LISTEN 狂犬刑事と道楽探偵、初めてのお推理。

伏瀬通 亀更新

文字の大きさ
1 / 3
急転直カプリチョーザ

1.狂犬、走る。

しおりを挟む
「待てやコラ!」

 昼下がりの閑静な裏道に、関西弁混じりの罵声が響いた。
 カーキが、白色の影にぐんぐんと近づいていく。一歩踏み込んで、あと数センチ——。

 伸ばした手は、空虚を掴んだ。くそ、走りだけは警察学校で一番だったのに。そんなことを考えながら、曲がり角に消えた影を追って走り続ける。
 革靴は走るのには向いていない。それでもスニーカーを履く気になれないのは、革靴が刑事のトレードマークだと思うからか。

「あーもう! くそ、くそっ」
 裏道を出ると、そこには先ほどまでの白い影はなく、歩道、そしてその先にただ車が行き来する通りがあるだけだった。周りを見渡しても、人がまばらにいるだけで。
 ——ただのひったくりを逃したなんて。
 真理まことは悔しかった。大層悔しかった。狂犬だと揶揄されるくらい、彼女はいつも犯人を全力で確保していた。不本意な名誉だとしても、犯人を逃した今、彼女のプライドは少し傷ついた。

「惜しかったね、刑事さん」

 その声に振り向くと、白い肩までの髪の少女が、面白いものを見たとでもいったような顔で笑っていた。

「あー、ええと、どうも……」
 かっこ悪いところを見られた真理は、少々バツが悪かった。刑事ドラマの主人公ヒーローは、犯人を逃したりしないのに。同性に対しては紳士的に接するのが常の真理も、さすがに余裕がないのか、走っていた時と同じ怖い顔のまま答えた。
「白いジャージの人を追ってたんでしょう? あの人、どこに行ったのかな~」
 知らんわ。こっちが聞きたいっての。
 真理は余裕のない心で軽く悪態をつきながら、さあねと短く返した。
「ねえねえ刑事さん、どこ行ったか知りたくない?」
「はあ? そりゃ、知りたいよ。てか、君は一体……」
 すると少女は、振り返って真っ直ぐに前を指差した。
「向こうの、そうだなー、信号を2つ行って、一つ目の曲がり角を右に入ったところにいるなあ」
 まさか適当ちゃうやろな、もしそうやったら許さへんぞ。
 そう思いながらも、真理は少女が指差した方向に向かって走り出した。礼を言うのも忘れて。


「うわ、足はやー! なんか大型犬っぽいな、あの刑事さん」
 犬のお巡りさんじゃん、と喉元から声を漏らして笑いながら、少女もその場から去った。




 その数分後。
「よう手こずらせてくれたな、観念し!」
 息の荒い真理の下には、例のひったくり犯がいた。
 その手首に手錠をかけ、そのままの体勢で署に電話をかける。

 しばらくして、一台のパトカーが路地の入り口の前に停まった。扉を開けて一人の刑事が降りてくる。
「マリちゃんお待たせー!」
 そう言ったのは同僚の三崎という男だ。歳は真理より3つ上だが、港湾署に配属されたのが同じ年だったので、兄弟のように互いを慕っている。
「ばか、だっての! ほら、さっさとしろよ」
「マリちゃん厳し~い」
 おちゃらけながらも、三崎は手際良く白ジャージを後部座席に乗せ、真理が助手席に座ったのを確認して車を出した。


 真理達が勤める港湾署のあるK区は、大半が埋め立てて開発された土地だ。内陸に人口が集中しているため、海側になればなるほど建物の間隔は開き、もの悲しさが漂う。
 真理は背もたれに身を任せ、窓の外を見つめた。そんなK区を真理が大好きなのは、自宅のテレビの横に積み上がった刑事ドラマのDVDのせいだろう。言うなれば彼女は、底なしの刑事ドラマオタクだったのだ。ハードボイルドと港町はセットだというのが彼女の考えだった。

 やがて車がロータリーに入った。
「それじゃあマリちゃんよろしくおねがいしますっ!」
 三崎はびしっと敬礼して見せ、真理はそのどこから来るのか分からない調子の良さに、すこし笑った。
「はいはい。ほら、降りた降りた」
 真理は車から降り、後部座席から白ジャージの腕を掴み連れ出す。
「そいつ、あんまり怖がらせちゃだめだぞ、マリちゃん」
 窓から片手と顔を出してそう言う三崎に、真理は振り返ることなく、空いた方の手を持ち上げ、署のなかへと消えていった。
 それを見た三崎は、ありゃあ情状酌量の余地なしだな、と白ジャージに幾分かの同情をして、片眉を持ち上げた。


「係長~ひったくりです」
「おお、お疲れ今坂。被害者の方は?」
「あ」
 まずい。犯人を追うことに必死になりすぎた。
「……今坂?」
「え~っと、外で待っていただいているので、今お連れしま……」
「係長、被害者の方です」
「お~三崎! おつかれさん。じゃあこちらでお話を聞かせていただこうか」

 現れたのは苦笑いをした三崎と、若い女性だった。女性は真理の方を見ると、ぺこりと一礼した。
 ああ、すみません、本当に。恥の上塗りってやつだ、これは。
 真理はやはりバツが悪くて、首をかいた。

「取り調べ、してきまーす……」
 せめて取り調べだけはきちんとしようと、そっとその場を抜けようとした真理を、すれ違いざまに三崎がひきとめた。
「マリちゃん、マリちゃん、お客さん来てるよ」
「客ぅ?」
「うん、あの、受付のとこで待っててもらってるからさ。取り調べは俺がやっとくから」
 すまん、三崎。いや三崎様か。マジでありがとうございます。これからは神様仏様三崎様って呼びます。
 真理は一瞬三崎の後頭部を光が照らしている幻覚を見たが、ぶるぶる首を振ってなかったことにした。とりあえず、今は受付に行かなければ。
 もしかしたら、本庁のお偉いさんで、捜査一課の窓際部署への異動とかかもしれないし。——そこまで考えて、真理はもう一度首をぶるぶる振った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私に姉など居ませんが?

山葵
恋愛
「ごめんよ、クリス。僕は君よりお姉さんの方が好きになってしまったんだ。だから婚約を解消して欲しい」 「婚約破棄という事で宜しいですか?では、構いませんよ」 「ありがとう」 私は婚約者スティーブと結婚破棄した。 書類にサインをし、慰謝料も請求した。 「ところでスティーブ様、私には姉はおりませんが、一体誰と婚約をするのですか?」

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

笑う令嬢は毒の杯を傾ける

無色
恋愛
 その笑顔は、甘い毒の味がした。  父親に虐げられ、義妹によって婚約者を奪われた令嬢は復讐のために毒を喰む。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

没落貴族とバカにしますが、実は私、王族の者でして。

亜綺羅もも
恋愛
ティファ・レーベルリンは没落貴族と学園の友人たちから毎日イジメられていた。 しかし皆は知らないのだ ティファが、ロードサファルの王女だとは。 そんなティファはキラ・ファンタムに惹かれていき、そして自分の正体をキラに明かすのであったが……

婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました

kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」 王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。

処理中です...