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第二十二話 奴隷落ち判決
第二十二話 奴隷落ち判決
身分処分の日。
王宮の審問室には、昨日よりもさらに冷たい空気が漂っていた。
財産没収は、すでに執行された。
アルベルト男爵家の屋敷、領地の収益権、馬車、宝飾品、衣装、調度品。
すべてが王宮管理下に置かれた。
だが、それでも不足した。
公爵家への返還金。
商会への弁済金。
王家への罰金。
失ったものの大きさに比べて、男爵家の財産はあまりにも足りなかった。
アルベルト男爵は、青ざめた顔で立っていた。
男爵夫人は震え、セシリアは母親の袖を握りしめている。
「お母様……」
その声は、か細い。
男爵夫人は娘の手を握り返した。
「大丈夫よ、セシリア。きっと、何かの間違いよ」
だが、その声には力がなかった。
審理官が席に着く。
記録官がペンを構える。
近衛兵が扉の前に立つ。
そして上座には、王太子がいた。
エレノアは少し離れた席に座っている。
背筋を伸ばし、静かに。
もう、彼女が弁明することはない。
事実はすでに示された。
あとは、王家が裁くだけだった。
審理官が口を開く。
「アルベルト男爵」
アルベルトは顔を上げた。
「そなたは、後見人の立場を利用し、グランディア公爵家の名を無断で使用した」
「……」
「公爵代理を名乗り、当主承認なき契約を行い、公爵家財産を担保にした」
「……」
「さらに、娘セシリア嬢を公爵家令嬢と偽り、王宮舞踏会に出席させた」
セシリアが小さく泣き声を漏らす。
審理官は止まらない。
「男爵夫人もまた、公爵夫人を自称し、公爵家名義で私的支出を重ねた」
男爵夫人が首を振る。
「違います……私は、そんなつもりでは……」
「つもりではない、という言葉で記録は消えない」
審理官の声は淡々としていた。
男爵夫人は黙り込む。
審理官は書類を一枚、手に取った。
「財産没収後も、弁済額は不足している」
アルベルト男爵の肩が震える。
「王宮へ、返済猶予を願いたい」
ようやく絞り出した声だった。
「働いて返す。領地を再建し、時間をかければ――」
「領地はすでに没収された」
「ならば、商会に投資を――」
「出資分も没収された」
「では……」
彼の言葉が途切れる。
もう、何も残っていない。
審理官は冷たく告げた。
「王家欺瞞および爵位僭称の罪により、アルベルト男爵家の爵位を剥奪する」
男爵夫人が息を呑んだ。
セシリアの目が見開かれる。
アルベルト男爵は、しばらく意味を理解できないように立ち尽くした。
「爵位……剥奪……?」
「本日をもって、アルベルト男爵家は貴族籍より抹消される」
審問室が静まり返る。
それは、貴族としての死だった。
アルベルトは震える声で言った。
「私は……男爵ですら、なくなるのか」
審理官は答える。
「そうだ」
男爵夫人が悲鳴を上げた。
「そんな! 私は男爵夫人ですらなくなるのですか!」
「その通りだ」
「嫌よ! 私は……私は……!」
言いかけて、彼女は言葉を止めた。
公爵夫人。
そう言おうとしたのだろう。
だが、もう言えない。
その嘘が、ここまで彼女を落としたのだから。
セシリアは母親の腕にしがみつく。
「では、私は……?」
審理官の視線がセシリアへ向く。
「セシリア嬢も同じく、貴族籍を失う」
セシリアの顔から血の気が引いた。
「貴族では……なくなる……?」
「そうだ」
「そんな……」
彼女は震えながら王太子を見た。
「殿下……」
王太子は何も言わない。
その沈黙が、答えだった。
審理官はさらに書類を読み上げる。
「残債弁済のため、三名を王宮管理下の労役奴隷として登録する」
その瞬間、男爵夫人が椅子から立ち上がった。
「奴隷ですって!?」
近衛兵が動く。
男爵夫人は一歩下がる。
「嫌よ! そんなの嫌! 私は貴族なのよ!」
審理官が告げる。
「今、貴族籍剥奪を申し渡した」
「そんなもの、認めないわ!」
「認める必要はない。王命だ」
男爵夫人の足が震える。
セシリアは真っ青な顔で呟いた。
「奴隷……私が……?」
あれほど嫌がっていた男爵令嬢ですら、もう名乗れない。
残るのは、身分を持たない労役奴隷。
その現実が、ゆっくりと彼女の上に落ちていく。
アルベルトは机に手をついた。
「待て。私だけでよい」
声は掠れていた。
「妻と娘は……」
「三名とも、罪に関与している」
審理官は切り捨てた。
「男爵夫人は公爵夫人を自称し、支出を主導した。セシリア嬢は、王太子殿下の前で虚偽の名乗りをした」
「娘は若い!」
「若さは、王家を欺いた事実を消さない」
アルベルトは言葉を失った。
セシリアは泣きながら首を振る。
「私、ただ綺麗なドレスを着たかっただけなの……王太子殿下と踊れて、嬉しかっただけなの……」
審理官は彼女を見た。
「そのために、他人の名を使った」
セシリアは泣き崩れた。
男爵夫人がエレノアの方を向く。
「エレノアさん! お願い、助けて!」
その声は、審問室に響いた。
「あなたが公爵でしょう? あなたが一言言えば、きっと――」
エレノアは、ゆっくりと立ち上がった。
男爵夫人の顔に希望が浮かぶ。
セシリアも、涙に濡れた目でエレノアを見る。
アルベルトも、わずかに顔を上げた。
エレノアは三人を見つめた。
そして、静かに言った。
「私は、公爵家の損失が正しく補填されることを望みます」
それだけだった。
助命ではない。
減刑でもない。
ただ、当主としての請求。
男爵夫人の希望が砕ける。
「そんな……」
セシリアが震える声で言う。
「エレノア様……私たちを見捨てるの……?」
エレノアは答えた。
「私は、最初から何度も止めました」
セシリアの唇が震える。
「戻れる場所は、踏み越える前にしかありません」
その言葉を、彼女は覚えていたのだろう。
顔を覆い、声を上げて泣き出した。
審理官は判決文を手に取る。
「アルベルト」
もう、男爵とは呼ばなかった。
その呼び方に、彼の顔が歪む。
「そなたは北部鉱山に送る。終身労役とする」
アルベルトの膝が崩れかけた。
「鉱山……」
北部鉱山。
罪人が送られる、過酷な労役地。
一度入れば、生きて戻る者は少ない。
審理官は続ける。
「妻については、王宮管理の労役施設へ移送。査定後、必要に応じて鉱山関連労役へ編入する」
男爵夫人は震えた。
「そんな場所へ……私が……?」
「残債弁済の対象である」
「嫌よ……嫌……」
審理官の視線が最後にセシリアへ向く。
「セシリア」
彼女は母親にしがみついたまま、顔を上げない。
「そなたは、年齢と労役適性を考慮し、王宮管理下で身柄を保全する。後日、弁済契約先を決定する」
その言葉の意味に、セシリアはすぐには気づかなかった。
だが、男爵夫人は気づいた。
「待って……契約先って……まさか……!」
審理官は答えない。
答えなくても分かる。
国内に残すとは限らない。
国外商会への引き渡し。
労役契約。
売却。
その未来が、セシリアの前に口を開けていた。
「嫌……!」
セシリアは泣き叫んだ。
「お父様! お母様!」
アルベルトは動けない。
男爵夫人も、娘を抱きしめることしかできない。
近衛兵が前へ出る。
「身柄を確保せよ」
アルベルトが反射的に抵抗しようとした。
だが、すぐに腕を押さえられる。
「離せ! 私は――」
言いかけて、彼は止まった。
私は男爵だ。
そう言えなかった。
もう、その身分はない。
男爵夫人が叫ぶ。
「触らないで! 私は……!」
そこで言葉が詰まる。
公爵夫人ではない。
男爵夫人でもない。
貴族ですらない。
近衛兵は冷たく告げた。
「労役奴隷として登録済みだ」
その一言で、彼女は崩れ落ちた。
セシリアは泣きながらエレノアへ手を伸ばす。
「エレノア様、お願い……助けて……」
エレノアは、振り返らなかった。
審理官が最後に宣告する。
「以上をもって、身分処分を確定する」
重い木槌の音が響いた。
それが、アルベルト一家の終わりを告げる音だった。
貴族ではない。
男爵家でもない。
一族でもない。
残されたのは、返しきれない借金と、奴隷としての労役だけ。
王太子が静かに立ち上がる。
「公爵エレノア」
「はい」
「公爵家への返還は、王宮が責任をもって進める」
「感謝いたします」
エレノアは深く礼をした。
背後では、泣き叫ぶ声。
鎖の音。
引きずられる足音。
けれど、彼女は振り返らない。
王宮の白い廊下へ出ると、ルークが静かに言った。
「終わりましたな」
エレノアは前を向いたまま答える。
「いいえ」
まだ終わりではない。
判決は下った。
だが、執行はこれからだ。
アルベルトは鉱山へ。
妻は労役施設へ。
セシリアは、さらに別の場所へ。
公爵家の名を偽った代償は、まだ形になり始めたばかりだった。
身分処分の日。
王宮の審問室には、昨日よりもさらに冷たい空気が漂っていた。
財産没収は、すでに執行された。
アルベルト男爵家の屋敷、領地の収益権、馬車、宝飾品、衣装、調度品。
すべてが王宮管理下に置かれた。
だが、それでも不足した。
公爵家への返還金。
商会への弁済金。
王家への罰金。
失ったものの大きさに比べて、男爵家の財産はあまりにも足りなかった。
アルベルト男爵は、青ざめた顔で立っていた。
男爵夫人は震え、セシリアは母親の袖を握りしめている。
「お母様……」
その声は、か細い。
男爵夫人は娘の手を握り返した。
「大丈夫よ、セシリア。きっと、何かの間違いよ」
だが、その声には力がなかった。
審理官が席に着く。
記録官がペンを構える。
近衛兵が扉の前に立つ。
そして上座には、王太子がいた。
エレノアは少し離れた席に座っている。
背筋を伸ばし、静かに。
もう、彼女が弁明することはない。
事実はすでに示された。
あとは、王家が裁くだけだった。
審理官が口を開く。
「アルベルト男爵」
アルベルトは顔を上げた。
「そなたは、後見人の立場を利用し、グランディア公爵家の名を無断で使用した」
「……」
「公爵代理を名乗り、当主承認なき契約を行い、公爵家財産を担保にした」
「……」
「さらに、娘セシリア嬢を公爵家令嬢と偽り、王宮舞踏会に出席させた」
セシリアが小さく泣き声を漏らす。
審理官は止まらない。
「男爵夫人もまた、公爵夫人を自称し、公爵家名義で私的支出を重ねた」
男爵夫人が首を振る。
「違います……私は、そんなつもりでは……」
「つもりではない、という言葉で記録は消えない」
審理官の声は淡々としていた。
男爵夫人は黙り込む。
審理官は書類を一枚、手に取った。
「財産没収後も、弁済額は不足している」
アルベルト男爵の肩が震える。
「王宮へ、返済猶予を願いたい」
ようやく絞り出した声だった。
「働いて返す。領地を再建し、時間をかければ――」
「領地はすでに没収された」
「ならば、商会に投資を――」
「出資分も没収された」
「では……」
彼の言葉が途切れる。
もう、何も残っていない。
審理官は冷たく告げた。
「王家欺瞞および爵位僭称の罪により、アルベルト男爵家の爵位を剥奪する」
男爵夫人が息を呑んだ。
セシリアの目が見開かれる。
アルベルト男爵は、しばらく意味を理解できないように立ち尽くした。
「爵位……剥奪……?」
「本日をもって、アルベルト男爵家は貴族籍より抹消される」
審問室が静まり返る。
それは、貴族としての死だった。
アルベルトは震える声で言った。
「私は……男爵ですら、なくなるのか」
審理官は答える。
「そうだ」
男爵夫人が悲鳴を上げた。
「そんな! 私は男爵夫人ですらなくなるのですか!」
「その通りだ」
「嫌よ! 私は……私は……!」
言いかけて、彼女は言葉を止めた。
公爵夫人。
そう言おうとしたのだろう。
だが、もう言えない。
その嘘が、ここまで彼女を落としたのだから。
セシリアは母親の腕にしがみつく。
「では、私は……?」
審理官の視線がセシリアへ向く。
「セシリア嬢も同じく、貴族籍を失う」
セシリアの顔から血の気が引いた。
「貴族では……なくなる……?」
「そうだ」
「そんな……」
彼女は震えながら王太子を見た。
「殿下……」
王太子は何も言わない。
その沈黙が、答えだった。
審理官はさらに書類を読み上げる。
「残債弁済のため、三名を王宮管理下の労役奴隷として登録する」
その瞬間、男爵夫人が椅子から立ち上がった。
「奴隷ですって!?」
近衛兵が動く。
男爵夫人は一歩下がる。
「嫌よ! そんなの嫌! 私は貴族なのよ!」
審理官が告げる。
「今、貴族籍剥奪を申し渡した」
「そんなもの、認めないわ!」
「認める必要はない。王命だ」
男爵夫人の足が震える。
セシリアは真っ青な顔で呟いた。
「奴隷……私が……?」
あれほど嫌がっていた男爵令嬢ですら、もう名乗れない。
残るのは、身分を持たない労役奴隷。
その現実が、ゆっくりと彼女の上に落ちていく。
アルベルトは机に手をついた。
「待て。私だけでよい」
声は掠れていた。
「妻と娘は……」
「三名とも、罪に関与している」
審理官は切り捨てた。
「男爵夫人は公爵夫人を自称し、支出を主導した。セシリア嬢は、王太子殿下の前で虚偽の名乗りをした」
「娘は若い!」
「若さは、王家を欺いた事実を消さない」
アルベルトは言葉を失った。
セシリアは泣きながら首を振る。
「私、ただ綺麗なドレスを着たかっただけなの……王太子殿下と踊れて、嬉しかっただけなの……」
審理官は彼女を見た。
「そのために、他人の名を使った」
セシリアは泣き崩れた。
男爵夫人がエレノアの方を向く。
「エレノアさん! お願い、助けて!」
その声は、審問室に響いた。
「あなたが公爵でしょう? あなたが一言言えば、きっと――」
エレノアは、ゆっくりと立ち上がった。
男爵夫人の顔に希望が浮かぶ。
セシリアも、涙に濡れた目でエレノアを見る。
アルベルトも、わずかに顔を上げた。
エレノアは三人を見つめた。
そして、静かに言った。
「私は、公爵家の損失が正しく補填されることを望みます」
それだけだった。
助命ではない。
減刑でもない。
ただ、当主としての請求。
男爵夫人の希望が砕ける。
「そんな……」
セシリアが震える声で言う。
「エレノア様……私たちを見捨てるの……?」
エレノアは答えた。
「私は、最初から何度も止めました」
セシリアの唇が震える。
「戻れる場所は、踏み越える前にしかありません」
その言葉を、彼女は覚えていたのだろう。
顔を覆い、声を上げて泣き出した。
審理官は判決文を手に取る。
「アルベルト」
もう、男爵とは呼ばなかった。
その呼び方に、彼の顔が歪む。
「そなたは北部鉱山に送る。終身労役とする」
アルベルトの膝が崩れかけた。
「鉱山……」
北部鉱山。
罪人が送られる、過酷な労役地。
一度入れば、生きて戻る者は少ない。
審理官は続ける。
「妻については、王宮管理の労役施設へ移送。査定後、必要に応じて鉱山関連労役へ編入する」
男爵夫人は震えた。
「そんな場所へ……私が……?」
「残債弁済の対象である」
「嫌よ……嫌……」
審理官の視線が最後にセシリアへ向く。
「セシリア」
彼女は母親にしがみついたまま、顔を上げない。
「そなたは、年齢と労役適性を考慮し、王宮管理下で身柄を保全する。後日、弁済契約先を決定する」
その言葉の意味に、セシリアはすぐには気づかなかった。
だが、男爵夫人は気づいた。
「待って……契約先って……まさか……!」
審理官は答えない。
答えなくても分かる。
国内に残すとは限らない。
国外商会への引き渡し。
労役契約。
売却。
その未来が、セシリアの前に口を開けていた。
「嫌……!」
セシリアは泣き叫んだ。
「お父様! お母様!」
アルベルトは動けない。
男爵夫人も、娘を抱きしめることしかできない。
近衛兵が前へ出る。
「身柄を確保せよ」
アルベルトが反射的に抵抗しようとした。
だが、すぐに腕を押さえられる。
「離せ! 私は――」
言いかけて、彼は止まった。
私は男爵だ。
そう言えなかった。
もう、その身分はない。
男爵夫人が叫ぶ。
「触らないで! 私は……!」
そこで言葉が詰まる。
公爵夫人ではない。
男爵夫人でもない。
貴族ですらない。
近衛兵は冷たく告げた。
「労役奴隷として登録済みだ」
その一言で、彼女は崩れ落ちた。
セシリアは泣きながらエレノアへ手を伸ばす。
「エレノア様、お願い……助けて……」
エレノアは、振り返らなかった。
審理官が最後に宣告する。
「以上をもって、身分処分を確定する」
重い木槌の音が響いた。
それが、アルベルト一家の終わりを告げる音だった。
貴族ではない。
男爵家でもない。
一族でもない。
残されたのは、返しきれない借金と、奴隷としての労役だけ。
王太子が静かに立ち上がる。
「公爵エレノア」
「はい」
「公爵家への返還は、王宮が責任をもって進める」
「感謝いたします」
エレノアは深く礼をした。
背後では、泣き叫ぶ声。
鎖の音。
引きずられる足音。
けれど、彼女は振り返らない。
王宮の白い廊下へ出ると、ルークが静かに言った。
「終わりましたな」
エレノアは前を向いたまま答える。
「いいえ」
まだ終わりではない。
判決は下った。
だが、執行はこれからだ。
アルベルトは鉱山へ。
妻は労役施設へ。
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