政略結婚の果て、私は魔女になった。

黒蜜きな粉

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第8話

 辺境伯家の医師による検死の後、呪術の類の可能性もあると王都から魔術師が呼ばれた。
 しかし、毒も呪術も、異常な魔力の痕跡も見つからない。

 若き辺境伯の死因は原因不明、それが結論だった。
 誰一人として、美しく微笑む心優しい辺境伯夫人を疑う者はいなかった。

 いや、呼ばれた魔術師はもしやと思ったかもしれない。
 だが、王都の魔術師がフリーデを糾弾できるはずもない。魔術の大家の娘を確証無く疑えば、自身の魔術師としての立場が危うくなる。
 それどころか、自分が同じやり方で消される可能性すらあるのだ。


 ヴィルヘルムの葬儀は、重たい雨に包まれていた。

 黒い傘が幾重にも並び、弔鐘の音が悲しく響く。
 棺が運ばれるあいだ、誰も大きな声を出さなかった。
 泣き声さえ、この屋敷では許されていないかのようだった。

 フリーデは喪服をまとい、子を抱いて立っている。
 もちろん涙はなかった。
 ただ静かに、前を見つめていた。
 囁きが風のように流れる。

「若くして当主様が……」
「英雄がいなくなってしまうなんて……」
「この領地はこれからどうなってしまうのだろう」
 
 葬儀のあと。
 人気のない屋敷の廊下で、シリウスが笑った。

「はははは! これで全部、僕のものだ」

 目を輝かせるその姿を、フリーデは穏やかに微笑みながら見つめていた。

「兄上は死んだ! 父上も動けない。次の当主はまだ子供だ」

 その夜、シリウスはフリーデを乱暴に抱いた。

「やっと自由だ。君も、僕のものだろ?」

 フリーデは抵抗しなかった。
 自分を組み敷く男を見つめながら、考えを巡らせていた。

「フリーデ、愛してる。はじめて君を見た日から欲しくてたまらなかった。俺なら君を大切にできるのに、どうして兄上なんだと……。君をずっと愛おしく思っていたのに!」

 シリウスは愛の言葉を囁きながら、フリーデの中に欲望を吐き出した。

「……もう俺だけのものだ。愛しているよ、フリーデ。俺と君でこの土地を豊かにしていこう」
 
 シリウスはフリーデを抱きしめ、身体中に口付けを落としてくる。愛の言葉を繰り返し、何度も何度も欲望を打ちつけてくる。
 
(この男も処理する。でも、それは今じゃない。早く国境をどうにかしなければ……。私は辺境伯家の妻だもの)

 


 時は流れた。
 子は成長し、もうすぐ七歳になる。

 銀の髪。
 澄んだ青い瞳。
 誰もが次の当主だと疑わない姿。

 フリーデは事実上の当主として領地を切り盛りしていた。
 義父は屋敷の奥の部屋で生きている。
 動かず、話せず、目だけがすべてを見ている存在として。

 毎日、フリーデは義父に声をかける。

「もう少しで、すべて完成しますよ」

 その意味を知る者はいない。
 義父は涙を流しながら微笑むフリーデを見上げていた。
 

 子が七歳の誕生日を迎えてから数日が過ぎた。

 シリウスは朝の食卓で突然倒れた。
 喉を押さえ、目を見開き、床へ崩れ落ちる。
 身体は痙攣し、意味のない声が漏れる。

 シリウスはもがきながらフリーデを見つめる。
 その瞳が、全てを理解したことを語っていた。
 母の死、父の麻痺、兄の死。
 そして今、自分。

「……ま……さか……」

 フリーデはゆっくりと膝をつき、シリウスの前に屈んだ。
 その顔には、これまでで一番美しい微笑みが浮かんでいた。

「気づいたのですね」

 優しい声で囁く。呻くシリウスの身体をそっと撫でる。

「この七年、楽しく過ごせましたでしょう?」

 恐怖でシリウスの呼吸が乱れる。

「……な、ぜ……あいし、てる……のに……」

「お疲れ様でした」

 フリーデが別れの言葉を告げるとシリウスは動かなくなった。
 次の瞬間、料理を運んできた使用人が悲鳴をあげる。

「早く医師を!」

 指示を出すフリーデに、誰も疑念を抱かない。
 ヴィルヘルムを失ってからのフリーデは、見事にその代わりを務めてみせた。
 この領地にフリーデは欠かせない存在になっていた。

 どたばたと足音を立てて医師が食堂にやってきた。
 そのどさくさにまぎれ、小さな顔が食堂の中を覗き込む。

「お母さま?」

 フリーデが振り向くと、七歳の子が立っている。
 辺境伯家の血をそのまま写したような姿。

「あら、どうしたの?」

「あのね、さっき大きな音がしたの」

 フリーデは穏やかに微笑み、子に近づく。

「おじさま、どうしたの?」

 フリーデはそっとしゃがみこむと、優しく肩を抱く。

「少し疲れてしまったみたいなの。お医者様が来てくださったから大丈夫よ」

「……おじさま眠っちゃったの?」

「ええ。とても深くね」

 子の手を取り、フリーデは奥の部屋へ向かう。
 そこには義父が横たわっていた。
 動かない身体と、生きている目。

「おじいさま、おはようございます」

 子は義父に近づき、額にそっと口づけをする。

「今日はね、騎士団の方が来てくださって剣の稽古をしてくださるの」

 にこにこと無邪気に笑い、話しかける。

「お父さまみたいな立派な剣士になるために頑張るね」

 義父の目から涙がこぼれる。
 だが、声は出せず、身体も動かない。

「僕ね、お稽古がんばるから。おじいさまもちゃんと休まなきゃだめだよ」

 フリーデは静かに見守っていた。
 この家で、ただ一人。
 けして失ってはいけない、未来そのもの。

「さあ、もういきましょう。先生をお待たせしては駄目よ」

「はあい!」

 子は手を上げて元気よく返事をすると、義父の眠る部屋を出て行く。
 扉の閉まる音を聞いてから、フリーデは義父のそばへ歩み寄る。

「……優しい子でしょう。あなたの血を、ちゃんと受け継いでいますよ」

 必死に動く目。
 恐怖と絶望に染まっている。

「この家はもう大丈夫ですわ。あの子が立派な当主になります」

 フリーデは義父の頬にそっと口づけた。
 
「あなたが私を選ばなければ、あの子に出会えなかった。それだけは感謝しております」

 義父が再び涙を流す。その涙をそっと拭ってから、フリーデは部屋をあとにする。

 廊下に出たフリーデを、子が見上げてくる。
 純粋な目がまぶしい。
 
「……ねえ、お母さま」

「なあに?」

「おじいさまはちゃんと元気になる?」

 フリーデは優しく頷いた。

「ええ。ゆっくり休めば大丈夫よ」

 子は安心して笑う。
 その笑顔を見つめながら、フリーデは目を閉じた。

 フリーデの両親は自分を愛してくれた。
 家族とはどういうものなのかを教えてくれた。

(この家で愛は必要のないもの。けれど、せめて父が自分にそうしてくれたように、この子に知識だけは与えてあげたい)

 周りの人間がどれだけ自分を冷遇しても、生き抜いていけるだけの力をつけさせる。
 それさえできれば、自分で未来を切り開ける。

 ──私は自分に課せられた務めを果たす。ただそれだけ。
感想 1

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みんなの感想(1件)

タマゴヤキ
2026.02.16 タマゴヤキ

もっと読まれても良い作品だと思いました。
私の中ではお気に入り作品です。
黒蜜きな粉様、これからも頑張ってください。

2026.02.16 黒蜜きな粉

タマゴヤキさま

お気に入りと言っていただけて光栄です!
とても温かいお言葉ありがとうございます
これからも楽しんでいただけるよう頑張ります

解除

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