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遠い昔から、人間と魔族との間では争いが絶えなかった。
長きにわたる戦いの中で明確な争いの理由すら失われ、両陣営の被害は膨れ上がっていった。
どこかで戦争をやめなければならない。きっと誰もが思っていたことだろう。
そんな中で、世論が一気に和平へと傾くきっかけの出来事が起こった。
戦において人間陣営の代表格であった勇者と、魔族陣営の代表格だった王太子が相打ちで亡くなったのだ。
両陣営の最大戦力ともいえる二人の存在が失われたことを契機に、血で血を洗う泥沼の争いから、戦のない平和な世界を求めるように人々の心が変わっていった。
「せっかくだ。私からも望みを伝えてもよいだろうか?」
「ええ、喜んで。私でできることでしたらなんなりとお申し付けくださいませ」
「二人きりのときは殿下と呼ばないでほしい」
目の前の男の手がすっとラティファに伸びてきた。その手がラティファの頬に触れる。
温もりを感じて驚いた。ひんやりと冷たい感触すると身構えていたのだ。
生きているのだから当たり前なのだが、ラティファはこの時に魔族にも体温があるのだと知った。
今日で正式に戦争が終わる。
これから二国に平和の時代が訪れる。
その証として、人間と魔族、両陣営の王家に連なる者が婚姻関係を結ぶ。
人間代表のラティファと、魔族代表である男との結婚は、両国間の平和の象徴となるのだ。
「……で、では、私は殿下をなんとお呼びしたらよろしいのでしょうか?」
「エディ、と」
男の名前がエドワードであるということは、つい先ほど出会ったときに名乗られたから知っていた。
愛称がエディであることに違和感はない。ラティファとエドワードは夫婦となるのだから、愛称を口にすることは自然なことだ。
だが、エドワードは冷酷無比な魔族の王子だ。その彼が照れ臭そうに頬を染めて愛称で呼ぶことを求めてくるとは、ラティファには想定外すぎた。
「………っ、わかりました。二人のときはそのように呼ばせていただきますわ」
ご冗談を、と軽く受け流すには衝撃が大きすぎた。
ラティファは自分の頬が熱くなっていくのがわかった。きっとエドワードと同じく真っ赤に頬を染めていることだろう。
それを悟られないように、顔を背けながら承諾の言葉を口にする。
すると、エドワードが声を出して笑った。
「ふふふ。ようやく君の素を見ることができた気がするよ」
「…………あまり意地悪なことをおっしゃらないでくださいませ」
ラティファは視線をエドワードに戻した。すると、少年のように笑う彼と目があって脱力してしまった。
どんなことが起きても冷静に、常に余裕をもって優美なさまを心がける。
こう言い聞かせてきたのは、敵国に嫁ぐ覚悟を持つためだった。
戦争が終わる。和平を結ぶ。
それをわかりやすく人々に示すために、人間と魔族、両者の王族が結婚する。
そうはいっても、戦争のない平和な時代を知らないラティファには信じられなかった。
自分は体のいい人質のような存在で、都合が悪くなったら切り捨てられると思っている。
ラティファは自分が嫁がされた時点で、祖国がこの婚姻に前向きでないことはわかっていた。
ラティファは王の十二番目の子供として生まれた。
だが、母は他の側室たちと比べ身分が低く、ラティファは生まれてすぐに養子へ出された。
ラティファには魔術の才能があったため、代々王家に魔術を教える家庭教師の家の子として育ったのだ。
物心つく前に養子に出したのは、将来的に跡目争いがおこったときのことを懸念してだったのだろう。
玉座を欲することのないよう、王家につかえる側である自覚を持たせる意味合いがあった。
実際、ラティファが魔術師として出仕するようになると、血のつながった親族であるはずの王族たちから理不尽な嫌がらせを受けた。
このとき養父からかけられた言葉が「どんなことが起きても冷静に、常に余裕をもって優美なさまを心がける」というものだった。
ラティファはこれまでの人生、この言葉を忘れずに過ごしてきた。
「こうやって素の君でいられる時間が長くなるように願っている。そのための協力は惜しまない」
「……ありがとうございます」
エドワードは出会った瞬間から今まで、ラティファには優しい言葉しかかけてこない。
こんなことは生まれて初めてだった。
お前は王家に仕える側の者だと蔑まれてきた。
だというのに、自分たちの都合が悪くなったときだけ王の子として利用しようとする。
あまりに理不尽すぎるが、憤ったところでどうにもならないことはわかっていた。
なにもかも諦めていた。
きっと嫁ぎ先でも理不尽に耐えるばかりの生活になると思っていた。
せめてみっともない姿をさらすことがないようにと、そう心に誓っていたのだ。
「きっと我らのこれからには苦難が多いと思う。だが、君とならばやっていけそうな気がするよ」
穏やかに微笑むエドワードがラティファを見つめている。
いままでさんざん他者から負の感情を向けられてきた。
そんなラティファだからわかった。
エドワードの瞳には、悪感情が一切ない。
ただ純粋にラティファの幸せを願ってくれている、そう感じた。
「ねえエディ。もう一つお願いしてもいいかしら?」
他者を愛称で呼ぶのは初めてだ。
恥じらいを覚えつつ、彼の名を口にする。
おもいがけずすんなり呼べたことに驚きはしたものの、ラティファの心の中は喜びであふれていた。
「もちろん。これからは夫婦になるのだから遠慮はいらない」
「私のことはティファとお呼びください」
穏やかに微笑んで、ラティファはエドワードを見上げた。
長きにわたる戦いの中で明確な争いの理由すら失われ、両陣営の被害は膨れ上がっていった。
どこかで戦争をやめなければならない。きっと誰もが思っていたことだろう。
そんな中で、世論が一気に和平へと傾くきっかけの出来事が起こった。
戦において人間陣営の代表格であった勇者と、魔族陣営の代表格だった王太子が相打ちで亡くなったのだ。
両陣営の最大戦力ともいえる二人の存在が失われたことを契機に、血で血を洗う泥沼の争いから、戦のない平和な世界を求めるように人々の心が変わっていった。
「せっかくだ。私からも望みを伝えてもよいだろうか?」
「ええ、喜んで。私でできることでしたらなんなりとお申し付けくださいませ」
「二人きりのときは殿下と呼ばないでほしい」
目の前の男の手がすっとラティファに伸びてきた。その手がラティファの頬に触れる。
温もりを感じて驚いた。ひんやりと冷たい感触すると身構えていたのだ。
生きているのだから当たり前なのだが、ラティファはこの時に魔族にも体温があるのだと知った。
今日で正式に戦争が終わる。
これから二国に平和の時代が訪れる。
その証として、人間と魔族、両陣営の王家に連なる者が婚姻関係を結ぶ。
人間代表のラティファと、魔族代表である男との結婚は、両国間の平和の象徴となるのだ。
「……で、では、私は殿下をなんとお呼びしたらよろしいのでしょうか?」
「エディ、と」
男の名前がエドワードであるということは、つい先ほど出会ったときに名乗られたから知っていた。
愛称がエディであることに違和感はない。ラティファとエドワードは夫婦となるのだから、愛称を口にすることは自然なことだ。
だが、エドワードは冷酷無比な魔族の王子だ。その彼が照れ臭そうに頬を染めて愛称で呼ぶことを求めてくるとは、ラティファには想定外すぎた。
「………っ、わかりました。二人のときはそのように呼ばせていただきますわ」
ご冗談を、と軽く受け流すには衝撃が大きすぎた。
ラティファは自分の頬が熱くなっていくのがわかった。きっとエドワードと同じく真っ赤に頬を染めていることだろう。
それを悟られないように、顔を背けながら承諾の言葉を口にする。
すると、エドワードが声を出して笑った。
「ふふふ。ようやく君の素を見ることができた気がするよ」
「…………あまり意地悪なことをおっしゃらないでくださいませ」
ラティファは視線をエドワードに戻した。すると、少年のように笑う彼と目があって脱力してしまった。
どんなことが起きても冷静に、常に余裕をもって優美なさまを心がける。
こう言い聞かせてきたのは、敵国に嫁ぐ覚悟を持つためだった。
戦争が終わる。和平を結ぶ。
それをわかりやすく人々に示すために、人間と魔族、両者の王族が結婚する。
そうはいっても、戦争のない平和な時代を知らないラティファには信じられなかった。
自分は体のいい人質のような存在で、都合が悪くなったら切り捨てられると思っている。
ラティファは自分が嫁がされた時点で、祖国がこの婚姻に前向きでないことはわかっていた。
ラティファは王の十二番目の子供として生まれた。
だが、母は他の側室たちと比べ身分が低く、ラティファは生まれてすぐに養子へ出された。
ラティファには魔術の才能があったため、代々王家に魔術を教える家庭教師の家の子として育ったのだ。
物心つく前に養子に出したのは、将来的に跡目争いがおこったときのことを懸念してだったのだろう。
玉座を欲することのないよう、王家につかえる側である自覚を持たせる意味合いがあった。
実際、ラティファが魔術師として出仕するようになると、血のつながった親族であるはずの王族たちから理不尽な嫌がらせを受けた。
このとき養父からかけられた言葉が「どんなことが起きても冷静に、常に余裕をもって優美なさまを心がける」というものだった。
ラティファはこれまでの人生、この言葉を忘れずに過ごしてきた。
「こうやって素の君でいられる時間が長くなるように願っている。そのための協力は惜しまない」
「……ありがとうございます」
エドワードは出会った瞬間から今まで、ラティファには優しい言葉しかかけてこない。
こんなことは生まれて初めてだった。
お前は王家に仕える側の者だと蔑まれてきた。
だというのに、自分たちの都合が悪くなったときだけ王の子として利用しようとする。
あまりに理不尽すぎるが、憤ったところでどうにもならないことはわかっていた。
なにもかも諦めていた。
きっと嫁ぎ先でも理不尽に耐えるばかりの生活になると思っていた。
せめてみっともない姿をさらすことがないようにと、そう心に誓っていたのだ。
「きっと我らのこれからには苦難が多いと思う。だが、君とならばやっていけそうな気がするよ」
穏やかに微笑むエドワードがラティファを見つめている。
いままでさんざん他者から負の感情を向けられてきた。
そんなラティファだからわかった。
エドワードの瞳には、悪感情が一切ない。
ただ純粋にラティファの幸せを願ってくれている、そう感じた。
「ねえエディ。もう一つお願いしてもいいかしら?」
他者を愛称で呼ぶのは初めてだ。
恥じらいを覚えつつ、彼の名を口にする。
おもいがけずすんなり呼べたことに驚きはしたものの、ラティファの心の中は喜びであふれていた。
「もちろん。これからは夫婦になるのだから遠慮はいらない」
「私のことはティファとお呼びください」
穏やかに微笑んで、ラティファはエドワードを見上げた。
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