってことが見え見えだぜ」
「毒じゃねぇ! 酸だ! くそっ、こうなったらキムシー! 俺を食え!」
キムシーの巨大な口が男に覆いかぶさった。
命令されるまでキムシーが男を食わなかったところを見ると、キムシーは完全に男に手名づけられていたと見える。
男の魔術の力だろうか。イーターに魔術は効かないはずだが。
結局、男の魔術がどういった能力なのかは分からなかった。
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