秘密基地で待ち合わせ

黒蜜きな粉

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第1話 夏の終わり

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 ──200◯年7月某日

 大学一年生の夏休みは、人生で一番自由な時間だと聞いていた。
 少なくともあの電話が鳴るまでは、麻衣まいもそうなのだと信じていた。

 七月の終わり、講義がひと区切りついた日の夕方だった。
 アパートの狭い部屋で、これから訪れる夏の予定を手帳に書き込んでいた。

 サークルの合宿、友達との日帰り旅行、夜遅くまでの飲み会、大学生の夏休みはなにかと忙しい。

「お小遣い足りるかな。やっぱりバイトとかするべきなのかな」

 手帳を眺めながら、そんな言葉が漏れ出ていた。
 高校を卒業して地元を出てから初めて迎える長い休みだ。
 やっとだ、ようやくここからが自分の時間なのだと、麻衣はそう意気込んでいた。
 期待に胸が高鳴り、自然と口角が上がる。
 頭の中では夏休みを満喫する自分の姿が鮮明に浮かんでいる。

 携帯が鳴ったのはそんなときだった。
 浮かれた気持ちのままテーブルの上に置いていた携帯を見ると、見覚えのありすぎる市外局番が表示されていた。
 その数字の並びを見て、一瞬だけペンを持っていた手が止まる。

「……実家だ。なんだろう?」

 嫌な予感がしたわけではない。ただ、ほんの少し気持ちが落ち込んでしまった。
 未来を思い描いていた途中で、急に現実が割り込んできたのだ。気が滅入るのも仕方がない。

「……はい、もしもし」

「麻衣? やっと出た。今ちょっといい?」

 たっぷりとコール音を聞いた後、麻衣はいつもよりも落ち着いた声色で電話に出た。
 そんな麻衣よりも、母の声は普段より少し低かった。それだけで、続きを聞きたくない気持ちになった。

「……あのね、恵太けいたくんのお母さんが、亡くなったんだって……」

 一瞬、母の言葉の意味が頭に入ってこなかった。

「……お葬式はね、明後日だってさ。夏休みに入ったばかりで悪いんだけどもね……」

 母の声は続いていたけれど、途中からよく聞こえなくなった。
 耳鳴りのような音がして、麻衣は軽いめまいを覚えた。

 ──恵太。私の幼馴染。

 小学生の頃、いつも一緒に遊んでいた男の子だ。
 そしてある日、いなくなったまま帰ってこなかった子でもある。

 麻衣はこれから大学生になって初めての夏休みを迎える。
 きっと楽しい未来が待っていると、そう思っていた。
 そんな未来が潰されたから、気分が沈んだわけじゃない。
 ただ、もう終わったと思っていた名前を聞かされたことが、心に重くのしかかってきただけだった。

「……わかった。帰るよ」

 そう答えた自分の声は、驚くほど冷静だった。

 電話を切ってから、しばらくその場に座り込んでいた。
 麻衣は大学の近くにある、学生ばかりの1Kのアパートで暮らしている。
 開け放した窓の外では夏の夕方の明るさが残っていて、どこかの部屋から楽しそうな話し声が聞こえてくる。
 みんなこれから迎える夏休みという時間を、遊ぶことで使い切るつもりでいるのだ。
 声が明るくなるのは当然だろう。
 その中で、麻衣は自分だけがその場に取り残されてしまったような気がした。


 翌朝、新幹線に乗った。
 東京から北へ、一時間ほど。窓の外の景色は、ビルの群れから低い建物へ、やがて畑と山ばかりになる。

 駅で降りると、空気が違った。
 じめじめと湿っていて、少し重い。

 そこから、バスに乗り換える。
 二時間に一本しか来ない路線バス。逃したら、次はだいぶ先になる。

 車内には麻衣と買い物袋を持った年配の女性が二人だけだった。
 エンジンの音だけがやけに大きく響く。

 バスは、山の中へ入っていった。
 カーブが増え、家の数が減っていく。
 隣の家まで歩いて数分、という距離が当たり前の場所だ。

 平成の市町村合併で、名前だけは「市」になった。
 ○○市と聞けば、それなりに発展した街を想像する人もいるらしい。
 けれど、麻衣の知っているあそこはただのムラのままだ。

 夜になれば、音は簡単に消える。
 叫んだって、誰にも届かない。
 強盗に入られたとしても、隣の家は気づかない。そんな場所だ。

 バスを降り、歩き始める。
 舗装された道の両脇には、雑草が伸び放題になっている。
 蝉の声がうるさいほど響いているのに、人の気配はほとんどない。

 歩きながら、ふと考える。

 もし、恵太が生きていたら。
 もし、大学生になっていたら。
 この夏、どこで、何をしていただろう。

 そんな想像をすること自体が、もうずいぶん久しぶりだった。

 実家の屋根が見えたところで、足が少し重くなる。
 戻ってきたくなかったわけじゃない。
 ただ、ここに帰ると忘れたつもりでいたことまで、あの夏の続きを含めて、全部を思い出してしまいそうになる。

 夏休みは始まったばかりだった。
 それなのに、麻衣の中ではもう終わりに向かっている気がしていた。
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