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第2話 女手
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「……ただいま」
「麻衣、さっさと着替えて。時間ないから」
実家の玄関に入るなり、母は麻衣の顔をろくに見もせずに言った。
麻衣は靴を脱ぎながら、ああね、と短く返事をする。
「隣保班のみなさん、もう集まってるのよ。今日はもう総出で支度しなくちゃいけないんだから。喪服は部屋に出してあるからね。さっさと黒に着替えなさい」
母の畳みかけるような言い方は、昔から変わらない。
長旅の疲れを癒す時間なんて存在しないのだと痛感する。
「私はね、あんたを迎えに行くからって少しだけ抜けさせてもらってるの。隣保班の奥さんたちは、昨日からずっと動いてるんだからさ」
──だから、あんたも当然来るでしょう?
言外に、そう含まれている。
久しぶりに帰ってきた一人娘に「大学生活はどうか」とか「一人暮らしは順調か」だとか、そんな声をかけることすら惜しいらしい。
そもそも「おかえりなさい」という当たり前の挨拶すらないのだ。
それも、ここへ帰りたくない理由のひとつだった。
──女か、男か。
それだけで物事が決まる。
決まった役割から外れようとすると、面倒な顔をされる。
このあたりでは、誰かの家に不幸があると、いわゆる隣保班が動く。
数軒ずつで組まれた小さな班が、葬儀の準備から片づけまでを担当する仕組みだ。
隣組と言い換えれば、歴史の授業で聞いたことがあるだろう。
男たちは受付や車の誘導、火葬場への手配を受け持つ。
女たちは台所に立ち、料理を作り、お茶を出し、客の世話をする。
それがこのムラに存在する昔からの決まりで、そういうものとして受け継がれてきた。
班に入っている家の人間は、用事があろうと体調が悪かろうと原則参加だ。
不在が続けば「付き合いが悪い」「協力しない家」として噂になる。
誰もがうんざりしているはずなのに、それを口にする人はいない。
本音をさらけ出したところで、面倒ごとになるだけだ。
「……わかった」
そう言って、麻衣はおとなしく自分の部屋に向かう。
実家の廊下は、相変わらず軋む音がした。
──ぎし、ぎし、ぎし、ぎし……。
自分の足音がやけに大きく響く。
2階に上がって突き当たりが麻衣の部屋だ。そっとドアを開けると、すぐに懐かしい匂いがした。
ここで暮らしていた日々が頭の中を駆け巡るが、今は過去を思い出している暇なんてない。
壁には喪服がかけられていた。
そして、ベッドの上には白いエプロンが綺麗にたたまれて置かれている。
それを見た瞬間、胸が苦しくなる。
東京から持ってきた荷物は、まだ玄関に置いたままだ。
それを開く暇もなく、ここに連れ戻された感じがする。
鏡の前に立ち、喪服に袖を通す。
その上から、白いエプロンを身につける。
いかにも昭和、という形だ。
レトロなんて言葉で取り繕うことなどできない。ただの古臭いスタイル。
紐を結びながら、鏡の中の自分を見る。
大学の友人に見られたらなんて言われるか。
きっとドラマや映画でしか見たことがない、そう笑われるに違いない。
「……黒い喪服に、白いエプロンとか。さすがにダサすぎる」
現実に取り残されたというより、無理やり過去に引き戻された気分だった。
うんざりとした気持ちで鏡の自分と見つめ合っていると、廊下の向こうから母の声が飛んでくる。
「麻衣、まだ?」
返事をする前に、もう一度だけ鏡を見る。
そこに映っているのは東京で大学生活を満喫していた女の子でも、夏休みを楽しもうとしていた女子大生でもなかった。
ただ、この村の女手として数えられる存在だった。
「……今、行く」
そう答えて、麻衣は部屋を出る。
実家の玄関を出てまっすぐに歩いて五分ほどの場所に、恵太の家がある。
そこでは明日、恵太の母の葬儀が行われるのだ。
そう思うと、また少しだけ気分が重くなった。
「麻衣、さっさと着替えて。時間ないから」
実家の玄関に入るなり、母は麻衣の顔をろくに見もせずに言った。
麻衣は靴を脱ぎながら、ああね、と短く返事をする。
「隣保班のみなさん、もう集まってるのよ。今日はもう総出で支度しなくちゃいけないんだから。喪服は部屋に出してあるからね。さっさと黒に着替えなさい」
母の畳みかけるような言い方は、昔から変わらない。
長旅の疲れを癒す時間なんて存在しないのだと痛感する。
「私はね、あんたを迎えに行くからって少しだけ抜けさせてもらってるの。隣保班の奥さんたちは、昨日からずっと動いてるんだからさ」
──だから、あんたも当然来るでしょう?
言外に、そう含まれている。
久しぶりに帰ってきた一人娘に「大学生活はどうか」とか「一人暮らしは順調か」だとか、そんな声をかけることすら惜しいらしい。
そもそも「おかえりなさい」という当たり前の挨拶すらないのだ。
それも、ここへ帰りたくない理由のひとつだった。
──女か、男か。
それだけで物事が決まる。
決まった役割から外れようとすると、面倒な顔をされる。
このあたりでは、誰かの家に不幸があると、いわゆる隣保班が動く。
数軒ずつで組まれた小さな班が、葬儀の準備から片づけまでを担当する仕組みだ。
隣組と言い換えれば、歴史の授業で聞いたことがあるだろう。
男たちは受付や車の誘導、火葬場への手配を受け持つ。
女たちは台所に立ち、料理を作り、お茶を出し、客の世話をする。
それがこのムラに存在する昔からの決まりで、そういうものとして受け継がれてきた。
班に入っている家の人間は、用事があろうと体調が悪かろうと原則参加だ。
不在が続けば「付き合いが悪い」「協力しない家」として噂になる。
誰もがうんざりしているはずなのに、それを口にする人はいない。
本音をさらけ出したところで、面倒ごとになるだけだ。
「……わかった」
そう言って、麻衣はおとなしく自分の部屋に向かう。
実家の廊下は、相変わらず軋む音がした。
──ぎし、ぎし、ぎし、ぎし……。
自分の足音がやけに大きく響く。
2階に上がって突き当たりが麻衣の部屋だ。そっとドアを開けると、すぐに懐かしい匂いがした。
ここで暮らしていた日々が頭の中を駆け巡るが、今は過去を思い出している暇なんてない。
壁には喪服がかけられていた。
そして、ベッドの上には白いエプロンが綺麗にたたまれて置かれている。
それを見た瞬間、胸が苦しくなる。
東京から持ってきた荷物は、まだ玄関に置いたままだ。
それを開く暇もなく、ここに連れ戻された感じがする。
鏡の前に立ち、喪服に袖を通す。
その上から、白いエプロンを身につける。
いかにも昭和、という形だ。
レトロなんて言葉で取り繕うことなどできない。ただの古臭いスタイル。
紐を結びながら、鏡の中の自分を見る。
大学の友人に見られたらなんて言われるか。
きっとドラマや映画でしか見たことがない、そう笑われるに違いない。
「……黒い喪服に、白いエプロンとか。さすがにダサすぎる」
現実に取り残されたというより、無理やり過去に引き戻された気分だった。
うんざりとした気持ちで鏡の自分と見つめ合っていると、廊下の向こうから母の声が飛んでくる。
「麻衣、まだ?」
返事をする前に、もう一度だけ鏡を見る。
そこに映っているのは東京で大学生活を満喫していた女の子でも、夏休みを楽しもうとしていた女子大生でもなかった。
ただ、この村の女手として数えられる存在だった。
「……今、行く」
そう答えて、麻衣は部屋を出る。
実家の玄関を出てまっすぐに歩いて五分ほどの場所に、恵太の家がある。
そこでは明日、恵太の母の葬儀が行われるのだ。
そう思うと、また少しだけ気分が重くなった。
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