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生徒会
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「ごきげんよう、モナリザの君」
下足場に入り、靴箱から上履きを取り出し、床に置いて履き替えようとした時、理沙の頭の上から声が降ってきた。
理沙がしゃがむのを見計らっていたかのようだ。
理沙の毛のない眉がしかむ。
(人が頭を下げた、こんなタイミングでわざわざ挨拶してくるなんて、いい性格をしているわね)
視界には赤いラインの入った上履きと、そこから伸びる細い足がある。上履きの赤いラインは一年生の証。つまりは理沙の同級生。
ちなみに二年生は青いライン、三年生は緑のラインだ。
わざともったいぶって理沙は顔を上げた。
この学園でお嬢様らしくないタイミングで挨拶をしてくる相手。それにうらやましくなる細さの足の持ち主。その人物に理沙は心当たりがあったからだ。
「ごきげんよう、志摩ちゃん。貴女までモナリザの君なんて言わないで」
「それは無理だって。こんなに立派なモナリザを見たらそう言うしかないって」
その物言いに理沙はふうっとため息をついた。
しかし相手は理沙の態度を気に止めず、むしろ逆に楽しそうに笑いながら話を続けた。
「にっしっし。それにしても、すごい認知度。いやはや人気者で結構でございますね。さすがはモナリザの君。さすがは生徒会長様」
「ええ、本当に。これもすべて貴女のお陰でね!」
「いやいやいや、お礼を言われるほどではありませんよ」
さっきから理沙と話している人物は岩上志摩。
軽くウェーブさせた髪に小柄な体。クリっとした瞳で、まさに可愛い女の子を地でいく理沙の幼馴染で親友である。
理沙の皮肉に微塵も動じず、ぬけぬけとしている。
こういうところは昔から変わらないと、理沙がジト目で抗議すると、
「もう、元気がないよ。むぎゅ~」
わざわざ擬音を口にしながら理沙に抱きついてきた。
(こういうところも本当に昔から変わらないわね。甘えればなんでも許されると思っているのだから)
理沙は嘆息した。
ところで、理沙は身長百八十四センチ、志摩は百四十五センチ。
抱きつくといっても、腰にぶら下がっているように見える。
ちょっと可愛いな、と思ってしまう理沙がいた。
「私がこういうことをするのは理沙ちゃんだけだよ?」
「くっ、この甘え上手め」
人の心を読んだように、そのまま無邪気な笑顔で見上げてくる。瞳をキラキラさせて。
可愛い物に弱いという理沙の弱点を的確に突いていた。
(いつもこうだわ。私はこの悪友に振り回されるだけ振り回されるのに、最後には許してしまう。この子は一人っ子のはずなのに、どこでこんなに甘えスキルを上達させたのかしら?)
自分が志摩の甘えスキルを鍛えたことに理沙は気付いていなかった。
いつもなら志摩が飽きるまでされるがままでいさせるのだが、ここは学園だ。
「もう、志摩ちゃん。離れなさい。公衆の面前で」
「いやじゃ~、このふんわりもっちり感がたまらないのじゃ~」
しかし志摩が離れる様子はない。
案の定、靴箱の前を通りがかった生徒が二人に気付いた。
「あら、今日も仲良しですね、二人とも」
清らかな鈴の音のような声と共に、長い黒髪が舞った。
その生徒の姿は美しく、まるで一枚の絵画の様であった。
いきなり満開の桜が花開いたような気さえする。桜の香りまで感じるから不思議である。
慌てて理沙は志摩を引きはがした。
「これはお見苦しいところを。ごきげんよう、千景さん」
「はい、ごきげんよう」
理沙の挨拶に、その生徒も穏やかに微笑みながら挨拶を返した。
六千院千景。それがこの生徒の名前である。
日本有数の名家、六千院家のお嬢様であり、理沙たちの一つ年上の二年生。
まず目につくのは、腰まである上質な絹のようなサラサラの髪。次に上品な長い睫毛。その下の伏し目がちな瞳はうっすら潤んで見える。スッと通った鼻筋の下の桜色の唇は小さいのだが、どこか色気を醸し出していた。
理沙ほどではないにしても長身で身長も百七十センチはある。しかも背筋がちゃんと延びており、立ち姿も歩く姿も様になっている。一見してどこぞのモデルのようであった。
彼女も、ついでに言えば志摩も生徒会の一員である。
理沙に引きはがされた志摩は体勢を立て直し、それでも若干バツが悪そうに挨拶をした。
「ごきげんよう。今日もお綺麗ですね、千景姫」
「ごきげんよう。ありがとう志摩さん。貴方は今日も可愛いわね」
社交辞令でない、邪気のない千景の言葉に志摩の顔が赤くなった。
志摩は理沙の後ろに隠れ「これだからお嬢様は困る……」などと、もごもご言っている。
「それよりどうしましたか? 千景さんはこちらを通らないと思いましたが?」
理沙が疑問を口にした。
千景の教室は反対方向である。しかも階が違う。
たまたま理沙たちの声を聞こえたからやって来たという風でもなかった。
「ええ、少々生徒会室に用がありまして」
「何かありましたか?」
「昨夜、生徒会の引継ぎのノートを見ていましたら、いくつか不明瞭な点がありまして、それで書類を確認しようと思ったのです」
「そういうことでしたら、私も一緒に行きますわ」
「じゃああたしも行くよ、あたしも生徒会の一員なんだからね」
最後に言葉を締めた志摩がさっと先頭に立って歩き出した。照れ隠しの様に、顔を見せないように素早く。その後ろを理沙と千景が顔を見合わせ微笑んでから並んで続く。
志摩は真っ直ぐ生徒会室に向かってズンズン歩く。
抹茶の水女学園の生徒会室はこの本校舎の隣の建物の一室である。だが、生徒会室のカギが保管されている職員室は本校舎にある。
職員室の方向に曲がらずに渡り廊下に足を向ける志摩を、理沙は呼び止めた。
「志摩ちゃん。職員室に寄らないと」
「大丈夫よ。ほらっ」
志摩が自分のカバンの中から鍵を取り出し、見せびらかした。
「それ生徒会室のカギ?」
「アタリ」
「職員室に返してなかったの?」
「ハズレ」
ニヤニヤ意地の悪い笑みを浮かべている志摩を見て、理沙は察した。
またこの子はやったな、と。
「勝手に合鍵を作ったのね?」
「大アタリ」
なぜかピースサインを出して得意げに微笑む志摩。
「もう志摩ちゃん!」
「まあまあ、便利でいいでしょ」
説教しようとする理沙から逃れようと、志摩は一直線に生徒会室に走って行く。
「廊下は走らない!」
「は~い、明日から注意する!」
理沙は苦笑している顔を千景に向けた。
「千景さん、すみません。あんな子で」
「いえ、謝ることはありませんよ。私としては毎日が楽しくて、お礼を言いたいくらいです」
微笑む千景に気を遣っている様子はなかった。生粋のお嬢様である千景にとって、決まりごとに束縛されない志摩は好ましく思えるのだった。
よく笑うようになったのはいいけど悪い影響まで受けなきゃいいわね、と理沙はちょっと心配した。
生徒会室に着くと、先に着いていた志摩がカギをガチャガチャ回して小首をかしげていた。
「あれあれあれ~?」
「どうしたの志摩ちゃん?」
「うん、なぜか生徒会室のカギが開いてるの。昨日はちゃんと閉めて帰ったよね?」
「……わかった。私が開けるから、志摩ちゃんは下がってて」
志摩を下がらせて、理沙は生徒貸室の扉に手をかけた。
お嬢様が数多く通う抹茶の水女学園は当然のように警備に力を入れている。だからといって不審者などが侵入している可能性はゼロじゃない。むしろ、狙われている確率だけなら普通の学校より高いだろう。そして狙われるのが生徒会に所属する生徒ならなおさらである。なにしろ、千景は日本有数の名家のお嬢様で、志摩も志摩で極道な家庭の子供なのだ。
理沙は護身のために格闘技を習い、それなりのレベルに達していた。もし不審者が生徒会室に侵入していても、上手く対処できる自信があった。
理沙が勢いよく扉を開けて飛び込ん──
「きゃーーーー! モナリザーーーー!」
──だ瞬間に悲鳴が上がった。
理沙の目の前に、一人の女生徒が腰を抜かして座りこんでいる。
その女生徒に向かって、理沙の後ろからひょいと入ってきた志摩が声をかけた。
「何してるのよ、道子?」
「な、な、何って、生徒会の仕事に決まってるじゃない!
「道子が朝から? 似合わないことしちゃって」
「い、いいじゃない! 私だって生徒会の一員なんだから!」
「生徒会の一員なら、いい加減生徒会長の顔を見て悲鳴あげるのやめなよ」
「あ、明日には大丈夫よ!」
藤原道子。一年生。
つややかな髪をボブカットにまとめ、志摩と同じくらいの身長で、同じように可愛い系の女の子だ。
彼女も生徒会の一員であり、抹茶の水女学園の理事長の孫娘でもある。
弱々しく座りこんだ姿勢とは反対に口調は強い。それを強がりだと指摘しようとした志摩を理沙が制し、
「驚かせてごめんなさいね」
道子に手を差し伸べた。
理沙はなにより生徒会室にいたのが不審者じゃなかったことに胸をなで下ろしていた。
「あ、ありがとう……」
びくびくしながら道子が手を取り、尻すぼみの声でお礼を言った。
それを志摩がニヤニヤと見ている。
「まったく、学園長の孫ともあろう者が臆病過ぎない?」
「うるさいわね! 仕方ないじゃない、ちょっと前まで生徒会長の席を競うライバルだったんだから!」
ガルルルと道子が志摩に牙を剥く。
「まあまあ、とりあえず抹茶でも飲んで落ち着きましょう」
生徒会室と続きになっている給湯室から千景が入ってきた。理沙たちがごたごたしている間に、人数分の抹茶を素早く用意していたのだ。
千景に促されて二人とも休戦して自分の席に座った。理沙も窓際の席に座る。
生徒会室は壁際に書類棚やらが並び、窓際に大きいサイズの机と、中央に普通の机が四つ向かい合わせに置かれている。大きいサイズの机が生徒会長の机で、他の四つが副会長、会計、書記、庶務の机だ。
理沙の席には、表に『生徒会長』、裏に『モナリザの君』と書かれた立派なネームプレートが置いてあった。
それを理沙が不服そうにツンツンとつつきながら、溜息を洩らした。
「どうしたんですか、理沙さん?」
理沙の前に抹茶を置いた千景が理沙の様子に気付いた。
理沙の顔を覗きこむ。
「いえ、ふと私はどこで間違えたんだろうなって思いまして」
「間違えた?」
「本当は『モナリザ』の過去を断ち切るために、この学園に入ったんです……」
小、中学校時代の理沙のあだ名は『恐怖のモナリザ』だった。
それが嫌だったからこそ、その因縁を断ち切るために知り合いなどがまず入学しないこのお嬢様学園を目指したのだ。なのに、結局『モナリザの君』と呼ばれる事態になっている。
なぜこうなったのかと思うも、原因ははっきりしている。
理沙は原因を睨み付けた。
「ん? なに、理沙ちゃん? どうしたの?」
のんきに志摩は抹茶を楽しんでいた。
「私はまんまと志摩ちゃんの口車に乗っちゃったわけだけど、他に方法があったんじゃないかなって考えてるのよ。少なくとも『モナリザ』を前面に出さなくてもいい方法がなかったかなって」
「なかったと思うよ。理沙ちゃんは千景さまと道子を抑えて、生徒会長にならないといけなかったんだから。それともおじさんと一緒にパリに行きたかったの、理沙ちゃんは?」
志摩が肩をすくめてみせる。
理沙にだってわかっていた。他に方法がなく、志摩だって最善を尽くしてくれたことにも。それに元々は自分がまいた種だってことにも。
だからといって、わだかまりが残らないわけじゃない。
「わかっているわ。そう、これは私が選んだ道。だけど……。だけどいいじゃない! 人はいつでも強くはいられないのよ。たまには嘆くのも仕方ないわ!」
窓から見える景色に目を向けながら言った。
「おお、黄昏るモナリザ!」なんて志摩の言葉は右耳から入って左耳から出て行った。
理沙の頭は、すでに入学してからの今日までの過去を回想していたのだった。
下足場に入り、靴箱から上履きを取り出し、床に置いて履き替えようとした時、理沙の頭の上から声が降ってきた。
理沙がしゃがむのを見計らっていたかのようだ。
理沙の毛のない眉がしかむ。
(人が頭を下げた、こんなタイミングでわざわざ挨拶してくるなんて、いい性格をしているわね)
視界には赤いラインの入った上履きと、そこから伸びる細い足がある。上履きの赤いラインは一年生の証。つまりは理沙の同級生。
ちなみに二年生は青いライン、三年生は緑のラインだ。
わざともったいぶって理沙は顔を上げた。
この学園でお嬢様らしくないタイミングで挨拶をしてくる相手。それにうらやましくなる細さの足の持ち主。その人物に理沙は心当たりがあったからだ。
「ごきげんよう、志摩ちゃん。貴女までモナリザの君なんて言わないで」
「それは無理だって。こんなに立派なモナリザを見たらそう言うしかないって」
その物言いに理沙はふうっとため息をついた。
しかし相手は理沙の態度を気に止めず、むしろ逆に楽しそうに笑いながら話を続けた。
「にっしっし。それにしても、すごい認知度。いやはや人気者で結構でございますね。さすがはモナリザの君。さすがは生徒会長様」
「ええ、本当に。これもすべて貴女のお陰でね!」
「いやいやいや、お礼を言われるほどではありませんよ」
さっきから理沙と話している人物は岩上志摩。
軽くウェーブさせた髪に小柄な体。クリっとした瞳で、まさに可愛い女の子を地でいく理沙の幼馴染で親友である。
理沙の皮肉に微塵も動じず、ぬけぬけとしている。
こういうところは昔から変わらないと、理沙がジト目で抗議すると、
「もう、元気がないよ。むぎゅ~」
わざわざ擬音を口にしながら理沙に抱きついてきた。
(こういうところも本当に昔から変わらないわね。甘えればなんでも許されると思っているのだから)
理沙は嘆息した。
ところで、理沙は身長百八十四センチ、志摩は百四十五センチ。
抱きつくといっても、腰にぶら下がっているように見える。
ちょっと可愛いな、と思ってしまう理沙がいた。
「私がこういうことをするのは理沙ちゃんだけだよ?」
「くっ、この甘え上手め」
人の心を読んだように、そのまま無邪気な笑顔で見上げてくる。瞳をキラキラさせて。
可愛い物に弱いという理沙の弱点を的確に突いていた。
(いつもこうだわ。私はこの悪友に振り回されるだけ振り回されるのに、最後には許してしまう。この子は一人っ子のはずなのに、どこでこんなに甘えスキルを上達させたのかしら?)
自分が志摩の甘えスキルを鍛えたことに理沙は気付いていなかった。
いつもなら志摩が飽きるまでされるがままでいさせるのだが、ここは学園だ。
「もう、志摩ちゃん。離れなさい。公衆の面前で」
「いやじゃ~、このふんわりもっちり感がたまらないのじゃ~」
しかし志摩が離れる様子はない。
案の定、靴箱の前を通りがかった生徒が二人に気付いた。
「あら、今日も仲良しですね、二人とも」
清らかな鈴の音のような声と共に、長い黒髪が舞った。
その生徒の姿は美しく、まるで一枚の絵画の様であった。
いきなり満開の桜が花開いたような気さえする。桜の香りまで感じるから不思議である。
慌てて理沙は志摩を引きはがした。
「これはお見苦しいところを。ごきげんよう、千景さん」
「はい、ごきげんよう」
理沙の挨拶に、その生徒も穏やかに微笑みながら挨拶を返した。
六千院千景。それがこの生徒の名前である。
日本有数の名家、六千院家のお嬢様であり、理沙たちの一つ年上の二年生。
まず目につくのは、腰まである上質な絹のようなサラサラの髪。次に上品な長い睫毛。その下の伏し目がちな瞳はうっすら潤んで見える。スッと通った鼻筋の下の桜色の唇は小さいのだが、どこか色気を醸し出していた。
理沙ほどではないにしても長身で身長も百七十センチはある。しかも背筋がちゃんと延びており、立ち姿も歩く姿も様になっている。一見してどこぞのモデルのようであった。
彼女も、ついでに言えば志摩も生徒会の一員である。
理沙に引きはがされた志摩は体勢を立て直し、それでも若干バツが悪そうに挨拶をした。
「ごきげんよう。今日もお綺麗ですね、千景姫」
「ごきげんよう。ありがとう志摩さん。貴方は今日も可愛いわね」
社交辞令でない、邪気のない千景の言葉に志摩の顔が赤くなった。
志摩は理沙の後ろに隠れ「これだからお嬢様は困る……」などと、もごもご言っている。
「それよりどうしましたか? 千景さんはこちらを通らないと思いましたが?」
理沙が疑問を口にした。
千景の教室は反対方向である。しかも階が違う。
たまたま理沙たちの声を聞こえたからやって来たという風でもなかった。
「ええ、少々生徒会室に用がありまして」
「何かありましたか?」
「昨夜、生徒会の引継ぎのノートを見ていましたら、いくつか不明瞭な点がありまして、それで書類を確認しようと思ったのです」
「そういうことでしたら、私も一緒に行きますわ」
「じゃああたしも行くよ、あたしも生徒会の一員なんだからね」
最後に言葉を締めた志摩がさっと先頭に立って歩き出した。照れ隠しの様に、顔を見せないように素早く。その後ろを理沙と千景が顔を見合わせ微笑んでから並んで続く。
志摩は真っ直ぐ生徒会室に向かってズンズン歩く。
抹茶の水女学園の生徒会室はこの本校舎の隣の建物の一室である。だが、生徒会室のカギが保管されている職員室は本校舎にある。
職員室の方向に曲がらずに渡り廊下に足を向ける志摩を、理沙は呼び止めた。
「志摩ちゃん。職員室に寄らないと」
「大丈夫よ。ほらっ」
志摩が自分のカバンの中から鍵を取り出し、見せびらかした。
「それ生徒会室のカギ?」
「アタリ」
「職員室に返してなかったの?」
「ハズレ」
ニヤニヤ意地の悪い笑みを浮かべている志摩を見て、理沙は察した。
またこの子はやったな、と。
「勝手に合鍵を作ったのね?」
「大アタリ」
なぜかピースサインを出して得意げに微笑む志摩。
「もう志摩ちゃん!」
「まあまあ、便利でいいでしょ」
説教しようとする理沙から逃れようと、志摩は一直線に生徒会室に走って行く。
「廊下は走らない!」
「は~い、明日から注意する!」
理沙は苦笑している顔を千景に向けた。
「千景さん、すみません。あんな子で」
「いえ、謝ることはありませんよ。私としては毎日が楽しくて、お礼を言いたいくらいです」
微笑む千景に気を遣っている様子はなかった。生粋のお嬢様である千景にとって、決まりごとに束縛されない志摩は好ましく思えるのだった。
よく笑うようになったのはいいけど悪い影響まで受けなきゃいいわね、と理沙はちょっと心配した。
生徒会室に着くと、先に着いていた志摩がカギをガチャガチャ回して小首をかしげていた。
「あれあれあれ~?」
「どうしたの志摩ちゃん?」
「うん、なぜか生徒会室のカギが開いてるの。昨日はちゃんと閉めて帰ったよね?」
「……わかった。私が開けるから、志摩ちゃんは下がってて」
志摩を下がらせて、理沙は生徒貸室の扉に手をかけた。
お嬢様が数多く通う抹茶の水女学園は当然のように警備に力を入れている。だからといって不審者などが侵入している可能性はゼロじゃない。むしろ、狙われている確率だけなら普通の学校より高いだろう。そして狙われるのが生徒会に所属する生徒ならなおさらである。なにしろ、千景は日本有数の名家のお嬢様で、志摩も志摩で極道な家庭の子供なのだ。
理沙は護身のために格闘技を習い、それなりのレベルに達していた。もし不審者が生徒会室に侵入していても、上手く対処できる自信があった。
理沙が勢いよく扉を開けて飛び込ん──
「きゃーーーー! モナリザーーーー!」
──だ瞬間に悲鳴が上がった。
理沙の目の前に、一人の女生徒が腰を抜かして座りこんでいる。
その女生徒に向かって、理沙の後ろからひょいと入ってきた志摩が声をかけた。
「何してるのよ、道子?」
「な、な、何って、生徒会の仕事に決まってるじゃない!
「道子が朝から? 似合わないことしちゃって」
「い、いいじゃない! 私だって生徒会の一員なんだから!」
「生徒会の一員なら、いい加減生徒会長の顔を見て悲鳴あげるのやめなよ」
「あ、明日には大丈夫よ!」
藤原道子。一年生。
つややかな髪をボブカットにまとめ、志摩と同じくらいの身長で、同じように可愛い系の女の子だ。
彼女も生徒会の一員であり、抹茶の水女学園の理事長の孫娘でもある。
弱々しく座りこんだ姿勢とは反対に口調は強い。それを強がりだと指摘しようとした志摩を理沙が制し、
「驚かせてごめんなさいね」
道子に手を差し伸べた。
理沙はなにより生徒会室にいたのが不審者じゃなかったことに胸をなで下ろしていた。
「あ、ありがとう……」
びくびくしながら道子が手を取り、尻すぼみの声でお礼を言った。
それを志摩がニヤニヤと見ている。
「まったく、学園長の孫ともあろう者が臆病過ぎない?」
「うるさいわね! 仕方ないじゃない、ちょっと前まで生徒会長の席を競うライバルだったんだから!」
ガルルルと道子が志摩に牙を剥く。
「まあまあ、とりあえず抹茶でも飲んで落ち着きましょう」
生徒会室と続きになっている給湯室から千景が入ってきた。理沙たちがごたごたしている間に、人数分の抹茶を素早く用意していたのだ。
千景に促されて二人とも休戦して自分の席に座った。理沙も窓際の席に座る。
生徒会室は壁際に書類棚やらが並び、窓際に大きいサイズの机と、中央に普通の机が四つ向かい合わせに置かれている。大きいサイズの机が生徒会長の机で、他の四つが副会長、会計、書記、庶務の机だ。
理沙の席には、表に『生徒会長』、裏に『モナリザの君』と書かれた立派なネームプレートが置いてあった。
それを理沙が不服そうにツンツンとつつきながら、溜息を洩らした。
「どうしたんですか、理沙さん?」
理沙の前に抹茶を置いた千景が理沙の様子に気付いた。
理沙の顔を覗きこむ。
「いえ、ふと私はどこで間違えたんだろうなって思いまして」
「間違えた?」
「本当は『モナリザ』の過去を断ち切るために、この学園に入ったんです……」
小、中学校時代の理沙のあだ名は『恐怖のモナリザ』だった。
それが嫌だったからこそ、その因縁を断ち切るために知り合いなどがまず入学しないこのお嬢様学園を目指したのだ。なのに、結局『モナリザの君』と呼ばれる事態になっている。
なぜこうなったのかと思うも、原因ははっきりしている。
理沙は原因を睨み付けた。
「ん? なに、理沙ちゃん? どうしたの?」
のんきに志摩は抹茶を楽しんでいた。
「私はまんまと志摩ちゃんの口車に乗っちゃったわけだけど、他に方法があったんじゃないかなって考えてるのよ。少なくとも『モナリザ』を前面に出さなくてもいい方法がなかったかなって」
「なかったと思うよ。理沙ちゃんは千景さまと道子を抑えて、生徒会長にならないといけなかったんだから。それともおじさんと一緒にパリに行きたかったの、理沙ちゃんは?」
志摩が肩をすくめてみせる。
理沙にだってわかっていた。他に方法がなく、志摩だって最善を尽くしてくれたことにも。それに元々は自分がまいた種だってことにも。
だからといって、わだかまりが残らないわけじゃない。
「わかっているわ。そう、これは私が選んだ道。だけど……。だけどいいじゃない! 人はいつでも強くはいられないのよ。たまには嘆くのも仕方ないわ!」
窓から見える景色に目を向けながら言った。
「おお、黄昏るモナリザ!」なんて志摩の言葉は右耳から入って左耳から出て行った。
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