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ラティファを見つめるエドワードの目はいつものように優しい。
その視線に悪意は感じられない。
「兄が戦の象徴ならば、私は平和の象徴になろうと思ったんだ」
「お兄様の跡を継ぐのがあなたなのは理解できます。ですが、どうしてその対となるべき存在である勇者の跡を継ぐのは私ではならなかったのですか?」
「兄と対等に渡り合っていた勇者殿が後継はティファだと言っていたのだから間違いはない。実際に間違いはなかった」
エドワードがもう一度ラティファの右手の甲に唇を寄せた。
彼はそれからラティファの腹を愛おしそうに見つめて優しくなでる。
「私とティファの子ならきっと素晴らしい才能を持って生まれてくるだろう。万が一にも人間たちが再び戦を起こそうとしたとして、次代の勇者とその血を引いた子供はこちら側だ」
エドワードの言葉を聞いた途端、ラティファの背筋に悪寒が走った。
「……あ、あなたは私を愛してくださっていたわけではないのですか?」
最初からなにもかもエドワードの手のひらの上だった。
「どうしてそんなことを聞くんだい? 私がティファを愛さない理由はないだろう」
「そうですか。あなたにとって私が必要だから愛してくださっているのですね」
「当たり前じゃないか。だから私も君にとって必要な存在であれるようにといつも心がけている」
はじめて出会った日に言われた言葉。
あの言葉には前置きがあったのだ。
「私にとって君は必要で大切な存在だ。だから和平を結ぶ条件として私の妻になってほしいと要望をした。だが、それは君にとっては思ってもいない出来事だったろう?」
エドワードの優しさには理由があった。
「不本意に嫁がされてさぞ不満も多かろう。だからこれからも、君に愛されるように努力はする」
はじめてエドワードに会った日に気がついていればよかった。
そうすれば和平のためのお飾り妻、ただの役目なのだと受け入れることができた。
だが、ラティファはもうエドワードを愛してしまった。彼に優しく甘やかされることに慣れてしまった。
──どんなことが起きても冷静に、常に余裕をもって優美なさまを心がける。
この言葉を今ほど噛みしめたことはない。
エドワードからかけられる優しい言葉の数々を、これからはきっと素直に喜べない。
だが、けして取り乱したりはしない。
「私もあなたの妻としてのお役目を果たせるように、努力をいたしますわ」
ラティファは初めて出会った日と同じ言葉を囁いてから、床に膝をついてエドワードに抱き着いた。
胸の中で顔を上げると、穏やかに微笑む彼と目があった。
ラティファが彼の都合の良い存在でいるうちは、こうして優しく受け入れてくれる。笑顔を向けてくれる。
だがきっと、必要ではなくなった瞬間に切り捨てられる。確実に殺される。
──ええ、そうよ。最初から殺される覚悟をして嫁いできたんじゃない。今さら恐れることはなにもないわ。
ラティファはエドワードの頬を両手で挟んで微笑みかけた。
「私はあなたを愛しています。だから、私にとってあなたはなくてはならない存在なのです」
「嬉しいことを言ってくれるね。もちろん私も愛しているよ」
満足気にエドワードが笑う。
その様子には、やはり悪意や作為的なものは見当たらない。
──彼のこれはきっと、悪意のない悪という表現が当てはまっているような気がするわ。
エドワードのラティファに対する行動のすべてが彼の考える純粋な善意なのだろう。
それだけではない。
彼の理想とする平和な世界、それを実現するためにしている行動のすべてが、邪念や私欲のないひたむきな思いからくるものなのだ。
──この方がいずれは魔族を統べる王になる。
そう考えた途端、ラティファの心が折れかけた。
──いいえラティファ、諦めてはだめよ。こんな方が王になって、平和になるわけがないじゃない。他者の心が理解できない愛を知らない王が、平和の象徴になれるわけがないもの。
「私はあなたを愛しています。だからあなたも私を愛してください」
必死に愛を訴えるラティファを、エドワードは不思議そうな顔をして見つめてくる。
「愛しているよ。ティファは私にとって本当に大切な人だから」
違うと叫びたかった。
必要だからではなく、本当の意味で愛してほしいと言いたかった。
「わかっています。あなたの愛は孤独な私を救ってくれました。愛を教えてくれました。そのことには感謝しているのです」
もしこの男にラティファと同じように愛を感じさせることができたなら──。
そのときはきっと本当の意味で人と魔族との間に平和が訪れる。
もう二度と戦争は起こさせない。
ラティファは改めて自分が平和の象徴にならなければいけないのだと胸に刻み込んだ。
「何度でも言わせてほしいのです。愛しい私の王子様、どうか私を愛してくださいね」
────────────────────────────
こちらで終了でございます。
最後までお付き合いいただいた皆様
ありがとうございます!
2024/03/06
その視線に悪意は感じられない。
「兄が戦の象徴ならば、私は平和の象徴になろうと思ったんだ」
「お兄様の跡を継ぐのがあなたなのは理解できます。ですが、どうしてその対となるべき存在である勇者の跡を継ぐのは私ではならなかったのですか?」
「兄と対等に渡り合っていた勇者殿が後継はティファだと言っていたのだから間違いはない。実際に間違いはなかった」
エドワードがもう一度ラティファの右手の甲に唇を寄せた。
彼はそれからラティファの腹を愛おしそうに見つめて優しくなでる。
「私とティファの子ならきっと素晴らしい才能を持って生まれてくるだろう。万が一にも人間たちが再び戦を起こそうとしたとして、次代の勇者とその血を引いた子供はこちら側だ」
エドワードの言葉を聞いた途端、ラティファの背筋に悪寒が走った。
「……あ、あなたは私を愛してくださっていたわけではないのですか?」
最初からなにもかもエドワードの手のひらの上だった。
「どうしてそんなことを聞くんだい? 私がティファを愛さない理由はないだろう」
「そうですか。あなたにとって私が必要だから愛してくださっているのですね」
「当たり前じゃないか。だから私も君にとって必要な存在であれるようにといつも心がけている」
はじめて出会った日に言われた言葉。
あの言葉には前置きがあったのだ。
「私にとって君は必要で大切な存在だ。だから和平を結ぶ条件として私の妻になってほしいと要望をした。だが、それは君にとっては思ってもいない出来事だったろう?」
エドワードの優しさには理由があった。
「不本意に嫁がされてさぞ不満も多かろう。だからこれからも、君に愛されるように努力はする」
はじめてエドワードに会った日に気がついていればよかった。
そうすれば和平のためのお飾り妻、ただの役目なのだと受け入れることができた。
だが、ラティファはもうエドワードを愛してしまった。彼に優しく甘やかされることに慣れてしまった。
──どんなことが起きても冷静に、常に余裕をもって優美なさまを心がける。
この言葉を今ほど噛みしめたことはない。
エドワードからかけられる優しい言葉の数々を、これからはきっと素直に喜べない。
だが、けして取り乱したりはしない。
「私もあなたの妻としてのお役目を果たせるように、努力をいたしますわ」
ラティファは初めて出会った日と同じ言葉を囁いてから、床に膝をついてエドワードに抱き着いた。
胸の中で顔を上げると、穏やかに微笑む彼と目があった。
ラティファが彼の都合の良い存在でいるうちは、こうして優しく受け入れてくれる。笑顔を向けてくれる。
だがきっと、必要ではなくなった瞬間に切り捨てられる。確実に殺される。
──ええ、そうよ。最初から殺される覚悟をして嫁いできたんじゃない。今さら恐れることはなにもないわ。
ラティファはエドワードの頬を両手で挟んで微笑みかけた。
「私はあなたを愛しています。だから、私にとってあなたはなくてはならない存在なのです」
「嬉しいことを言ってくれるね。もちろん私も愛しているよ」
満足気にエドワードが笑う。
その様子には、やはり悪意や作為的なものは見当たらない。
──彼のこれはきっと、悪意のない悪という表現が当てはまっているような気がするわ。
エドワードのラティファに対する行動のすべてが彼の考える純粋な善意なのだろう。
それだけではない。
彼の理想とする平和な世界、それを実現するためにしている行動のすべてが、邪念や私欲のないひたむきな思いからくるものなのだ。
──この方がいずれは魔族を統べる王になる。
そう考えた途端、ラティファの心が折れかけた。
──いいえラティファ、諦めてはだめよ。こんな方が王になって、平和になるわけがないじゃない。他者の心が理解できない愛を知らない王が、平和の象徴になれるわけがないもの。
「私はあなたを愛しています。だからあなたも私を愛してください」
必死に愛を訴えるラティファを、エドワードは不思議そうな顔をして見つめてくる。
「愛しているよ。ティファは私にとって本当に大切な人だから」
違うと叫びたかった。
必要だからではなく、本当の意味で愛してほしいと言いたかった。
「わかっています。あなたの愛は孤独な私を救ってくれました。愛を教えてくれました。そのことには感謝しているのです」
もしこの男にラティファと同じように愛を感じさせることができたなら──。
そのときはきっと本当の意味で人と魔族との間に平和が訪れる。
もう二度と戦争は起こさせない。
ラティファは改めて自分が平和の象徴にならなければいけないのだと胸に刻み込んだ。
「何度でも言わせてほしいのです。愛しい私の王子様、どうか私を愛してくださいね」
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こちらで終了でございます。
最後までお付き合いいただいた皆様
ありがとうございます!
2024/03/06
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