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そしてB型は惹かれ会う
34.彼女の思いを語る一曲
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「今はローズとお呼びくださいまし、凸リン」
ふざけたような口調ではあるけれど、その仕草一つ一つは洗練され、どこか誇らしげな自負すら滲んでいた。
「いや、それも恥ずかしくない? あと、普通に美月でいいから……」
肩をすくめて照れ笑いする美月にローズは目を細めるようにして静かに微笑んだ。
「了解しましたわ、美月さん」
「こっちも普通に巨傲さんて呼ぶからね」
軽い言葉の応酬。それで二人の距離はすっと馴染むように近づいていた。
長らく離れていた時間が今このひとときでふわりと縮んでゆく。
だが話を遮られた側としては面白くない。代表して皆人が口を挟む。
「で、結局どっちが優勝したんだ?」
瞬間、温かかった空気がぴしりと張り詰める。手を上げたのは美月だった。
ローズはわなわなと肩を震わせながら手にしたレースのハンカチを引きちぎらん勢いで握りしめている。
「まぁ、コンマ何秒って差だったけど――勝ちは勝ちだからね!」
得意気に笑う美月の言葉を皮切りにハンカチは見事に真っ二つになった。
「べ、別に悔しくないんですけど!? 昔のことですし、今ならわたくしが勝ちますからっ!」
「すごく悔しいんだね」
「敗走の曲でも弾いてあげようか? 聴いてください『コンマ秒差の敗北』」
「それ以上は泣くからそこまでにしてあげて」
桐人が慌てて口を挟んだ。彼の顔は苦笑し心配そうに視線を送っていた。
あのままだと本当にローズが膝から崩れ落ちてしまいそうだった。
「けど齢五歳にして三百万か。……何かに使ったのか?」
話題を変えるように皆人が尋ねると美月は小さく頷いた。
「ピアノの習い事に回してるわ。お母さんは反対してたけどそのおかげで優勝したんだから私が出すべきよね」
「ええ子や……お姉さん、涙がちょちょぎれちゃう……」
冗談めかして言いながら桜の目から本当に大粒の涙が溢れていた。
……もっとも、皆人はそれに合わせてこっそり目薬を差しているのを見ていたからなんとも言えない気持ちになっていたが。
それでも美月の胸には響いていた。流されやすい彼女は頬がみるみるうちに紅潮していく。額まで真っ赤になった彼女に強が手を差し出す。
「一応はもういらないぞ。明日からよろしく」
その一言にためらいながらも美月は頷いた。
「……分かったわよ。これからよろしく!」
ノリと勢い――そんな言葉で片付けてしまえば簡単だが彼女の中には確かに、温かなものが芽生えていた。
彼女はふと電子ピアノの前に腰掛ける。そして静かに鍵盤に指を添えた。
「……ちょっとだけ、弾いていい?」
そう呟くと誰もが言葉を飲み込んだ。
風が吹いていた。窓の隙間から差し込む光が埃の粒子を照らして揺れている。
まるでこの場だけが時間から取り残されたかのようだった。
美月の指が奏でる旋律は先ほどまでの怒りの火のような即興曲ではなく、どこか懐かしさを湛えた、静かな優しさをもつものだった。
その音はまるで彼女自身の奥底――強がりと孤独、苛立ちと憧れ、すべてを包み込んだ本音がゆっくりと語りかけてくるようだった。
誰もがただ黙って聴いていた。
強はうっすら目を開いてその音を噛み締めていた。
「……いいな、美月の音」
それだけを呟いた彼に美月はほんの少し、唇を噛むようにして頷いた。
「ありがと」
それは今までのどんな褒め言葉よりも彼女の胸に沁みた。
ピアノが得意で褒め言葉に弱く、でもその奥に複雑な思いを宿す少女。
【鍵盤奏でる呪言】――妬根美月。彼女の加入がこれから皆人達に何をもたらすのか。それはまだ誰にも分からなかった。
◇◇◇
夕暮れが空を金色に染め始めた頃、一行は解散を決めた。
電子ピアノを吹奏楽部へ返却し、怪談の真偽を茶化すように笑って話しながら音楽室を後にする。
「では、もうすぐ出ますわ」
ローズが一本の電話をかける。その声を背にして皆人達は校門へと歩いていく。
そして目の前に現れたのは漆黒の車体が鈍く輝く長大なリムジン。その傍らには物静かに立つ黒服の従者たち。
まるで映画のワンシーンのようだった。
「あれを見ると本当にローズが別世界の人間だって実感するな」
「あの黒服、学校の周りにずっといるよね?」
「まじか、気づかんかったわ」
「これでも譲歩しているんですのよ? 本来なら彼らは一日中わたくしの背後に控えているのですから」
「……それはちょっときついな」
「良かったわねぇ。黒服がローズに付いてたら……バシバシ喧嘩売ってるあんたなんて今頃、土の中よ」
「お前もな」
冗談めかして言い合いあう彼ら、離れていく日常の欠片はもう戻らないのかと、皆人は諦め気味に会話に混ざっていく。
そこでふと、強がとんでもないことを言い出した。
「けど、あいつら強いのか?」
「その発想が既に一般の高校生じゃないんだよ!」
「黒服に喧嘩売るのはやめときなさい。一人縛ったところでその数倍がどこからともなく湧いてくるわよ。あれは無限湧きの中キャラだと思いなさい」
「……お前は何をしてんだよ」
それが最後の言葉となり、一行はそれぞれの帰路についた。
◇◇◇
美月は去りゆくリムジンの尾を見送りながら方向が同じ桐人や桜、ムックに手を振る。
小さな彼から頂いた飴玉を口に放り込み、彼らの背を見送ると足取りは軽く、思わずスキップしそうになる自分をこらえながら歩く。
家の前に辿り着くと駆け足で扉を開けた。
「ただいまー!」
「美月ちゃん、おかえりなさい」
美月は母の声に安堵しながらリビングへ直行。テーブルに腰を落とし、出してもらった麦茶をちびちびと口に含む。
スマホを手に取るといつもの生配信が始まっていた。
『トネツヨのゲーム道場』
彼女がこよなく愛するプロゲーマー、トネツヨ。今日も彼は負けるまで配信! と銘打ち、ランクマッチで快進撃を続けていた。
その勝利数が「28」になったところで美月はそっと立ち上がる。
二階の自室でアーケードコントローラーを取り出し、ゲーム機を起動。ワイファイに繋ぎ、配信画面と並べて構える。
マッチングが完了する。画面に映し出された相手――それは、まさしくトネツヨ。
美月の選んだキャラは空を翔ける鳥人『ハジョン』対するトネツヨは老練な杖使い『ミスター』である。
キャラ相性でいうとハジョンの方が優位ではある。
コメント欄が爆発する。
『デコポン来たーーー』
『止めろ、連勝を止めろ』
『今日もデコポンの日だな』
そして配信者自身が苦笑しながら口にする。
「デコポンさん、これ絶対スナイプじゃん」
「当たり」と美月は画面越しに小さく呟く。戦いが始まった。
互いに一本を取り合い、迎えた最終戦。トネツヨの小さな油断をついて美月のEX技が突き刺さる。
勝利の文字が画面に浮かんだ。
彼女はすっと立ち上がり、兄の部屋をノックする。
「おにーちゃーん、もうすぐご飯だよ~」
「すぐ行く~」
開かれた扉の向こう、現れたのは先ほど画面にいた男。
白髪混じりのベリーショート。妬根剛。美月の兄にしてプロゲーマー『トネツヨ』である。
「ちょうど終わったんだね。配信」
美月はにこにこと笑顔で兄に声をかけた。
扉の奥から見えるゲーム機は電源が落とされ、液晶画面にはもう何も映っていない。だがわずかに熱を帯びたコントローラーがさっきまでの戦いの熱気を微かに残していた。
「いや~、あと一勝で三十連勝だったんだけどなぁ……やられたよ」
リビングのソファに背を預け、天井を見上げながら剛が苦笑する。
その横顔はどこか悔しさと納得が混ざったような不思議な色をしていた。
「相手はそんなに強かったの?」
美月は何気ないふうを装って問いかけた。 けれどその瞳の奥ではさっきの試合の余韻がまだ色濃く灯っていた。
「うーん、それもあるけど……やりづらい相手だったな。癖が読まれてるっていうか……知り合いのサブ垢の可能性もあるかもなぁ」
「へぇ~~」
唇を噛むのを堪えながら妹はとぼけて答える。笑いを押し殺しているのに口元はゆるみっぱなしだ。
にまにまと、まるでイタズラを成功させた子どものように笑っているのに剛は全く気付かない。
「……お前、なにニヤついてんだよ」
そう言いながらも剛は不意に手を伸ばし、美月の髪をくしゃっと撫でた。
小さい頃から変わらない、兄の癖。くすぐったくて、だけど少しだけ安心する手つき。
「相手も確かに強かったけどさ。美月だって負けてないよ」
何気ないように、それでも心からの声で剛は言った。
「だってさ、美月なんて数ヶ月までコマンド入力すらまともにできなかったじゃないか」
それが今では冗談でも手加減なんてできないくらいに成長している。
剛の中でそれはただのスキルの話じゃなかった。諦めず、何度も挑戦し、同じ失敗を繰り返しながらも前に進もうとする、その姿勢。
「お前は特別だよ。本気で取り組んだ時の勝利への執念がほんとに半端じゃない。普通の奴だったら心折れても美月は折れない」
柔らかく語る兄の言葉に美月は自然と顔を伏せる。
「……その負けず嫌いはさ、もう才能なんだよ。天性の、ね」
「なによそれ~」
照れ隠しのように唇を尖らせて美月は剛の胸元に小突くように詰め寄った。
剛は少し戸惑ったような顔をしつつ、苦笑いで頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「……一応聞くけどさ、美月はハジョンとか使えないよな?」
不意に鋭い視線が向けられる。
だが美月はまったく動じない。まばたき一つせず、さらりと答える。
「何言ってんの、私はカイザー以外使えないよ」
その言葉には微塵の嘘も見せず、むしろ素直すぎるほどだ。その様子に、剛は「あー、だよな」と頷いて話を終えた。
「すまんすまん、変なこと聞いて」
けれど美月の心の奥は静かに笑っていた。
裏でコソ練を積み、見つからないようにサブアカウントでマッチングし、兄の連勝記録を止める。それが彼女にとって密かな楽しみのひとつだった。
リビングの明かりがオレンジ色に染まり、テーブルの上には母の作った夕食が並び始めていた。
美月は兄の背中を追いながら、そっと小さく舌を出す。
――バレなかった。
勝利の余韻と小さな秘密を胸に彼女は今日も夕餉の席につくのだった。
ふざけたような口調ではあるけれど、その仕草一つ一つは洗練され、どこか誇らしげな自負すら滲んでいた。
「いや、それも恥ずかしくない? あと、普通に美月でいいから……」
肩をすくめて照れ笑いする美月にローズは目を細めるようにして静かに微笑んだ。
「了解しましたわ、美月さん」
「こっちも普通に巨傲さんて呼ぶからね」
軽い言葉の応酬。それで二人の距離はすっと馴染むように近づいていた。
長らく離れていた時間が今このひとときでふわりと縮んでゆく。
だが話を遮られた側としては面白くない。代表して皆人が口を挟む。
「で、結局どっちが優勝したんだ?」
瞬間、温かかった空気がぴしりと張り詰める。手を上げたのは美月だった。
ローズはわなわなと肩を震わせながら手にしたレースのハンカチを引きちぎらん勢いで握りしめている。
「まぁ、コンマ何秒って差だったけど――勝ちは勝ちだからね!」
得意気に笑う美月の言葉を皮切りにハンカチは見事に真っ二つになった。
「べ、別に悔しくないんですけど!? 昔のことですし、今ならわたくしが勝ちますからっ!」
「すごく悔しいんだね」
「敗走の曲でも弾いてあげようか? 聴いてください『コンマ秒差の敗北』」
「それ以上は泣くからそこまでにしてあげて」
桐人が慌てて口を挟んだ。彼の顔は苦笑し心配そうに視線を送っていた。
あのままだと本当にローズが膝から崩れ落ちてしまいそうだった。
「けど齢五歳にして三百万か。……何かに使ったのか?」
話題を変えるように皆人が尋ねると美月は小さく頷いた。
「ピアノの習い事に回してるわ。お母さんは反対してたけどそのおかげで優勝したんだから私が出すべきよね」
「ええ子や……お姉さん、涙がちょちょぎれちゃう……」
冗談めかして言いながら桜の目から本当に大粒の涙が溢れていた。
……もっとも、皆人はそれに合わせてこっそり目薬を差しているのを見ていたからなんとも言えない気持ちになっていたが。
それでも美月の胸には響いていた。流されやすい彼女は頬がみるみるうちに紅潮していく。額まで真っ赤になった彼女に強が手を差し出す。
「一応はもういらないぞ。明日からよろしく」
その一言にためらいながらも美月は頷いた。
「……分かったわよ。これからよろしく!」
ノリと勢い――そんな言葉で片付けてしまえば簡単だが彼女の中には確かに、温かなものが芽生えていた。
彼女はふと電子ピアノの前に腰掛ける。そして静かに鍵盤に指を添えた。
「……ちょっとだけ、弾いていい?」
そう呟くと誰もが言葉を飲み込んだ。
風が吹いていた。窓の隙間から差し込む光が埃の粒子を照らして揺れている。
まるでこの場だけが時間から取り残されたかのようだった。
美月の指が奏でる旋律は先ほどまでの怒りの火のような即興曲ではなく、どこか懐かしさを湛えた、静かな優しさをもつものだった。
その音はまるで彼女自身の奥底――強がりと孤独、苛立ちと憧れ、すべてを包み込んだ本音がゆっくりと語りかけてくるようだった。
誰もがただ黙って聴いていた。
強はうっすら目を開いてその音を噛み締めていた。
「……いいな、美月の音」
それだけを呟いた彼に美月はほんの少し、唇を噛むようにして頷いた。
「ありがと」
それは今までのどんな褒め言葉よりも彼女の胸に沁みた。
ピアノが得意で褒め言葉に弱く、でもその奥に複雑な思いを宿す少女。
【鍵盤奏でる呪言】――妬根美月。彼女の加入がこれから皆人達に何をもたらすのか。それはまだ誰にも分からなかった。
◇◇◇
夕暮れが空を金色に染め始めた頃、一行は解散を決めた。
電子ピアノを吹奏楽部へ返却し、怪談の真偽を茶化すように笑って話しながら音楽室を後にする。
「では、もうすぐ出ますわ」
ローズが一本の電話をかける。その声を背にして皆人達は校門へと歩いていく。
そして目の前に現れたのは漆黒の車体が鈍く輝く長大なリムジン。その傍らには物静かに立つ黒服の従者たち。
まるで映画のワンシーンのようだった。
「あれを見ると本当にローズが別世界の人間だって実感するな」
「あの黒服、学校の周りにずっといるよね?」
「まじか、気づかんかったわ」
「これでも譲歩しているんですのよ? 本来なら彼らは一日中わたくしの背後に控えているのですから」
「……それはちょっときついな」
「良かったわねぇ。黒服がローズに付いてたら……バシバシ喧嘩売ってるあんたなんて今頃、土の中よ」
「お前もな」
冗談めかして言い合いあう彼ら、離れていく日常の欠片はもう戻らないのかと、皆人は諦め気味に会話に混ざっていく。
そこでふと、強がとんでもないことを言い出した。
「けど、あいつら強いのか?」
「その発想が既に一般の高校生じゃないんだよ!」
「黒服に喧嘩売るのはやめときなさい。一人縛ったところでその数倍がどこからともなく湧いてくるわよ。あれは無限湧きの中キャラだと思いなさい」
「……お前は何をしてんだよ」
それが最後の言葉となり、一行はそれぞれの帰路についた。
◇◇◇
美月は去りゆくリムジンの尾を見送りながら方向が同じ桐人や桜、ムックに手を振る。
小さな彼から頂いた飴玉を口に放り込み、彼らの背を見送ると足取りは軽く、思わずスキップしそうになる自分をこらえながら歩く。
家の前に辿り着くと駆け足で扉を開けた。
「ただいまー!」
「美月ちゃん、おかえりなさい」
美月は母の声に安堵しながらリビングへ直行。テーブルに腰を落とし、出してもらった麦茶をちびちびと口に含む。
スマホを手に取るといつもの生配信が始まっていた。
『トネツヨのゲーム道場』
彼女がこよなく愛するプロゲーマー、トネツヨ。今日も彼は負けるまで配信! と銘打ち、ランクマッチで快進撃を続けていた。
その勝利数が「28」になったところで美月はそっと立ち上がる。
二階の自室でアーケードコントローラーを取り出し、ゲーム機を起動。ワイファイに繋ぎ、配信画面と並べて構える。
マッチングが完了する。画面に映し出された相手――それは、まさしくトネツヨ。
美月の選んだキャラは空を翔ける鳥人『ハジョン』対するトネツヨは老練な杖使い『ミスター』である。
キャラ相性でいうとハジョンの方が優位ではある。
コメント欄が爆発する。
『デコポン来たーーー』
『止めろ、連勝を止めろ』
『今日もデコポンの日だな』
そして配信者自身が苦笑しながら口にする。
「デコポンさん、これ絶対スナイプじゃん」
「当たり」と美月は画面越しに小さく呟く。戦いが始まった。
互いに一本を取り合い、迎えた最終戦。トネツヨの小さな油断をついて美月のEX技が突き刺さる。
勝利の文字が画面に浮かんだ。
彼女はすっと立ち上がり、兄の部屋をノックする。
「おにーちゃーん、もうすぐご飯だよ~」
「すぐ行く~」
開かれた扉の向こう、現れたのは先ほど画面にいた男。
白髪混じりのベリーショート。妬根剛。美月の兄にしてプロゲーマー『トネツヨ』である。
「ちょうど終わったんだね。配信」
美月はにこにこと笑顔で兄に声をかけた。
扉の奥から見えるゲーム機は電源が落とされ、液晶画面にはもう何も映っていない。だがわずかに熱を帯びたコントローラーがさっきまでの戦いの熱気を微かに残していた。
「いや~、あと一勝で三十連勝だったんだけどなぁ……やられたよ」
リビングのソファに背を預け、天井を見上げながら剛が苦笑する。
その横顔はどこか悔しさと納得が混ざったような不思議な色をしていた。
「相手はそんなに強かったの?」
美月は何気ないふうを装って問いかけた。 けれどその瞳の奥ではさっきの試合の余韻がまだ色濃く灯っていた。
「うーん、それもあるけど……やりづらい相手だったな。癖が読まれてるっていうか……知り合いのサブ垢の可能性もあるかもなぁ」
「へぇ~~」
唇を噛むのを堪えながら妹はとぼけて答える。笑いを押し殺しているのに口元はゆるみっぱなしだ。
にまにまと、まるでイタズラを成功させた子どものように笑っているのに剛は全く気付かない。
「……お前、なにニヤついてんだよ」
そう言いながらも剛は不意に手を伸ばし、美月の髪をくしゃっと撫でた。
小さい頃から変わらない、兄の癖。くすぐったくて、だけど少しだけ安心する手つき。
「相手も確かに強かったけどさ。美月だって負けてないよ」
何気ないように、それでも心からの声で剛は言った。
「だってさ、美月なんて数ヶ月までコマンド入力すらまともにできなかったじゃないか」
それが今では冗談でも手加減なんてできないくらいに成長している。
剛の中でそれはただのスキルの話じゃなかった。諦めず、何度も挑戦し、同じ失敗を繰り返しながらも前に進もうとする、その姿勢。
「お前は特別だよ。本気で取り組んだ時の勝利への執念がほんとに半端じゃない。普通の奴だったら心折れても美月は折れない」
柔らかく語る兄の言葉に美月は自然と顔を伏せる。
「……その負けず嫌いはさ、もう才能なんだよ。天性の、ね」
「なによそれ~」
照れ隠しのように唇を尖らせて美月は剛の胸元に小突くように詰め寄った。
剛は少し戸惑ったような顔をしつつ、苦笑いで頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「……一応聞くけどさ、美月はハジョンとか使えないよな?」
不意に鋭い視線が向けられる。
だが美月はまったく動じない。まばたき一つせず、さらりと答える。
「何言ってんの、私はカイザー以外使えないよ」
その言葉には微塵の嘘も見せず、むしろ素直すぎるほどだ。その様子に、剛は「あー、だよな」と頷いて話を終えた。
「すまんすまん、変なこと聞いて」
けれど美月の心の奥は静かに笑っていた。
裏でコソ練を積み、見つからないようにサブアカウントでマッチングし、兄の連勝記録を止める。それが彼女にとって密かな楽しみのひとつだった。
リビングの明かりがオレンジ色に染まり、テーブルの上には母の作った夕食が並び始めていた。
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