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第二章 無情な世界のメランコリー
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チャイムが鳴り、ショートホームルームがはじまる時刻。めぐるは静まり返った階段をゆっくりとおりていった。
やがて、一階におりる薄暗い階段の途中で腰をおろし、うずくまるように脚を抱え込んでいる伊央を見つけることができた。
やっぱりここにいた。そんなふうに思ったのはなぜだろう。めぐるにはなぜか伊央の行き先が自然とわかってしまった。
「めぐる、僕は怖いんだ」
か細い声が震えていた。
唐突に放たれた伊央の嘆きに、めぐるの胸は激しく締めつけられた。彼の言葉には感情が突き動かされるような強いパワーを感じる。
「なにが怖いの?」
「……自分が」
「どういうこと?」
「わからない……」
「伊央?」
梅村と引き合わせたのが悪かったのだろうか。同じ学年だから顔を合わせている可能性もあるが、初対面みたいなものなので、抵抗があったのかもしれない。
だけども自分が怖いという心境には結びつかない。いったい伊央はなにを恐れているのだろう。
目の前の廊下の窓の向こうには、風と雨で揺れる木々が見える。窓をたたきつけている雨粒が、涙のように幾重にも滴り落ちていった。
伊央の悲しみを癒やす手立てが見つからず、めぐるは彼の隣に腰をおろした。
「ごめんね、わたしが余計なことをしたからだよね。伊央が梅村くんと仲よくなったらいいなと思ったから」
「違うよ、めぐるのせいじゃない。僕が悪いんだ。僕が弱い人間だから」
「そんなふうに自分を追いつめないで。わたしにも苦手なことがたくさんあるもん。同じだよ。わたしと伊央は同じ人間」
「ありがとう。めぐるの言葉だけは信じられる。僕は、めぐるさえいてくれればいいや」
「伊央……」
「今日の一限目は全校集会だよね。そろそろ行こう」
伊央は立ちあがると、めぐるのほうへ右手を差し伸べた。立てという意味なのだろう。めぐるは反射的にその手を取る。
欠損のない五本の指先はささくれもなく、爪は几帳面に短く整えられ、あたたかくてしなやかな感触はまるで女の子のようだった。
めぐるが立ちあがると、自然な感じで手が離される。めぐるはスカートのお尻のあたりの砂埃をぱっぱと軽く手で払いながら、伊央にたずねた。
「全校集会に出るの?」
「うん、今日はひどい天気だから」
「そうだね。今日は非常階段でさぼれないもんね」
めぐるは忌々しげに鉛色の空が映る窓を見た。天気予報では台風並みに発達した低気圧が午前中のうちにこの街を横切るということだった。
「そういえば、天気の悪い日の体育の時間はどこでさぼってたの?」
「たとえば北棟の最上階とか。美術室の脇に屋上に出るための階段があるだろう。ドアには鍵がかかっているから出られないけど、ドアの前の踊り場は穴場なんだよ。ちょっと埃っぽいけど美術の授業がない日は誰も来ないから」
「なら、今からそこに行ってみる?」
「ううん。今日の全校集会でニュースでは伝えられていない爆発物騒動の情報が聞けるかもしれない。詳しい犯人像を知りたいな。それがわかれば犯人の目的の見当がつくかもしれない。次のターゲットも予想しやすいと思うんだ」
「また爆破予告があるってこと?」
「犯人の目的が達成していれば別だけど、そうじゃないなら、このままフェードアウトするほうが不自然のような気がする」
伊央は珍しくわくわくと目を輝かせていた。めぐるはそれを不思議な気持ちで見ていた。
この前も思ったが、伊央は学園の爆破予告の件にやけに興味を示している。もちろん、とんでもない出来事が起きたわけなのであたり前の反応ではあるのだが、彼からは恐怖や不安というものがまったく感じられない。
クラスメイトとよく似た反応といえる。しかしどこか違う。本当に爆破されることを期待しているような異常さを感じた。
「やめてよ。こんなこと、もう二度と嫌だよ。いたずらだとしても許せない」
今回の爆発物は模型だったが、かなり知識のある人間が作ったものだといわれている。本物が仕掛けられていたとしてもおかしくなかったのだ。または次に仕掛けられるものが本物かもしれない。そう考えると悠長にかまえてはいられない状況だ。
「おまえら、またさぼるつもりか? さっさと体育館に移動しろ」
ふいに階段の上のほうから声がした。声の主は担任の筧。彼はしかめっ面でふたりを見おろしていた。
まずいとめぐるはとっさに言い訳を考えたが思いつかない。焦って目をきょろきょろと動かしていると、伊央が落ち着き払って堂々と答えた。
「今から教室に戻るつもりだったんです」
すると、筧はゆっくりと階段をおりてくる。その出で立ちはどこかのモデルかと思えるほど様になっていた。
薄いブルーの格子柄の白シャツに、ストレッチのきいたキャメルブラウンのパンツというラフな服装はこの学園では珍しい。生徒の服装は自由だが、体育教師以外は基本的に男性はスーツ、女性もスーツやフェミニンな服装が多い。しかし筧は美術教師なので動きやすさと洗濯のしやすさを考慮し、比較的カジュアルなのだ。
「朝のホームルームをさぼったくせに偉そうに言うな」
「別にそれくらい大目に見てくださいよ」
めぐるはすかさず口を挟んだ。
「あのなあ、朝のホームルームだって大事な時間なんだぞ。出欠確認して連絡事項を伝えてるだけじゃないんだ。生徒の顔を一人ひとり見ながら、体調を悪そうにしてないか、様子がおかしくないかをチェックしてるんだよ。ましてやあんな騒動があったあとだ。心配するだろう」
職員室に戻るにはこの階段を通るのは遠まわりになる。つまり筧はめぐるたちをさがしていたのだ。この階段は昇降口に近い。おそらく筧はふたりの下駄箱のチェックをしようと思ったのだろう。
やがて、一階におりる薄暗い階段の途中で腰をおろし、うずくまるように脚を抱え込んでいる伊央を見つけることができた。
やっぱりここにいた。そんなふうに思ったのはなぜだろう。めぐるにはなぜか伊央の行き先が自然とわかってしまった。
「めぐる、僕は怖いんだ」
か細い声が震えていた。
唐突に放たれた伊央の嘆きに、めぐるの胸は激しく締めつけられた。彼の言葉には感情が突き動かされるような強いパワーを感じる。
「なにが怖いの?」
「……自分が」
「どういうこと?」
「わからない……」
「伊央?」
梅村と引き合わせたのが悪かったのだろうか。同じ学年だから顔を合わせている可能性もあるが、初対面みたいなものなので、抵抗があったのかもしれない。
だけども自分が怖いという心境には結びつかない。いったい伊央はなにを恐れているのだろう。
目の前の廊下の窓の向こうには、風と雨で揺れる木々が見える。窓をたたきつけている雨粒が、涙のように幾重にも滴り落ちていった。
伊央の悲しみを癒やす手立てが見つからず、めぐるは彼の隣に腰をおろした。
「ごめんね、わたしが余計なことをしたからだよね。伊央が梅村くんと仲よくなったらいいなと思ったから」
「違うよ、めぐるのせいじゃない。僕が悪いんだ。僕が弱い人間だから」
「そんなふうに自分を追いつめないで。わたしにも苦手なことがたくさんあるもん。同じだよ。わたしと伊央は同じ人間」
「ありがとう。めぐるの言葉だけは信じられる。僕は、めぐるさえいてくれればいいや」
「伊央……」
「今日の一限目は全校集会だよね。そろそろ行こう」
伊央は立ちあがると、めぐるのほうへ右手を差し伸べた。立てという意味なのだろう。めぐるは反射的にその手を取る。
欠損のない五本の指先はささくれもなく、爪は几帳面に短く整えられ、あたたかくてしなやかな感触はまるで女の子のようだった。
めぐるが立ちあがると、自然な感じで手が離される。めぐるはスカートのお尻のあたりの砂埃をぱっぱと軽く手で払いながら、伊央にたずねた。
「全校集会に出るの?」
「うん、今日はひどい天気だから」
「そうだね。今日は非常階段でさぼれないもんね」
めぐるは忌々しげに鉛色の空が映る窓を見た。天気予報では台風並みに発達した低気圧が午前中のうちにこの街を横切るということだった。
「そういえば、天気の悪い日の体育の時間はどこでさぼってたの?」
「たとえば北棟の最上階とか。美術室の脇に屋上に出るための階段があるだろう。ドアには鍵がかかっているから出られないけど、ドアの前の踊り場は穴場なんだよ。ちょっと埃っぽいけど美術の授業がない日は誰も来ないから」
「なら、今からそこに行ってみる?」
「ううん。今日の全校集会でニュースでは伝えられていない爆発物騒動の情報が聞けるかもしれない。詳しい犯人像を知りたいな。それがわかれば犯人の目的の見当がつくかもしれない。次のターゲットも予想しやすいと思うんだ」
「また爆破予告があるってこと?」
「犯人の目的が達成していれば別だけど、そうじゃないなら、このままフェードアウトするほうが不自然のような気がする」
伊央は珍しくわくわくと目を輝かせていた。めぐるはそれを不思議な気持ちで見ていた。
この前も思ったが、伊央は学園の爆破予告の件にやけに興味を示している。もちろん、とんでもない出来事が起きたわけなのであたり前の反応ではあるのだが、彼からは恐怖や不安というものがまったく感じられない。
クラスメイトとよく似た反応といえる。しかしどこか違う。本当に爆破されることを期待しているような異常さを感じた。
「やめてよ。こんなこと、もう二度と嫌だよ。いたずらだとしても許せない」
今回の爆発物は模型だったが、かなり知識のある人間が作ったものだといわれている。本物が仕掛けられていたとしてもおかしくなかったのだ。または次に仕掛けられるものが本物かもしれない。そう考えると悠長にかまえてはいられない状況だ。
「おまえら、またさぼるつもりか? さっさと体育館に移動しろ」
ふいに階段の上のほうから声がした。声の主は担任の筧。彼はしかめっ面でふたりを見おろしていた。
まずいとめぐるはとっさに言い訳を考えたが思いつかない。焦って目をきょろきょろと動かしていると、伊央が落ち着き払って堂々と答えた。
「今から教室に戻るつもりだったんです」
すると、筧はゆっくりと階段をおりてくる。その出で立ちはどこかのモデルかと思えるほど様になっていた。
薄いブルーの格子柄の白シャツに、ストレッチのきいたキャメルブラウンのパンツというラフな服装はこの学園では珍しい。生徒の服装は自由だが、体育教師以外は基本的に男性はスーツ、女性もスーツやフェミニンな服装が多い。しかし筧は美術教師なので動きやすさと洗濯のしやすさを考慮し、比較的カジュアルなのだ。
「朝のホームルームをさぼったくせに偉そうに言うな」
「別にそれくらい大目に見てくださいよ」
めぐるはすかさず口を挟んだ。
「あのなあ、朝のホームルームだって大事な時間なんだぞ。出欠確認して連絡事項を伝えてるだけじゃないんだ。生徒の顔を一人ひとり見ながら、体調を悪そうにしてないか、様子がおかしくないかをチェックしてるんだよ。ましてやあんな騒動があったあとだ。心配するだろう」
職員室に戻るにはこの階段を通るのは遠まわりになる。つまり筧はめぐるたちをさがしていたのだ。この階段は昇降口に近い。おそらく筧はふたりの下駄箱のチェックをしようと思ったのだろう。
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