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柳に抱かれて眠る狼 ⑵

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 男の名は柳井修三やないしゅうぞう。医者の家系の柳井家の三男坊である。
 長男は家を継いで外科医として開業しており、次男は心療内科医として友人と診療所を共同経営、年の離れた弟の四男は大学病院で研修医をしている。
 気楽な三男坊なので、田舎の無医村にわれて、診療所を開いた。別段、善意の人物というわけではなく、都会の空気が性に合わない変わり者だと、自分では思っている。
 百七十二センチ、六十三キロという、やや細身だがとりたてて目立つ容姿はしていない。
 独身の三十三才。スペック的に女性にモテないわけではないが、女性嫌いのゲイである。こう見えてバリタチな上に、自分よりもデカくて逞しい男をアンアン言わせたいという少々特殊な性的嗜好をしていた。都会で医師をしていた時は、それなりに遊んでいたりもしたが、田舎に引っ込んだ現在は、右手が恋人状態である。保守的な田舎で、己の性嗜好を公言するほど、恐れ知らずにはなれなかった。
 そんな柳井のドストライクな男が、裏の畑に落ちていたのだ。柳井は少し、浮かれていた。
 相手が何者かは分からないが、眼福ってやつである。医師として、その逞しい筋肉に触り放題なのは役得だと思った。
 

 柳井は台所に立った。さて、何を作ろうか、冷蔵庫を見て思案する。おかゆと軟らかく煮た根菜、そして肉団子の甘酢餡かけ。キュウリとわかめの酢の物。次々と手早く作っていく。
 今日は日曜日、診療所は休みで、通いの看護師も来ない日だ。柳井は普段の食事は出来合いのもので済ますが、休日は手料理を作るのが趣味でもあった。
 出来たものをお盆にのせて処置室へ運ぶ。この診療所には入院施設はないのだ。そして、二階が柳井の住居となっている。本来なら、救急車で隣県の大きな病院へ運ぶべきなのだが、彼の素性があまりにも得体が知れなかったので、柳井はそれをしなかった。少しでも彼が動けるようになれば、柳井の住居に居候させるよりほかないだろう。
 だが、突然現れた男だ。突然消えることもあり得る話だと、柳井は思う。オカルトやSFが特に好きなわけではないのだが、この世に科学で証明できないような不思議なことが起こっても、特に不思議はないと思っていた。世界は広い。柳井の知らないことは数多あまたあって然るべきだし、彼の存在は、そのことの証明でもあった。
 

「起きていたのか。食事を持ってきた。食べられそうか?」

 処置室のベッドに横たわる彼が、柳井に視線を向けた。

「ああ、食欲はある。まともな食い物を食えるのはありがたい」
「体を起こせるか?」

 ベッドサイドテーブルにお盆を載せて、彼の体を支えるようにクッションを置いてやる。

「箸は使えるか? スプーンとフォークの方がいいか?」
「箸は苦手だ」
「そうか、じゃあこれを使ってくれ。食べてからでいいが、いくつか質問させてもらえるか?」
「ああ、構わない」

 彼は黙々と食べている。表情は変わらないが、一定のリズムで食べ続けているから、不味くはないのだろう。柳井は冷たい麦茶を入れてやった。
 

「それで、まずは名前だな。あんたの名前は? それから、年齢を聞かせてほしい」

 彼は少し考えこむように目を伏せた。

「正式な名前は答えられない。通称は、ロウだ。傭兵のロウ。そう呼ばれている。歳は、わからない。数えたことがないからな。日本には四百年ほど前に来たことがあると思うが、あまり覚えてはいないんだ」
「あんたは人間か? 一通り診た限りでは人間のようだったが、回復力が尋常じゃない。そして、人間は何百年も生きたりしない」
「この体は人間のそれと同じだ。ここが地球ならばそう作り変えられている。何百年も生きるのは転生を繰り返しているせいだ」
「……一応聞くが、あんたは人間に仇なす存在か?」
「いや、俺はただの傭兵だ。戦場での生き方しか知らない。戦場で人を斬ることはあるが、なにもなく人に害をなしたりはしない」
「なぜ傭兵なんかを生業にしている?」
「理解してもらえるとは思わないが、傭兵であることが、俺の存在する意味なんだ」
「悪い、理解は難しい。だが、あんたが現代日本にいるのはおかしい。それはよく分かった。これからどうするつもりだ? あてなんかないだろ? 傷が癒えたら、あんたはもとの場所に戻れるのか?」
「そうだな。地球はもともと魔力の薄い場所だ。俺の故郷へ帰るには、しばらく時間がいる。俺は、呼吸とともにその世界の魔力を吸収して、体内に貯めた魔力で界を渡る。ここでは、魔力が貯まりにくいから、丸一年、それくらいの時間は必要だろう」
「一年……」

 柳井は思案する。一年、この男をここで住まわせることは出来る。だが、村の皆はどう思うだろう? 余所者を受け入れてくれるだろうか? そして、ロウという男は、この田舎で暮らして、退屈したりしないだろうか? 都会へ行きたくなったりするのだろうか? それとも、紛争地帯へ? いや、まさか。

「傷が癒えたら、あんたはその一年の間、どうする? この世界で紛争地域はあるが、そこへ向かうことは現実的じゃない。まず、パスポートっていう、他国へ渡るために必要なものをあんたは手に入れられない。そして、得物が大剣では死にに行くようなものだ」
「ああ、分かっている。この世界の戦場に俺の出番はない。一年間、何か仕事を探して、それをするつもりだ。あんたに礼をしなければならないしな」
「礼は別に気にする必要はないよ。あんたさえよければ一年間ここへいてくれればいい。仕事は、そうだな。俺の手伝いや、村の衆の手伝いなんかをして貰えれば、衣食住は保障する」

 彼は、瞬きして、柳井をじっと見ている。真意を測ろうとしているのか、ロウの鋭い眼差しに柳井の心臓が早鐘を打つ。ごくりと喉が鳴った。

「いきなりこんなことを聞くのは失礼かもしれないが、あんたは同性を愛する人間か?」
「は?」

 ロウの問いかけに、背筋が冷えた。

「いや、それがどうということはないのだが、俺の生きてきた世界では同性を愛する者も、性の対象にする人間も多かったのでな。なんとなく、あんたもそうかと思っただけだ」
「……ああ、まぁ、そうだな。俺は同性愛者だ。この世界でも同性愛者はいる。だが、この田舎ではそういうのは受け入れられにくい。だから、俺はそのことを隠している」
「そうか。わかった」

 ロウはどうなのだと、柳井は聞かなかった。それを聞いて、イエスと答えられるのも、ノーと答えられるのも、どちらも怖い気がしたのだ。ロウの男らしい容姿に、落ち着いた物腰に、自分が惹かれているのを柳井は自覚していた。だが、一年経てば、ロウはこの世界を旅立つ。最初からいなくなることが分かっている男に惚れるなんてむなしいことはしたくなかった。
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