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「あら、ごめんなさいね。手が滑ってしまいましたわ」
ラティファは王宮のとある一室にやってきていた。
ここでは現在、魔族の貴族階級の淑女たちが集まり茶会が開かれている。
主催は現魔王の正妃であるヴィオレットだ。
「そのようなお姿でヴィオレット様の前にいるのはあまりに失礼ではなくて?」
席についたラティファのドレスに、熱いお茶がかかった。
お茶をかけてきた令嬢はうっかりであると主張しているが、悪意をもってカップの中身をぶちまけたことは明白だった。
和平を結んだとはいえ、人間であるラティファをよく思わない魔族は多い。
お茶で染まったドレスを着たラティファを、目の前にいる令嬢は馬鹿にしたような目でみつめてきている。
周囲からも意地が悪いくすくすとした笑い声が聞こえ、ラティファは心の中で盛大にため息をついていた。
「……そうですわね。申し訳ないのですが、席を外させていただきますわ」
汚れたままのドレスで王妃の前にいるわけにはいかない。
ラティファが席を立とうとすると、騒ぎに気がついたヴィオレットに声をかけられた。
「まあ、どうなさったのです。そのドレスはいったい……?」
王妃であるヴィオレットは目を丸くして驚いた顔をしている。
だが、彼女に取り乱した様子は一切ない。
「王妃様、お気遣いありがとうございます。お騒がせして申し訳ございません」
「あらまあ、そんなことはかまいませんのよ。お茶がこぼれてしまったのね。やけどはしていないかしら?」
「はい。ご心配いただきありがとうございます」
わざとらしく眉を下げて尋ねてくるが、ヴィオレットがラティファの心配などしていないことはわかっていた。
このヴィオレットという女性は、現魔王の正妃ではあるがエドワードの母ではない。
エドワードの母は側室であり、すでに故人だ。ヴィオレットは人間と魔族が和平へと向かうきっかけとなった戦で死亡した前王太子の母である。
息子を殺した人間という存在はさぞ憎たらしいことだろう。ラティファがヴィオレットに気に入られていないのは当然だった。
「王太子妃がまた粗相をなさってしまいましたのね」
「まったく、いつも問題を起こす方ね」
「そんな方にもお声をかけてくださるなんて。ヴィオレット様はお心が広いわ」
ラティファにお茶をかけてきた令嬢とその取り巻きたちが聞こえるように話し出す。
ラティファに聞こえているのだから、当然そばにいるヴィオレットにも聞こえているだろう。
彼女らが王太子妃という部分をわざわざ強調して言ったので、ヴィオレットのこめかみがぴくりと動いた。
これ以上は場の空気を悪くするわけにはいかない。
令嬢たちが騒ぎを大きくする前にラティファはこの場を去ろうとヴィオレットに退席を申し出る。
「本当にお騒がせして申し訳ございません。このような姿で王妃様の前にいるわけにはまいりませんので、本日はこれで失礼させていただきますわ」
「……あらまあ、まだお話をしていませんのに残念ですわ。でも、せっかくのドレスに染みができては大変ですものね」
「ありがとうございます。王妃様のそのお優しいお心だけいただきますわ」
ヴィオレットがハンカチを差し出してくれたが、ラティファはそれを丁重に断った。
「染みはさっさと消えてちょうだいね」
ヴィオレットに再び断りを入れて部屋を後にしようとしたラティファの耳元で、お茶をかけてきた令嬢がささやいた。
ちらりとその令嬢をラティファが見ると、彼女の肩越しに顔をゆがめて笑う人物と目があう。
それは前王太子妃のエレノアだった。
ヴィオレットの実子であり、存命であればゆくゆくは魔王としてこの国の頂点に立つはずだった男の妻であった女性だ。
──人間ごときが。本当に王妃になれるとでも思っているのかしら?
声こそ聞こえなかったが、たしかにエレノアの口元はそう動いていた。
未亡人となった彼女は、かつての自身の立場となったラティファに憎しみをぶつけてくる。
直接的に嫌味を言ってくることもあるが、こうして取り巻きを使って嫌がらせをしてくることも日常茶飯事となっている。
ラティファはエレノアに向かって会釈だけすると、さっさと茶会の会場をあとにした。
「とはいっても、エレノア様がしてくる嫌がらせってこの程度のものばかりなのよね。張り合いがないわ」
祖国でもさんざん身内にいびりぬかれてきたラティファには、ドレスにお茶をかけられる程度ならばたいしたことではなかった。
魔族も人間と同じような嫌がらせをしてくることに驚きこそしているものの、心が傷つくようなことはない。
「エディに報告したら対処はしてくださるでしょうけれど。女のいがみ合いに巻き込むのは違うような気がするのよねえ」
そう思って軽く受け流していたのが間違いだった。
エレノアとその取り巻きの令嬢たちの嫌がらせは、日に日に激しさを増していく。
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