八月の流星群

さとう涼

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第一章 悲しみのエンパシー

012

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 ひとまず、そんなふうに落ち着いた。
 ふたりは坂道をのぼり、高台にあるめぐるの自宅のある方角に向かっていた。

「送ってもらってごめんね。遠まわりになっちゃったでしょう? ところで伊央の家ってどこ?」
「駅の近くのマンション」
「駅の近くって……。もしかして最近建てられたタワマン?」
「タワマンって?」
「タワーマンションのこと。この街って高い建物があんまりないから、けっこう話題になってたんだよ。どんなお金持ちが買うんだろうねって」

 しかし伊央はとくに関心がないようで、どこか他人事のように「へえ」とつぶやいた。
 伊央の現在の自宅は市街地にある新築の分譲マンション。伊央の父親が帰国に合わせ、売り出し中だった物件を購入した。西城ヶ丘学園の最寄り駅までは電車でひと駅分。時間にすると五分ほど。本来、その程度の距離なら自転車通学する者が多いが、伊央の場合、左手に障がいがあるため、電車通学をしている。

「随分と変わったなあ」

 伊央が児童養護施設にいた頃、この周辺は空き地が多かったが今では新しくておしゃれな住宅が立ち並んでいる。伊央がこの街にいたのは六歳まで。それなのに当時のことをよく覚えていて懐かしんでいた。

「この辺、覚えてるの?」
「なんとなくね。小さい頃の記憶がかなり残ってるんだ。胎内記憶っていうの? それについてはほんのちょっとだけ、それこそかすかな記憶が残ってる。普通は大きくなると忘れるものらしいんだけど」

 伊央がそこまで言いかけて黙り込んだ。めぐるは立ち止まり、目を伏せた伊央を心配そうに見つめた。

「伊央?」

 めぐるの声に、伊央が我に返ったように顔をあげる。

「ごめん。ちょっと嫌なこと思い出しちゃって」
「嫌なこと?」
「いや、別にたいしたことじゃないんだ」

 胎内記憶のことなのだろうか。それとも児童養護施設でのことだろうか。どんな記憶なのか気になりながらも、触れていけないような気がして、めぐるはそれ以上なにも言えなかった。

「それよりさ、僕と仲がいいっていうの、あんまりよくないと思うんだ。だから学校ではあんまり話さないほうがいいと思うんだよね」
「なんで?」
「僕のこの手……」

 伊央は隠していた左手を袖口から出す。

「その手がどうかした?」
「めぐるを巻き込みたくないんだ。僕と一緒にいると、めぐるも病気がうつるとか、触ると手が腐るとか、いろいろ言われるかもしれない」
「なんだ、そんなことか」
「そんなことじゃないよ。めぐるにはあんな思いをさせたくないから」
「伊央はずっとひとりで心ない言葉に耐えてきたんだね」

 めぐるは伊央の左手を取ると、その歪な手を挟み込むように自分の手を重ねた。

「でも、これからはわたしがいるよ」
「えっ?」
「さっきはありがとう。西木野さんからかばってくれて、すごくうれしかったし、心強かった。今度はわたしが伊央を守れるようにがんばるから」

 めぐるは屈託のない笑顔になる。
 伊央は重ねられた手からめぐるの心の温かさを感じ、幼い頃を思い出していた。当の本人は覚えていないようだが、あのときもめぐるはこんなふうに伊央の手に触れ、「大丈夫だよ」と泣いていた伊央を安心させたのだ。

「子どもの頃に会っていたこと、早く教えてほしかったよ。そしたらもっと早く仲よくなれたのに」
「だって、めぐるは僕のことなんてすっかり忘れてたみたいだったから」

 伊央がおどけたように言う。

「だから、そのことはごめん。でもあの日のことはよく覚えてるよ」

 めぐるにとって伊央と出会った日のことは子どもの頃の記憶としてはわりとはっきりと残っている。そしてもうひとつ、印象深かったことがあった。それは佑とのやり取りだ。
 夜道を歩きながら、めぐるには誰かの泣き声が聞こえており、それを佑に訴えたのだが、佑は「聞こえない」の一点張り。仕方なくめぐるは佑の手を引っ張って、声のほうへ走り出す。そして見つけたのが、薄っすらと街灯が灯る丘の端っこで、三角座りで胎児のように丸まっている伊央だったのだ。
 めぐるは佑から、「なんで泣いてるってわかったんだ?」とたずねられたが、めぐるは佑の言っている意味が理解できなかった。泣き声が聞こえたから聞こえると言ったまでだった。
 だが当時のめぐるは、自分が特殊な感覚の持ち主で、しかもその力を発揮する相手が伊央に対してだけということに当然ながら気づいていない。

「ねえ、伊央?」
 めぐるはゆっくりと伊央の左手から手を離す。

「なに?」
「わたしたちが再会したことには意味があるような気がするの」
「急にどうしたの?」
「わたし、変なこと言ってるよね。自分でもそう思う。うまく言えないんだけど、わたしは伊央に無性に惹かれるっていうか、なんでか気になってしょうがないの。もっと伊央のことを知りたい」

 恋愛感情とは違うこの感情を言葉ではうまく言い表せられない。
 そんなめぐるの気持ちを察した伊央はやさしく微笑んだ。
 運命──といったら逆に軽々しく聞こえるだろうか。けれども、ふたりはそんなふうに思わずにいられなかった。
 ふたりは六歳の頃に出会った丘で立ち止まった。そこは今ではなにもない平原だが、以前は産院があった。その産院でめぐるは生まれた。八月十二日、ペルセウス座流星群の流れ星が降りそそいでいた空の下で。
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