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第二章 無情な世界のメランコリー
019
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「待って!」
階段を駆けおり、昇降口で伊央を捕まえる。
「西木野さんの言ったことなんて気にしちゃだめだからね」
めぐるは必死に励まそうとする。けれど伊央の気が晴れることはない。
「僕はもともと左利きなんだよ。子どもの頃、父さんに直させられたんだけど、とっさのことでこっちの手が出ちゃったんだ」
伊央は袖口から左手を出し、グーパーと三本指の手を閉じたり開いたりしながら深いため息をついた。困ったように「参ったね」とめぐるに微笑みかけるが、その瞳は絶望の色に染まっている。光のない暗黒の世界がどこまでも広がっていて、油断するとそのブラックホールに飲まれたまま抜け出せないような気がした。
数分後、近づいてくる足音にふたりが気づく。めぐるたちのもとに、筧のじゃっかん気の立った声が届いた。
「さがしたぞ、おまえら。毎度毎度、世話をかけやがって」
筧の表情は深刻そうなものだった。
「すみません。でもさぼろうとかそういうんじゃなくて……」
めぐるが言い繕う。
「そのことはまあいい。それよりふたりとも学園長室まで来てほしい。警察の人が話を聞きたいそうだ」
「警察って……。わたしたち、疑われているんですか?」
学園内でうわさになっているという万葉の言葉が頭をよぎる。
「そうじゃない。そのときの状況を聞かれるだけだ。大丈夫、なにも心配することはない。おまえたちは堂々としていればいいんだ」
筧はめぐるたちを追い込まないよう、慎重に言葉を選ぶ。
「わかりました。わたしたち、やましいことなんてなにひとつありませんから。ねっ、伊央?」
伊央からは返事はなかったが、拒んだところでいずれまた話を聞きたいと言われるはず。そんなあきらめもあって、伊央も素直に従うことにした。
学園長室には如月学園長のほかにふたりの刑事が待機していた。彼らはM警察署の警備第一課に所属しており、テロ対策、不法滞在者対策を担当している。
四十代前半の刑事のほうは背が高く、細身で細面のインテリ風。手入れされた肌に整えられた眉、皺のないスーツから几帳面な性格であることがうかがえる。だが唯一残念なのはファッションセンスがずれていることだ。スラックスの裾からはパープルとグレーのカモフラージュ柄の靴下がちらちらと見えている。きちんとした身なりなのに、靴下だけが残念なのだ。
もうひとりは三十代前半。こちらはスポーツマン系のがっしりとした体型で、肉づきのいい四角形に近い輪郭に彫りの深い顔立ちをしている。さわやかなライトグレーのスーツはそれなりに値の張るもので清潔感もあるが、どうにも見た目が暑苦しい。
筧たちが部屋に入ると、ふたりの刑事はめぐると伊央に視線を移す。それぞれの頭のてっぺんから爪の先までをなめるように見た。
「筧先生、ご苦労さま。ふたりとも急に呼び出して悪いね。親御さんの了解はとってあるから」
刑事たちの向かい側のソファに座っていた如月学園長が立ちあがり、めぐるたちにそこに座るように促す。自分は部屋の奥にある自分のデスクに移動した。マホガニー材のアンティークのデスクは特注品で、彼のお気に入りだ。
先頭を歩いていた筧がまず腰かけると、めぐると伊央が順番に座った。
ふたりの刑事はまず自己紹介をする。残念な靴下のほうは四方堂《しほうどう》、ガタイがいいほうは浜口《はまぐち》と名乗った。
「さっそくだけど、爆破予告のあった七月四日のことを教えてほしいんだ。君たちふたりは朝の八時半には北棟の非常階段にいたらしいけど、どうしてあの日、あの場所にいたのかな?」
少しでもふたりの警戒心を解こうと、浜口がやさしく問いかけた。だが伊央は浜口を一瞥するだけ。しゃべろうとしない。代わりにめぐるが順序だって説明した。教室を出ていった伊央を追って、非常階段にたどり着いたこと。そしてその場所は伊央が保健体育の時間を過ごすために利用しており、その日の一限目も保健体育の授業だったことを。
「なるほど。それでふたりは非常階段にいたということか」
けれど四方堂はひっかかりを感じ、眉根を寄せた。
「高比良さんはどうして雫石くんが非常階段にいると思ったのかな?」
「それはあちこちさがしまわって偶然見つけたんです」
「また随分と都合がいいな」
「そんなふうに言われても本当のことですから。だいたい、非常階段からは屋上にはあがれません」
めぐるは四方堂を威嚇するように冷たく言い放つ。四方堂は顔色ひとつ変えずに話を続けた。
「それはそうなんだが。偶然に現場のすぐ近くにいたというのがどうにも腑に落ちなかったものでね」
「疑われる可能性が高くなるのに、自分の通っている学校を狙いますか? 犯人はきっと部外者ですよ」
「いやいや、それはどうだろうなあ。というのは校内に部外者が紛れるというのは簡単なことじゃないんだ。最近では高校生でもネットを見て爆発物を作れてしまう時代だし、この学園の生徒が犯人ということも十分考えられるんだよ」
四方堂は伊央に視線を合わせるとほくそ笑んだ。
階段を駆けおり、昇降口で伊央を捕まえる。
「西木野さんの言ったことなんて気にしちゃだめだからね」
めぐるは必死に励まそうとする。けれど伊央の気が晴れることはない。
「僕はもともと左利きなんだよ。子どもの頃、父さんに直させられたんだけど、とっさのことでこっちの手が出ちゃったんだ」
伊央は袖口から左手を出し、グーパーと三本指の手を閉じたり開いたりしながら深いため息をついた。困ったように「参ったね」とめぐるに微笑みかけるが、その瞳は絶望の色に染まっている。光のない暗黒の世界がどこまでも広がっていて、油断するとそのブラックホールに飲まれたまま抜け出せないような気がした。
数分後、近づいてくる足音にふたりが気づく。めぐるたちのもとに、筧のじゃっかん気の立った声が届いた。
「さがしたぞ、おまえら。毎度毎度、世話をかけやがって」
筧の表情は深刻そうなものだった。
「すみません。でもさぼろうとかそういうんじゃなくて……」
めぐるが言い繕う。
「そのことはまあいい。それよりふたりとも学園長室まで来てほしい。警察の人が話を聞きたいそうだ」
「警察って……。わたしたち、疑われているんですか?」
学園内でうわさになっているという万葉の言葉が頭をよぎる。
「そうじゃない。そのときの状況を聞かれるだけだ。大丈夫、なにも心配することはない。おまえたちは堂々としていればいいんだ」
筧はめぐるたちを追い込まないよう、慎重に言葉を選ぶ。
「わかりました。わたしたち、やましいことなんてなにひとつありませんから。ねっ、伊央?」
伊央からは返事はなかったが、拒んだところでいずれまた話を聞きたいと言われるはず。そんなあきらめもあって、伊央も素直に従うことにした。
学園長室には如月学園長のほかにふたりの刑事が待機していた。彼らはM警察署の警備第一課に所属しており、テロ対策、不法滞在者対策を担当している。
四十代前半の刑事のほうは背が高く、細身で細面のインテリ風。手入れされた肌に整えられた眉、皺のないスーツから几帳面な性格であることがうかがえる。だが唯一残念なのはファッションセンスがずれていることだ。スラックスの裾からはパープルとグレーのカモフラージュ柄の靴下がちらちらと見えている。きちんとした身なりなのに、靴下だけが残念なのだ。
もうひとりは三十代前半。こちらはスポーツマン系のがっしりとした体型で、肉づきのいい四角形に近い輪郭に彫りの深い顔立ちをしている。さわやかなライトグレーのスーツはそれなりに値の張るもので清潔感もあるが、どうにも見た目が暑苦しい。
筧たちが部屋に入ると、ふたりの刑事はめぐると伊央に視線を移す。それぞれの頭のてっぺんから爪の先までをなめるように見た。
「筧先生、ご苦労さま。ふたりとも急に呼び出して悪いね。親御さんの了解はとってあるから」
刑事たちの向かい側のソファに座っていた如月学園長が立ちあがり、めぐるたちにそこに座るように促す。自分は部屋の奥にある自分のデスクに移動した。マホガニー材のアンティークのデスクは特注品で、彼のお気に入りだ。
先頭を歩いていた筧がまず腰かけると、めぐると伊央が順番に座った。
ふたりの刑事はまず自己紹介をする。残念な靴下のほうは四方堂《しほうどう》、ガタイがいいほうは浜口《はまぐち》と名乗った。
「さっそくだけど、爆破予告のあった七月四日のことを教えてほしいんだ。君たちふたりは朝の八時半には北棟の非常階段にいたらしいけど、どうしてあの日、あの場所にいたのかな?」
少しでもふたりの警戒心を解こうと、浜口がやさしく問いかけた。だが伊央は浜口を一瞥するだけ。しゃべろうとしない。代わりにめぐるが順序だって説明した。教室を出ていった伊央を追って、非常階段にたどり着いたこと。そしてその場所は伊央が保健体育の時間を過ごすために利用しており、その日の一限目も保健体育の授業だったことを。
「なるほど。それでふたりは非常階段にいたということか」
けれど四方堂はひっかかりを感じ、眉根を寄せた。
「高比良さんはどうして雫石くんが非常階段にいると思ったのかな?」
「それはあちこちさがしまわって偶然見つけたんです」
「また随分と都合がいいな」
「そんなふうに言われても本当のことですから。だいたい、非常階段からは屋上にはあがれません」
めぐるは四方堂を威嚇するように冷たく言い放つ。四方堂は顔色ひとつ変えずに話を続けた。
「それはそうなんだが。偶然に現場のすぐ近くにいたというのがどうにも腑に落ちなかったものでね」
「疑われる可能性が高くなるのに、自分の通っている学校を狙いますか? 犯人はきっと部外者ですよ」
「いやいや、それはどうだろうなあ。というのは校内に部外者が紛れるというのは簡単なことじゃないんだ。最近では高校生でもネットを見て爆発物を作れてしまう時代だし、この学園の生徒が犯人ということも十分考えられるんだよ」
四方堂は伊央に視線を合わせるとほくそ笑んだ。
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