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最終章 狂酔編
第274話 カケラ戦‐悪夢への誘引
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まるで時が止まったように、十秒ほど誰も動かず喋りもしなかった。
機工巨人の両手は確実にカケラを捉えていたし、現に周囲を見渡してもカケラの姿はない。
神器である機工巨人の手の形は力ずくで変形させることもできない。
カケラは間違いなく巨人の手にペシャンコにされた。
ここにいる総勢二十五名、しだいにザワつきはじめ、いままさに歓声があがろうとしたそのときだった。
サーッと風が吹き、合掌したままの巨人の両手の隙間から紅い煙が舞い出でてきて空気中を漂いはじめる。
その紅い煙は一度拡散するが、一箇所に集まりはじめてだんだんと人の形をなしていき、そして完全に人の姿へと変貌した。
紅いドレス、紅い靴、紅い爪、紅い髪、紅い目、白い肌の幼い少女。
紛れもなく紅い狂気・カケラだ。
このとき、俺たちは皆が顔を絶望に染めた。
一瞬でも勝利を期待しただけに、精神的ダメージは計り知れない。
「あっははははは! だから無駄だと言ったでしょう?」
カケラが少し前にその言葉を先出ししたのは、いまこのときに俺の絶望を煽るためだったのだろう。
「なんだこれ……。どうあがいても倒せないじゃないか……」
俺は頭が真っ白になり、どうすればいいのか分からなくなった。
打開策が何も思いつかない。
カケラに……勝てない。
「エスト、危ない!」
エアが俺の正面にワープしてきて、体重を込めて俺を突き飛ばした。
その直後、光がエアの頭を左から右へと貫いた。
光線は紅い狂気の指先から放たれたものだった。
「エア……?」
エアは何も言わない。何も言わず、その場に倒れた。
俺はすぐさまエアをすくい上げる。
彼女にいっさいの動きはない。背中を支える俺の手の横からエアの腕が垂れている。瞳孔の開いた両目が閉じられることもない。
光線が彼女の脳を焼いて即死させてしまったのだ。
「エアッ、エアァァァァッ!!」
俺はハッとして急ぎ天使のミトンを取り出す。まだエアに対しては使っていなかったはずだ。
皆が息を呑み見守る中、天使のミトンでエアの額を五度撫でた。そしてエアの顔を見つめる。
「エア? エア……? おい、返事をしろ! エアッ!!」
反応がない。
天使のミトンは死者を蘇らせることはできない。あくまで生者の肉体を回復させる神器であり、それ以上の効果はない。
「なんでだよ、カケラ!! 校長先生を消したとき、もう誰も死なせない、逃がさないみたいなこと言っていたじゃないか!」
「何を言っているの? この私が嘘をつかないとでも思っていたの? あなたにはこの私が誠実な人間にでも見えているの? あっははははは。馬鹿なの? 愚かにも程があるでしょう」
俺のせいでエアが死んだ。俺をかばって。
いや、これもきっとカケラの俺への精神攻撃なのだ。エアが俺をかばうことを分かっていて、エアを殺すために俺を攻撃した。
だがエアが死んだのは事実。俺にはどんな精神攻撃も効かないが、これだけは例外だ。
俺はこの世界を救う目的を失った。
もちろん、守るべき人たちはほかにもたくさんいる。世界王となって全世界の人間とつながりを持ったのもそのためだ。
しかし、俺にとって最も大切なエアを失ったいま、地獄の苦しみを味わいながら狂気と戦うなんて、俺にはできそうもない。
「エアなら魔法で俺をかばえた。身を挺す必要はなかった。それをやったってことは、おまえがエアの思考を操ってかばわせたんだ。俺の精神を追い詰めるために」
それはささやかな抵抗だった。
この推論に自信はある。きっと事実だろう。
俺はもはやその細い一本の糸にすがることでしか自分を保つことができなかった。
そして、すべてを理解しているカケラは、俺が希望と思い込むただの言い訳に対し、その回答をドミノ倒しがゴールに向かうように流麗に奏でるのである。
「ねえ、ゲス・エスト、分かってる? あなたが言うように私がエアを操作していたとしても、エアを救えなかったのはあなたじゃない。だって、エアのいちばん近くにいたのはあなたなんだもの」
それは……そのとおりだ。
俺が呆けてさえいなければ、エアは死ななかった。
すべてはカケラの策略だった。俺は彼女の精神攻撃に負けたのだ。
だから俺は冷静さを失い、エアを守れなかった。
もうカケラには勝てない。
こんなことならエアが死の救済を選んだときに止めるべきじゃなかった。
駄目だ。もはや俺がいまいちばん足手まといじゃないか。
俺は感覚共鳴から自分を外させ、エアの額に自分の額を押しつけて泣いた。
カケラが何かをつぶやきはじめた。
それは詩のようでもあり、歌のようでもあり、詠唱のようでもあった。
うつむいた俺には見えないが、どうやら舞を舞っているらしい。
「狂気は感染し、伝染し、拡散する」
「愛しきものを汚し、尊きものを壊す」
「辛辣な親、劣悪な上司、悪辣な権力者、不憫な子」
「憎悪に塗れ、怨嗟に溺れ、不義理を尽くす」
「世は黒く、身を赤く染め、狂気が理を侵す、理不尽の唄」
学院屋上に、またはその上空に、仲間はみな立ち尽くす。
いまの俺に彼らの精神状態は見えない。
俺の不甲斐ない姿のせいか、カケラに萎縮しているのか、誰もカケラに手を出せない。
五節に分けられた謎の詩をカケラが唱え終えた後、最後に彼女が口にしたのが何かを発動させる言葉であることだけは分かった。
「狂戒・地獄に贈る恐怖と絶望の輪舞曲!」
そして、地獄が始まる。
機工巨人の両手は確実にカケラを捉えていたし、現に周囲を見渡してもカケラの姿はない。
神器である機工巨人の手の形は力ずくで変形させることもできない。
カケラは間違いなく巨人の手にペシャンコにされた。
ここにいる総勢二十五名、しだいにザワつきはじめ、いままさに歓声があがろうとしたそのときだった。
サーッと風が吹き、合掌したままの巨人の両手の隙間から紅い煙が舞い出でてきて空気中を漂いはじめる。
その紅い煙は一度拡散するが、一箇所に集まりはじめてだんだんと人の形をなしていき、そして完全に人の姿へと変貌した。
紅いドレス、紅い靴、紅い爪、紅い髪、紅い目、白い肌の幼い少女。
紛れもなく紅い狂気・カケラだ。
このとき、俺たちは皆が顔を絶望に染めた。
一瞬でも勝利を期待しただけに、精神的ダメージは計り知れない。
「あっははははは! だから無駄だと言ったでしょう?」
カケラが少し前にその言葉を先出ししたのは、いまこのときに俺の絶望を煽るためだったのだろう。
「なんだこれ……。どうあがいても倒せないじゃないか……」
俺は頭が真っ白になり、どうすればいいのか分からなくなった。
打開策が何も思いつかない。
カケラに……勝てない。
「エスト、危ない!」
エアが俺の正面にワープしてきて、体重を込めて俺を突き飛ばした。
その直後、光がエアの頭を左から右へと貫いた。
光線は紅い狂気の指先から放たれたものだった。
「エア……?」
エアは何も言わない。何も言わず、その場に倒れた。
俺はすぐさまエアをすくい上げる。
彼女にいっさいの動きはない。背中を支える俺の手の横からエアの腕が垂れている。瞳孔の開いた両目が閉じられることもない。
光線が彼女の脳を焼いて即死させてしまったのだ。
「エアッ、エアァァァァッ!!」
俺はハッとして急ぎ天使のミトンを取り出す。まだエアに対しては使っていなかったはずだ。
皆が息を呑み見守る中、天使のミトンでエアの額を五度撫でた。そしてエアの顔を見つめる。
「エア? エア……? おい、返事をしろ! エアッ!!」
反応がない。
天使のミトンは死者を蘇らせることはできない。あくまで生者の肉体を回復させる神器であり、それ以上の効果はない。
「なんでだよ、カケラ!! 校長先生を消したとき、もう誰も死なせない、逃がさないみたいなこと言っていたじゃないか!」
「何を言っているの? この私が嘘をつかないとでも思っていたの? あなたにはこの私が誠実な人間にでも見えているの? あっははははは。馬鹿なの? 愚かにも程があるでしょう」
俺のせいでエアが死んだ。俺をかばって。
いや、これもきっとカケラの俺への精神攻撃なのだ。エアが俺をかばうことを分かっていて、エアを殺すために俺を攻撃した。
だがエアが死んだのは事実。俺にはどんな精神攻撃も効かないが、これだけは例外だ。
俺はこの世界を救う目的を失った。
もちろん、守るべき人たちはほかにもたくさんいる。世界王となって全世界の人間とつながりを持ったのもそのためだ。
しかし、俺にとって最も大切なエアを失ったいま、地獄の苦しみを味わいながら狂気と戦うなんて、俺にはできそうもない。
「エアなら魔法で俺をかばえた。身を挺す必要はなかった。それをやったってことは、おまえがエアの思考を操ってかばわせたんだ。俺の精神を追い詰めるために」
それはささやかな抵抗だった。
この推論に自信はある。きっと事実だろう。
俺はもはやその細い一本の糸にすがることでしか自分を保つことができなかった。
そして、すべてを理解しているカケラは、俺が希望と思い込むただの言い訳に対し、その回答をドミノ倒しがゴールに向かうように流麗に奏でるのである。
「ねえ、ゲス・エスト、分かってる? あなたが言うように私がエアを操作していたとしても、エアを救えなかったのはあなたじゃない。だって、エアのいちばん近くにいたのはあなたなんだもの」
それは……そのとおりだ。
俺が呆けてさえいなければ、エアは死ななかった。
すべてはカケラの策略だった。俺は彼女の精神攻撃に負けたのだ。
だから俺は冷静さを失い、エアを守れなかった。
もうカケラには勝てない。
こんなことならエアが死の救済を選んだときに止めるべきじゃなかった。
駄目だ。もはや俺がいまいちばん足手まといじゃないか。
俺は感覚共鳴から自分を外させ、エアの額に自分の額を押しつけて泣いた。
カケラが何かをつぶやきはじめた。
それは詩のようでもあり、歌のようでもあり、詠唱のようでもあった。
うつむいた俺には見えないが、どうやら舞を舞っているらしい。
「狂気は感染し、伝染し、拡散する」
「愛しきものを汚し、尊きものを壊す」
「辛辣な親、劣悪な上司、悪辣な権力者、不憫な子」
「憎悪に塗れ、怨嗟に溺れ、不義理を尽くす」
「世は黒く、身を赤く染め、狂気が理を侵す、理不尽の唄」
学院屋上に、またはその上空に、仲間はみな立ち尽くす。
いまの俺に彼らの精神状態は見えない。
俺の不甲斐ない姿のせいか、カケラに萎縮しているのか、誰もカケラに手を出せない。
五節に分けられた謎の詩をカケラが唱え終えた後、最後に彼女が口にしたのが何かを発動させる言葉であることだけは分かった。
「狂戒・地獄に贈る恐怖と絶望の輪舞曲!」
そして、地獄が始まる。
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