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遭遇

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「──ギャアアアアア‼︎」

 低く鈍い音と共に、これまで聞いたことのない一角狼の子供の絶叫が温室内に響き渡った。

「きゅい? キュキュキュキュキュイ⁉︎」
 
 叫び声が聞こえたクヌートが、バッグから顔を出した。
 タニヤもたまらず茂みから飛びだして、一角狼の子供に向かって走り出した。

「なんだ貴様は? お前たちなにをしている、侵入者だぞ!」

 タニヤが駆け寄ると、正装の男の足元で一角狼の子供は泡を吹いて息絶えていた。
 先ほどの絶叫が断末魔の叫びだったのだと悟ったタニヤは、その場に膝をついてへたり込んだ。

「……これじゃ駄目だわ。もう親は止められない」

 タニヤは顔を覆って頭を振る。

「亡骸を返したって、親の怒りと悲しみは止められないわ。どうしよう、どうしたらいい?」

 タニヤが躊躇っているうちに子供が死んでしまった。
 後悔しても遅い。
 タニヤはこの後はどうするのが最善の行動か考えるが、頭がうまく回らない。

 そんなタニヤの肩に、背後から誰かの手が置かれた。
 タニヤはその手の主を振り返って睨みつける。
 怒鳴りつけそうになるのを必死に耐えながら、拳を握って立ちあがった。

「えーと、どうして君がここにいるのかな?」

 肩に置かれていたエリアスの手を、タニヤは振り払った。
 エリアスは駆けつけた警備の人間がタニヤを警戒しているのを横目で見ながら、困惑した声をだす。

「パーティーに招待されたってことはなさそうだよね。どうやってここまで来たの?」

「あなたには関係ありません、と言いたいところですが。こうなってしまってはお手伝いいただかなくてはどうしようもありません」

 自分の感情を必死に抑えつけて、努めて冷静にタニヤは話しはじめる。
 しかし、いくら抑えつけようとしても、ふつふつと湧き上がってくるどす黒い感情が止められない。
 
 見ているだけでなにもできなかった自分に対する怒り。
 すぐ不安になって決断力が鈍る自分の情けなさ。
 そして、苦手な相手に頼らなければならない悔しさでどうにかなりそうだった。

「今すぐにこの屋敷の人間を、全て敷地の外へ出してください。銀の冒険者様でしたらそれくらいはたやすいことでしょう。あなた方がお願いすれば、きっと皆さん大人しくしたがってくれるでしょうから」

 睨みつけるタニヤを、エリアスは困惑した顔で見ている。
 彼はなにかを言いたそうにしていたが、仲間と視線を合わせて首を傾げた。

「まあ、この女はなんて無礼なのでしょう。これから我が家には私のために多くの方々がいらっしゃってくださるのですよ。それを追い返すような失礼なことできませんわ」

 領主の娘は袖で口元を覆いながら、タニヤに侮蔑の視線を向ける。

「早くこの女を捕まえてちょうだい。不愉快ですわ」
 
 タニヤは領主の娘に冷めた視線を返した。

 この女はろくでもないなと思った。
 いっそ病で死んでおけば、一角狼の子供は命を失うことはなかったのではないかという考えが頭の中に浮かぶ。

 そこでタニヤはハッと我に帰った。
 そんなことを考えてしまった自分に驚いたのだ。

「ちょっと待ってください。彼女が言っていることをきちんと聞いてからにしましょう」

 エリアスがタニヤを捕まえようとしていた警備の人間の手を掴んで止める。
 そんなエリアスを、領主の娘が玄関で見せていたように目を輝かせて見つめた。

「まあ、エリアス様はなんとお優しいのでしょう。このような不届き者にまで情けをおかけくださるとは、人格者でいらっしゃるのね」

 領主の娘の言葉を聞いて、タニヤはつい笑ってしまった。

 エリアスという男が人格者ならば、一角狼の子供が殺されるのをなぜ黙って見ていたというのだろう。
 そもそも、人格者であるならば、なぜ冒険者組合でタニヤの言うことを信じてくれなかったのだろう。
 だいたい、銀ランクに上がるほどの実力がある冒険者の彼が、S級ランクのモンスターがこんなところにいることを不自然に思わないわけがない。

「……もしかして、全部知っていたの?」

 タニヤはエリアスという冒険者が、領主の企みを知っていたのではないかという考えに至った。
 個人的に親しくなろうと屋敷に招かれるほどだ。知っていてもおかしくはない。

 エリアスはモンスターの闇取引のことを知っているからここにいた。
 きっとお披露目の時に、領主の嘘に話を合わせる予定だったのだ。
 銀の冒険者がお披露目に立ち会えば、きっと領民たちは娘の才能を疑うことはない。

 タニヤは腹を抱えて笑う。
 この男にもこういう裏の顔があるのだと、心底おかしくなった。

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