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屋上
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「やっと、お昼になったわね……」
時刻は飛んで昼休み。
屋上に向かっている理沙がモナリザらしからぬ苦々しい表情を浮かべていた。
昼休み、普通の生徒は教室か中庭とかでお弁当を食べるか食堂に行く。また屋上は安全上の理由で常時閉め切りになっているので人が来ることはまずない。なので理沙は安心して微笑みを崩していられたのだ。
「それにしても、ここまで極端な反応されるとは……」
思い出すと、ため息が漏れる。
授業でのことだ。理沙の姿を見て呆然自失になったのはクラスメイトだけでなく、先生であっても例外ではなかった。
朝のホームルームの時にやってきた担任教師などは理沙を見るなり動きが止まってしまった。凍り付いたようにずっと固まっていたが、ホームルーム終了の鐘がなってやっと正気を取り戻し、
「ゴールデンウィーク明けだから幻覚を見ることもあるかと思いますが、連休ボケは早めに治しましょう」
生徒に言っているのか自分に言い聞かせているのかわからない口調で言って、足早に教室を出っていった。
職員室と反対の方向に歩いて行ったから、おそらく保健室に向かったのだろう。
担任教師だけでなく、他の教師についても大差はなかった。
最初に理沙を見て固まり、しばらくして自分が納得できる答えを見つけ授業を開始する。
ある教師は自分の妄想の産物であると結論を下し、ある教師は七不思議の一つだと結論づけた。
また、ある教師は眼鏡に張り付いたゴミが奇跡的にモナリザの姿に見えるのだと頻繁に眼鏡を拭きながら授業を進めた。
教師たちが見つけた答えは様々だったが、教師たちの対応は全員同じだった。
理沙に問題を当てるどころか視線を向けることすらなく、理沙は完全にいないものとして扱われた。
「問題を当てられなかったりするのは楽でいいけど、完全無視とか、これもある意味いじめになるのかしら?」
理沙からしたらそう感じるのかもしれないが、先生からしたら逆になんの嫌がらせかと思われていた。
想像してほしい。
自分が教師だったとして、連休明け、久々に授業をしようとしたら、生徒の中にモナリザがいた時を。
冷静に対処できる人がいるだろうか?
いや、いない。
いないだろう。
いないんじゃないかな?
いないということにしていてほしい。
──閑話休題。
何はともあれ、そんなことをぼやいているうちに屋上の扉にまでたどり着いた。
屋上の扉は古く、あちこち剥がれた塗装の変わりに錆が浮いていて、当然のようにカギがかかっている。
これは事前にわかっていたことであり、理沙は慌てずに声をかけながら扉を軽くノックする。
「志摩ちゃん、私よ。理沙よ」
すると、扉の向こう側から返事があった。
「……理沙ちゃん? 本物の理沙ちゃん?」
「本物ってなに? 声でわかるでしょ、志摩ちゃん」
扉の向こう側から声は、間違えようもなく志摩の声だった。
理沙と志摩は幼馴染同士。理沙が志摩の声を間違えないように、志摩も理沙の声を間違えようもない。
そうなのだが、
「いやいやいや、理沙ちゃんの声真似をしているインコかもしれないよ?」
「インコが真似するのは口真似よ。声は変わらないでしょ?」
「……」
○ 声真似──声質、丸ごと真似る。
X 口真似──言葉、言い回しを真似るだけ。
扉越しに、気まずい沈黙が流れる。
「……いやいやいや、待って! 携帯に録音しておいた音声かもしれないし!」
「抹茶の水女学園は携帯持ち込み禁止じゃない。もしかして、志摩ちゃんは持ってきてるの?」
「……」
再びの沈黙。
「ほ、本物の理沙ちゃんなら、合言葉を答えられるはずだよ」
「志摩ちゃん。結局、合言葉を言いたいだけでしょ?」
合言葉。それは二人でよくやる遊びの一つだ。志摩が出す五つのお題に素早く答えないといけない。
「さあ? あたしにはなんのことかわからないよ」
「もう、わかったわよ。志摩ちゃん、早く出して」
いくら人気がないとはいえ、屋上の扉の前で騒いでいたら目立つ。声が聞こえてくるのを不審に思い、誰かが来るとも限らないのだ。
ここは自分が折れて、さっさと終わらせようと思った。
「では、合言葉を答えなさい。昔々おじいさんとおばあさんがいました。さて、おじいさんは山へ何をしに行った?」
「……おばあさんを捨てにいった」
「寒さに震えていたマッチ売りの少女は?」
「……街中に火を付けて物理的に暖を取った」
「魔女に毒リンゴを渡された白雪姫は?」
「……毒リンゴの栽培、量産に成功して裏から世界を牛耳るマフィアのボスになった」
「浦島太郎は苛められていたカメを?」
「……箱につめて玉手箱と言って売った」
「桃太郎は鬼ヶ島で?」
「……鬼に退治された」
「六十点、まあ合格」
ガチャガチャとノブが動き、ギギギと苦しそうな音を立てて扉が開く。
開いた扉の先には志摩がにっこり笑って待ち受けていた。
「いらっしゃい、理沙ちゃん」
「ねえ、志摩ちゃん。この合言葉、もう止めない?」
「なんで? 楽しいのに?」
「私はしんどいのに……」
実はさっきの合言葉には決まった正解はないのだ。志摩が面白いと思う答えであったらそれが正解になる。
四十点がボーダーで、それ以下だと赤点と言って開けてくれない。しかも三秒以内に答えないと失格になるので、とっさの閃きを要求される。
少々ズルだが、理沙はあらかじめ志摩が言いそうな合言葉を予想して事前に答えを用意することで対応していた。
しかし、それも今回のでとうとう答えのストックがなくなってしまい、次から閃きだけで勝負するのかと暗澹たる気持ちになったのだ。
「まあまあ、それよりお昼にしようよ。『モナリザの君』計画も説明しないといけないし、時間に余裕があるわけじゃないんだから」
「時間を無駄に使ったのは志摩ちゃんでしょ?」
「はてはて、なんのことやらわかりませぬ」
志摩はとぼけて、呆れている理沙の手を取り強引に歩き出した。
屋上には日当たりのいい一角にレジャーシートが敷かれていた。お昼の準備は万全だった。
「用意がいいわね。って、それより聞きそびれていたんだけど、なんで志摩ちゃんは屋上のカギを持っていたの?」
「それは用意しておいたからだよ。もしもの時のためにね。突然学校をテロリストに占拠された時とか、パラった先生が生徒を皆殺し始めた時とか」
「そんなのマンガや小説の中でしか起きないわよ」
「そうだね。だけど、あたしは思うの。この世界、理沙ちゃんみたいにモナリザそっくりの女の子がいるんだから、何が起こっても不思議はないって」
「なるほど……って、人を不思議現象みたいに言ってない?」
「イヤイヤイヤ、ソンナコトナイヨ」
志摩が人の悪そうな笑顔を浮かべていた。理沙は反論しようとして口を開きかけたが、結局何も言わずに諦めて息だけを吐いた
これはいつもの志摩のペースであり、理沙が今まで口で志摩に勝てたことはないのだ。それに少々悔しいが、それを楽しんでいる自分がいるのも事実だった。
「まったくもう、志摩ちゃんは仕方ないわね。まあ、いいわ。お昼にしましょうか?」
「うん。食べよ食べよ」
レジャーシートの上で向かい合わせに座り、二人分の弁当箱を広げる。二人のお弁当からお互いに食べたいものつまんでいく。いちいち一品一品交換とかはしない。これがいつもの二人のスタイルだった。
「相変わらず、理沙ちゃんのお弁当は美味しいね」
「志摩ちゃんのだって美味しいわよ」
「あたしのはほら、一応料理人が作っているからね。それなのにお酒のおつまみみたいなものばっかりで、あぶらっこいから嫌になるのよ……」
志摩のお弁当は唐揚げ、焼き鳥(串なし)、たこわさ、などなど。
完全に居酒屋のメニューだった。
「それに比べて理沙ちゃんのはいろどりも豊かで栄養バランスも良さそう。理沙ちゃん、うちに嫁にこない? パパもママも理沙ちゃんを気に入ってるし、上手くいくと思うよ」
「それは志摩ちゃんの家族の誰かと結婚ってこと? ちょっと遠慮しとくわ。私は平凡な家庭を目指しているの」
「そっか、残念。だけど気が変わったならいつでも言ってね。理沙ちゃんはうちでは本当に人気あるんだから。みんなはくが付くって……」
「志摩ちゃん。それよりも『モナリザの君』計画について最初から教えてくれない?」
嫌な話の流れになりそうだったのもあって、理沙は本題を切り出した。
そもそも二人が人気のない屋上を昼食場所に選んだのは、他人に聞かれないように 『モナリザの君』計画の話をするためだ。
「最初から? 前に説明したはずだけど?」
「あの時は面食らって動転していたから話半分だったのよ。もう一度聞かせてもらっていい? 今なら別の方法を思いつくかも知れないわ」
「生徒会長になるための別の方法? 無理無理。理沙ちゃんは例えばどんなことを考えているの?」
「それは……普通に頑張る……とか?」
「甘いね。もともとエスカレーター組に比べて外部編入組である理沙ちゃんは不利なんだよ。それに生徒会長なんて大抵は二年生がやるものなんだから、一年生は不利でもあるし。そのうえ、美貌、成績、人望では千景姫に敵わず、やる気においても手段を択ばない道子に敵わない。普通にやって当選するとでも思うの?」
「……一生懸命をつけても無理?」
「無理だって。普通の選挙なら、平凡さや不利であるってことを逆に強調して庶民感情や半官感情に訴えるとか、投票者の直接利益につながる公約を立てるとかできるけど、今回は意味がないしね」
「ちょっと待って。どうして意味がないの?」
やたらと豪華な肩書を持った人より、身近な職業の人の方が自分たちの目の前の問題に取り組んでくれそうだと思うものだ。同じレベルの人なら親しみを感じるし、十分有効だと思う。
「それはね、理沙ちゃん。ここだからだよ」
コツコツと地面を叩いて志摩が言葉を強調した。
「……屋上?」
「違う。もっと広げて」
「校舎?」
「もっとよ」
「日本?」
「今度は広げ過ぎ。理沙ちゃん合言葉じゃないから、ボケなくてもいいよ?」
「それじゃ、抹茶の水女学園?」
「その通りだよ。ここは日本有数のお嬢様学校、抹茶の水学園。通う生徒もお嬢様ばかり。つまり、ここでの平凡はお嬢様レベルなのよ。あたしたち程度じゃ貧乏人って思われて、親しみやすさをアピールなんかできないって。同レベルどころか格下なんだからね」
「……なんとも世知辛いわね」
「あと、投票者の直接利益になる公約もできないからね。生徒のために冷暖房設備を充実させますとか、生徒会じゃなくて経営陣の権限の範囲だよ」
「そっか。難しいわね」
言われてみると、今まで見た生徒会の選挙の立候補者は自分の真面目さのアピールしかしていなかった気がする。どれも立候補者の真面目アピール合戦でつまらなかった記憶が残っていた。
「そういうこと。これは生徒会が生徒のためにある組織じゃなくて、教育の一部だからしょうがないけどね」
自身も中学で生徒会長だった志摩の言葉には、少しばかりやるせなさと諦観が滲み出ていた。
「それじゃどうするの? もう打つ手なしって感じなんだけど?」
「そこで出てくるのが『モナリザの君』計画ってわけ。まあ理沙ちゃん、取りあえずこれを見てよ」
志摩がカバンから丸められていた用紙を取り出した。結構大きい。
手渡され、何が描かれているか確認した理沙は目を丸くした。
「なに……これ?」
「理沙ちゃんの選挙ポスターだよ」
そこには制服を着た理沙が、モナリザと同じポーズを取っていた。しかも合成したのか背景は絵画の『モナリザ』と同じだ。
しかし、理沙がもっと気になったのは、その上に書かれている文面だった。
『学園の平和は私が守る!!』
『学園の守護神!!』
『モナリザの君』
「なにこれ……これが選挙ポスター?」
「うん、もちろん」
「私の名前すら入っていないんだけど? 投票の時に名前を書かれなかったら無効票になるんじゃない?」
「そこはさすがの抹茶の水女学園だよ。ここでは通称も有効票になるんだって。今いる人で言うなら千景姫とか、人気がある生徒に特別な呼称が付くのは伝統で、そんな生徒の本名を言ったり書いたりするのは忌み嫌われているらしいよ」
「へえ、でも私は人気なんかないし『モナリザの君』なんて呼称を付けられてもいないんだけど?」
「今あたしが付けたから問題なし!」
「なんかズルくない、志摩ちゃん?」
「作戦って言ってよ。それにこれは『モナリザの君』計画の肝なんだよ。呼称が付いていれば逆説的に人気があるって勘違いしてくれる人もいるしね」
「……結構考えてるのね」
もやもやした複雑な思いを抱きつつも感心し、理沙は改めてポスターに目を落とす。
縦書きで書かれた『学園の平和は私が守る!!』という言葉が目に付いた。
理沙の視線に気づいた志摩が声をかける。
「理沙ちゃん。その『学園の平和は私が守る!!』が公約だから、この言葉は覚えといてね」
「公約!? これが!?」
「そう、これも『モナリザの君』計画の肝だよ。これなら生徒会の権限でも問題ないし、なにより生徒に直接利益になるってアピールできるのよ。他のくそつまらない真面目アピールとも差別化できて一石二鳥」
「『モナリザの君』に肝が二つあって気持ち悪いのは置いといて、これで直接利益になるの?」
「信じる人にとってはね」
「途端に胡散臭くなってきたわね。それで、具体的に私は何をしなければいけないの?」
「助けを求められたら助けたらいいだけで、別に何もしなくていいよ。基本的には天から見守る神様スタイルでお願い」
「神様? それってポスターの下に書いてある『学園の守護神!!』ってことと関係あるの?」
「うん。ああ、そうそう。設定では理沙ちゃんは抹茶の水女学園を守護するために転生した神様『モナリザの君』だから、これも覚えておいてね」
「設定って……。それに神様とかもう新興宗教みたいに感じるんだけど……」
「まあ、ぶっちゃけその通りだよ。ちなみに今日から『モナリザの君』を信じる者は守護神の加護により守られ、救われるって噂を流す予定……っていうかもう流しちゃってるけどね」
最後に志摩はウインクをして言葉を閉めた
志摩の顔は愛嬌のあるいい笑顔だったが、理沙の心の不安を晴らすことはできなかった。
志摩が愛嬌を振り撒くのは、悪戯を取り繕うためか悪だくみを隠すためのどちらかである可能性が高いのだ。
「本当に大丈夫なの? 先生方からストップがかかったりしない?」
「大丈夫大丈夫。抹茶の水女学園は特定の宗教に属しているわけでもないし、もし先生方に詰問されたら『困っている人を助けるという当然のことを言っているだけです。流れている噂なんかは知りません』って言い張ればいいよ」
「……志摩ちゃん。さっき言ってただけじゃなくて、物騒な噂も流す気でしょ?」
「せいか~い! 『モナリザの君』に投票したものは守られるけど、投票しなかったらたたられるって噂も流すからよろしくね。これでこういうことを面白がる生徒と怯える生徒の両方の票を確保できるってわけよ」
「簡単そうにいってるけど、まず、私を学園の守護神『モナリザの君』だって誰も信じないんじゃない?」
「ばっちりいけるって。だってこんなにモナリザそっくりなんだよ? それに理沙ちゃんは外部編入組だから過去を知っている人もいないしね」
「……そんなに上手くいくかしら?」
「ほら、そんなに不安そうな顔をしないで。ほらモナリザみたいに微笑まないと『モナリザの君』じゃないよ。もう賽は投げられたんだから、気合入れないと」
「はあ、そうね。もう今朝のうちに生徒会長選挙の立候補届は出しちゃたし、今更『モナリザの君』を止めたところでクラスメイトからモナリザ扱いされるのは目に見えてるわね。もう引き返せないか……」
「そうそう、諦めがが肝心だよ」
朗らかに笑う志摩。
その笑顔で気持ちは決まった。
遠慮なく志摩にも覚悟を迫ろう。
「ところで志摩ちゃん。あなたは命を賭けるって言ったわよね?」
「あ~、そんなことも言った……かな?」
「とぼけても駄目よ。志摩ちゃんは命を賭けたんだから、私が生徒会長になれなかったら覚悟を決めてもらうわ」
「えっ? ……理沙ちゃん、具体的にはどうするつもりなの?」
思わず志摩は後ろに下がる。
恨みがましい目をしたモナリザは迫力があった。
「刑罰は実行を持って発表させていただきます」
「いやー! 理沙ちゃんは何をする気なの!」
志摩は昔を思い出したのか、鼻を抑えて怯えている。
志摩のことだから演技である可能性はあるが、それでも溜飲が下がった理沙だった。
離れてしまった志摩をお弁当で誘い出す。
とりあえずタコさんウインナー。
こいこい。
「ほらほら志摩ちゃん。『モナリザの君』計画が必要なのはわかったけど、これから具体的にはどう動けばいいの?」
あっさり帰って来た志摩は理沙の箸ごとパクリと一口。
もぐもぐとそしゃくしてから話し出した。
「えっとね、周りの動きに合わせて対応したいからあんまり決めてないんだけど、とりあえずお昼は屋上でとることにしようか。情報の交換は必要だしね。それと時間がある時に千景姫に話しかけて、あわよくば友達になってくれるかな? うん、今はこんなものでいいや」
「千景姫と? 一応私とライバルなんでしょ?」
「そうだけど、『モナリザの君』の価値観を高めるためだよ。千景姫は今の状態で信仰に近いものを集めているから、千景姫の友達なら同じ次元の存在だと勝手に思い込む生徒が現れると思うしね。千景姫と友達なんてこいつは只者じゃないって」
「そうなの? それなら千景姫の今の友達はどうなっているの?」
「千景姫に友達は一人もいないらしいよ。ほら、ちょっとこっちに来て」
志摩が立ち上がり、中庭が見下ろせる位置まで移動する。
理沙も一緒に移動して、同じように中庭を見下ろした。
「あ、千景姫が……一人きり?」
中庭の一際大きい木の下にあるベンチに千景はいた。
中庭には他に人影もなく、一人でゆっくり弁当を食べている。
小鳥が飛んできて、千景の肩にとまる。
千景は微笑んで小鳥のために手の平に食べ物を分ける。
小鳥は警戒する様子もなく、手の平の食べ物をつつき始める。
やがて他に数羽の小鳥も飛んできて、同じようにつつき始める。
映画の一場面のような食事風景だった。
「絵になる人ね……」
「理沙ちゃんも負けてないじゃない?」
「私は絵になるじゃなくて絵になった人。って、私がモデルになったわけじゃないわよ!」
「わかってるって、理沙ちゃん。ところで校舎の影とか木の影とか窓際とか、ちょっと注意して見てみて」
「なにが……あっ」
志摩に言われた位置に目を向けると……いた。
生徒がコッソリ隠れている。
一人や二人じゃない。結構な人数だ。
ある者は黒いセーラー服を活かして校舎の影に紛れ込み、ある者は両手に木の枝を持って藪になりきり、ある者は外壁と同じ柄のマントをかかげて壁になりきっている。
そして、全員がうっとりとした視線を千景に送っていた。
「なんなの彼女らは?」
「彼女たちが千景姫の信奉者、『千景姫を愛でる会』ね。彼女たちはああして四六時中千景姫に張り付いて熱い視線を送るのを日課としているんだって」
「はた迷惑な日課ね。ストーカー? まあ、だけど見ているだけならまだ可愛いかしら」
「いや、実際は悪質だよ。彼女らは千景姫に近づく生徒をガードする役目も負ってるからね。ほら、あれを見て」
お昼をとるためだろう、お弁当箱を持った一人の生徒が中庭に歩いてきた。
だが、その生徒が中庭に着く前にわらわらとわいてきた『千景姫を愛でる会』によって物陰に強制的に移動させられた。彼女たちの身振り手振りから中庭は立ち入り禁止だ、どこか別のところに行けと言っているのがわかった。
それでもその生徒が不服そうな態度をとると、今度は両腕を拘束されてどこかに連行されていった。
「彼女らはああやって理由を問わず千景姫に近づく生徒を排除しているのよ。名目上は千景姫に穏やかで静かな学園生活を送ってもらうってね。例外は千景姫から接近された場合だけど、その場合でも後で秘密の小部屋に連行されて会話の内容を聴取されたうえに、今後自分から近づかないようにきつく注意さるらしいよ」
「なるほどね。確かに彼女たちに付きまとわれていたら友達がいないのもうなずけるわ。だけど……酷いわね。千景姫は彼女たちの行いを知っているの?」
「たぶん知らないんじゃないかな。噂通りの優しい方なら知っていたら止めるんじゃない?」
「そう……可哀想な話ね」
籠の中の小鳥というのが真っ先に頭に浮かんだ。
誰にも邪魔されない穏やかで静かな生活だが、決して自由はない。彼女が望まれているのは不自由な籠の中でその愛らしい姿をさらす事だけ。自分の陥っている状況も知らない。
そう思って千景を見ると、先ほどまでの優雅さが消え、寂寥感を身にまとったただの少女のように感じた。
「志摩ちゃん。私、千景様と友達になってみるわ」
「おっ、理沙ちゃんならそう言ってくれると信じていたよ。それじゃ、はいこれ。役に立つと思うよ」
志摩はポケットから手帳を取り出し、理沙に手渡す。
理沙がパラパラと手帳をめくってみると、それは誰かの行動記録のようだった。時刻と場所が分単位で書かれていて、その細かさは病的なものを感じさせた。
「ここ一ヶ月の千景姫のスケジュールよ」
「うわっ!」
理沙は「お前もか、ブルータス?」といった目を志摩に向けた。
「違う違う。あたしのじゃないよ。『千景姫を愛でる会』の一人と物々交換で手に入れたのよ」
「完全なストーカーがいるのも気になるけど、その人物が交換に応じた物も気になるわね」
「それは、ひ・み・つ」
可愛くしなを作る志摩。
大きな声で言えないことをやったのは間違いないようだ。
聞いても答えてくれないのはわかっているので、理沙は千景のスケジュールに目を落とした。
「登校時間も下校時間も決まっているのね。規則正しい生活。お昼に食べる場所も決めていると……」
「どう? あの『千景様を愛でる会』のガードを潜り抜けそう?」
「うん、大丈夫そう。ただ、チャンスが大きいのはお昼なのよね。志摩ちゃん、私がお昼の時間に屋上に行かない日があってもいいかしら?」
「別にいいよ。後で電話くれたらいいし。理沙ちゃんのお弁当を食べられないのは残念だけど」
「もしかして、お昼の集合ってそれが一番の目的じゃないの?」
「ソンナコトナイヨ」
正解のようだった。
理沙が怒ってみせると、志摩はおどけて逃げてみせる。
屋上に少女たちの声が響く。
その響きに余鈴のチャイムが混じった。
「あ、もう時間ね。志摩ちゃん、他に何か注意することある?」
「そうだね。できるだけ人間離れした行動をしてくれるといいかな?」
「……なんのために必要なの、それは?」
「もちろん『モナリザの君』のためだよ。いい? 『モナリザの君』は神様なんだよ。人間離れした方がらしいでしょ?」
「わからないけどわかったわ。志摩ちゃんの言うことだからたぶん正しいんでしょ。努力してみる」
会話を交わしながら、手早くお弁当とレジャーシートを片づけた。
じゃあ教室に帰ろうかと屋上に出たところで、志摩が屋上の扉にカギをかける様子がないのに気が付いた。
「志摩ちゃん、カギかけないの?」
「うん、もともとこの扉には鍵がかかっていなかったからね」
「?」
不思議そうな顔をする理沙に、志摩が説明する。
「この扉は古いから立て付けが悪くなって、カギをかけてなくても開かないんだよ、こんな風に」
志摩が扉を押したり引いたりするがびくともしない。
「これで誰かがカギがかかっているって勘違いしたんだよ。実際はこう、上に持ち上げながら押すとあら不思議、こんなに簡単に開いちゃいました」
扉を開けてみせてから志摩がウインクする。
理沙はなるほどと納得した。
「それなら、最初の合言葉は必要なかったんじゃないの?」
「そうだね。てへ、うっかりしちゃった」
可愛く舌をだして微笑む志摩。
理沙も、もちろんにっこりと微笑んであげる。
「あれ、理沙ちゃん? その微笑みはモナリザの微笑みじゃないよ。邪悪なものを感じさせる微笑みだよ」
「うん、大丈夫。それで合っているから」
「……さて、授業に遅れそうだからあたしは急ぐね。また明日ね、理沙ちゃ~ん!」
言うは早く、志摩がスタコラ音をたてて駆け出した。理沙も負けずと追いかける。
「コラー! 待ちなさーい!」
──この日、抹茶の水女学園の七不思議に、恐ろしい微笑みを浮かべながら廊下を走るモナリザが追加された。
時刻は飛んで昼休み。
屋上に向かっている理沙がモナリザらしからぬ苦々しい表情を浮かべていた。
昼休み、普通の生徒は教室か中庭とかでお弁当を食べるか食堂に行く。また屋上は安全上の理由で常時閉め切りになっているので人が来ることはまずない。なので理沙は安心して微笑みを崩していられたのだ。
「それにしても、ここまで極端な反応されるとは……」
思い出すと、ため息が漏れる。
授業でのことだ。理沙の姿を見て呆然自失になったのはクラスメイトだけでなく、先生であっても例外ではなかった。
朝のホームルームの時にやってきた担任教師などは理沙を見るなり動きが止まってしまった。凍り付いたようにずっと固まっていたが、ホームルーム終了の鐘がなってやっと正気を取り戻し、
「ゴールデンウィーク明けだから幻覚を見ることもあるかと思いますが、連休ボケは早めに治しましょう」
生徒に言っているのか自分に言い聞かせているのかわからない口調で言って、足早に教室を出っていった。
職員室と反対の方向に歩いて行ったから、おそらく保健室に向かったのだろう。
担任教師だけでなく、他の教師についても大差はなかった。
最初に理沙を見て固まり、しばらくして自分が納得できる答えを見つけ授業を開始する。
ある教師は自分の妄想の産物であると結論を下し、ある教師は七不思議の一つだと結論づけた。
また、ある教師は眼鏡に張り付いたゴミが奇跡的にモナリザの姿に見えるのだと頻繁に眼鏡を拭きながら授業を進めた。
教師たちが見つけた答えは様々だったが、教師たちの対応は全員同じだった。
理沙に問題を当てるどころか視線を向けることすらなく、理沙は完全にいないものとして扱われた。
「問題を当てられなかったりするのは楽でいいけど、完全無視とか、これもある意味いじめになるのかしら?」
理沙からしたらそう感じるのかもしれないが、先生からしたら逆になんの嫌がらせかと思われていた。
想像してほしい。
自分が教師だったとして、連休明け、久々に授業をしようとしたら、生徒の中にモナリザがいた時を。
冷静に対処できる人がいるだろうか?
いや、いない。
いないだろう。
いないんじゃないかな?
いないということにしていてほしい。
──閑話休題。
何はともあれ、そんなことをぼやいているうちに屋上の扉にまでたどり着いた。
屋上の扉は古く、あちこち剥がれた塗装の変わりに錆が浮いていて、当然のようにカギがかかっている。
これは事前にわかっていたことであり、理沙は慌てずに声をかけながら扉を軽くノックする。
「志摩ちゃん、私よ。理沙よ」
すると、扉の向こう側から返事があった。
「……理沙ちゃん? 本物の理沙ちゃん?」
「本物ってなに? 声でわかるでしょ、志摩ちゃん」
扉の向こう側から声は、間違えようもなく志摩の声だった。
理沙と志摩は幼馴染同士。理沙が志摩の声を間違えないように、志摩も理沙の声を間違えようもない。
そうなのだが、
「いやいやいや、理沙ちゃんの声真似をしているインコかもしれないよ?」
「インコが真似するのは口真似よ。声は変わらないでしょ?」
「……」
○ 声真似──声質、丸ごと真似る。
X 口真似──言葉、言い回しを真似るだけ。
扉越しに、気まずい沈黙が流れる。
「……いやいやいや、待って! 携帯に録音しておいた音声かもしれないし!」
「抹茶の水女学園は携帯持ち込み禁止じゃない。もしかして、志摩ちゃんは持ってきてるの?」
「……」
再びの沈黙。
「ほ、本物の理沙ちゃんなら、合言葉を答えられるはずだよ」
「志摩ちゃん。結局、合言葉を言いたいだけでしょ?」
合言葉。それは二人でよくやる遊びの一つだ。志摩が出す五つのお題に素早く答えないといけない。
「さあ? あたしにはなんのことかわからないよ」
「もう、わかったわよ。志摩ちゃん、早く出して」
いくら人気がないとはいえ、屋上の扉の前で騒いでいたら目立つ。声が聞こえてくるのを不審に思い、誰かが来るとも限らないのだ。
ここは自分が折れて、さっさと終わらせようと思った。
「では、合言葉を答えなさい。昔々おじいさんとおばあさんがいました。さて、おじいさんは山へ何をしに行った?」
「……おばあさんを捨てにいった」
「寒さに震えていたマッチ売りの少女は?」
「……街中に火を付けて物理的に暖を取った」
「魔女に毒リンゴを渡された白雪姫は?」
「……毒リンゴの栽培、量産に成功して裏から世界を牛耳るマフィアのボスになった」
「浦島太郎は苛められていたカメを?」
「……箱につめて玉手箱と言って売った」
「桃太郎は鬼ヶ島で?」
「……鬼に退治された」
「六十点、まあ合格」
ガチャガチャとノブが動き、ギギギと苦しそうな音を立てて扉が開く。
開いた扉の先には志摩がにっこり笑って待ち受けていた。
「いらっしゃい、理沙ちゃん」
「ねえ、志摩ちゃん。この合言葉、もう止めない?」
「なんで? 楽しいのに?」
「私はしんどいのに……」
実はさっきの合言葉には決まった正解はないのだ。志摩が面白いと思う答えであったらそれが正解になる。
四十点がボーダーで、それ以下だと赤点と言って開けてくれない。しかも三秒以内に答えないと失格になるので、とっさの閃きを要求される。
少々ズルだが、理沙はあらかじめ志摩が言いそうな合言葉を予想して事前に答えを用意することで対応していた。
しかし、それも今回のでとうとう答えのストックがなくなってしまい、次から閃きだけで勝負するのかと暗澹たる気持ちになったのだ。
「まあまあ、それよりお昼にしようよ。『モナリザの君』計画も説明しないといけないし、時間に余裕があるわけじゃないんだから」
「時間を無駄に使ったのは志摩ちゃんでしょ?」
「はてはて、なんのことやらわかりませぬ」
志摩はとぼけて、呆れている理沙の手を取り強引に歩き出した。
屋上には日当たりのいい一角にレジャーシートが敷かれていた。お昼の準備は万全だった。
「用意がいいわね。って、それより聞きそびれていたんだけど、なんで志摩ちゃんは屋上のカギを持っていたの?」
「それは用意しておいたからだよ。もしもの時のためにね。突然学校をテロリストに占拠された時とか、パラった先生が生徒を皆殺し始めた時とか」
「そんなのマンガや小説の中でしか起きないわよ」
「そうだね。だけど、あたしは思うの。この世界、理沙ちゃんみたいにモナリザそっくりの女の子がいるんだから、何が起こっても不思議はないって」
「なるほど……って、人を不思議現象みたいに言ってない?」
「イヤイヤイヤ、ソンナコトナイヨ」
志摩が人の悪そうな笑顔を浮かべていた。理沙は反論しようとして口を開きかけたが、結局何も言わずに諦めて息だけを吐いた
これはいつもの志摩のペースであり、理沙が今まで口で志摩に勝てたことはないのだ。それに少々悔しいが、それを楽しんでいる自分がいるのも事実だった。
「まったくもう、志摩ちゃんは仕方ないわね。まあ、いいわ。お昼にしましょうか?」
「うん。食べよ食べよ」
レジャーシートの上で向かい合わせに座り、二人分の弁当箱を広げる。二人のお弁当からお互いに食べたいものつまんでいく。いちいち一品一品交換とかはしない。これがいつもの二人のスタイルだった。
「相変わらず、理沙ちゃんのお弁当は美味しいね」
「志摩ちゃんのだって美味しいわよ」
「あたしのはほら、一応料理人が作っているからね。それなのにお酒のおつまみみたいなものばっかりで、あぶらっこいから嫌になるのよ……」
志摩のお弁当は唐揚げ、焼き鳥(串なし)、たこわさ、などなど。
完全に居酒屋のメニューだった。
「それに比べて理沙ちゃんのはいろどりも豊かで栄養バランスも良さそう。理沙ちゃん、うちに嫁にこない? パパもママも理沙ちゃんを気に入ってるし、上手くいくと思うよ」
「それは志摩ちゃんの家族の誰かと結婚ってこと? ちょっと遠慮しとくわ。私は平凡な家庭を目指しているの」
「そっか、残念。だけど気が変わったならいつでも言ってね。理沙ちゃんはうちでは本当に人気あるんだから。みんなはくが付くって……」
「志摩ちゃん。それよりも『モナリザの君』計画について最初から教えてくれない?」
嫌な話の流れになりそうだったのもあって、理沙は本題を切り出した。
そもそも二人が人気のない屋上を昼食場所に選んだのは、他人に聞かれないように 『モナリザの君』計画の話をするためだ。
「最初から? 前に説明したはずだけど?」
「あの時は面食らって動転していたから話半分だったのよ。もう一度聞かせてもらっていい? 今なら別の方法を思いつくかも知れないわ」
「生徒会長になるための別の方法? 無理無理。理沙ちゃんは例えばどんなことを考えているの?」
「それは……普通に頑張る……とか?」
「甘いね。もともとエスカレーター組に比べて外部編入組である理沙ちゃんは不利なんだよ。それに生徒会長なんて大抵は二年生がやるものなんだから、一年生は不利でもあるし。そのうえ、美貌、成績、人望では千景姫に敵わず、やる気においても手段を択ばない道子に敵わない。普通にやって当選するとでも思うの?」
「……一生懸命をつけても無理?」
「無理だって。普通の選挙なら、平凡さや不利であるってことを逆に強調して庶民感情や半官感情に訴えるとか、投票者の直接利益につながる公約を立てるとかできるけど、今回は意味がないしね」
「ちょっと待って。どうして意味がないの?」
やたらと豪華な肩書を持った人より、身近な職業の人の方が自分たちの目の前の問題に取り組んでくれそうだと思うものだ。同じレベルの人なら親しみを感じるし、十分有効だと思う。
「それはね、理沙ちゃん。ここだからだよ」
コツコツと地面を叩いて志摩が言葉を強調した。
「……屋上?」
「違う。もっと広げて」
「校舎?」
「もっとよ」
「日本?」
「今度は広げ過ぎ。理沙ちゃん合言葉じゃないから、ボケなくてもいいよ?」
「それじゃ、抹茶の水女学園?」
「その通りだよ。ここは日本有数のお嬢様学校、抹茶の水学園。通う生徒もお嬢様ばかり。つまり、ここでの平凡はお嬢様レベルなのよ。あたしたち程度じゃ貧乏人って思われて、親しみやすさをアピールなんかできないって。同レベルどころか格下なんだからね」
「……なんとも世知辛いわね」
「あと、投票者の直接利益になる公約もできないからね。生徒のために冷暖房設備を充実させますとか、生徒会じゃなくて経営陣の権限の範囲だよ」
「そっか。難しいわね」
言われてみると、今まで見た生徒会の選挙の立候補者は自分の真面目さのアピールしかしていなかった気がする。どれも立候補者の真面目アピール合戦でつまらなかった記憶が残っていた。
「そういうこと。これは生徒会が生徒のためにある組織じゃなくて、教育の一部だからしょうがないけどね」
自身も中学で生徒会長だった志摩の言葉には、少しばかりやるせなさと諦観が滲み出ていた。
「それじゃどうするの? もう打つ手なしって感じなんだけど?」
「そこで出てくるのが『モナリザの君』計画ってわけ。まあ理沙ちゃん、取りあえずこれを見てよ」
志摩がカバンから丸められていた用紙を取り出した。結構大きい。
手渡され、何が描かれているか確認した理沙は目を丸くした。
「なに……これ?」
「理沙ちゃんの選挙ポスターだよ」
そこには制服を着た理沙が、モナリザと同じポーズを取っていた。しかも合成したのか背景は絵画の『モナリザ』と同じだ。
しかし、理沙がもっと気になったのは、その上に書かれている文面だった。
『学園の平和は私が守る!!』
『学園の守護神!!』
『モナリザの君』
「なにこれ……これが選挙ポスター?」
「うん、もちろん」
「私の名前すら入っていないんだけど? 投票の時に名前を書かれなかったら無効票になるんじゃない?」
「そこはさすがの抹茶の水女学園だよ。ここでは通称も有効票になるんだって。今いる人で言うなら千景姫とか、人気がある生徒に特別な呼称が付くのは伝統で、そんな生徒の本名を言ったり書いたりするのは忌み嫌われているらしいよ」
「へえ、でも私は人気なんかないし『モナリザの君』なんて呼称を付けられてもいないんだけど?」
「今あたしが付けたから問題なし!」
「なんかズルくない、志摩ちゃん?」
「作戦って言ってよ。それにこれは『モナリザの君』計画の肝なんだよ。呼称が付いていれば逆説的に人気があるって勘違いしてくれる人もいるしね」
「……結構考えてるのね」
もやもやした複雑な思いを抱きつつも感心し、理沙は改めてポスターに目を落とす。
縦書きで書かれた『学園の平和は私が守る!!』という言葉が目に付いた。
理沙の視線に気づいた志摩が声をかける。
「理沙ちゃん。その『学園の平和は私が守る!!』が公約だから、この言葉は覚えといてね」
「公約!? これが!?」
「そう、これも『モナリザの君』計画の肝だよ。これなら生徒会の権限でも問題ないし、なにより生徒に直接利益になるってアピールできるのよ。他のくそつまらない真面目アピールとも差別化できて一石二鳥」
「『モナリザの君』に肝が二つあって気持ち悪いのは置いといて、これで直接利益になるの?」
「信じる人にとってはね」
「途端に胡散臭くなってきたわね。それで、具体的に私は何をしなければいけないの?」
「助けを求められたら助けたらいいだけで、別に何もしなくていいよ。基本的には天から見守る神様スタイルでお願い」
「神様? それってポスターの下に書いてある『学園の守護神!!』ってことと関係あるの?」
「うん。ああ、そうそう。設定では理沙ちゃんは抹茶の水女学園を守護するために転生した神様『モナリザの君』だから、これも覚えておいてね」
「設定って……。それに神様とかもう新興宗教みたいに感じるんだけど……」
「まあ、ぶっちゃけその通りだよ。ちなみに今日から『モナリザの君』を信じる者は守護神の加護により守られ、救われるって噂を流す予定……っていうかもう流しちゃってるけどね」
最後に志摩はウインクをして言葉を閉めた
志摩の顔は愛嬌のあるいい笑顔だったが、理沙の心の不安を晴らすことはできなかった。
志摩が愛嬌を振り撒くのは、悪戯を取り繕うためか悪だくみを隠すためのどちらかである可能性が高いのだ。
「本当に大丈夫なの? 先生方からストップがかかったりしない?」
「大丈夫大丈夫。抹茶の水女学園は特定の宗教に属しているわけでもないし、もし先生方に詰問されたら『困っている人を助けるという当然のことを言っているだけです。流れている噂なんかは知りません』って言い張ればいいよ」
「……志摩ちゃん。さっき言ってただけじゃなくて、物騒な噂も流す気でしょ?」
「せいか~い! 『モナリザの君』に投票したものは守られるけど、投票しなかったらたたられるって噂も流すからよろしくね。これでこういうことを面白がる生徒と怯える生徒の両方の票を確保できるってわけよ」
「簡単そうにいってるけど、まず、私を学園の守護神『モナリザの君』だって誰も信じないんじゃない?」
「ばっちりいけるって。だってこんなにモナリザそっくりなんだよ? それに理沙ちゃんは外部編入組だから過去を知っている人もいないしね」
「……そんなに上手くいくかしら?」
「ほら、そんなに不安そうな顔をしないで。ほらモナリザみたいに微笑まないと『モナリザの君』じゃないよ。もう賽は投げられたんだから、気合入れないと」
「はあ、そうね。もう今朝のうちに生徒会長選挙の立候補届は出しちゃたし、今更『モナリザの君』を止めたところでクラスメイトからモナリザ扱いされるのは目に見えてるわね。もう引き返せないか……」
「そうそう、諦めがが肝心だよ」
朗らかに笑う志摩。
その笑顔で気持ちは決まった。
遠慮なく志摩にも覚悟を迫ろう。
「ところで志摩ちゃん。あなたは命を賭けるって言ったわよね?」
「あ~、そんなことも言った……かな?」
「とぼけても駄目よ。志摩ちゃんは命を賭けたんだから、私が生徒会長になれなかったら覚悟を決めてもらうわ」
「えっ? ……理沙ちゃん、具体的にはどうするつもりなの?」
思わず志摩は後ろに下がる。
恨みがましい目をしたモナリザは迫力があった。
「刑罰は実行を持って発表させていただきます」
「いやー! 理沙ちゃんは何をする気なの!」
志摩は昔を思い出したのか、鼻を抑えて怯えている。
志摩のことだから演技である可能性はあるが、それでも溜飲が下がった理沙だった。
離れてしまった志摩をお弁当で誘い出す。
とりあえずタコさんウインナー。
こいこい。
「ほらほら志摩ちゃん。『モナリザの君』計画が必要なのはわかったけど、これから具体的にはどう動けばいいの?」
あっさり帰って来た志摩は理沙の箸ごとパクリと一口。
もぐもぐとそしゃくしてから話し出した。
「えっとね、周りの動きに合わせて対応したいからあんまり決めてないんだけど、とりあえずお昼は屋上でとることにしようか。情報の交換は必要だしね。それと時間がある時に千景姫に話しかけて、あわよくば友達になってくれるかな? うん、今はこんなものでいいや」
「千景姫と? 一応私とライバルなんでしょ?」
「そうだけど、『モナリザの君』の価値観を高めるためだよ。千景姫は今の状態で信仰に近いものを集めているから、千景姫の友達なら同じ次元の存在だと勝手に思い込む生徒が現れると思うしね。千景姫と友達なんてこいつは只者じゃないって」
「そうなの? それなら千景姫の今の友達はどうなっているの?」
「千景姫に友達は一人もいないらしいよ。ほら、ちょっとこっちに来て」
志摩が立ち上がり、中庭が見下ろせる位置まで移動する。
理沙も一緒に移動して、同じように中庭を見下ろした。
「あ、千景姫が……一人きり?」
中庭の一際大きい木の下にあるベンチに千景はいた。
中庭には他に人影もなく、一人でゆっくり弁当を食べている。
小鳥が飛んできて、千景の肩にとまる。
千景は微笑んで小鳥のために手の平に食べ物を分ける。
小鳥は警戒する様子もなく、手の平の食べ物をつつき始める。
やがて他に数羽の小鳥も飛んできて、同じようにつつき始める。
映画の一場面のような食事風景だった。
「絵になる人ね……」
「理沙ちゃんも負けてないじゃない?」
「私は絵になるじゃなくて絵になった人。って、私がモデルになったわけじゃないわよ!」
「わかってるって、理沙ちゃん。ところで校舎の影とか木の影とか窓際とか、ちょっと注意して見てみて」
「なにが……あっ」
志摩に言われた位置に目を向けると……いた。
生徒がコッソリ隠れている。
一人や二人じゃない。結構な人数だ。
ある者は黒いセーラー服を活かして校舎の影に紛れ込み、ある者は両手に木の枝を持って藪になりきり、ある者は外壁と同じ柄のマントをかかげて壁になりきっている。
そして、全員がうっとりとした視線を千景に送っていた。
「なんなの彼女らは?」
「彼女たちが千景姫の信奉者、『千景姫を愛でる会』ね。彼女たちはああして四六時中千景姫に張り付いて熱い視線を送るのを日課としているんだって」
「はた迷惑な日課ね。ストーカー? まあ、だけど見ているだけならまだ可愛いかしら」
「いや、実際は悪質だよ。彼女らは千景姫に近づく生徒をガードする役目も負ってるからね。ほら、あれを見て」
お昼をとるためだろう、お弁当箱を持った一人の生徒が中庭に歩いてきた。
だが、その生徒が中庭に着く前にわらわらとわいてきた『千景姫を愛でる会』によって物陰に強制的に移動させられた。彼女たちの身振り手振りから中庭は立ち入り禁止だ、どこか別のところに行けと言っているのがわかった。
それでもその生徒が不服そうな態度をとると、今度は両腕を拘束されてどこかに連行されていった。
「彼女らはああやって理由を問わず千景姫に近づく生徒を排除しているのよ。名目上は千景姫に穏やかで静かな学園生活を送ってもらうってね。例外は千景姫から接近された場合だけど、その場合でも後で秘密の小部屋に連行されて会話の内容を聴取されたうえに、今後自分から近づかないようにきつく注意さるらしいよ」
「なるほどね。確かに彼女たちに付きまとわれていたら友達がいないのもうなずけるわ。だけど……酷いわね。千景姫は彼女たちの行いを知っているの?」
「たぶん知らないんじゃないかな。噂通りの優しい方なら知っていたら止めるんじゃない?」
「そう……可哀想な話ね」
籠の中の小鳥というのが真っ先に頭に浮かんだ。
誰にも邪魔されない穏やかで静かな生活だが、決して自由はない。彼女が望まれているのは不自由な籠の中でその愛らしい姿をさらす事だけ。自分の陥っている状況も知らない。
そう思って千景を見ると、先ほどまでの優雅さが消え、寂寥感を身にまとったただの少女のように感じた。
「志摩ちゃん。私、千景様と友達になってみるわ」
「おっ、理沙ちゃんならそう言ってくれると信じていたよ。それじゃ、はいこれ。役に立つと思うよ」
志摩はポケットから手帳を取り出し、理沙に手渡す。
理沙がパラパラと手帳をめくってみると、それは誰かの行動記録のようだった。時刻と場所が分単位で書かれていて、その細かさは病的なものを感じさせた。
「ここ一ヶ月の千景姫のスケジュールよ」
「うわっ!」
理沙は「お前もか、ブルータス?」といった目を志摩に向けた。
「違う違う。あたしのじゃないよ。『千景姫を愛でる会』の一人と物々交換で手に入れたのよ」
「完全なストーカーがいるのも気になるけど、その人物が交換に応じた物も気になるわね」
「それは、ひ・み・つ」
可愛くしなを作る志摩。
大きな声で言えないことをやったのは間違いないようだ。
聞いても答えてくれないのはわかっているので、理沙は千景のスケジュールに目を落とした。
「登校時間も下校時間も決まっているのね。規則正しい生活。お昼に食べる場所も決めていると……」
「どう? あの『千景様を愛でる会』のガードを潜り抜けそう?」
「うん、大丈夫そう。ただ、チャンスが大きいのはお昼なのよね。志摩ちゃん、私がお昼の時間に屋上に行かない日があってもいいかしら?」
「別にいいよ。後で電話くれたらいいし。理沙ちゃんのお弁当を食べられないのは残念だけど」
「もしかして、お昼の集合ってそれが一番の目的じゃないの?」
「ソンナコトナイヨ」
正解のようだった。
理沙が怒ってみせると、志摩はおどけて逃げてみせる。
屋上に少女たちの声が響く。
その響きに余鈴のチャイムが混じった。
「あ、もう時間ね。志摩ちゃん、他に何か注意することある?」
「そうだね。できるだけ人間離れした行動をしてくれるといいかな?」
「……なんのために必要なの、それは?」
「もちろん『モナリザの君』のためだよ。いい? 『モナリザの君』は神様なんだよ。人間離れした方がらしいでしょ?」
「わからないけどわかったわ。志摩ちゃんの言うことだからたぶん正しいんでしょ。努力してみる」
会話を交わしながら、手早くお弁当とレジャーシートを片づけた。
じゃあ教室に帰ろうかと屋上に出たところで、志摩が屋上の扉にカギをかける様子がないのに気が付いた。
「志摩ちゃん、カギかけないの?」
「うん、もともとこの扉には鍵がかかっていなかったからね」
「?」
不思議そうな顔をする理沙に、志摩が説明する。
「この扉は古いから立て付けが悪くなって、カギをかけてなくても開かないんだよ、こんな風に」
志摩が扉を押したり引いたりするがびくともしない。
「これで誰かがカギがかかっているって勘違いしたんだよ。実際はこう、上に持ち上げながら押すとあら不思議、こんなに簡単に開いちゃいました」
扉を開けてみせてから志摩がウインクする。
理沙はなるほどと納得した。
「それなら、最初の合言葉は必要なかったんじゃないの?」
「そうだね。てへ、うっかりしちゃった」
可愛く舌をだして微笑む志摩。
理沙も、もちろんにっこりと微笑んであげる。
「あれ、理沙ちゃん? その微笑みはモナリザの微笑みじゃないよ。邪悪なものを感じさせる微笑みだよ」
「うん、大丈夫。それで合っているから」
「……さて、授業に遅れそうだからあたしは急ぐね。また明日ね、理沙ちゃ~ん!」
言うは早く、志摩がスタコラ音をたてて駆け出した。理沙も負けずと追いかける。
「コラー! 待ちなさーい!」
──この日、抹茶の水女学園の七不思議に、恐ろしい微笑みを浮かべながら廊下を走るモナリザが追加された。
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